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15章 祈り(後)
39話 こころ弱きもの(2)
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「な……なんの、……つもりだ」
――恐怖で声と身体が震える。
こんな反応はコイツにエサを与えるだけだ――案の定、イリアスは恍惚としたような表情で笑っている。
腹が立つ。けど、ここで"恐怖"を押し隠せるほどオレは強い人間じゃなかった。
「君には僕を殺す権利があるよ」
「ふ……、ふざけるな……」
「ふざけてはいないよ。……断言してあげよう。僕が消えれば大多数の人間の頭から僕の存在が消えるが……君の頭には変わらず僕が在り続ける。憎悪の感情も、そのままにね」
「…………」
「だからねえ、ジャミル君。僕の存在が完全に消える前に、君に命を刈り取らせてあげようと言うんだよ――」
「っ……オレは、……オレはお前を……、殺さない……!」
オレの返答が想定外だったのか、イリアスは目を見開いて驚く。
「へえ……なぜ? 僕が憎いんだろう? 許せないんだろう? なら……」
「うるせえ……! 憎いから即殺すとか、オレはそんな、ゼロか百かの考えで生きてねえんだよ!」
――そうだ。それができりゃあ、どれだけ楽か。
けどここでコイツを憎しみのままに殺したら、今必死で自分の心と戦っている仲間を裏切ることになる。
それに……!
「オレの、……オレの手は、命を奪うためにあるんじゃない! "作る"ためにあるんだ!!」
――あのね……あたし、ジャミル君の手が好きよ。
あなたの手は、みんなの小さい幸せを作れる手だわ。
だからあたしはこの手が好き。そういうジャミル君だから、あたしは……好きなの。
敵を斬れない、戦えない――役立たずで情けないこんな貧相な手を握りながら、ベルがそう言ってくれたんだ。
オレが大事にしたいオレを、一番大事にしたい人が……!
「……オレだけじゃない、弟や仲間だってそうだ! みんなみんな、お前を憎む自分と向き合って、苦しんで……それでも前を向いて歩きたいから、折り合いつけようとしてんだ! ……誰の手だって、命を奪い取るためについてんじゃねえ! 明日を作って、未来をつかみ取るためについてんだ!!」
ガラにもない台詞を何ひとつ響かない相手に吐き散らかして、滑稽極まりない。
イリアスは無反応だ。こっちの言葉を否定も肯定もせず、無表情でオレを見上げている――ように見える。
「ふふ……まるで、魔王と戦う前の勇者のようなことを言うねえ、……弱いくせに」
「…………」
「いいだろう。それなら、"魔王"から"勇者"たる君にひとつ、昔語りをしてあげよう」
「……は?」
「今から40年ほど前の話。ディオールのスラム街に"名無しの少年"が暮らしていた」
「おい、何を……」
「かわいそうに、その子は捨て子でね。うんと小さい頃から盗みで生計を立てていたよ。荒みきった生活を送っていたけど、ある日1人の司祭に出会って拾われて、救われるんだ。司祭は少年に衣食住と、家族としての名前を与えた。少年の名はシモン・フリーデン――後に光の塾の司教、"ロゴス"となる男だ」
「…………」
こっちのリアクションなんてお構いなしに、イリアスが"司教ロゴス"の半生を語り始める。
生まれと身の上。心優しい司祭――"ニコライ先生"との出会い。友達、家族との思い出、光の塾誕生の経緯、そして教団とニコライの変調――。
それらをカイル達が言ったようにオーバーな身振り手振り付きで、時に朗々と、時に切なげに……。
――気持ち悪い。一体何を見せられてるんだ。
「……それでね、ニコライ先生はシモンに目線をやりながらこう言ったよ」
――いつまで喋るつもりだ。
もしかして自分がロゴスを引き継いだところまで語るつもりか?
さっきまでのやりとりで情緒がグチャグチャになっているところに、このワケの分からない語り……夜勤明けなこともあって、イライラが止まらない。
ダメだ、冷静になれ。これ以上挑発に乗ったらコイツの思う壺――……。
「…………」
(……挑発……?)
オレを挑発して何になる?
