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【第3部】13章 切り裂く刃

3話 破滅のエチュード(後)※暴力描写あり

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「な……なぜ……」

 自分が出したはずのゴーレム達が、目を光らせながらこちらに迫って来る。
 なぜなのか理解できない。考える余裕もない。
 顎が割れ、歯が転がっている。頭蓋も割れたかもしれない。脳が撹拌かくはんされ、思考は全て痛覚の方に割かれる。

「『魂の前で無礼を働いてはいけない』――この間、君は学習しなかったの? それは血の宝玉に収まっても、宝玉ごとゴーレムという素体に入っても同じこと。理性のないむき出しの心は、怒りを制御することはない。皆、君の無礼に腹を立てているんだよ。そもそも……」
 
 ロゴスが額の紋章を光らせると、ゴーレムの動きが停止する。
 
「ゴーレム達は土で出来ている。そして彼らは、僕の土の紋章から作り出したもの……つまり彼らにとっては僕こそが"主人マスター"というわけだ」
「あ、う……」
 
 アーテの胸元にある血の宝玉が光り、側頭部に熱がほとばしる。
 灼けるような熱さだ。ボコボコという音とともに身体のどこかから血が湧き上がり、傷が、骨までもが修復していく。
 何もかもが元通りになるのを見届けたあとロゴスはしゃがみ込み、いつものように笑みを浮かべながら「アーテ」と呼びかけてきた。
 
「……君が"アーテ"として僕のもとに来た時、1つ約束をしたね? 『日記をつけておくように』と。そうでなければ、お姫様の名前は取り上げだと。……僕を蔑み、時には頬を叩きながらも、お姫様でいたい君はそれに従い日記を書き続けた。8年間、よく続いたものだ」
「…………」
「日記には、よく僕の悪口を書いていたね。ロゴスが私に命令をした、ロゴスがこう言った、ロゴスの考えていることは分からない、でもロゴスには従わなければならない。ロゴス、ロゴス、ロゴス……」
「…………」
 
 この男は、一度こうやって頭の中にあることを喋り出すと止まらない。結論に行き着くまで、ずっと聞いていなければいけないのだ。
 いつも苛々していた。都度都度「結論から言え」と頬を打ちつけていた。下等なカラスへのしつけのつもりだった。
 しかし今それをすれば、また踏みつけにされるか、今紋章の力で停止しているゴーレムをけしかけるなどしてくるだろう。
 ――黙って聞くのが賢明だ。
 
「ねえ。"ロゴス"というのは、一体何だろうか?」
「……は?」
「何だと思う?」
「…………。"真理"、でしょう」
 
 ロゴスは"真理"。ことあるごとにこの男がそう言っていた。
 
 ――何だろうかとは何だ。
 この問答こそ、何の意味があるのだ。
 いつも勝手に長台詞を喋り出したかと思えば、こうやって謎かけなんかをしてくる。
 うんざりだ。さっさと喋れ。
 
 心の中でそう吐き捨て睨みあげると、ロゴスはまたニコリと笑った。
 
「そう。ロゴスは真理。そして、真理とはただの単語にすぎない」
「……もう!! 何よ! 何が言いたいわけ!?」
「君は、君の頭の中にだけ存在する"真理"という概念に突き動かされ、狂気じみた宗教の司教になり、罪なき子供の命を刈り取り、何の力も持たぬ中年男に捧げ続けた」
「な……!?」
 
 アーテの頭に手をポンと乗せて、ロゴスは微笑む。そして、額の紋章を光らせ――。
 
「おめでとう。君は真理に辿り着いた。今日から君が"ロゴス"だよ」
「……ぅあ、あ、あ……!」
 
 頭の中の何かが白んで消えていく。
 この感覚を知っている。8年前、この男と"アーテ"として契約したときと同じ……。
 
「……さて。やっとこんな"役"を降りられる。仕上げといこうか」
 
 "ロゴス"だった男が指を鳴らすと、動きを止めていたゴーレム達が一斉に地鳴りのような音を立てて動き始める。
 
「ひっ……!」
「待たせてごめんね。さあ、君達を使い潰し、冒涜し続けた許されざる女……好きなだけ刑罰を与えてやるといい」
「い、嫌、……お願い、許して! 私っ……!」
「ふふっ、いい顔だ……綺麗だよ。やはりヒトはこの瞬間が最高に美しい」
「え……」
「僕はね、救いとわずかな光を求めて、足掻あがいて、もがいて……だけどそれがないと分かって絶望した人間の顔を見るのが、大好きなんだ……!」
 
 台詞を言い切った男はまた指を鳴らし、部屋を覆うツタを消す。
 そして歪んだ笑顔で「君の亡骸にはどういう花が咲くのだろう」などと言いながら部屋中に何かの種を撒き散らした。
 
「あ……」
 
 ――駄目だ。この男は、想像の上をいく狂人だった。

 自分は間違っていた。

「君をお姫様にしてあげる」などという甘言に乗せられこの男についてきたばかりに、自分はこれから泥の怪物に叩きのめされ、名前も本来の自分も失って完全にこの世から消える。

