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15章 祈り(中)

23話 赤い家

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「ほんとに魔物強くなってるな……」
 
 カイルが剣を鞘に収めながらつぶやいた。
 山道を進むにつれ民家が減り、それにともない魔物の出現率が上がる。
 出てくる魔物は少し気合を入れなければいけない相手ばかり。
 いずれも脅威とまではいかないが、面倒だ。山林で炎魔法を撃てば引火してしまうから威力を抑えなければならない。
 
「……ここへただの郵便屋が来るのは難しいだろうな」
「そうだな。……『チャド君』とこは大丈夫かな。今日の王太子殿下の演説、都合良く街に下りて見てたりしないかなあ……」
 
 王都で行われたリュシアン王子の演説の内容は、主に聖女が目覚め魔物が活性化したことについての説明、それに伴い民の暮らしが変わるかもしれないことを詫びるものだった。
 
「不安を抱えている者も多いと思うが安心して欲しい。我らが明星騎士団ヴェスペル・ナイツは、まさにこういった非常事態に備えて鍛錬を重ねてきたのだ。今まで通りの平穏な暮らしを国王陛下が、私が約束しよう」
「しかし人里離れたところは未知の領域だ、そういった所までは目が届かず守り切れない。自然と共に暮らしたい者には苦行となろうが、命には代えられない。どうか結界の中――街へ避難してきてほしい。安全に暮らせるようになるまでの住居の提供と暮らしの保障は、国が行う」
 
 ――他にも色々な話があったが、「街へ避難してくれ」というのは、まさにこれから手紙を届ける「チャド君」のような国民に向けてのもの。
 
 カイルによれば、ロレーヌは聖女と女神の加護で魔物が弱いため国民は「魔物の襲撃で命を落とす」ということを今ひとつ現実のものと感じていない。
 空気が重いことは肌で感じているだろうが、人間は"慣れる"生き物だ。
 逃げろと言われても『自分だけは大丈夫』『騒ぎすぎでは』などとして、何の対策も取らない人間は少なくないはず。
 だからこそ、将来の国のトップである王太子の演説は危険意識を持たせるためにかなり有効だっただろう……ということだ。
 
 しかし「チャド君」の一家は、その演説を見ていない可能性が高い。
 あの演説は夕刊に載るだろうが、配達事業が混乱しているため、このモルト山のような場所には手紙も新聞も荷物もおそらく届かない。
 危険を知る機会は限られている――もしくは、「ない」。
 軽い気持ちで受けた依頼だが、このヒュウの手紙は『チャド君』一家の命運を左右する……と言っても過言ではないかもしれない。
 だが……。
 
「その手紙で、"チャド君"の両親が動いてくれたらいいけど……」
「……どういうことだ? 動けないならともかく、動かない理由なんかあるのか。実際魔物は強くなっているのに」
「いやあ……お前、平和ボケってやつをナメちゃいけないよ」
「…………」
 
 
 ◇
 
 
「おっ、あれじゃないか? 緑の屋根って言ってたよな」
「ああ」
 
 カイルの指さす方向に、家が一軒建っている。
 あれからさらに30分ほど歩いた。付近に家はほとんどなくなり、魔物も少しずつ強くなっていた。
 確かに、この状況では郵便屋も新聞屋も来られない。
 もしかしたら平常時でもそういった物は家人が月に何度か街まで下りて取りに行っているのかもしれない。
 つまり、情報は1週間以上遅れていると言っていい――。
 
「…………!」
「……おい……」
「……ああ……」
 
 隣を歩くカイルが、腰から下げた剣を鞘から抜き取った。
 俺も同様に剣を抜き、周囲に目をやりながら家に近づく。
 
 ……家は数メートル先なのに、血の匂いがこちらまで漂ってくる。
 どうやら、手紙は間に合わなかったらしい――。

 
 その民家の有様は酷いものだった。
 木造の家の壁は打ち壊され、壁の間に入っている木材と断熱材が露出している。
 破られた壁から家の中を見てみたが、争った形跡や血の跡などはなかった。
 無人の部屋で、"食うべき対象"がいなかったからかもしれない。
 
「……これは……」
 
 裏の畑に回ると、異様な光景が広がっていた。
 おそらく二足歩行をしていたと思われる巨大な豚の魔物が、地面から突き出た"何か"によってまたから脳天まで貫かれた状態で息絶えていた。
 二足歩行の豚の魔物といえば「オーク」だが、ここまでの大きさのものは珍しい。体長3メートルくらいはありそうだ。
 急速に噴き出た闇の魔力で異常進化したのだろうか?
 
