上 下
213 / 385
10章 "悲嘆"

9話 "真理"

しおりを挟む
『うるさい!! お前なんか知らないよ!!』
『ルカ! やめろ! 何やってるか分かってんのかよ!?』
 
 ――どうして、みんな、みんな、わたしを否定して怒るの。
 
「…………」
 
 ヒトの街を、わたしはまた1人で歩いている。
 歩きながら幾度も耳に入るのは、"光の塾"の話。
 
「この人結局どうなったんだろうな~?」
「この先の日記書かれてなかったんだろ? やっぱ消されたんじゃね?」
「ひえーっ……カルト宗教こっわ……」
 
「…………」
 
 昨日も一昨日も、その前の日も、どこかで誰かが何かの紙を手に、光の塾の話で盛り上がっている。
 みんな神様を否定して笑い合っている。
 
「オッサンが神なわけないじゃん……普通分かるよな?」
「うーん……でも弱ってるときに『悩みを聞いてあげる』って優しくすり寄られたら、どうなるか分かんないわよね」
「まあそうか……」
「子供なんて、ずっと閉じ込められてたら分からないんじゃない?」
「……ひでえよな。親に売られたり、さらわれたり」
「なんでもないおじさんをずーっと信じてた上に、実は自分たちの組織が人さらいと人殺しの集団だったなんて酷い話……」
「確かになぁ……ここにいる子供ってどうなるんだろな。記憶ない子もいるんだよな」
「また孤児院に入れられるのかしら。たらい回しみたいでかわいそうね」
「だな……」
 
「…………」
 
『かわいそう』――それは人を哀れむ言葉。
 あそこにいたことは、駄目なこと? わたしはかわいそう?
 何も分からない。誰も教えてくれない。
 フランツがいない。レイチェルも、今どこにいるか分からない。
 ジャミルは闇の剣を持っていた時より怒っていたし、グレンは"あちらの世界"へ行ってしまった。
 
(お兄ちゃま……)
 
 あの人――アルノーという人、お兄ちゃまだと思ったのに違った。
 夢の中のお兄ちゃまにそっくりだったの。同じ紋章のぬくもりだったの。
 でも、『お前なんか知らない』って。
 グレンは怒らなかったけど、あの人はすごく怒ったの。
 
「…………っ」
 
 涙が勝手に流れる。
 今の自分の状態が分からない。何も分からない。
 どうしたらいいの。どう、したら……。
 
 ――だけれどこれは言っておくよ……ヒトの世に堕ちれば君は苦しむ。あの時僕の言う通りにしておけば良かったと悔いるときが来る。
 
「…………」
 
 不意に、頭の中をあの人の言葉がよぎる。
 ――そうだ。これはきっと"苦しい"という状態。
 本当だ。ヒトの世は、汚い。言う通りに、しておけば良かった。
 
 ――でも大丈夫、その時には僕を思い出して僕の名を呼んで欲しい。いつでも迎えに行くよ。
 
「司教、さま……」
 
 ――覚えておいて……僕の名前はロゴス。
 
「ロゴス……」
 
 ――"ロゴス"は真理――僕は、いつだって真実しか言わない――。
 
「ロゴス、さま……ロゴスさま……」
「――呼んだかな?」
「!」
 
 声がしたかと思うと、わたしの目の前に光が集まり人の姿を成す。
 光が消えると、司教ロゴスが姿を現した。
 
「あ……」
「やあ、天使ルカ。僕を呼んでくれたんだね。嬉しいよ」
 
 そう言って、司教ロゴスはにっこりと笑う。
 
「…………っ」
 
 涙が出る。
 久しぶりに、人の笑顔を見たからだ。
 砦のみんな、ずっと難しい顔をしていた。誰も、笑いかけてくれない。
 
「どうしたのかな、ルカ。……ああ、泣かないで。君の泣き顔は見たくないよ……」
「ロゴスさま、ロゴスさま……」
 
 ロゴスさまに抱きしめられ、わたしはそのまま泣き続けた。
 泣くのは不完全な"ヒト"の証。でもロゴスさまは何も言わない。
 どうしてだろう。前に抱きしめられた時は冷たく恐ろしいと思っていたのに、今は温かい。
 ……ああ、きっと前のわたしは間違っていた。
 ロゴスさまが恐ろしいなんて、あるわけがない。だって彼は"ヒト"じゃないんだもの。
 
