290 / 385
14章 狂った歯車
5話 断たれていく光
しおりを挟む
聖銀騎士団長セルジュは、有力貴族であるシルベストル侯爵家の跡取り息子。
家柄、魔術、剣の腕、全てが一級品。性格も温厚で心優しい。
身分にあぐらをかくことなく、たまに市井に出ては民の声に耳を傾ける――非の打ち所のない、完璧といってもいい存在。
育ちのよさ故に少し甘いところはあるかもしれないが……でも今は戦乱の世でもないし、俺だって戦争に出たわけでもなければ、例えば跡継ぎ争いに関する策謀を目にしたことがあるわけでもない。甘いのは、お互い様。
そうだ。俺はなんだかんだで甘い。
だから分からない。こんな事態は想定できない。
知り合いが、誰かの操り人形になって目の前に現れるなんて……。
◇
「セ……、セルジュ……」
あの取り調べの翌日イリアスと共にやってきたセルジュは、俺の知る彼ではなかった。
瞬きひとつせず、目の焦点がどこにあるのか分からない。
人間、表情が消えるとここまで別人に見えるものなのか。
まるで白磁の人形だ。端正な顔立ちが人形っぽさをさらに引き出していて、こちらの恐怖心を煽り立てる。
一体、何が……。
「セルジュ……おい、セルジュ! どうしたんだ!! しっかりしろ!!」
敬語も敬称も、かまっていられない。
俺の必死の呼びかけにも無反応……たまに来た時に「娘が可愛くて仕方がない」なんてはにかみながら言っていた彼はどこにもいない。
「……驚いた?」
「!!」
イタズラ大成功とばかりにイリアスが満面の笑みを浮かべる。
「何を……何をしたんだ!」
「……彼は正義感がとても強いからね。これから僕がすることを知れば必ず止めに入ってくると思って、少しの間置物になっていてとお願いしたんだ」
「お、置物……馬鹿なのか!? ……彼は聖銀騎士団の団長で、侯爵家は教皇猊下と繋がりがある、それに彼は王太子殿下と仲がいい。すぐにこんなこと明るみに出るぞ! こんな扱いをしたらただじゃすまない!」
「……大丈夫さ。それよりも先に、この時代が終わるのだから。そうすれば何もなかったことになる……君の"死"もね」
「死、だと……」
「カイル君。どうして、お人形のセルジュ君を君に見せに来たと思う?」
「…………」
――こんなに会話が成り立たない奴は初めてだ。
今投げられて受け止めた物がボールなのか石なのかを認識する間もなく、別角度から別の物が飛んでくる。
なぜセルジュを見せに来たか? 分かるわけないだろうそんなこと――そう言ってやりたいが、あまりの事態に唇が震えて言葉が出ない。
そんな俺を見てイリアスはまたニタリと笑った。
「"助けは、来ない"――それを教えてあげるためさ」
「な……」
「例えば、君の友人のグレンがここへやってきたとしても聖銀騎士が追い払う。人を恨みつつも、結局彼は心正しき者だからね。僕の企みも知らないし、中で何が起こっているか分からないのだから、立ちはだかる聖銀騎士を斬り捨ててまで侵入してはこないだろう。……本当に異様だと気づくのが先か、それとも僕が計画を完遂するのが先か……見物だね?」
「…………」
「ふふ……いい表情。僕はねえ、絶望が好きだよ。特に、君みたいな光輝く人間が、全ての希望を失って膝を折る様がねえ……ふふふっ、あははは」
両手を広げて天を仰ぎ、イリアスは高笑いをする。
周りに立っている"人形"のセルジュと数人の聖銀騎士が、この狂った独り芝居の異常性をさらに引き立てる。
ひとしきり笑ったあと、イリアスは身体をくるりと一回転させてからまた両手を広げてニッコリと笑った。
目障りだ。挙動がいちいち決まっているのか? ……気持ち悪い。
「さあ、今日はこのお人形を見せに来ただけだから、これで失礼するよ」
ああ、やっとどこかへ行ってくれるのか。
もういいから本当に、早く消えてくれ。
「カイル・レッドフォード君。君にどうか、■■■■■■、■■■■■■……」
「!!」
またあの"呪文"だ。今回も、何も聞こえな――。
「……女神の加護の、あらんことを」
「え……?」
傍らのセルジュが急に口を開く。
そして……。
「……女神の加護の、あらんことを……」
「女神の、加護の……あらんことを……」
控えの騎士もそれに続いて、同じ言葉を唱和し始める。
それはミランダ教の祈りの言葉のひとつ。声は次第に重なり合い、石造りの牢に感情を伴わない低い声がこだまする。
「女神の加護の、あらんことを」
「女神の加護の、あらんことを」
「「「女神の加護の、あらんことを」」」
「……あ……」
――なんだこれは。何を見せられているんだ。
意味が分からなすぎて吐きそうだ。
俺の反応を見てイリアスは満足げに笑い、「じゃあ」と言って転移魔法で消えた。
そして残されたセルジュと騎士達は「女神の加護の、あらんことを」と唱えながらぎこちない動きでゾロゾロと歩き始め、階段を上って去って行った。
姿が見えなくなってからも、あの言葉を唱えているであろう声がわずかに響く――。
家柄、魔術、剣の腕、全てが一級品。性格も温厚で心優しい。
身分にあぐらをかくことなく、たまに市井に出ては民の声に耳を傾ける――非の打ち所のない、完璧といってもいい存在。
