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14章 狂った歯車

8話 どうか、どうか、忘れないで

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 黒い感情を箱に閉じ込めて、笑顔を貼り付けてやりすごすのが俺の処世術になっていた。
 
 まあその箱はめちゃくちゃ小さいから、すぐに許容量を越えちゃうわけだけど……。
 ともかく、大抵の相手は「貼り付けた笑顔」でやりすごせるが、それが心からのものでないことは近しい者ほどすぐに見抜いてしまう。
 近しい者というのは早い話、恋人だ。
 
 過去の世界だ外国だっていっても、成長の過程で自然とそういう存在もできる。「恋人作るな」とか、制約にないし。
 10代の頃は甘かったり苦かったり、すぐ終わったり……でも楽しい思い出で終わっていた。
 でも20代になり自分の社会的立場が盤石なものになると、結婚も視野に入れた付き合いに変わってくる。
 
 相手を好きになればなるほど、俺はいつも考えてしまう。
「彼女に自分のことを明かすべきか明かさないべきか、明かすならどこまで明かすのか」ということを。
 
 俺は実は未来から飛ばされてきた人間――それを言ったとして、相手は信じるだろうか?
 仮に「時間を越えた」ことまでは信じて受け入れてくれるとして、将来をともにするのなら制約のことまで言わなければいけない。
 真名を明かして、写真を一緒に撮る……そこまでならいい。
 でも、最後の「魂を分けてはならない」については、どうしたって言えるわけがない。
 
 ――そうじゃないか。
 言えるわけないだろ、「子供産んでくれ」なんてさ。
 相手は恋人で、もちろん恋愛感情がある。だからこそそんな重荷を急に背負わせることはできないし、それを告げて嫌われるのも嫌だ。
 
 でも相手は俺のそんな内心を知るはずもなく、肝心なことをのらくらとかわし続ける男としか映らない。
 ある日、当時付き合っていた彼女に呼び出されて別れを告げられた。
 
「あなたは私を見ているようで真剣に見ていない」
「なんだかずっと試されてるみたいで苦しかったのよ」
 
 ――そう言われた。返す言葉もなかった。
 
 "試す"――そうかもしれない。いや、それならまだマシだ。
 俺がやっていたのは"裁定"だ。相手が自分を預けるに足る存在かを見定めていた。
 一体、何様のつもりでいるんだろうか。
 
 こんな誰も抱かないような悩みで勝手に苦しんで、それが相手へのこの上ない無礼に繋がるのなら、俺は恋愛なんかしない方がいいな……。
 
 
 ◇
 
 
「っと……、この辺りでいいのかなあ……」
 
 1557年、俺は竜騎士を辞めた。
 あと1年で俺は元の自分に戻る。それまでの間、好きに生きたいと思ったんだ。
 辞めても、飛竜のシーザーはずっと一緒だ。せっかく飛べるんだし、冒険者でもやってみようかと思っていた。
 
 ……で。
 もうすぐここを去ろうかというある日、俺はなぜかリタの侍女マイヤーに手紙で呼び出された。
 夜の8時。ユング侯爵邸の、花が咲き誇る素敵な庭園で待ち合わせ。
 
(なんで……?)
 
 何のイベント?
 分からなすぎる。……もしや闇討ち?
 
 ユング侯爵家に仕えるようになって10年。
 リタとの関わりはほとんどなくなり、必然的にあの人とも顔を合わせることはなくなったが、それでも俺はやっぱり苦手だった。
「クライブ・ディクソン!」と腹から声出して呼ばれて、そのたび身体がビクッとなっていた記憶が蘇ってしまう。
 
「……クライブ?」
「!!」
 
 呼びかけられたのでビシッと姿勢を正しそちらへ向き直ると、そこにいたのはマイヤーではなかった。
 
「リ……リタ様?」
 
 視線の先――小さな噴水の前に、リタが立っていた。
 直接の関わりを断ってから、8年。この時俺は22歳で、彼女は17歳。
 
 成長したリタは貴族の男ですらたじろぐほどの美貌の持ち主となっていた。
 この春に魔術学院の神学科を首席で卒業、聖女様に立候補したという話も聞く。
「住んでいる世界がちがう」なんてマイヤーにしょっちゅう言われていたが、まさにその通り。
 俺のような者はもはや、近づくことも声をかけることも許されない存在だった。
 
「……申し訳ありません。マイヤー殿に仕事を頼まれてここへ来たのですが、迷ってしまいまして」
「……わたくしがマイヤーに頼んだのよ。貴方をここへ連れてきて欲しい、って」
「え……? なぜ」
 