カイルやグレンやセルジュ様のように強くて立場がある人間が相手なら、冷静さを失わせて自分が有利に立つ……なんていう狙いがあるだろう。
対してオレは、闇の使い魔がいるとはいえ一般人も同然。
そいつを挑発したところで、得るものなんて……。
「……こうしてシモンは"真理"を冠する名、"ロゴス"を引き継いだ。そのおかげで、教団の求心力は高まっていき……」
――ああ、そうか。コイツ単純に遊んでやがるんだ。
その証拠というかなんというか……さっきから視線が全くかち合わない。
オレを見ているようで見ていない。……一体、どこを見ている?
「ところがその数年後、思わぬことで転機が訪れたよ」
――そういえば学校の卒業式で答辞を読む係になったとき、担任に「声が震える、大勢の前で発表なんて自分には無理だ」と愚痴っぽく弱音を吐いたことがあった。
担任はそれに対し「目の前に並ぶのは人間じゃなくて野菜と思えばいいんだ」なんて笑いながら返してきて……。
そうだ……コイツ今きっと、それをやってる。"野菜"の前で独り芝居をしていやがるんだ。
「ある日教団の施設の地下から、石板が見つかったんだ。それはシモンのかつての親友、"パオロ"の物で……」
――うるせえんだよ、さっきから。どこまで人をバカにすりゃあ気が済むんだ。
独り芝居にいつまでも付き合ってやる道理はない。どうやったら黙らせられる?
「ふざけるな」「うるさい」「黙れ」――きっとどんな言葉も効きゃあしない。
何かないのか? 確実にこいつを黙らせる、呪文のような言葉は……。
(……呪文……)
「友の死について問い詰めるシモンに、教祖ニコライは……」
「イリアス・トロンヘイムッ!!」
「!!」
壁を殴りつけながら大声で"呪文"を叫ぶと、イリアスの語りが止まった。
こちらの想定以上に効き目があったようで、大きく見開いた目をこちらに向けるだけになってしまう。
「さっきからどこに目ぇ向けて喋ってやがる、ふざけやがって! ……何が魔王だ、勇者だ! オレもお前もただの人間だろうが! 人間同士の話をしたいなら、ちゃんとオレの目を見て話しやがれ!!」
言いたいことを言いきると、さっき壁に打ち付けた左手に急激に痛みが走り出した。
血がにじみ出ている――もしかしたら、どこか折れたかもしれない。
イリアスの語りは再開されない。驚愕の表情のまま固まっている。
しばらくの沈黙のあと、イリアスの口から「フッ」という声が漏れた。
「フ、フフッ……ははははっ……」
「!」
肩を大きく揺らしながらイリアスが笑う。
さっきまでの気味悪い笑いとは違う気がする。
馬鹿にする意図も感じられない。普通の男が、ただ普通に笑っている――そういう感じを受ける。
ひとしきり笑ったあと、イリアスは目元を指で拭いながら「ごめんね」と言った。
「『人間同士の話をしたいなら目を見て話せ』……か。フフッ、そんなことを言われたのは初めてだよ。面白い子だな、君は……」
「…………」
「……僕はねえ、ジャミル君。ここで君に出会ってからずっと、君の"樹"を見ていたよ」
「樹……?」
「仲間から聞いたことはないかな? 紋章使いは、魂の形を視ることが出来るんだ。見え方はその身に宿った属性に応じて変わっていて……僕は"土"だから、その人間の感情がなにがしかの植物になって視えるんだ。今君の足元には"憎悪"の樹が生えているよ」
「…………」
「面白いんだよ。憎悪というのは、他のどの感情よりも育つのが早いんだ。だから、君が言われたくなさそうな言葉をかけて……」
「気持ち悪りぃことすんじゃねえよ! ……もういい! 早くどこかに消えろ! 目障りだ!!」
心を見透かされた上で弄ばれていたという事実に膓が煮えくり返る。
コイツに怒りは無効だ――今もどうせ、この叫びで育ったかもしれないオレの"樹"を鑑賞して楽しんでいる。けど、どうしても抑えられない。
「『消えろ』……か。君が言う台詞ではないね」
「なんだとっ……」
「ねえ、君は"バインド"という魔法を知っている? 影を使って相手の動きを封じる魔法なんだけれど――」
