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終章 未来へ

あかし ※挿絵あり

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「レイチェル」
「んー……」
「……レイチェル、レイチェル」
「う~~、あと5分~……」
「…………」

 ――毎朝の恒例行事。
 砦にいたときからそうだったが、レイチェルはとにかく寝起きが悪い。
 声をかけて揺すってもなかなか起きない。
 今日も「あと5分」を3回くらい繰り返している……。

「……仕事だろ。もう8時半だぞ」
「ふぁっ!?」
「!」

 奇声を上げながらレイチェルがガバッと起き上がる。
 彼女を起こすときはなるべく体を離すようにしている。一度、こうやって勢いよく起き上がってきた彼女と頭をぶつけたことがあるからだ。
 ……あれは痛かった。正直泣いた。

「朝飯あるけど」
「食べる~、食べます~~っ」

 言いながらレイチェルはクロゼットから着替えをバババと取り出し、脱衣室へバタバタと駆けていく。
 扉越しに、顔を洗う音に服を脱ぎ捨てる音など色んな音が聞こえてくる。……にぎやかだ。

 しばらくしてリビングの扉が開き、着替えと支度を終えたレイチェルが現れた。
 今日の彼女は薄いピンクのワンピースを着ている。髪はゆるく1つ結び。最近は化粧も始めた。ベルナデッタからコツを色々と教わっているらしい。
 出会ってから1年と数ヶ月――レイチェルはとても綺麗になった。ひいき目じゃなく、そう思う。

「グレンさんは、今日のご予定は?」

 食べ終わった食器をシンクに置いて水につけながら、レイチェルが尋ねてくる。

「今日は図書館に行って、そのあと役場に行くつもりだ」
「……役場。何のご用事で」
「職探し」

 ――砦解散から1ヶ月。
 砦にいたときは、砦を借り続けるために冒険者として活動した上で実績を報告しなければならなかったが、その必要がなくなった。
 カイルが竜騎士団領へ行ったため、コンビは実質解消。冒険者の登録を消したわけではないが、俺は今月全く冒険に出ていない。
 ……そうすると、やることが全くなくなってしまった。今やっていることといえば、部屋の掃除と朝食づくり、あと買い出しくらいだ。
 金はあるから生活には困らないが、だからといって何もしないのは性に合わない。
 あの図書館のような期間工の仕事がないか――と冒険者ギルドに行って聞いてみたが、「その手の仕事なら町役場の方がたくさんある」とアドバイスされたのだ。

「なるほどぉ。どこの役場ですか? やっぱりポルト市街?」
「ポルト市街も選択肢に入ってるけど、今日はカルムの街の方に行く」

 俺の言葉にレイチェルは「うん」と笑う。
 4月からレイチェルは薬師として薬局で仕事を始めた。店はポルト市街にあるが、どちらかと言えばカルムの街寄りだ。
 それに合わせて、新居はカルムの街に構える。彼女の実家から少し離れているが、同じ町内なら行き来しやすくて何かと安心だろう。
 街は静かで環境もいい。俺も気に入っている。

「じゃあ、そろそろわたし行きますね……」

 言いながらレイチェルが、白い革のカバンに財布やノートを入れ込み、立ち上がる。
 このカバンは彼女の19歳の誕生日に、婚約指輪とともに贈ったものだ。ふたりで王都に行って、一緒に選んだ。
 カバンを肩から下げたあと、レイチェルが目を閉じて両手をつないでくる。

「じゃあ……」
「……うん」

 しゃがんで、唇を合わせる。
 何度目かの出勤の際、レイチェルがモジモジしながら『行ってらっしゃいのキスに憧れてて』とねだってきて以来、毎朝こうしている。
 さすがの俺も少し気恥ずかしいが、誰も見ていないし、まあいいだろう。


 ◇


 レイチェルが出かけて1時間ほどしてから、俺もアパートを出た。
 行き先は図書館とカルムの町役場。
 先に図書館へ足を運ぶと、そこで思わぬ人物と出会った。

「えー?? ダメなのかよ~ なんでなんだよ~」
「ごめんよ、でもぼくの方が年下だしなあ……」

(あの2人は……)

