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14章 狂った歯車

6話 闇の中

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 あれからイリアスは牢の前に現れなくなった。
 
 捕まってから一体何日経ったんだろうか? 時間の経過が全く分からない。
 たまに運ばれてくる食事で区切りを実感するのみ。ただ、それが何時間ごとで、1日に何回出されているのかは分からない。
 出される食事はいつもビスケットみたいな、パンみたいな……とにかく固くて、粉っぽい食べ物。
 軍で支給される非常食みたいなやつだろうか。
 味がしない。同時に出される水でなんとかそれを流し込んで終わり。
 
 ところで、この牢屋には明かりがない。
 天井には光の魔石が埋まっている。人がいればほんのり明るくなるはずなのに、なぜか全く感知されない。
 光の魔石の寿命か、それともイリアスの仕業か……明かりがあるのは便所だけ。
 光があるとはいえ、場所が場所だけにそこにずっといるのはあまりに辛くて惨めだ。

 暗闇と孤独は人を狂わせるという。
 どうやらイリアスは、俺の心がじわじわと死んでいくのを待っているらしい――。
 
 
 ◇
 
 
「おはよう。……いや、『こんにちは』かな。それとも『こんばんは』? まあ、どっちでもいっか」
「…………」
「食事持ってきてくれたんだ? ありがとう」
「…………」
「……いただきます」
「…………」
 
 食事を持ってきた聖銀騎士に話しかけても何の反応もない。操られているのだから当然だ。
 でも誰かが来るたびに必ずこうやって話しかけている。
 そのうち誰か正気に返ってくれるのでは――とか、何か考えがあってのことじゃない。
 
「終わりの見えない暗闇と孤独」に耐えられないからだ。
 こうやって誰かが食事を持ってきた時にだけ牢屋の通路に明かりが点き、"人形"と化した聖銀騎士がしばらく牢の前に立っている。
 答えはなくたっていい。誰かに対して言葉を発していなければ、発狂してしまいそうなんだ。
 今目の前にいる騎士は、おそらく貴族と思われる金髪の男。操られてから日が経っているのか、着用している制服が少しくたびれている。
 
「ごちそうさま。……騎士さんも大変だね。いつから帰ってないの?」
「…………」
 
 もちろん、返事はない。
 騎士は速やかに空の食器を回収して去って行く。その繰り返しだ。
 
「…………」
 
 ――「ちくしょう」とか言う気力も湧かない。
 そんなことにパワーを使っても疲れるだけ。
 
(まずいな……)
 
 こんなことが続くとどうしても思考は後ろ向きになり、独りになった途端頭の中が過去の回想に切り替わってしまう。
 過去の竜騎士団領に飛ばされ、来る日も来る日も「これは夢だ、明日は目が覚めたら家なんだ」と願い続けたあの暗い日々。
 そして、殺したくなるくらい身勝手で未熟だった自分を思い出してしまう……。
 
 
 ◇
 
 
「クライブ、そろそろ仕事の時間だよ」
「…………」
「……クライブ?」
 
 小間使いを続けて8ヶ月くらい経ったある日のこと、俺はベッドから起き上がれなくなった。

「どうしたんだ」と聞くロジャーじいさんに俺は「なんで3月なのに春じゃないんだ」なんてわけの分からないことを叫んで、泣いてわめいた。
「現状を把握するのが精一杯で泣いている暇はなかった」とレイチェルに語ったことがあるが、さすがにこんなことは誰にも言えない。
 
 その時机の上に日記が開きっぱなしになって置いてあったらしく、それを読んだじいさんは事態の深刻さを把握した。
 小間使いの仕事がいけないのだと判断され、俺はしばらく仕事を休むことに。
 その間じいさんは「ここもいい所なんだ」と、ユング侯爵領の街や公園に連れ出して、色んな話を聞いてくれた。
 俺の好きなことや興味のあることを知ってからは剣の稽古をつけてくれたり、竜騎士の訓練や飛竜の厩舎きゅうしゃの見学に連れて行ったりもしてくれた。
 他人なのに、じいさんには感謝しかない。
 
