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15章 祈り(前)

19話 決断

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『ここに残るか、砦を去るか、今すぐに答えを決めてほしい』――。
 
 突然迫られた重大な決断。
 「ここに残る」――それは、間接的とはいえイリアスの殺害計画に加担することを意味する。
 そして「砦を去る」ということは言葉の通り。この集まりから、仲間から抜けることを指す。
 ……どちらもそう簡単には選び取れない……。

(…………グレンさん)
 
 彼は騎士だった頃の話や戦いの話をわたしにはしない。
 単純に話したくないからというのもあるだろう。
 でも何より彼の中に「戦う人」「戦わない人」を隔てる境界線があるからだと、そう感じる。
 ここで言うなら前者は彼自身、そしてカイルとセルジュ様。
 後者は、今選択を迫られているわたし達4人……。
 
 本来ならわたし達にこういう話をしたくないはずだ。
「彼の側の人間」だけでイリアスの終わりに立ち会い、命を獲る。
 本当はそうしたいはず。だってそうすれば誰にも何も知られずに終わるんだもの。
 
 でも今彼はこうやってわたし達に全てを話した。その上で選択肢を与えた。
 それは戦いを知らず日常を生きるわたし達に与えられた、最初で最後の選択。
 境界線を越えるための、彼の側へ行くための、片道切符……。
 
「わたしは……残る」
「!!」
 
 重苦しい沈黙を打ち破ったのは、意外にもルカだった。
 全員の視線が彼女に集まる。
 
「……わたしもイリアスに人生を歪められた。名前と本当の自分を奪われた。だから……あの人と、光の塾と、本当の意味で決別したい」
「……そうか。でも戦うのはなしだ。何があるか分からないから、見届けるだけにしてくれ」
「うん。……あの、グレン」
「ん?」
「わたしは……ひどく人生を狂わされたけれど、あの人のことは憎くない。ただ、どうして光の塾から出られなかったのか、大切なものはなかったのか……それがすごく気になる。……そういうことを、みんなで考える?」
「ああ」
「……よかった。だってわたしも、あの人みたいになっていたかもしれないから……だから、話すことで自分の気持ちも整理したい」
 
 ルカのそのセリフを聞いて、グレンさんは伏し目がちに「そうだな」と答える。
 
(…………)
 
 "光の塾"――聖光神団せいこうしんだんを下敷きにした新興宗教。
 自らを神と称する1人の中年男性が築き上げた、狂った箱庭。
 その"神"は死に、教団そのものも解体された。
 でも残された人間は未だ"呪い"とも呼べる光の塾の記憶に囚われている。
 先日のイリアスの言動……彼もまた、何かに囚われているのだろうか……。
 
「……オレも残るぞ」
「兄貴」
「オレだって、イリアスがやったことで色々歪んじまってる。……オヤジも、オフクロもだ……。憎むべき"敵"の正体が分かったのに、心穏やかに暮らしていられねえよ。……恨みなんか残しておきたくねえ、前に進めなくなるのは二度とゴメンだ……」
「でも、でもさ……」
「うるせえ。勝手に抱え込もうとすんじゃねえよ。ちょっとくらい、オレにも背負わせろ……」
「…………兄ちゃん」
 
 ジャミルの言葉と同時に、ウィルがカイルの元に飛んでいく。
 そしてカイルの目の前に着地して、ピッと短く鳴いて首をかしげた。
 それを見てカイルはフッと笑う。
 
「……お前も手伝ってくれるのか? ありがとう」

「あ……、お、お……お願いします、あたしもっ……!」
 
 言いながらベルが勢いよく立ちあがった。
 その拍子に椅子が倒れそうになったのを慌てて手で制してから、祈るように手を組み合わせる。
 ところが……。
 
「……ベル。ベルは……」
「ベルナデッタ。……君はイリアスに特段の恨みはないのじゃないか? 無理して調子を合わせずとも――」
「無理なんてしていませんっ!!」
「!!」
 
 セルジュ様の言葉の終わりを待たずに、ベルが悲鳴のような声で叫んだ。
 自身の想定よりも大きい声が出てしまったようで、ベルは真っ赤な顔で肩をすくめて縮こまってしまう。
 そして、驚き瞠目しているセルジュ様に「申し訳ありません」と頭を下げた。
 
「た……確かに、あたしは彼には何の恨みもありません。人生も狂わされてはいない。……むしろ、彼の干渉によってあたしの人生は好転しているとすら言えます……」
「え……?」
 
「……数日前サンチェス伯の屋敷を訪れたイリアス・トロンヘイムは、善良な司祭そのものでした。事実の突き合わせをするのなら、そういった情報も……彼に何の因縁もなく、害を被ってもいない人間の視点も必要ではないでしょうか?」
 
 そこまで言うとベルはセルジュ様とカイルに順に目をやり、最後にグレンさんに向き直ってガバッと大きく頭を下げた。
 
「隊長……お願いします、ここまで来て仲間はずれなんて嫌です。どうかあたしも、最後まで一緒に……」
「……分かった、ありがとう」
 
 言いながらグレンさんがベルに微笑を返す。
 それを見たベルは大きく目を見開き、息だけで「ありがとうございます」と唱えながら静かに着席した。
 ジャミルがそんな彼女の背中をさする。
 すると、こらえきれなくなったらしいベルの目から涙がこぼれた……。

(ベル……)
 
 "仲間はずれ"――ベルはイリアスに恨みはないし、大切なものも奪われていない。
 みんなと共通の認識や感情を持っていないということは、彼女に大きな疎外感を与えていたのかもしれない。
 
「レイチェル」
「!」
 
 グレンさんに名前を呼ばれ、ベルの方に向けていた意識が引き戻される。
 気づけば、みんなの視線が最後の1人であるわたしに集まってきていた。
 
「あ……」
 
 ――そうだ、わたしも、答えるんだった。

「……わたしの心は、最初から決まっています。わたしは、グレンさんと同じ道を行きます」
「いいのか」
「……どうして? これからずっと一緒に人生を歩んでいくのに、綺麗なところだけ知っているなんて無理だよ。……駄目だって言っても離れない。闇の底だってついていくわ」
「…………そうか」

 グレンさんが目を閉じて、口元だけで少し笑った。

「…………」
 
 ――わたしのイリアスに対する気持ちも考えも、彼が最初に教皇猊下と謁見した日に全部話した。
 これ以上言わなくても、ちゃんと伝わっているはず。
 でも、まだこの言葉に乗せて、伝えるべき気持ちがあるとするなら――。
 
「……わたしは、グレンさんを信じます」
 
 何があっても彼を信じる――それがきっと、彼の心を照らす光になる。
 いつだってわたしは彼の灯火ともしびでありたい。

 ……どうか、負けないで。
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