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【第3部】13章 切り裂く刃

9話 白い司祭

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 翌日。
 
 昨夜夢を見ながら泣きまくって、顔のコンディションは最悪。
 こんなに泣くなんて、一体何の夢を見たのやら……。
 
(今日は司祭様が来るのに……)
 
 帰ってから父の執務室に行った時、『明日はお前を推薦してくれた司祭様が来る』と言われた。
 というわけで、今日はその司祭様と会食……でも、正直今顔を合わせたくない。
 なんであたしなんかを推薦したのよ って、顔で言っちゃいそうだもの。
 
「お嬢様、司祭様がいらっしゃいました」
「!」
 
 気怠い気持ちをどうにか抑え込みながら立ち上がり、玄関ホールへ向かう。
 ホールには父と母が並び、そばには家令のハンスが立っている。
 司祭様はまだ入ってきていない。
 
 ――あー、今景気悪い顔してるし、「そんな不吉な聖女はごめんです」とかいってポシャらないかしら。
 
 いつものように自分勝手で他力本願な考えだけが頭を巡っている。
 こんなあたしが聖女だなんて、不適格もいいところ。
 
 扉が開く音がしたので、全員一斉に頭を下げた。
 コツコツと靴音がして、視界に男性の黒い靴が映り込む。
 
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「司祭様、サンチェス伯領にようこそいらっしゃいました。私はエルネスト・サンチェスと申します」
「ルイーザ・サンチェスですわ。こんな何もないところ……お恥ずかしいですわぁ」
「…………」
 
 よその司祭様相手でも、母は領地を下げるのに余念がない。
 
「!!」
 
 瞬間、父や家令のハンスからまたあの薄黒い煙が湧き出た。
 煙は1階天井の高さくらいまで舞い上がり、スイッと泳ぐように廊下を疾走していく。
 
「いえ、ここはとても穏やかで良い所ですよ」
「!」
 
 ――いけない、あれに気をとられている場合じゃない。今は司祭様の応対をしないと。
 ていうか、まだ顔もハッキリ見ていない。いくらなんでも失礼だわ……。
 
「……!?」
 
 心ここにあらずだったためにぼやけていた視界。
 しかし視点を司祭の姿に定めた途端、司祭以外の全てがぼやける。
 
 ミランダ教の高位司祭。
 聖銀騎士随伴、穏やかな人柄の司祭。
 若くして既に司教候補なのだと、聞いた――。
 
「初めまして、ベルナデッタ嬢。私は、イリアス。イリアス・トロンヘイムと申します」
「あ……」
 
 呼吸が止まりそうになる。
 
 イリアス――光の塾の司教"ロゴス"だった男。
 全ての元凶ともいえるその男が、白い立派なローブを身にまとった「ミランダ教の司祭」として眼前に現れたのだ。
 以前会った時の彼は長い黒髪をゆるく結んで肩から垂らしていたけれど、今日はそれをきっちりと高い位置で結い上げている。
 
「どうした、ベルナデッタ。ご挨拶を」
「は……はい。ベルナデッタ・サンチェスと申します。わ、わたくしを推薦してくださって、ありがとうございます。……イリアス、様」
 
 声が震える。
 全く平静を取り繕えないのを「位の高い司祭様とお会いして緊張しております」なんて言ってごまかすと、"司祭"イリアスは「そんなに緊張なさらないで下さい」とニコリと微笑む。
 一見優しげだが、その笑顔には何の感情も宿っていない。
 隊長を殺した時のあの笑顔と、全く同じ――。
 
 
 ◇
 
 
 会食、そしてその後のティータイムは一言で言って地獄だった。
 ……といっても、それはイリアスのせいではない。
 
 母だ。
 
 サンチェス家の当主である父を差し置いて、母がずっと喋り通し。
 
 イリアスが料理を「とてもおいしいです」と褒めれば「無理に褒めていただかなくていいんですのよ。田舎料理は味気ないでしょう」と返し、デザートに出されたぶどうのゼリーに対しても「馬鹿の一つ覚えみたいにぶどうばかりで……レザン地方のものと比べて味が劣るでしょう? お恥ずかしいですわ」とけなす。
 
