上 下
337 / 385
15章 祈り(中)

◆イリアス―磔の偽神

しおりを挟む
「……あ……」
 
 風が止んだ。
 今命があるのは僕とシモンとフェリペ、そしてニコライだけ。
 シモンの部下の男、そして十数人ほどいたニコライの女達は皆シモンの風に切り裂かれて死んだ。
 部屋は血まみれ――天井まで飛び散った血が、ポチョポチョと音を立てしたたり落ちてくる。
 
 この血のほとんどはニコライのもの。風は止んだが、"断罪"は終わらない――。
 
「ゲッ、ゴボッ……ロ、ロゴス……もう、ゆるじ……」
「ねえ、先生? 先生も一度くらい"試練"に挑んでみてくださいよ」
「し、試練……?」
「何にしようかなあ? ……ああそうだ、"壁画の試練"にしよう。それがいい」
 
 シモンはニタリと笑って手拍子をひとつ打ち、また紋章を光らせた。
「キィイン」という音とともに分厚い石床がバキッと割れ、そこから土が湧き出る。
 土はニコライをめがけ、蛇のように素早く這って集まっていく。
 
「ヒッ……ヒッ……!?」
「かなりの苦痛を伴う試練ですけど、先生なら大丈夫ですよね? 耐えて耐えて耐え抜いて……"神"であることを俺達信徒に証明してくださいよ……!」
「ま、ま、待ちなさいロゴス! 壁画の試練は、土の術を使う試練だよ!? お前の紋章は風、逆の属性なんて使ったらお前の身に危険が……!」
「……先生は、いっつもそうですね……。自分の身に危機が迫った時だけそうやって人をおもんぱかるフリをするんだ……卑怯者が!!」
「……ヒッ、ヒィイッ……!!」
 
 集まった土がニコライを取り込みながら壁の形になり、表面が綺麗に塗り固められていく。程なくしてニコライは顔と上半身だけが露出した状態で固まってしまった。手は肘のところまで埋まって固定されているので、身動きは一切取れない。首がわずかに動く程度だろう。
 
「ロ、ロゴ、ス……ッ、……がっ!」
「!!」
 
 シモンが剣でニコライの喉を切り裂き、すぐに完治しきらない程度に癒やす。
 ニコライが苦しそうに咳をしているが、そこには声が乗っていない。喉を切ったのは声を奪うのが目的だったようだ。
 
「……もう先生にとって俺は"真理ロゴス"でしかないんだなあ……。……いいですよ、"真理"は貴方を"神"と認めます。……永遠に崇め、たてまつりますから……!!」
 
 シモンが天に向かって手をかざすと紋章が赤黒い光を放った。風の紋章から血がじわりとにじみ出る――。
 
「がっ……ごっ……」
「我が名はシモン……シモン・フリーデン! 紋章よ、天の光よ! の者を"命の円環"から外せ! 未来永劫、現世げんせいに縛り付けよ!!」
 
 その言葉とともに漆黒の風が巻き起こり、螺旋を描きながらニコライの元へ。
 風はニコライを縛り付けるように巻き付いてから膨れ上がり、竜巻となって壁ごとニコライを覆い隠す。どうやら殺傷能力はないようだ――呪いの術か何かかもしれない。
 
(……どうして……!)
 
 逃げ出したい。なのに恐怖で足がすくんで立ち上がれない。
 へたり込んでこの狂った"断罪ショー"を観ているしかできない。
 
 ――どうして、どうしてこんなものを見せられなければいけないんだ?
 こいつらのゴタゴタなんて僕には関わりのないこと。
 僕の見えないところで呪いでも殺しでも勝手にやっていればいい。
 
 黒い竜巻を見上げながら、フェリペがすすり泣いている。
 ――何の涙だ。どうしてシモンはこいつを生かしているんだ。
 さっさと殺せよ。それかニコライと同じに"壁画"にしてしまえばいいんだ……!
 