 思わぬ返答に率直にそう聞き返すと、彼女は微笑を浮かべる。
 
「貴方が、騎士を辞めると聞いて……最後に、お話をしたかったの」
「話、ですか」
「ずっと謝りたかったの……あの時、わがままを言って、困らせてしまってごめんなさい」
 
 そう言って彼女が俺に頭を下げた。
 
「…………」
 
 ――そんなことずっと気にしていたのか。どうして……。
 
「リタ様……どうか、頭を上げて下さい。私は何も気にしていません。……謝るのはむしろ私の方です。あんな風に怒鳴ってしまい、申し訳ありませんでした。未熟でした」
「……」
 
 俺も深々と頭を下げた。
 心の底から言っているつもりだけど大丈夫だろうか。
 頭を下げているから分からないだろうけど……貼り付いた笑顔になってはいないだろうか。
 
「……いいのよ。わたくしがわがままだったのは事実なのだから」
「リタ様」
「……"カイル"」
「!!」
「……誰もいないから、今だけはそう呼んでもいいでしょう?」
「も、もちろん……です」
 
 無意味に心臓が跳ね上がり、声が上ずってしまう。
 まさかまた彼女にその名で呼ばれる時が来るなんて……。
 
「……お願いがあるの。……貴方もわたくしを昔のように呼んで、昔のように話してほしい」
「え、しかし……」
「少しでいいのよ。……駄目かしら?」
「……」
 
 リタが眉尻を下げて小首をかしげる。
 幼い頃の彼女は、何かお願いがあるたびにいつもこうやって「ね、いいでしょ?」「駄目?」と言ってきていた。
 大抵の相手はそれに参って了承してしまう。俺もそうだった。
 ……とはいえ。
 
「いえ、やはりそれは」
「……そう。じゃあ、わたくしも貴方をクライブと呼ぶわね」
「う……」
「ねえ、いいでしょう?」
「いや、いえ……」
「お願い。最後、だから」
「…………」
 
 ――知っている。
 これは了承しないと先に進まないやつだ。
 ああもう、仕方がない。
 
「……リタさ、……リ、リタ」
「もっとはっきりと」
「……無理ですよ……。わた、……俺の名前は、別にいいけど」
「駄目ね、カイルは」
「だ……そ、そんな」
 
 俺の反応を見て、リタは少女のようにいたずらっぽくクスクスと笑う。昔と同じだ。
 遠くから見かける「リタお嬢様」はあまりに気高く美しい。
 たまに見かけるたび「あのお嬢様は、俺が遊んでいた"リタ"と本当に同じ人物だろうか」なんて思っていた。
 でも、この短いやりとりだけでも分かる。見た目は変わったけど、あの頃と本質は変わっていないんだ――。
 
 
 ◇
 
 
 庭園の一角にある屋根付きのテラスに招かれた。
 夜に2人でお茶……とんでもないことだが、ゲオルク様もマイヤーも了承済みとのこと。
 テーブルにはティーセットが2人分用意してあり、リタが慣れた手つきで紅茶の用意をしはじめる。
 
 ストロベリーティーの香りがする――ああ、懐かしいな。
「ヒミツのティーパーティー」だ。
 淹れてくれた紅茶を一口飲むと、記憶がたちどころにあの頃に帰る。
 
「……お父様とマイヤーから、貴方のことを聞いたわ」
「え?」
「貴方が、時間を越えた人だと」
「……そう」
「マイヤーには『どれだけ仲良くなっても彼とは住んでいる世界も、時代もちがう。そのうちにクライブは自分の時代に帰って、リタ様のことなど忘れるのですよ』と言われたの」
「…………」
 
(……ババア……)
 
 余計なことを言ってくれる。
 真実だとはいえ、別に告げなくてもいい事実だっただろうに。
 忘れるかどうかなんて俺にも分からないのに、何決めつけてんだ。
 
「マイヤーのこと、許してね。彼女は彼女なりにわたくしのことを考えてくれていたのだけど……」
「……ええ、それは分かります」
「敬語」
「あっ はい」
「ふふ……」
 
 
 それから、8年の空白を埋めるようにたくさんの話をした。
 彼女が通っていた魔術学院での生活とか、ロレーヌにいる親戚の人の話とか。
 俺は飛竜シーザーの話とかグレンの話とか、それから故郷と、家族の話と……。
 