 "風と鳥の図書館"の常連客だったヒュウ少年、そしてその友達のチャド少年だ。
 机に向かい合わせに座り、大声で何か喋っている。

「あっ、司書のお兄さんだ。こんにちはー」
「ああ……こんにちは」

 俺に気づいたヒュウがブンブンと手を振ると、向かいに座るチャドがこちらを振り向く。

「あっ、あの時の。こんちは~」
「ああ、こんにちは。……ご家族は元気か?」
「うん! この前さあ、弟生まれたんだ~」
「……そうか。おめでとう」

 祝いの言葉を述べると、チャドが鼻をこすりながらにへっと笑う。
 ――彼ら家族と出会ったのは1ヶ月前。
 元はモルト山に暮らしていたが、聖女の封印が解けた影響で強大化した魔物に襲われ、一家全滅しかけた。
 だが"とある人間"に命を救われ、そのあと街へ避難してきた。
 この図書館にいるところを見ると、どうやら山には戻らず今も街で暮らしているらしい。

「……何を大声で話していたんだ?」
「えっとねー。チャド君が『勉強で分からない問題がある』っていうんだけど、ぼく年下だから、チャド君の勉強は分かんなくて」
「なるほど」
「ヒュウはアタマいいから分かると思ったのになあ~。ね、お兄さんは分かる?」

 口を尖らせながらチャドが本を見せてくる。
 子供向けの算術の文章問題だ。もちろん、これくらいなら分かるが……。

「……まあ、分かるけど」
「えー、ホント!? んじゃ、教えてよ~」
「…………」

 ――やっぱりこうなるか。
 子供に勉強を教えるなんてやったことがないし、正直お断りしたい。
 だがチャドとヒュウの中では、すでに俺が教えることは決定しているようだ。
 ビシッとした姿勢でキラキラ目を輝かせながら"教え"を待っている……。

(う……)

 さすがにこれを無下むげにはできない。
 先にカルムの町役場に行って、帰りに寄るべきだったか……。

「……分かった。少しでいいなら」
「やった! お願いしまーっす」
「教えるから、静かにしなさい。ここは図書館だ」
「はい、先生っ」
「"先生"はやめてくれ……」




「……ふい~。ありがと、グレンさん。おかげで命救われた~」
「命って、大げさな」

 ――1問だけかと思ったのに、7問ほども教えるはめになった。

(11時半か……)

 ずいぶん時間をロスしてしまった。図書館は別日にして、昼からカルムの町役場へ行こう――。

「大げさじゃないよ。このまんまだと一生遊べないとこだったもんなあ。てかグレンさん……おれに"分からせる"なんて、なかなかやるなあ」
「……どうも」

「ヘヘヘ」と笑いながら、チャドはカバンに勉強道具を放り込む。
 その途中何かに気づいたらしいチャドが、俺の方を指さしながら「そーだ」と声を上げた。
 ――どこかから咳払いが聞こえる。静かにしろ、またはさせろ という圧を感じる……。

「……チャド君、声が大きい。あと人を指さしてはいけない」
「ごめんごめん~。あのさあ、おれグレンさんに1個、聞きたいことがあってー」
「聞きたいこと。勉強とは違うことか?」
「うん。あのさあグレンさん、あれからあの"司祭のお兄さん"に会った?」
「え……」
「司祭のお兄さんだよ。グレンさん達、あの人の杖持ってったでしょ? あれ、司祭様のとこに返ったのかな~って」
「…………」

 ――イリアスの死から1ヶ月半。
 奴に関する記憶は、ほとんど全ての人間から消え失せている。
 そのはずなのに……。

「……お前、覚えているのか」
「え~? あったりまえじゃん、命の恩人だよー? ララ……妹なんか、『お兄さんみたいなすごい魔法使いになる!』って、木の枝ふりまわしてんだぜ~」

 どうやら、出来事まで詳細に覚えているらしい。
 一体、なぜ……奴がこの子の命を蘇らせたからか?

「……すまない、その人には会えなかった。杖は……持ち帰る途中で灰になってしまった」
「そっかぁ……」

 チャドがシュンとして肩を落とす。本当に、心から残念そうに……。

「チャド、その……司祭のお兄さんとは、どういう話をしたんだった……?」
「小説の話だよ。あと、司祭様の家族の話と、将来の夢の話」
「将来の夢か。……船大工に、なりたいんだったか」
「うん。お父さんが造った船に何回か乗せてもらって、そこから見た海がすっごいキレイだったって。そんでおれが『山育ちだから海って見たことないなー』って言ったら、『お父さんお母さんに連れて行ってもらうといいよ』ってさ。それで、ニッコリ笑ってこう言ったよ」