(これは、岩か……?)
 
 オークを貫いている槍状の物体は岩か、もしくは硬質化した土で出来ていると思われるが、大量に付着した血のせいで判別が難しい。
 畑にも同じく土の槍が複数突き出ている。そのうちのひとつが、黒い毛並みの狼型の魔物を貫いていた。
 
(『ガルム』……)
 
 ガルムは、ディオールとノルデンの国境に多く生息する黒狼の魔物。普通の狼よりも二回りほども大きく、そのくせ素早いという厄介な魔物だ。
 そいつがモズの速贄はやにえのような状態で絶命している――畑は血の海だ。
 ガルムの首から胸元にかけて、大量の血がついている。オークのそばに転がっている棍棒も同様……。
 そして、家の壁には何かが弾け飛んだあとのような巨大な血痕がベットリと付着していた。
 オークによって棍棒で殴り飛ばされた"誰か"がこの壁に叩き付けられ、頭部は弾けて潰れた――そんなところだろうか。
 なぜか遺体はない。地面に何か引きずられたような跡があり、血とともに直線を描いて伸びていっている。
 
「グレン……」
「!!」
 
 その血の先――家の角からカイルが顔を出して、俺を呼んできた。
 遺体がそちらにあるのか……そう思ったが、何か様子がおかしい。
 
「どうした……?」
「……こっち、来てくれ」
 
 カイルについていくと、そこには植物のつるで出来たドームのようなものがあった。
 ドームは球を4分の1に切り取ったような形状で、中に大人と子供が横たわっている。
 父親と母親――どうやら、妊娠中のようだ――そして、男児と女児。
 男児はおそらくヒュウの友だちのチャド。
 女児以外は、全員血まみれだ。特に父親の頭部からの出血が酷い。あの血の直線は彼の足から伸びていた。
 しかし……。
 
「死んでるのか……?」
「……いや……"火"がある」
「"火"? ……そうか……」
 
 俺の言葉を聞いて、カイルは胸をなで下ろした。
 そう――家族はそれぞれ血にまみれてはいるが、外傷らしい外傷がなく血色もかなり良い。
 あの畑と魔物の様子から察するに、父親は顔も身体もグチャグチャの"肉塊"になっていてもおかしくないはず。
 なのに、ただ血がついているだけだ。
 
「このドームは何なんだろうな……」
 
 カイルがドームの縁に手をかけ、中をのぞき込んだ。
 家族を覆っている蔓のドームは微弱な光を放っている。
 蔓から沁みだした水は葉を伝って家族の身体にポツポツ落ち、彼らの血を少しずつ洗い落としていた。
 ドームそのものが癒やしの魔法の役割を果たしているらしい。
 加えて、このドームが魔物に全く荒らされていないところを見るに、どうやら結界も兼ねている。
 ――相当に高度な術だ。
 
「……向こうで魔物が死んでいた。硬質化した土の槍で身体を貫かれて……」
「………蔓のドーム、土の槍………」
「…………」
 
 無言で顔を見合わせる。
 今、頭に同じことを思い浮かべているだろう。
 ――ここにはこの蔓のドームと、あの土槍を放った何者かがいた。
 おそらく、どちらも相当量の魔力を要する"土"の魔術――。
 
「おい、あれ……!」
「え……、!!」
 
 カイルが指さす先――ドームの奥の地面に、杖が突き刺さっていた。
 何度も目にしているあの黒い杖だ。
 だが、禍々まがまがしさは感じられない。いくつも埋まっている血の宝玉はいずれも色を失い灰色になっている。
 もうあの杖には何の"火"も宿っていない。
 
(……一体、何があった……?)
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