 ある日飛竜の厩舎へ行くと、産まれて間もない飛竜が俺を見て嬉しそうに鳴いた。
「飛竜になつかれるなんて、竜騎士の資質があるんじゃないか」と言われ、俺は陰鬱な気分から一転、毎日上機嫌に。
 ……それはそれでやばい状態だ。感情の振り幅が分からず、天井とどん底の気分を何度も繰り返していた。
 どれくらいの期間そうだったのか……ともかく、ちがう環境に身を置いたこと、好きなことを見つけられたこと、そして何より、時間の経過――様々なことが薬となって、俺はなんとか精神を持ち直した。
 
 あの頃の俺のことを、じいさんはあまり語らない。
 よほどに酷かったんだろう……当時の日記を読めば分かる。
 
 精神を持ち直したのはいいが、ここでひとつ大きな問題が生じた。
 リタと遊ぶことがわずらわしくなってきたのだ。
 ロジャーじいさんのおかげで剣の腕がどんどん上がった俺は竜騎士団の入団試験を受けることになり、無事合格。
 見習いだからやることは雑用ばかりだが同年代の友達もできたし、訓練も飛竜の世話も楽しい。
 
 対して、5歳年下の貴族の女の子リタとの遊びは、やっぱりどうしたってつまらない。
 もれなくついてくる侍女長マイヤーのダメ出しと嫌味も苦痛だ。
 強くなりたい、飛竜のことをもっと知りたい、友達と遊びたい、でも「カイル」という名前は呼んでもらいたい。
 ……でもやっぱり、苦痛だ。

 つまらないと思うたびに『ガキはついてくんなよ』とイヤそうに言う兄の顔がよぎってイライラしてしまう。
 俺はそんな自分に都度「俺は兄貴とはちがうんだ」と言い聞かせて気持ちを封じ込めた。
 結果、ストレスばかりが溜まっていく――。
 
 ある日、リタの父上のゲオルク様に「大事な話がある」と呼び出された。
 行ってみると、開口一番すまなそうな顔で「リタの遊び相手をしてくれてありがとう、でもそろそろ潮時かと思う」と告げられた。

 ユング侯爵家に来て3年目。俺は背が伸びて声が変わって……そんな男がお嬢様の周りをうろつくのはどうなのか、やめさせた方がとマイヤーがゲオルク様に進言したらしい。
 マイヤーの言い分にはカチンときたが、俺は了承した。やめたいと思っていたからちょうど良かった、渡りに船というやつだ。
 リタは誕生日プレゼントの交換を楽しみにしているということだったから、その日にお別れの挨拶をしてほしいと言われた。
 
 ――俺は自分勝手だ。
 もう遊びたくないと思ってるくせに、お別れの挨拶をしたくなかった。
 だって俺は別に、リタのことを嫌いなわけじゃない。
 もう遊ばないって言ったら、悲しむんじゃないだろうか。
 もし泣いたら、どう取り繕えばいいんだろう。
 悪者にはなりたくない。
 やめさせたいのはマイヤーなんだ、お前が「クライブはやめた」と告げてくれればいいじゃないか――。
 
 
 ◇
 
 
「カイル、お誕生日おめでとう。はい、これ。見て、この星! 去年よりも上手になってるでしょう?」
「…………」
 
 何も知らないリタが、あの子供用スカーフを嬉しそうに差し出す。
 お守りにと祈りを込めて縫ってくれた星は今年で3個目だ。
 確かに、去年一昨年よりも上手になっている。
 
「あ……ありがとう、ございます。…………リタ、さま」
「え?」
 
 たどたどしい敬語でようやくそれだけ言うと、リタは目を丸くする。
 
「なあに? 『リタ様』って。……ねえ、いつもみたいにリタって呼んで?」
「……できません。おれ、……私は、ゲオルク様に仕える騎士になりました。だから……今までのように、リタ様と遊ぶこともお話することも、できませ――」
「いやよ、そんなの! どうして!?」
「…………」
 