 ――僕は司祭になった。
 船大工や設計士とは違う道を選んだけれど、それでも変わらずに海が好きだよ。
 海は時間帯や天気によって、いろんな表情を見せてくれる。
 日が昇る様子も沈む様子も、本当に綺麗だ。眺めていると、心が昔の頃に帰るんだ。
 何物にも代えがたい、神様みたいに尊い、あの少年の日々に……。

「……グレンさん? どうしたの」
「え?」
「おれ、ヘンなこと言っちゃってる? 司祭様のセリフ、けっこうむずかしかったからなぁ……」

 チャドが両手の指をいじりながら、困ったようにそうつぶやく。
 途中から俺が無言になってしまったのを、自分の説明が足りないからだと思ったらしい。

「……ごめん。大丈夫だ、ちゃんと……伝わってる」
「よかった~」
「チャド……司祭のお兄さんは、優しかったか」
「うん! また会えたらいいなぁ、家族でちゃんとお礼言いたいよ。父ちゃん母ちゃんは『位の高い司祭さまのようだし、ムリだろう』なんて言うけど――」
「…………ありがとう」
「んっ?」
「なんでもない。……助けてもらえて、よかったな」
「うん!」

 チャドが屈託なくニカッと笑う。

「…………」

 ――イリアス・トロンヘイム。
 光の塾の司教。"真理ロゴス"を名乗り、自らの"神"のために破壊と殺戮を繰り返した邪教の徒。
 もしも奴の記憶が人々の頭の中から消えず歴史に記されるとしたら、教祖ニコライやシモン、フェリペと同列に語られていただろう。
 誰にとっても、奴は悪の象徴。

 奴は許されない罪を犯した。
 だがその罪は奴の記憶とともに全て忘れ去られる。人の命を費やし奪い続けた報いだ。

 だが、この子とその家族の頭の中でだけ、"優しい司祭のお兄さん"として在り続ける。
 何の役も演じていない、嘘偽りのない真実の姿が、消えることなく……。

 ……それでいい。
 どうかそれくらい、許してやって欲しい――。

 



 ◇



 チャド達と別れ、カルムの町役場へ。時刻は12時。
 着いた時間が良くなかった。庁舎は昼休みに入っていて、全ての業務が停止している。
 1時間くらいここで待ちぼうけを食うことになってしまった。
 しくじった――図書館で何か借りてくれば、ヒマを潰せたのに。

「おお、おおおお……」
(……ん?)

 庁舎の中庭にあるベンチに腰掛け手帳に予定を書き込んでいると、上から声が降ってきた。
 見上げてみると、そこには老人が立っていた。
 見たところ、かなり老齢だ――90歳くらいだろうか?
 小柄で痩せ型、頭部に残るわずかな髪は白色で、眼は灰色。どうやらノルデン人のようだ――しかし、会った覚えはない。

「あ、あああ、あ……」

 俺の顔を見た老人は驚愕の表情を浮かべ、口から言葉にならない声を出した。
 大きく開いた口がガクガクと震えている。
 一体何なのだろう……?

「あの……」
「あなた、さまは、貴方様はぁ……」

 しばらくの間のあと、大きく開いた目から涙がだらだらと流れ落ちた。

「え……どうし――」
「おじいちゃん! こんな所にいたの!?」

 女性の声と足音が聞こえる。
 音の方へ目を見やると、黒髪の中年女性がこちらに駆けてくるのが見えた。

「……はて、誰でしたかいのう」
「サリよ。孫のサリ!」
「嘘を言うなあ、孫はまだ14じゃあ。あんたみたいなおばさんじゃないわい」
「もう……もう! 帰りますよ! ……ああ、ごめんなさいねえ、お兄さん。うちのおじいちゃんったら、ノルデン人の男性見るといっつもこうで……」

 "サリ"と呼ばれたノルデン人の女性がペコペコと頭を下げ、最後に深々と頭を下げた。
 口ぶりからして、これが日常なのだろう。……大変だな。

「大丈夫です、どうか、お気になさらず――」

 立ち上がりながらそう言うと、女性は息を大きく吸い上げ、弾かれるように頭をバッと上げた。
 そして俺の顔を確認するなり、信じられないものを見たかのように目を見開く――。

「……あの、何か――」
「シグルド様……っ!?」
「え……」
「ち、違う、そんなはず……、も、もしや……レオンハルト様でいらっしゃいますか……!?」

 女性が俺に縋り付き、涙ながらに問いかけてくる。

「…………」

 "レオンハルト"――それは"意識の世界"で知った、俺の本来の名前。

 父と母が俺の誕生時に祈りをこめてつけた、だがもう誰も呼ぶことはないと思っていた、真実の名前――。
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