 それに対しイリアスが「民が精魂込めて育て、シェフが心を込めて作ったものをそのように言うものではありませんよ」とたしなめる。
「かつてノルデンの大災害で飢えを味わった者として、私は食に携わる方には特に敬意を払っているのです」とも。
 そこまで言われて母はようやく「そうでしたわね、申し訳ありません」と詫びを入れた。
 が……。
 
「私、正直で昔から嘘が言えない性格なんですの」
 
 その言葉を皮切りに、「嘘がつけずズバズバと正直に言ってしまう性格」のせいで、いかに人の誤解を招いて生きるのに苦労してきたかという話が始まる。
 こうなったらもう、母が満足するまで止まらない。
 イリアスはニコニコ笑いながら相槌を打っている――迷惑そうな表情は見せていないけれど、恥ずかしくてたまらない。
 イリアスが光の塾の司教であるということはひとまず置いておいて、"司祭様"は、あたし――自分が聖女に推薦した人間の今後について話しに来たのであって、断じて聖女候補の母の「人生譚」を聞きに来たわけではない。
 
 ここで母をたしなめることができるのは、当主である父だけ。
 でもいつものように何も言わないし、それどころか……。
 
(お父様……?)
 
 昨日会った時から思っていたけれど、父の様子がおかしい。
 あたしは父とはほとんど言葉を交わすことはないから、正直言って父の人となりを知らない。
 それでも、どう見てもおかしいと分かる。
 母が「いつにも増して辛気くさい」と言っていたけれど、そんなレベルじゃない。
 
 視線は虚空をさまよい、目の焦点も合っていない。
 粗雑な造りの蝋人形のように表情がなく、顔も青白い。
 
(あ……!)
 
 母がまたこのサンチェス伯領を腐すような一言を発すると同時に、父からあの薄黒い煙が大きく舞い上がり、食堂の外へと吸い込まれていく。
 ……さっきからずっとこれだ。
 母が何か悪口と文句を言う度に、父から、ハンスから、給仕から、料理人の控える調理室から、あの煙が吹き出る。
 
「……ご存じかとは思いますが。お嬢様が聖女様となられた暁には名前が封印されてしまい、その間全ての人の記憶から――」
 
 イリアスが会話の中からとっかかりを見つけ、なんとか流れを修正しようとする。
 彼は不気味な男だ。残忍で、目的のためには手段を選ばない悪人だ。
 でも今この場面に限って言えば、逆に彼の存在がありがたいとすら思ってしまう。
 
「あらあら、大丈夫ですわ。母親である私が、お腹を痛めて産んだかわいい我が子を忘れるわけないじゃありませんのっ!」
 
 そう言いながら母は自分の胸の辺りを拳で叩いてからあたしに向きなおり、満面の笑みで「ね、ベルちゃん」とウインクをする。
 
「………………」
 
 何も返せず、表情も作れない。
 
 ――嫌だ。無理。
 さっきの動作も台詞も、正直言って罵倒よりもきつい。
 
 ……そう思った次の瞬間、あたしの身体からあの薄黒い煙がもわりと立ち上る。
 
(え……!)
 
 間違いじゃない。ハッキリと視認できる。
 だけど視えているのは、あたし、だけ――……?
 
「!!」
 
 ふと見ると、イリアスも同様にその煙を目線で追っていた。
 他の人から立ち上ったそれと同じように、食堂の扉の方に吸い込まれていったのを確認したあと、彼はあたしの方を見てにっこりと笑った。
 
 今の笑みは何?
 この現象はまさか、彼が関連しているの? それとも全然無関係の何か……?
 
(駄目……!)
 
 全然、分からない。
 
 あたしや父、そして屋敷の者から立ち上る瘴気しょうき、聖女様の跡継ぎ問題、そして、目の前に現れた司祭"イリアス"……。
 
 全ての事象が重すぎる。
 何をどうすれば、切り抜けられるの。
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