「何の話だ、長えんだよ前置きが!! 結論から先に言え、聞かせる気あんのか!?」
オレの怒鳴り声にイリアスは眉を下げ、肩をすくめて笑う。
「百聞は一見にしかず――だね。……ねえジャミル君、後ろを見てごらんよ」
「……」
「大丈夫だよ、その隙をついて君に危害を加えたりはしない――いや、出来ないからね」
「!!」
言葉に引っかかりを覚えつつ後方を振り向くと、そこには何もなかった。
……そう、何もない。あるはずの街の景色が消え失せ、"無"としかいいようのない黒の空間に塗り変わっていた――。
「な、何だこれ……!? おい、てめえ一体、何を――!」
「ちがうよ。君がやったんだよジャミル君」
「な、何を」
「君が『人殺し』と叫んだ瞬間かな……ずっと見えていた景色が消えてしまったんだ」
「まさか……」
「……さっきの"バインド"という魔法の話の続きをするよ。あの魔法は2種類あってね……1つは相手の影を操るもの、もう1つは相手の影を縫い止めるもの――前者はある程度の魔力を備えていれば簡単に発動できる。一方後者は前者の上位互換とも呼べるもので、発動には相当量の魔力を要する。……今、君の使い魔が僕にそれをやっているよ」
「え……!?」
その言葉に、今地面をついばみ続けているウィルの方に目線をやる。
よく見るとイリアスの影と思われる部分から黒く細い糸のようなものが飛び出ていて、それをウィルが引っ張り上げていた。
糸を引っ張っては地面をつつき、また引っ張り上げ……さっき地面に降り立った時から、ずっとイリアスの影を縫い付けていたらしい――。
「……そういうわけで、今僕は君の支配下にある。君の許可がなければ立ちあがることすらできないんだ」
「何を……、オレが、そんな――」
「自覚がないのか、恐ろしいね。……さあ、それで、どうするの?」
「え?」
「空間を切り取り、影を縫い付けてまで僕をここに閉じ込め、だけど殺すことはしない。……理解ができないよ。ねえ、君は一体僕に何を望んでいるの?」
「…………」
――そんなことを言われても分からない。だってオレはウィルに何も命じていないのに。
イリアスは「何を望むのか」と言ったきり口を開かなくなってしまった。オレからの"処遇"を待っているのか……。
肩にのしかかるような沈黙――切り離された黒い空間には、何の音も入ってこない。
ウィルがイリアスの影を縫いつける音だけが、小さく規則正しく響いている――。
――恐怖で声と身体が震える。
こんな反応はコイツにエサを与えるだけだ――案の定、イリアスは恍惚としたような表情で笑っている。
腹が立つ。けど、ここで"恐怖"を押し隠せるほどオレは強い人間じゃなかった。
「君には僕を殺す権利があるよ」
「ふ……、ふざけるな……」
「ふざけてはいないよ。……断言してあげよう。僕が消えれば大多数の人間の頭から僕の存在が消えるが……君の頭には変わらず僕が在り続ける。憎悪の感情も、そのままにね」
「…………」
「だからねえ、ジャミル君。僕の存在が完全に消える前に、君に命を刈り取らせてあげようと言うんだよ――」
「っ……オレは、……オレはお前を……、殺さない……!」
オレの返答が想定外だったのか、イリアスは目を見開いて驚く。
「へえ……なぜ? 僕が憎いんだろう? 許せないんだろう? なら……」
「うるせえ……! 憎いから即殺すとか、オレはそんな、ゼロか百かの考えで生きてねえんだよ!」
――そうだ。それができりゃあ、どれだけ楽か。
けどここでコイツを憎しみのままに殺したら、今必死で自分の心と戦っている仲間を裏切ることになる。
それに……!
「オレの、……オレの手は、命を奪うためにあるんじゃない! "作る"ためにあるんだ!!」
――あのね……あたし、ジャミル君の手が好きよ。
あなたの手は、みんなの小さい幸せを作れる手だわ。
だからあたしはこの手が好き。そういうジャミル君だから、あたしは……好きなの。
敵を斬れない、戦えない――役立たずで情けないこんな貧相な手を握りながら、ベルがそう言ってくれたんだ。
オレが大事にしたいオレを、一番大事にしたい人が……!