「ロゴスさま……光の塾は……」
「ああ、悪魔達に見つかってしまった。僕は天使達を連れて逃げようとしたのだけど、限られた人数しか連れてこられなかったよ」
「…………」
「多くの天使候補生も天使も、悪魔に捕らえられてしまった。彼らは"ヒト"の世に放り込まれ、穢れてしまうだろう」
「……わたしの所にも、悪魔が。それで、神様なんていないって、神様はニコライという犯罪者だって言うんです」
「……ああ……なぜ、そんな酷いことが言えるのだろうね」
 
 身を離しロゴスさまを見上げると、彼は目を細めてわたしの頭を撫でた。
 
「神様は……神様は、いますよね?」
「もちろんだとも。僕は真実しか言わない」
「神様はいないって言う悪魔と、わたしは戦ったのに、ヒトはわたしを怒るんです」
「ルカ……神の声は、司教である僕だけが聞くことができる。それは他の者には聞こえないんだ、ましてやヒトであれば当然のこと。……しかし、だからと言って否定するとは……」
「ロゴスさま……」
「ルカ、君にヒトの最も卑劣な所業を教えておいてあげよう」
「卑劣な、所業……?」
 
 ロゴスさまは、わたしの頬を両手で包み柔らかく笑いながらうなずく。
 
「ヒトは、ヒトを壊すんだ」
「壊す……」
「君は壊し方を知っている?」
「え……? いえ」
「そうだろう、君はそんなことを知らなくて当然だ、天使だからね。ヒトの壊し方……それは、ヒトの"信仰"を否定し、まやかしだと証明することだよ」
「まやかし……?」
「そう。神でも、人間でも、モノでもいい。ヒトが心の拠り所にしているものを、ないものとするんだ。妙な理屈をこねて、時にはでたらめな言葉で畳みかける。……自身の大事な信仰を否定された者の心はズタズタになってしまう。ヒトは時に平気でそれを行うんだ。他者が信じているものが気に入らない……ただそれだけの理由で」
「あ……」
 
 あのセルジュというヒトもそうだった。そして、アルノーというヒトも、お兄ちゃまを否定した。
 アーテというヒトは花を枯らした。
 それにグレンも「神なんかいない」って。
 
 みんな、わたしの、大切な、ものを。
 
「みんな……汚い、ヒト、悪魔……」
「ルカ……穢れを払うために早急に戻らなければ君も悪魔になってしまう」
「わたし、わたしは……でも、わたしは……」
 
『お花は枯れちゃったけどさ、思い出は残るよ。この絵の中だけど、生きてるよ』
『ベル姉ちゃんとルカ姉ちゃんがずっと一緒にいてくれて、みんなであったかいごはん食べられて、おれ楽しかったよ。手紙書くからね』
 
 楽しいことがあった。嬉しいことがあった。本当にそれは罪深いこと?
 
『新しく植えた花が咲いたら、姉ちゃんも絵を描いておれに送ってね』
 
 新しいお花が咲いたら、絵を描いてフランツに送るって、約束した。
 一緒に見られないけど、きっと喜んでくれるはず。わたしも嬉しい。
 
「も、戻る……と、感情は、なくなる、ですか」
「そうだね。もう苦しまなくてもいい」
「でもわたしは自分で、喜びを、見つけ――」
 
 言いかけたところでロゴスさまが首を振り、わたしの頬に手を当て微笑む。
 
「ルカ。僕も昔はヒトだったから、その気持ちは分かるよ。自分で喜びを見つけることは何にも代えがたい充足感がある」
「はい……」
「だけれど、それは同時に苦痛も伴う。喜びを見つけてもヒトや悪魔が奪い去ってしまうことがあるし、見つからないことだってある。その苦しみと悲しみは計り知れない……一体誰がそれを癒やして包んでくれるだろうか」
「…………」
 