「……貴方はもうすぐ、そちら側へ帰るのね」
「ん…………そう、なるかな」
「寂しいわ。でも、望んだことだものね」
「…………」
 
 そう言ったところで、リタはテーブルに置いてある時計を手にする。
 
「ごめんなさい、そろそろ終わりにしなくては」
「……そう。じゃあ――」
「カイル」
 
 リタが意を決したように名を呼んでから俺の前へと歩み寄り、俺の両手を取った。
 
「……どうしたの?」
「ありがとう。貴方のお陰で、わたくしの今があります」
「そんな……俺は何もしていないよ。ゲオルク様といいリタといい、大げさだなあ」
「大げさなんかじゃ、ないわ。……ねえ、あのね。お願いが、あるの」
「お願い」
「そう。本当に、最後の最後の、お願い」
「…………」
 
 潤んだ瞳でリタが俺の目を見つめる。
 長身なうえ高いヒールを好んで履くという彼女が前に立つと、目線がかなり近づいてしまう。目をそらすのが難しい。
 動揺を隠すため、俺はまたいつもの笑顔を貼り付ける。
 
「何ですか? 俺にできることなら」
「あのね、昔みたいに、頭を撫でて欲しいの」
「えっ」
「それで……『リタはえらい、頑張り屋だ』って言って欲しいの」
「…………」
 
 俺の返答がないために、リタは「駄目かしら」と小さくつぶやきながら目を伏せてうつむいてしまう。
 いつもの「駄目?」「いいでしょう?」とは、ちがう。
 10年ほど前、彼女の母親のことを聞いた俺は、さっきリタが言ったのと同じことをした。
「リタの頭を撫でてくれるのはお父様だけなの」ってニコニコ笑いながら言っていたっけ。
 なんでそんなことを今、「最後の最後のお願い」として言ってくるんだろう……。
 
「……リタは、えらいな。頑張り屋だ」
 
 お願い通りに、俺は彼女の頭を撫でた。
 柔らかい青銀の髪が、月の光に照らされてわずかに輝きを放つ。
 昔彼女が言っていたように、本当に星空みたいだ。
 しばらくしてリタが「ありがとう」と言いながら伏せていた目をこちらに向け、柔らかく微笑んだ。
 
「…………。こんなので、よかったのかな」
「うん。……ふふ、やっぱり、嬉しい。ありがとうカイル。これでリタは、これからも頑張れる、わ――……?」
「…………」
「……カイル……?」
 
 リタの戸惑う声が、耳に入る。
 ――当たり前だ。何をやっているんだろうか、俺は。
 でも今、どうしても、この腕の中に収めたくなってしまった。
 リタは拒絶することなく、両手を俺の背に回してくる。
 駄目だ、こんなことをしてはいけない。今すぐに離さないといけない。
 ……だけどどうしても離したくなくて、彼女を抱く腕にさらに力を込めてしまった。
 
 ――駄目なんだ俺は、いつもいつも。
 肝心なところで感情にフタをできない。いつもの笑顔で取り繕えない。
 何やってんだろう?
 8年交流がなかったけど、その間彼女を想って恋い焦がれていたわけでもないのに――。
 
「……カイル」
「…………」
「……リタのこと……忘れないで……おねがい、だから」
「……忘れないよ。約束する」
 
 ……だから、君も俺のことを忘れないでほしい。
 
 俺が消えても、どうか。
 
 ほんの少しでいい。
 
 心の片隅に、置いてほしい。
 
『私を、忘れないで』――。
 
 
 ◇
 
 
 1558年7月13日。
 とうとう、「その日」を迎えた。
 制約破りを2つもやったおかげか俺の意識は消えることはなかった。
 俺はあの日の出来事を一切改変せず、同じ行動をとってまた現代ここへ。
 そこを越えても――いや、越えたからこそ、いつか消えるんじゃないかという不安がつきまとい続ける。
 
 1559年3月15日。
 リタが聖女になった。
 彼女に関する記憶は封印され、ちがう時代から来た俺を除いて誰も彼もが彼女のことを忘れた。
 まるで最初からいなかったかのように、誰の心にも彼女はいない。
 
 人の心から人の存在が完全に消え去るのを目の当たりにして、俺はいよいよ恐ろしくなってきた。
 5年経てば、リタは皆の心にまた蘇る。
 だけどもし俺が消えたらきっとそのままだ。誰の心にも残らず忘れ去られる。
 
 みんな未来が続いていく。進む道を見つけて、歩んでいく。
 だけど俺は分からない。
 空を飛んでいたら不安になることがある。
 空は自由だ。だけど道がない。
 それと同じに、俺には未来に続く道がないような気がしてしまうんだ……。
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