育ちのよさ故に少し甘いところはあるかもしれないが……でも今は戦乱の世でもないし、俺だって戦争に出たわけでもなければ、例えば跡継ぎ争いに関する策謀を目にしたことがあるわけでもない。甘いのは、お互い様。
そうだ。俺はなんだかんだで甘い。
だから分からない。こんな事態は想定できない。
知り合いが、誰かの操り人形になって目の前に現れるなんて……。
◇
「セ……、セルジュ……」
あの取り調べの翌日イリアスと共にやってきたセルジュは、俺の知る彼ではなかった。
瞬きひとつせず、目の焦点がどこにあるのか分からない。
人間、表情が消えるとここまで別人に見えるものなのか。
まるで白磁の人形だ。端正な顔立ちが人形っぽさをさらに引き出していて、こちらの恐怖心を煽り立てる。
一体、何が……。
「セルジュ……おい、セルジュ! どうしたんだ!! しっかりしろ!!」
敬語も敬称も、かまっていられない。
俺の必死の呼びかけにも無反応……たまに来た時に「娘が可愛くて仕方がない」なんてはにかみながら言っていた彼はどこにもいない。
「……驚いた?」
「!!」
イタズラ大成功とばかりにイリアスが満面の笑みを浮かべる。
「何を……何をしたんだ!」
「……彼は正義感がとても強いからね。これから僕がすることを知れば必ず止めに入ってくると思って、少しの間置物になっていてとお願いしたんだ」
「お、置物……馬鹿なのか!? ……彼は聖銀騎士団の団長で、侯爵家は教皇猊下と繋がりがある、それに彼は王太子殿下と仲がいい。すぐにこんなこと明るみに出るぞ! こんな扱いをしたらただじゃすまない!」
「……大丈夫さ。それよりも先に、この時代が終わるのだから。そうすれば何もなかったことになる……君の"死"もね」
「死、だと……」
「カイル君。どうして、お人形のセルジュ君を君に見せに来たと思う?」
「…………」
――こんなに会話が成り立たない奴は初めてだ。
今投げられて受け止めた物がボールなのか石なのかを認識する間もなく、別角度から別の物が飛んでくる。
なぜセルジュを見せに来たか? 分かるわけないだろうそんなこと――そう言ってやりたいが、あまりの事態に唇が震えて言葉が出ない。
そんな俺を見てイリアスはまたニタリと笑った。
「"助けは、来ない"――それを教えてあげるためさ」
「な……」
「例えば、君の友人のグレンがここへやってきたとしても聖銀騎士が追い払う。人を恨みつつも、結局彼は心正しき者だからね。僕の企みも知らないし、中で何が起こっているか分からないのだから、立ちはだかる聖銀騎士を斬り捨ててまで侵入してはこないだろう。……本当に異様だと気づくのが先か、それとも僕が計画を完遂するのが先か……見物だね?」
「…………」
「ふふ……いい表情。僕はねえ、絶望が好きだよ。特に、君みたいな光輝く人間が、全ての希望を失って膝を折る様がねえ……ふふふっ、あははは」
両手を広げて天を仰ぎ、イリアスは高笑いをする。
周りに立っている"人形"のセルジュと数人の聖銀騎士が、この狂った独り芝居の異常性をさらに引き立てる。
ひとしきり笑ったあと、イリアスは身体をくるりと一回転させてからまた両手を広げてニッコリと笑った。
目障りだ。挙動がいちいち決まっているのか? ……気持ち悪い。
「さあ、今日はこのお人形を見せに来ただけだから、これで失礼するよ」
ああ、やっとどこかへ行ってくれるのか。
もういいから本当に、早く消えてくれ。
「カイル・レッドフォード君。君にどうか、■■■■■■、■■■■■■……」
「!!」
またあの"呪文"だ。今回も、何も聞こえな――。
「……女神の加護の、あらんことを」
「え……?」
傍らのセルジュが急に口を開く。
そして……。
「……女神の加護の、あらんことを……」
「女神の、加護の……あらんことを……」
控えの騎士もそれに続いて、同じ言葉を唱和し始める。
それはミランダ教の祈りの言葉のひとつ。声は次第に重なり合い、石造りの牢に感情を伴わない低い声がこだまする。
「女神の加護の、あらんことを」
「女神の加護の、あらんことを」
「「「女神の加護の、あらんことを」」」
「……あ……」
――なんだこれは。何を見せられているんだ。
意味が分からなすぎて吐きそうだ。
俺の反応を見てイリアスは満足げに笑い、「じゃあ」と言って転移魔法で消えた。
そして残されたセルジュと騎士達は「女神の加護の、あらんことを」と唱えながらぎこちない動きでゾロゾロと歩き始め、階段を上って去って行った。
姿が見えなくなってからも、あの言葉を唱えているであろう声がわずかに響く――。
0
お気に入りに追加
62
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】人生2回目の少女は、年上騎士団長から逃げられない
櫻野くるみ
恋愛
伯爵家の長女、エミリアは前世の記憶を持つ転生者だった。
手のかからない赤ちゃんとして可愛がられたが、前世の記憶を活かし類稀なる才能を見せ、まわりを驚かせていた。
大人びた子供だと思われていた5歳の時、18歳の騎士ダニエルと出会う。
成り行きで、父の死を悔やんでいる彼を慰めてみたら、うっかり気に入られてしまったようで?