 大きな声でそう叫んで、潤んだ瞳でリタが俺を見上げる。今にも泣き出しそうだ。
 やっぱりこうなった……どうしたらいいか分からない。
 
「そんなしゃべり方、変なの! ぜんぜん、似合っていないわ! どうして? どうして!? ……リタと遊ぶの、イヤになっちゃったの!?」
 
 リタは真っ赤な顔で両手の拳を振り上げながら地団駄を踏む。
 いたたまれない。彼女は賢い子だ。俺の普段の態度から、色々と感じとっていたのかもしれない。

「リタさ……」
「"様"じゃないわ!! ねえ、カイルの好きな遊びを教えて? リタ、ちゃんとおぼえて、カイルが楽しくなれるようにするから、だから、」
「わ、私は、騎士に……なるので、騎士の寮に移ります。だから……リタ様、とは、これでお別れ」
「……じゃあ、やめてよ」
「……え?」
「じゃあ、騎士なんて、やめてよ!!」
「な……」
 
 ――頭に血が昇る。
 駄目だ、駄目だ……いつもみたいに、気持ちを閉じ込められない……!
 
「ワガママばっかり言うなよ!!」
 
 今までの鬱憤うっぷんを晴らすかのごとく、俺は叫んだ。
 すぐに我に返ったが、もう手遅れ。
 大声に驚いたリタが落ちそうなくらいに目を見開き、すぐにその目から大粒の涙があふれる。
 
「……ヒッ、うっ、う、う……」
「っ……ご、ご、ごめ……」
「うわああああああん!! わああああ……」
「……あ……」
 
 天を仰いで、リタは泣き叫んだ。
 
「バカ、カイルのバカッ!! きらいよ! カイルなんて、大っっっ嫌い!! わあああああん……」
「リ……」
 
 呼び止める間もなく、リタはドアを勢いよく開け放ち走り去っていった。
 その場に残されたのは、今日のために用意した刺繍のセットと、童話と魔法の本。俺が去年の誕生日プレゼントに渡した仕掛け絵本もある。
 彼女とこれで遊ぶことは、もうない。
 退屈でたまらなかったあの時間、だけど、ひとときでも本当の自分を思い出せる、ささやかな優しい時間。
 その時間は二度と訪れない。

 ――この誕生日プレゼントを渡して、笑顔でお別れするはずだったのに、どうして。
 
『ガキはついてくんじゃねえよ』――。
 
 ここへきて兄のセリフがまた頭をよぎる。

 ――結局兄貴と同じことをしてしまった。
 いや、それ以下だ。
 俺はこの手で彼女の大切なものをぶち壊した。
 それは俺にとってもかけがえのないものだったはずなのに。

「……ちがう、兄貴の……せいだ」
 
 兄貴が俺をぞんざいに扱ったから俺はここへ飛ばされた、それで兄貴と同じ考えになって、兄貴と同じようなことをして……兄貴があんな態度で俺に接していなかったら俺だってこんなことしなかった。だから、兄貴が、全部、全部、悪い……。
 
「……兄ちゃん……」
 
 ――分かってる。兄貴が悪いわけなんかないじゃないか。
 だってさっきのは俺自身がしでかしたこと。俺が全部悪い。最低なのは俺1人。
 いつまでも兄貴を"諸悪の根源"にして汚い感情の捨て場所になんてできない。
 ……俺は何をやっていたんだろう? 兄貴の言うとおり、俺はガキだ。しかも、救いようのないとびきりの馬鹿だ。
 
 彼女が宝物みたいに思っていた時間と自分とを天秤にかけて、俺は自分を取った。
 出した言葉は取り消せない。彼女に謝ることはおろか、会うこともかなわない。
 俺のためにと祈りを込めて縫ってくれた銀の星も、もうこれきり二度と増えることはない――。
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