 わたしの両肩を持ち、ロゴスさまはわたしの顔を正面から見つめる。
 グレンと同じ灰色の眼が、吸い取るようにわたしを捉えた。
 
「そこで我らの神は考えたんだ。それならば喜びを一つにしてしまえばいいのではないか、と。……神に祈り、神に尽くせば一定の喜びが与えられる。自分で見つけ出すよりも充足感はないかもしれないが、見つからなかった時の苦しみを味わわなくても済むんだ」
「…………」
「ルカ。君の見つけた喜びは奪われてしまったんだろう?」
「はい」
「悲しかっただろう?」
「……はい」
「君の言葉は周囲の理解を得られなかったんだね?」
「…………はい」
「辛かっただろう。苦しかっただろう?」
「……はい。……はい……っ」
 
 涙が止まらない。泣きすぎて胸が、息が苦しい。
 
「今一度問う、天使ルカ。……僕のもとに戻ってくる気はあるかい?」
「……」
「君の感情という穢れを洗い流し、また共に神に祈ろう」
「……でも、光の塾は……悪魔に奪われて……」
「場所は大事ではないよ。僕達が集まり神に祈れば、そこが聖地だ」
「…………」
「さあ、おいで、ルカ。苦しみも、悲しみも全て忘れさせてあげる」
「あ……」
 
 ロゴスさまがわたしの頬を両手で包み、わたしをまっすぐに見つめる。
 灰色の眼……グレンと同じの……でも、彼とは違う。
 透き通った、清流のような眼――。
 
 彼が眼を閉じると、額に何かの紋様が浮かび上がった。
 岩のような絵柄――これは、土の紋章?
 紋章は、額にも宿るの? 手の甲だけじゃないの?
 
 ――ああ……見ていると意識が、心が吸い取られる。
 わたしはまた、天使に――。
 
「駄目だよ!」
 
(……え……?)
 
 誰か男の人の叫び声が聞こえて、わたしは意識を引き戻された。
 ――誰? グレンじゃない、ジャミルでも、カイルさんでも、フランツでも……。
 
「駄目だ、そいつについて行っちゃ駄目だ!」
「……あ……」
 
 そこに立っていたのは、数日前会ったジャミルの友達――アルノーという人だった。
 
 ……わたしを、お兄ちゃまを否定した、悪魔。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

愛する貴方の愛する彼女の愛する人から愛されています

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「ユスティーナ様、ごめんなさい。今日はレナードとお茶をしたい気分だからお借りしますね」 先に彼とお茶の約束していたのは私なのに……。 「ジュディットがどうしても二人きりが良いと聞かなくてな」「すまない」貴方はそう言って、婚約者の私ではなく、何時も彼女を優先させる。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 公爵令嬢のユスティーナには愛する婚約者の第二王子であるレナードがいる。 だがレナードには、恋慕する女性がいた。その女性は侯爵令嬢のジュディット。絶世の美女と呼ばれている彼女は、彼の兄である王太子のヴォルフラムの婚約者だった。 そんなジュディットは、事ある事にレナードの元を訪れてはユスティーナとレナードとの仲を邪魔してくる。だがレナードは彼女を諌めるどころか、彼女を庇い彼女を何時も優先させる。例えユスティーナがレナードと先に約束をしていたとしても、ジュディットが一言言えば彼は彼女の言いなりだ。だがそんなジュディットは、実は自分の婚約者のヴォルフラムにぞっこんだった。だがしかし、ヴォルフラムはジュディットに全く関心がないようで、相手にされていない。どうやらヴォルフラムにも別に想う女性がいるようで……。

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

処理中です...