 
 しばらくすると竜巻が止み、シモンはなぜか僕の方にぐるりと向き直った。
 みどり色だったはずの瞳が赤く染まり、光を放っている。
 
("赤眼"……!!)
 
「……ヨハン……ああ、ヨハン……」
「ヒッ……!?」
 
 フラフラとシモンがこちらに歩み寄ってくる。
 全身がびしょ濡れだ。あれだけ至近距離でニコライを斬ったり刺したりしたのだから当然だ。
 血濡れの床を一歩進むごとに、パチャパチャという水音が響く。

 シモンはなぜか笑っている。
 
 ――嫌だ。
 
 怖い。
 
 まるで、悪魔だ――!
 
「ヒッ、ヒッ……!」
「……ごめんねえ、ヨハン、怖がらせたね……」
「…………っ」
「……君に、頼みがあって……聞いてくれるよねえ?」
 
 声が出ない。息をするついでに喉の奥から音が出るだけ。
 代わりにちぎれんばかりに首を振って拒絶するが、シモンは僕の反応など見ない。
 くぐもった笑みの声が聞こえる……笑っているのに、目の端からは涙が垂れ流れている。
 それは彼の顔についた返り血と混ざりあい、赤い雨となって床にこぼれ落ちていく――。
 
「ねえ、ヨハン……僕はさっき、ニコライに"不死の呪い"をかけたよ。でも、この命を魔器ルーンにしたから……もうすぐ死んでしまうんだ。だからねえ、ヨハン――」
「……ひっ、…………っ」
「君が俺の代わりに"真理ロゴス"となって、このニコライを本物の"神様"にして、盛り立ててあげて欲しいんだ。……そこのフェリペは、君の好きにしていいから……頼んだよ、ねえ……」
 
 そう言いながら、シモンは血濡れの手を僕の頭にベチャリと置いた。
 
「……おめでとう、君は真理に辿り着いた。今日から君が、"ロゴス"だよ……!」
「……あ……!」
 
 シモンの紋章の光が僕を包む。
 頭の中に「キイイィン」という音が響く。目の前は真っ白だ。
 
 白い波にさらわれる感覚――この感覚を知っている。
 これは数年前、"天使ヨハン"に生まれ変わった時と同じ。
 天使ヨハン端役イリアスも消えて、僕は真理ロゴスに生まれ変わる――。
 
 ――いやだ、どうして、なんで?
 
 僕はなんにも関係ないのに!
 
 
「……神様っ……」
 
 神様、神様、助けて、神様……!
 
 
 
 ――……
 ――――…………
 ――――――………………
 
(…………?)
 
 視界から白い光が消えた。
 次の瞬間、なぜか僕の身体は黒く暗い水に投げ出されていた。
 
 ――ああ、聞いたことがある。これはきっと"意識の闇の海"というやつだ……。
 
 辺りを見回すと、あちこちで"過去の記憶"が展開されている。
 下に沈むたびに場面が切り替わるが……そのいずれも、僕の記憶ではない。
 
 とある"名無しの少年"の記憶だった。
 少年は孤児。ディオールの貧民街で荒んだ生活を送っていたが、ある日1人の司祭と出会い、拾われる。
 少年の身の上を聞いた司祭は少年に名前を与え、「今日から家族だ」と温かく迎え入れた。
 そこには同年代の同じ境遇の子供もいた。誰のことも信じられず心を閉ざしていた少年だったが、彼らと関わるうち、やがて心を開いていく。
 少年は優秀だった。司祭――"先生"に勉強を教わって知識をどんどん吸収した。
 魔法の才能もあり、さらに紋章まで持っていた。少年は、同輩の友達とともにやがて孤児のリーダー的存在となっていく。
 とても幸せだった。
 