「……オレだけじゃない、弟や仲間だってそうだ! みんなみんな、お前を憎む自分と向き合って、苦しんで……それでも前を向いて歩きたいから、折り合いつけようとしてんだ! ……誰の手だって、命を奪い取るためについてんじゃねえ! 明日を作って、未来をつかみ取るためについてんだ!!」
ガラにもない台詞を何ひとつ響かない相手に吐き散らかして、滑稽極まりない。
イリアスは無反応だ。こっちの言葉を否定も肯定もせず、無表情でオレを見上げている――ように見える。
「ふふ……まるで、魔王と戦う前の勇者のようなことを言うねえ、……弱いくせに」
「…………」
「いいだろう。それなら、"魔王"から"勇者"たる君にひとつ、昔語りをしてあげよう」
「……は?」
「今から40年ほど前の話。ディオールのスラム街に"名無しの少年"が暮らしていた」
「おい、何を……」
「かわいそうに、その子は捨て子でね。うんと小さい頃から盗みで生計を立てていたよ。荒みきった生活を送っていたけど、ある日1人の司祭に出会って拾われて、救われるんだ。司祭は少年に衣食住と、家族としての名前を与えた。少年の名はシモン・フリーデン――後に光の塾の司教、"ロゴス"となる男だ」
「…………」
こっちのリアクションなんてお構いなしに、イリアスが"司教ロゴス"の半生を語り始める。
生まれと身の上。心優しい司祭――"ニコライ先生"との出会い。友達、家族との思い出、光の塾誕生の経緯、そして教団とニコライの変調――。
それらをカイル達が言ったようにオーバーな身振り手振り付きで、時に朗々と、時に切なげに……。
――気持ち悪い。一体何を見せられてるんだ。
「……それでね、ニコライ先生はシモンに目線をやりながらこう言ったよ」
――いつまで喋るつもりだ。
もしかして自分がロゴスを引き継いだところまで語るつもりか?
さっきまでのやりとりで情緒がグチャグチャになっているところに、このワケの分からない語り……夜勤明けなこともあって、イライラが止まらない。
ダメだ、冷静になれ。これ以上挑発に乗ったらコイツの思う壺――……。
「…………」
(……挑発……?)
オレを挑発して何になる?
カイルやグレンやセルジュ様のように強くて立場がある人間が相手なら、冷静さを失わせて自分が有利に立つ……なんていう狙いがあるだろう。
対してオレは、闇の使い魔がいるとはいえ一般人も同然。
そいつを挑発したところで、得るものなんて……。
「……こうしてシモンは"真理"を冠する名、"ロゴス"を引き継いだ。そのおかげで、教団の求心力は高まっていき……」
――ああ、そうか。コイツ単純に遊んでやがるんだ。
その証拠というかなんというか……さっきから視線が全くかち合わない。
オレを見ているようで見ていない。……一体、どこを見ている?
「ところがその数年後、思わぬことで転機が訪れたよ」
――そういえば学校の卒業式で答辞を読む係になったとき、担任に「声が震える、大勢の前で発表なんて自分には無理だ」と愚痴っぽく弱音を吐いたことがあった。
担任はそれに対し「目の前に並ぶのは人間じゃなくて野菜と思えばいいんだ」なんて笑いながら返してきて……。
そうだ……コイツ今きっと、それをやってる。"野菜"の前で独り芝居をしていやがるんだ。
「ある日教団の施設の地下から、石板が見つかったんだ。それはシモンのかつての親友、"パオロ"の物で……」
――うるせえんだよ、さっきから。どこまで人をバカにすりゃあ気が済むんだ。
独り芝居にいつまでも付き合ってやる道理はない。どうやったら黙らせられる?
