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◇10-11章 幕間:番外編・小話

神とロゴス

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 暗闇の底、命の育みのない空間の冷たい土壁に、1人の男がはりつけにされていた。
 下半身と両腕は固まった土壁に埋められ、上半身と顔だけが露出する異様な姿態。
 日の射さないその空間は、自分がこうなってどのくらいの時が経過しているかを数えることも叶わない。
 
 男の名は、ニコライ・フリーデン。
 そして彼をここに縛り付けたのは、"ロゴス"だった。
 かつて彼は幼い"ロゴス"に勉強を教えていた。
 覚えが良い上、年下の子の面倒をよく見てくれる優しい子だった。
 塾を開いてからも同輩の紋章保持者とともに自分の補佐として"光の塾"を引っ張ってくれた。
 
 しかし――。
 
「神よ……私の声が、聞こえておりますでしょうか」
 
 長い黒髪をたなびかせながら、ノルデン人の青年がやってきた。
 青年は時折ここへやってきては彼に"食事"をさせ、蕩々とうとうと何かを語って去って行く。
 "食事"とは、光の塾の信徒の魂、あるいは聖者の心臓だった。この"食事"だけが彼の命を繋いでいた。
 どれくらいのスパンか分からない次の"食事"が届くまで、彼は飢餓状態で無為に生かされている。
 
「神よ、我らが神。お伝えせねばならぬことがあります」
「…………」
 
 青年が両手を広げ、大きな声で高らかに告げる。
 舞台俳優のごとき立ち居振る舞い――目線はいつもどこにあるのか分からない。
 
「我ら光の塾の最後の砦であるロレーヌ支部が見つかってしまいました。"天使"は粗方避難させましたが、"天使候補生"はヒトの手に。ゴミはまとめて処分しました。……というわけで、この先貴方の"食料"を用意できなくなりました」
「…………」
「私はずっと考えておりました。"あの方"の命令で貴方を"神様"としてつなぎ止めるため信徒の魂を捧げてきましたが……それはとても不毛ではないかと」
「…………」
「一部私の利害と一致していましたので言われるがままに行動しておりましたが、それももう終わりです。あなたの命はここでついえる……解放されるのです」
「…………っ」
「……おや、口を開くとは珍しい。もしや私に神託をくださるのですか、神よ」
 
 青年は柔らかく微笑みながら顔の横に長く垂らした髪を耳にかけ、耳をそばだてる。
 
「……ぁ、ァ……」
「はい? ……ああ、そうでした、喋れないのでしたね」
 
 青年が目を閉じて額の紋章を光らせると、いつか「誰か」に掻き切られた喉元の傷が癒えていく。
 
「……さあ、これで話ができるはずです。どうしましたか、我らが神よ」
「…………お」
「はい?」
「おまえは……だれ……だ」
 
 いつぶりか分からない発語は、うまく音を紡ぎ出せない。
 それでも乾ききった喉からようやく言葉を絞り出すと、目の前の青年は一瞬きょとんとした顔をしてすぐにまたいつもの微笑みを浮かべた。
 
「おかしなことをおっしゃる。私はロゴスです、神よ」
「ちがう……おまえ、など、しらない……」
「……貴方の知っているロゴスは死にましたよ。今は私がロゴスです」
「……な、なに、を」
「お忘れですか、神よ。貴方をその姿にして縛り付けているのはあのお方――先代の"ロゴス"様ですよ」
「……ち、が……、かはっ」
「おやおや、これは……本当にお忘れのようだ。縛られすぎて良い時代の記憶だけがリフレインしているのかな? これでは先代も浮かばれない。少し、お待ちくださいね」
 
 そう言うと青年は転移魔法で姿を消し、しばらくののち、新聞を手に戻ってきた。
 そして新聞を広げ、とある記事を指さして見せる……それは、光の塾に属していたとある男の日記だった。
 
「覚えておいでですか、この塾生を。名前は確か……そう、パオロでしたね。"神使しんし"でした」
「…………」
「この日記にある通り、神使パオロ殿は脱退をしようとしました。そののち全ての罪を明らかにするつもりだったようですがそれは叶わず、捕らえられ拷問の末に死にました……貴方の命令で」
「…………ち、ちが」
「いいえ違いません。貴方は傍にいる部下に目をやりながら『神罰を下さねばならぬ』と言いました。それは『捕らえよ』という命令に他なりません……それで先代の怒りを買ったことをお忘れでしょうか」
「……パオ……ロ」
 
「先代とパオロ殿は、光の塾が始まるより前からの幼なじみでした。先代は"ロゴス"という"聖なる御名"を名乗り始めたことで過去の記憶を失いましたが、パオロ殿が自分がいない間に殺されていた事実にショックを受け記憶が戻りました。先代がこの新聞にあるパオロ殿の日記を手に貴方を問い詰めた時、貴方は何と言いましたか」
「…………」
 
「『私は殺せなどと命令していない』『全部部下が勝手にやったこと』……貴方はそうおっしゃいました」
「いって、いな……」
「言いましたよ。……また、先代は聖なる御名――"ロゴス"という名を自ら名乗りましたが、それは貴方が先代の前でしきりに『私は無能なので聖なる御名を名乗れない』『誰か魔力と求心力のある者が名乗ってくれればいいのだが』と漏らしておられたからこそ。貴方は、自分を敬愛する先代の気持ちを利用したのです。……そして、パオロ殿の件を問い詰められた貴方は、聖なる御名の件と併せて『私は命令していない』『お前が勝手にそんな大それた名前を名乗りだした』と手のひらを返し、最後には『前々からお前達はやりすぎだと思っていた』と怒鳴り散らしましたね」
「……あ……う」
 
「敬愛する貴方に裏切られ怒り狂った先代は貴方をめった刺しにして、ご自身の命を魔器ルーンにして貴方に禁呪――不死の呪いをかけました。その日を境に光の塾はあなたの魂を現世に縛り付けるため祈りを捧げる機関になりました。お忘れですか」
「ぐ……」
「祈りは力。そして、祈りは縛りでもあります。皆が神たる貴方を信じて祈りの言葉を唱えれば、それだけ貴方は生き長らえます。そして……死こそが救済というわけです」
「……がっ、ぐ……」
「喉の調子がお悪いですか? 最後の晩餐は喉にいいものにしましょうか……?」
 
 言いながら、"ロゴス"と名乗る知らない青年は握った手をあごに当てながらくつくつと笑う。
 
「さい、ご……」
「はい。先ほど申し上げた通り、貴方を生かす手段がないのです。先代の呪いも永遠ではない……ですから貴方はこのままここで死んでください」
「……な」
「聖銀騎士とやらに見つかるのが先か、貴方が衰弱死するのが先か……どちらにせよ貴方はきっと後世まで名前が残ります。『信徒の魂を喰らいながら永遠を生きようとした神もどきの男』とでもなるでしょうか? そうすれば、先代の復讐も果たされるでしょう。私ももう、くだらぬ役をやらなくて済むのです」
「だれ、だ……、おまえは、だれだ……!?」
 
 渾身の力で言葉を絞り出した。
 自分がここに磔にされてから目の前に現れるようになったこの青年を彼は知らない。
 死ぬ前に、この得体の知れない男の正体をどうしても知りたかった。
 
「"誰"とは? 貴方にとって、他者の名前などどうでもいいことでしょう。貴方は自分に益をもたらす者の名しか覚えないのですから」
「…………」
「私は"ロゴス"ですよ。貴方が"神"となった日、先代の周りにいました。先代が死の間際に私を選び、その御名と記憶を継承して……とばっちりで"ロゴス"にされてしまいました、全く迷惑な話です」
「おまえは、だれだと、きいている!!」
「"ロゴス"という聖なる御名を授かり通常なら記憶を失うところですが、私は失わなかった。この額の紋章のおかげでしょうか」
 
 額の紋章を光らせ、黒髪の青年は柔らかく微笑む。
 
 ――また勝手に聞いてもいないことを喋り出す。
 何なんだ、この男は。もううんざりだ、一人芝居など聞いていられない。
 もう一度声を出そうと息を吸うと、彼が言葉を発するより前に青年が口を開いた。
 
「名乗ったところで貴方は知らないでしょうが、一応自己紹介させていただきましょうか」
「がっ……!?」
 
 青年はニコライの首を突如つかみ、ギリギリと片手で締めながら満面の笑みを浮かべた。
 
「私の名は、イリアス。イリアス・トロンヘイムと申します。初めまして、神よ。そして――」
「がっ、ぐぁ……ッ」
 
 数秒首を絞めたあと、イリアスと名乗った青年はニコライの首を押し出すようにして放す。
 それまで何の感情も持っていなかった彼の笑みは、狂気と怒気を孕んだものになっていた。
 
「……さようなら、神……いえ、ニコライ・フリーデン。神を気取った愚かなヒトよ。新たな時代は、私が創る――」
 
 そう言い捨てイリアスは転移魔法で姿を消し、その場にはニコライだけが残された。
 
 祈りの力も"食事"もなくした光の塾の"神"ニコライは、そのまま2日と持たずに渇ききって死んだ。
 そして数日後の新聞には「異教の教祖、ニコライ"だったもの"を発見」と記された――。
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