 しかしいつの頃からか、"先生"がおかしくなり始めた。
 元の優しい"先生"に戻ってもらいたくて、少年は"先生"の頼みで"真理"を意味する新しい名を名乗ることに。
 ――本当は嫌だった。その名を名乗れば記憶が、今までの自分が消えてしまうかもしれない。
 大事な名前を捨てたくなかった。それは"先生"がくれた、"先生"や他の子とのつながりを示す名前だったから。
 でも、これで、"先生"が元に戻ってくれるなら――。
 
 ……その願いが叶うことはなかった。
 "先生"は少年の大事な友達を殺した。そればかりか罪を全てこちらになすりつけ、『自分がこうなったのはお前達のせいだ』となじった。
 自分が少年につけたはずの、家族としての繋がりを示す名もすっかり忘れていた。
 先生は少年の何もかもを否定し、裏切った。
 
 ――先生、どうして。
 信じていたのに、尊敬していたのに、どうして――……!!
 
(ちがう……!)
 
 舞台と配役と設定は似ているが、それは僕の体験したことじゃない。
 勝手に記憶をすり替えないでくれ。
 僕はロゴスでもなければ、シモンでもない!
 
 嫌だ、消えたくない。
 
 僕は……、僕は……!
 
 
「……せん……せい……」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

別れてくれない夫は、私を愛していない

abang
恋愛
「私と別れて下さい」 「嫌だ、君と別れる気はない」 誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで…… 彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。 「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」 「セレンが熱が出たと……」 そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは? ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。 その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。 「あなた、お願いだから別れて頂戴」 「絶対に、別れない」

あなたが望んだ、ただそれだけ

cyaru
恋愛
いつものように王城に妃教育に行ったカーメリアは王太子が侯爵令嬢と茶会をしているのを目にする。日に日に大きくなる次の教育が始まらない事に対する焦り。 国王夫妻に呼ばれ両親と共に登城すると婚約の解消を言い渡される。 カーメリアの両親はそれまでの所業が腹に据えかねていた事もあり、領地も売り払い夫人の実家のある隣国へ移住を決めた。 王太子イデオットの悪意なき本音はカーメリアの心を粉々に打ち砕いてしまった。 失意から寝込みがちになったカーメリアに追い打ちをかけるように見舞いに来た王太子イデオットとエンヴィー侯爵令嬢は更に悪意のない本音をカーメリアに浴びせた。 公爵はイデオットの態度に激昂し、処刑を覚悟で2人を叩きだしてしまった。 逃げるように移り住んだリアーノ国で静かに静養をしていたが、そこに1人の男性が現れた。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※胸糞展開ありますが、クールダウンお願いします。  心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。イラっとしたら現実に戻ってください。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

人質姫と忘れんぼ王子

雪野 結莉
恋愛
何故か、同じ親から生まれた姉妹のはずなのに、第二王女の私は冷遇され、第一王女のお姉様ばかりが可愛がられる。 やりたいことすらやらせてもらえず、諦めた人生を送っていたが、戦争に負けてお金の為に私は売られることとなった。 お姉様は悠々と今まで通りの生活を送るのに…。 初めて投稿します。 書きたいシーンがあり、そのために書き始めました。 初めての投稿のため、何度も改稿するかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。 小説家になろう様にも掲載しております。 読んでくださった方が、表紙を作ってくださいました。 新○文庫風に作ったそうです。 気に入っています(╹◡╹)

【完結】今夜さよならをします

たろ
恋愛
愛していた。でも愛されることはなかった。 あなたが好きなのは、守るのはリーリエ様。 だったら婚約解消いたしましょう。 シエルに頬を叩かれた時、わたしの恋心は消えた。 よくある婚約解消の話です。 そして新しい恋を見つける話。 なんだけど……あなたには最後しっかりとざまあくらわせてやります!! ★すみません。 長編へと変更させていただきます。 書いているとつい面白くて……長くなってしまいました。 いつも読んでいただきありがとうございます!

処理中です...