 しかし何を悔いても、誰に何を詫びればいいのか分からない。

 何もかもが、もう、手遅れ――。
 
 
 ――――――――……………………
 ――――――……………………
 ――――…………
 ――……
 
 ゴーレムに刑罰を下される女を見ながら、男はぶどうを一粒、また一粒とつまむ。
 
「アーテ……いや、今はロゴスか。まあ、呼び慣れた名で呼ばせてもらおうかな。

 君は銀髪蒼眼の父と黒髪灰眼の母の元に生まれた。 
 平民であるお母さんに一目惚れした君のお父さんは貴族の身分を捨て、お母さんと結婚した……ロマンチックだね。
 だがお祖母様はそれを気に入らず、ずっとお母さんを『息子を寝取った薄汚いカラス』と蔑み、お父さんがたしなめても聞く耳を持たなかった。

 君が生まれてからもそれは続き、あろうことか君を使って嫁いびりを。
 身の丈に合わない贅沢品を買い与えて徹底的に甘やかして懐柔して、さらに『本当はお前はお姫様だったのに』『お前がこんな貧乏暮らしなのはあの女のせい』なんて吹き込んで……お姫様になりたかった君はそれをすっかり信じ込んで、お祖母様と一緒にお母さんを"躾けた"ね。
 
 貴族原理主義であった君のお祖母様はやがて『銀の月の民帰還の会』なんていう、貴族の復権を目指す者の集まりに君を連れて行き、君をその思想に染め上げた。
 それに気づいたお父さんはついにお祖母様を叩き出したが、時既に遅し。
 『お父さまはあの女に洗脳されている』『お祖母様を追い出したのはあの女だ』なんて周りに吹聴して……それでもお母さんは君と分かり合おうと言葉をつくしていたが、とうとう我慢の限界が来て、君を階段から突き飛ばした。
 
 ああ、かわいそうに。
 君はお祖母様の教えに従っていただけなのに。
 お母さんは君を殺そうとしたのに、お父さんはそれでもお母さんの味方をして、あろうことか君を修道院にたたき込んだよ。
 
 ――修道院の連中も酷かったね。
 質素な暮らしに質素な食事。誰も君に素敵なドレスや靴を買ってくれず、地味な黒い服を着せられて。家ではやらなくてよかった下女のような仕事をさせられ、手は荒れ放題。
 お祖母様の教えの通りにカラスを区別して躾けようとすれば、都度都度シスターが君とお祖母様の考えを否定した。
 『人は平等。貴女は嫁いびりと、貴族主義のプロパガンダにていよく使われていただけなのよ』だなんて……ああ、本当に酷いね。
 
 ねえ、君が最も愛していたお祖母様は、山の上の粗末な修道院で誰にも看取られることなく孤独に死んだよ。
 君の更生を信じていた両親も、君が"アーテ"となった瞬間、たちどころに君を忘れた。
 愛してはいても、心の底ではやっぱりいなくなって欲しいと思っていたんだね。
 お母さんは君との関係に疲れ切って心を病んでいたが恢復かいふくして、お父さんとの間に今度は黒髪の女の子を授かって幸せに暮らしているよ。
 女の子――君の妹は誰にも蔑まれることなく、愛されて育っているようだ。
 よかったね。君がいないから、みんなが平和で幸せだ。
 
 ああ、かわいそうに。かわいそうだ。
 
 ……でも、君はちゃんと愛されていたし、君を正しい方向に導こうとしていた。
 やり直す機会は何度も与えられていたのに、それをね付け続けたのは君だよ。
 
 君の名前はロゴスに書き換わる。
 アーテとしての君も、両親が望んで授かったはずの君も、全て忘れられる。
 君に関する記憶も記録も消えるよ。
 
 君はみんなの嫌われ者。
 両親ですら忘れ去る君を、誰か覚えていたいという者がいるだろうか?
 



 ……アーテ? 
 
 ねえ、
 
 聞いてくれてる?」



 ◇


 全ての命をあざけり踏みつけにし続けた女は、破壊と再生を繰り返しやがて完全に果てた。
 先ほどイリアスが撒いた種は彼の魔力により一気に成長し、小さな白い花を咲かせた。

「ノースポール……花言葉は、"高潔"。なるほど……君は『銀の月の民』の、高潔なお姫様というわけだね」

 食べ終わったぶどうの載った皿を持って立ち上がり、イリアスは肩を震わせて笑う。そして、

「馬鹿じゃないかな?」

 一言そう吐き捨て、転移魔法で消えた。

 後に残されたのは、色の消えた命の玉と泥の塊、そしてこれから"ロゴス"として始末される女の亡骸。
 赤い部屋、白い花園――"高潔"を意味する花「ノースポール」が、その中心にいる女の死をいたむように、風もないのにゆらゆらと優しく揺れた。
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