歳の差13歳、未来の騎士団長候補は執着と溺愛が凄かった!
出世するたびにアプローチを繰り返す一途なダニエルと、年齢差を理由に断り続けながらも離れられないエミリア。
騎士団副団長になり、団長までもう少しのところで訪れる愛の試練。乗り越えたダニエルは、いよいよエミリアと結ばれる?
5歳で出会ってからエミリアが年頃になり、逃げられないまま騎士団長のお嫁さんになるお話。
ハッピーエンドです。
完結しています。
小説家になろう様にも投稿していて、そちらでは少し修正しています。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。
そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。
新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。
初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、別サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
とある虐げられた侯爵令嬢の華麗なる後ろ楯~拾い人したら溺愛された件
紅位碧子 kurenaiaoko
恋愛
侯爵令嬢リリアーヌは、10歳で母が他界し、その後義母と義妹に虐げられ、
屋敷ではメイド仕事をして過ごす日々。
そんな中で、このままでは一生虐げられたままだと思い、一念発起。
母の遺言を受け、自分で自分を幸せにするために行動を起こすことに。
そんな中、偶然訳ありの男性を拾ってしまう。
しかし、その男性がリリアーヌの未来を作る救世主でーーーー。
メイド仕事の傍らで隠れて淑女教育を完璧に終了させ、語学、経営、経済を学び、
財産を築くために屋敷のメイド姿で見聞きした貴族社会のことを小説に書いて出版し、それが大ヒット御礼!
学んだことを生かし、商会を設立。
孤児院から人材を引き取り育成もスタート。
出版部門、観劇部門、版権部門、商品部門など次々と商いを展開。
そこに隣国の王子も参戦してきて?!
本作品は虐げられた環境の中でも懸命に前を向いて頑張る
とある侯爵令嬢が幸せを掴むまでの溺愛×サクセスストーリーです♡
*誤字脱字多数あるかと思います。
*初心者につき表現稚拙ですので温かく見守ってくださいませ
*ゆるふわ設定です
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
宮廷の九訳士と後宮の生華
狭間夕
キャラ文芸
宮廷の通訳士である英明(インミン)は、文字を扱う仕事をしていることから「暗号の解読」を頼まれることもある。ある日、後宮入りした若い妃に充てられてた手紙が謎の文字で書かれていたことから、これは恋文ではないかと噂になった。真相は単純で、兄が妹に充てただけの悪意のない内容だったが、これをきっかけに静月(ジンユェ)という若い妃のことを知る。通訳士と、後宮の妃。立場は違えど、後宮に生きる華として、二人は陰謀の渦に巻き込まれることになって――
公爵子息に気に入られて貴族令嬢になったけど姑の嫌がらせで婚約破棄されました。傷心の私を癒してくれるのは幼馴染だけです
エルトリア
恋愛
「アルフレッド・リヒテンブルグと、リーリエ・バンクシーとの婚約は、只今をもって破棄致します」
塗装看板屋バンクシー・ペイントサービスを営むリーリエは、人命救助をきっかけに出会った公爵子息アルフレッドから求婚される。
平民と貴族という身分差に戸惑いながらも、アルフレッドに惹かれていくリーリエ。
だが、それを快く思わない公爵夫人は、リーリエに対して冷酷な態度を取る。さらには、許嫁を名乗る娘が現れて――。
お披露目を兼ねた舞踏会で、婚約破棄を言い渡されたリーリエが、失意から再び立ち上がる物語。
著者:藤本透
原案:エルトリア
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる