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終章 未来へ

◆カイル―自由な空へ(1)

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 "カイル、今日は何をしていたの?”
 "何も。家事手伝いだけ。イチゴジャム作ってた"
 "おいしそうね"
 "リタは何してた?"
 "領地内のミランダ教会を慰問して回っていたわ"
 "さすが元聖女。えらいね"
 "えらくないわ。カイルに会いたい"
 "俺も。ゲオルク様は今どうしてるの"
 "ラルス叔父様、イザベラ叔母様の怒りを鎮めるためにあちこち飛び回っているわ"
 "大変だ。リタは怒られたりしてないの"
 "大丈夫よ。お二人は私にずっと優しかったもの。カイルのことだって全然怒っていないわ"
 "それはよかった"
 "ごめんなさい、そろそろ食事の時間で"
 "分かった、またね"
 
 ………………
 
 
「……あー……」
 
 ペンを雑に放り投げ、でかくて長い溜息を1つ。
 ついていた頬杖から溶け落ちるように机に突っ伏す。
 
 砦解散から1週間。
 竜騎士団領に帰ってきたはいいが、やることがない。こっちの実家とも言えるロジャーじいさんの家で家事手伝いをしながらのんべんだらりと暮らしている。
 諸事情あって冒険には出られない。一躍時の人となってしまっているため、外出もしづらい。
 日々の楽しみといえば、リタと頼信板テレグラムでやりとりすることくらいだ。
 帰ってからこっち、リタには会えていない。元聖女という立場上、今の彼女はとても忙しい。さっきのやりとりにもあったように、竜騎士団領内のミランダ教会や孤児院を慰問したりして日々を過ごしている。
 
「……はぁ……」
 
 溜息ばかり出る。
 ゲオルク様きっかけで色々な人の怒りの感情に火が点き、燃え拡がっている。
 考えたところで打開策などは存在せず、俺にもリタにも全くどうしようもない。
 ――そりゃそうだ。親世代の人間の喧嘩なんて、どうすればいいんだよ。
 今できることといえば、起こっていること、分かってきたことを整理して考えてみる……くらいだ。
 
 ゲオルク様は今、弟妹のラルス様、イザベラ様とケンカをしている。
 お二方はかねてより、ゲオルク様の人として親としてのありように腹を立てていた。
 今回のリタの真名まなの件でそれを抑えられなくなったようだ。

 真名はその者の魂と存在を証明するもの。それを教えるということは、相手に魂の支配権を渡すことを意味する。
 通常、"永遠を誓った相手"にしか教えてはならない。
 親から子に受け継ぐ際、その重要性と意味をしっかりと教えなければいけなかったのに、ゲオルク様はそれを怠った。
 結果、娘のリタは大事な真名を出自不明の下男に教えてしまう。それが破滅の危機に繋がり――。
 
 ……なんて、さすがにそれは責任を負わせすぎじゃないのかと思ったが、問題はもっと違うところにあった。
 貴族社会において「真名の大切さを教えない」ということは、「親の役目を果たしていない」と見なされるそうだ。

 ――なぜリタに真名の重さを繰り返し説かなかった、金とモノを与えるよりも大事なことだろう。
 クライブ・ディクソンが心正しき者だったから良かったものの、もし彼が悪党だったらどうなっていたか。
 兄上はリタをどうでもいいと思っているのか……そういう怒りらしい。
 
 さらに、リタの真名の件を受けてゲオルク様がやったことにも怒っている。
 リタが真名を漏らしたことが他の諸侯に伝わるのは都合が悪いと考えたゲオルク様は、「物語」を作って領内の街に流させた。
 兄やレイチェルが伝え聞いていた話がそれだ。街では俺とリタに関するロマンス話や英雄譚がいくつもいくつも出回っている。
 リタが帰還してから3週間余り――噂には尾ひれがつきまくって、俺のイメージもとんでもないことに。
「聖女リタを災厄から守るため女神が遣わした、時の異邦人であり勇者」みたいなことになっている。
 ゲオルク様にとってこれは好都合だ。
 ――相手がそんなにすごい奴なら、真名を教えてしまうのも必然。それが配偶者となるならなおのこと。
 だが、高貴な娘の結婚相手が平民では都合が悪い。それにふさわしい"飾り"がいるだろう……。
 そういうわけでゲオルク様は、俺に"竜伯"の称号を授けた。
 全てはゲオルク様の不祥事隠し、及びリタの体面のため――ではないと、信じたいが……。
 
 これに対しラルス様イザベラ様は、「兄上は人を何だと思っているのか」「ご自分の権威がそんなに大事なのか」「兄上は昔から自己中心的すぎる」と責め立てる。
 だがゲオルク様は「リタとのことはともかく、クライブのことはお前達に関係ないだろう」と取り合わない。
 そしてそのやりとりを見ていたロジャーじいさんが激怒してしまい……。
 