「ふざけるな」「うるさい」「黙れ」――きっとどんな言葉も効きゃあしない。
何かないのか? 確実にこいつを黙らせる、呪文のような言葉は……。
(……呪文……)
「友の死について問い詰めるシモンに、教祖ニコライは……」
「イリアス・トロンヘイムッ!!」
「!!」
壁を殴りつけながら大声で"呪文"を叫ぶと、イリアスの語りが止まった。
こちらの想定以上に効き目があったようで、大きく見開いた目をこちらに向けるだけになってしまう。
「さっきからどこに目ぇ向けて喋ってやがる、ふざけやがって! ……何が魔王だ、勇者だ! オレもお前もただの人間だろうが! 人間同士の話をしたいなら、ちゃんとオレの目を見て話しやがれ!!」
言いたいことを言いきると、さっき壁に打ち付けた左手に急激に痛みが走り出した。
血がにじみ出ている――もしかしたら、どこか折れたかもしれない。
イリアスの語りは再開されない。驚愕の表情のまま固まっている。
しばらくの沈黙のあと、イリアスの口から「フッ」という声が漏れた。
「フ、フフッ……ははははっ……」
「!」
肩を大きく揺らしながらイリアスが笑う。
さっきまでの気味悪い笑いとは違う気がする。
馬鹿にする意図も感じられない。普通の男が、ただ普通に笑っている――そういう感じを受ける。
ひとしきり笑ったあと、イリアスは目元を指で拭いながら「ごめんね」と言った。
「『人間同士の話をしたいなら目を見て話せ』……か。フフッ、そんなことを言われたのは初めてだよ。面白い子だな、君は……」
「…………」
「……僕はねえ、ジャミル君。ここで君に出会ってからずっと、君の"樹"を見ていたよ」
「樹……?」
「仲間から聞いたことはないかな? 紋章使いは、魂の形を視ることが出来るんだ。見え方はその身に宿った属性に応じて変わっていて……僕は"土"だから、その人間の感情がなにがしかの植物になって視えるんだ。今君の足元には"憎悪"の樹が生えているよ」
「…………」
「面白いんだよ。憎悪というのは、他のどの感情よりも育つのが早いんだ。だから、君が言われたくなさそうな言葉をかけて……」
「気持ち悪りぃことすんじゃねえよ! ……もういい! 早くどこかに消えろ! 目障りだ!!」
心を見透かされた上で弄ばれていたという事実に膓が煮えくり返る。
コイツに怒りは無効だ――今もどうせ、この叫びで育ったかもしれないオレの"樹"を鑑賞して楽しんでいる。けど、どうしても抑えられない。
「『消えろ』……か。君が言う台詞ではないね」
「なんだとっ……」
「ねえ、君は"バインド"という魔法を知っている? 影を使って相手の動きを封じる魔法なんだけれど――」
「何の話だ、長えんだよ前置きが!! 結論から先に言え、聞かせる気あんのか!?」
オレの怒鳴り声にイリアスは眉を下げ、肩をすくめて笑う。
「百聞は一見にしかず――だね。……ねえジャミル君、後ろを見てごらんよ」
「……」
「大丈夫だよ、その隙をついて君に危害を加えたりはしない――いや、出来ないからね」
「!!」
言葉に引っかかりを覚えつつ後方を振り向くと、そこには何もなかった。
……そう、何もない。あるはずの街の景色が消え失せ、"無"としかいいようのない黒の空間に塗り変わっていた――。
「な、何だこれ……!? おい、てめえ一体、何を――!」
「ちがうよ。君がやったんだよジャミル君」
「な、何を」
「君が『人殺し』と叫んだ瞬間かな……ずっと見えていた景色が消えてしまったんだ」
「まさか……」
「……さっきの"バインド"という魔法の話の続きをするよ。あの魔法は2種類あってね……1つは相手の影を操るもの、もう1つは相手の影を縫い止めるもの――前者はある程度の魔力を備えていれば簡単に発動できる。一方後者は前者の上位互換とも呼べるもので、発動には相当量の魔力を要する。……今、君の使い魔が僕にそれをやっているよ」
「え……!?」
その言葉に、今地面をついばみ続けているウィルの方に目線をやる。
よく見るとイリアスの影と思われる部分から黒く細い糸のようなものが飛び出ていて、それをウィルが引っ張り上げていた。
糸を引っ張っては地面をつつき、また引っ張り上げ……さっき地面に降り立った時から、ずっとイリアスの影を縫い付けていたらしい――。
「……そういうわけで、今僕は君の支配下にある。君の許可がなければ立ちあがることすらできないんだ」
「何を……、オレが、そんな――」
「自覚がないのか、恐ろしいね。……さあ、それで、どうするの?」
「え?」
「空間を切り取り、影を縫い付けてまで僕をここに閉じ込め、だけど殺すことはしない。……理解ができないよ。ねえ、君は一体僕に何を望んでいるの?」
「…………」
――そんなことを言われても分からない。だってオレはウィルに何も命じていないのに。
イリアスは「何を望むのか」と言ったきり口を開かなくなってしまった。オレからの"処遇"を待っているのか……。
肩にのしかかるような沈黙――切り離された黒い空間には、何の音も入ってこない。
ウィルがイリアスの影を縫いつける音だけが、小さく規則正しく響いている――。
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