 ――ああ、参った。困った。頭痛がする。
 
 ……とはいえ、ありがたくはある。
 俺の両親は平民だ。貴族とやりとりなんてしたことはない。
 ある日突然よその国の侯爵が黒い竜に乗ってやってきて「お前の息子を娘の婿にする」と言ってきたら、黙って差し出すしかないだろう。
 だがじいさんはゲオルク様達兄妹と幼い頃から接してきたため、少しくらいなら意見を言うことができる。
 さすがのゲオルク様もじいさんに怒られたことはショックだったようで、「ならどうすればいいんだ」とじいさんに意見を求めてきたという。
 それを受けて、じいさんの「襟元を正して筋を通せ」という言葉に繋がるわけだ。
 侯爵としてではなく人間として接しろ、最低限の礼をつくせということだ。
 これに対し、ゲオルク様からは「しばし待て」という手紙が来たきりで、そのまま音沙汰がない。
 これにもロジャーじいさんは激怒している。

「待て」と言うが、何を待てばいいかよく分からない。
 あと、俺は別にゲオルク様に「襟元正せ」なんて思っていない。
 リタと一度くらい会わせてくれとは思うが。
 それと、竜伯の位を与えるのなら、俺の意志を少しくらい聞いて欲しかった。
 噂を広めるのもやめて欲しかった。おかげで街に出られない。「あれが時の勇者様よ」とかヒソヒソ言われるからだ。
 安酒とかジャンクフードとかを買いづらい。「待て」という命令のせいで遠乗りも行けないし、何より生活がしづらい。

 ……あー、ダメだ。やっぱり襟元正してほしい。
 俺は貴族じゃない。何の説明もなしに、俺の行く末を決めないでほしい。
 
「ゲオルク様~……」
 
 ――ゲオルク様には大恩がある。騎士を辞めたのも、あの方に失望したとか忠義がなくなったとかじゃない。
 けど、ここ数日のやりとりで忠誠心や敬意がごっそりと持っていかれている。
 ゲオルク様は為政者や主君としては優秀だが、「家庭の人」としては相当に駄目な部類に入るようだ。仕事人間ってやつかもしれない。
 ご自分の判断と行いに人間の気持ちが乗るということをあまり考えていない……という感じがする。
 
 ――昔「お前がいたから娘の今がある」って言ってたけど、あれ何だったんだろうな?
 何を見てそう思ったんだ? 娘のこと全然見てなさそうじゃないか?
 あー、駄目だ。全然駄目だ。
「世話になったし」「恩があるし」「貴族はそういうものだろう」で抑えようとしてきたけど、限度がある。
 
 俺はゲオルク・ユングという人間に腹を立てている。失望もしている。
 
「しばし待て」? いつまで待たせる気だ。
 弟妹との確執が深く、それを収めようと必死なのは分かる。だけどこっちを放置していい理由にはならないだろう。
 平民だから、かつての臣下だから、いいように使っても不平不満を口にすることはないと思っているのか?
 "待て"と命令されれば、いつまでも待つと思っているのか?
 
 ……冗談じゃない。
 
 もう俺は臣下じゃない、小間使いでもない。
 長いこと"待て"ができる、賢く行儀のいい犬でもないんだぞ――。
 
 
 ◇
 
 
「……はぁ……」
 
 ――溜息から日常が始まっている。
 竜騎士団領に帰ってから2週間が経過した。その間、ゲオルク様からの知らせはなかった。
 "待て"が続いている。何をやっているのかは知らない。
 
「!」
 
 机に突っ伏していると、テレグラムの光が視界にちらついた。
 リタだ――彼女とも全然会えていない。新聞に彼女の記事が掲載されているのを見るのみ。
 
 "カイル。お父様が、私の凱旋パーティーを考えているわ。そこで貴方をお披露目したいみたいなの"
 
「…………は?」
 
 寝耳に水の情報に、顔を歪めて悪態をついてしまう。
 
 "お披露目って?"
 
 イライラしすぎて、いつも以上に字が汚くなる。
 ――落ち着け、リタが考え出したことじゃないんだから。
 
 "たぶん、他の侯爵閣下に「聖女を守った勇者」「娘の結婚相手」として大々的に紹介したいのだと思う"
 
「……紹介……?」
 
 ――紹介してどうする?
 俺もじいさんも、そんなこと求めちゃいない。
「襟元を正す」「筋を通す」ってそういうことじゃないだろ?
 
 "「それはやめてほしい」と何度もお願いしているのだけど、「任せておきなさい」の一点張りで。ごめんなさい、どうすればいいか分からない"
 
「…………」
 
 "リタは"
 
 ――「リタは」と書いたところで手が止まる。
 続く文を考えていない。……何を言う?
 
 リタはどうしたい?
 リタが一番望んでいることは?
 リタは俺にどうしてほしい?
 
 何か、どれも違う。
 書き直そうか。
 ……何を書こう?
 俺は一体、彼女に何を言いたい?
 分からない、思いつかない。
 
 ……なら、逆に考えてみようか。
 
 俺はどうしたい?
 俺がリタに一番望んでいることは?
 俺はリタを、どうしたい……。
 
「……駄目だな……」
 
 "俺の望み"として考えると、意識の海から黒いものばかりが浮かんでくる。
 ……けど、いいだろう。
 それが俺という人間だ。そしてリタは、その俺を望んでいる――。
 
 一度置いたペンを取り、"リタは"という言葉の下に新しく文を書き出す。
 
 
 "リタ"
 
 
 "もう、全部めちゃくちゃにしていいかな"
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