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9章 壊れていく日常

◆エピソード―カイル:消えた友人

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「……え? グレンが?」
「そう、いなくなっちゃったのよ……」
「…………」
 
 ある日、久しぶりにマードック武器工房に訪れるとおかみさんにそう告げられた。
 俺は数年前に竜騎士を辞めて冒険者をやっている。
 そしてグレンは黒天騎士団に入り、短期間で将軍まで上り詰めて……激務のためほとんど会うことができなかったので自然とここへ来る回数も減っていた。
 
 話によると、ある日急に騎士を辞めて消息を絶ってしまったという。
 親方にもおかみさんにも何も言わず、店の入り口に親方の打った剣と大量の金が詰まった鞄だけが置いてあったらしい。
 
 あいつは急に仕事を投げ出す奴じゃない。
 会わない間にあいつに何があったんだろうか?
 前会ったのはいつだったか……ひどく疲れた顔をしていた。
「大丈夫か」と問うと「寝てないだけだ、大丈夫だ」と返ってきて、それ以上何も聞くことはできなかった。
 
 ――あいついつも「大丈夫」「別に」「なんでもない」って言うんだ。でも全然大丈夫じゃない。
 あいつは感情があまり顔に出ないけど、騎士団にいるあいつはいつもつまらなそうだった。
 スカウトされたから入っただけで、本当は嫌だったのかもしれない。
「そんなに嫌なら辞めろよ」とか言ってやればよかっただろうか?
 でも、頑張ってるのにそんなこと軽々しく言えないじゃないか。一体どうするのが正解だったんだろう?
 
「ねえ、クライブ君」
「……んっ?」
 ボーッと考えていた所を、おかみさんに呼びかけられた。
 
「……あの子、商家の娘さんと付き合ってたんだって、知ってた? ……最近別れたらしいんだけど」
「え……そうなんだ。俺達、そういう話はしないからな……」
「それで……そのお嬢さん、実家の商売が立ち行かなくなったから借金のカタに貴族と結婚したんだって」
「…………」
 
「別れてすぐのことだったらしいから、あの子が金目当てでお嬢さんに近づいて、金がなくなったから捨てたんだとか色々言われてて……」
「…………」
 
 ――なんでそんなくだらない噂が横行するんだ。分かっている、答えは"カラス"だからだ。
 泥棒から足を洗って真面目に働いて国のために尽くしても、いつまでもそういった誹謗中傷は止まない。
 なんなんだ。あいつらに一体何の権利がある。
 
「そういうの聞いてたらなんだか悲しくなっちゃってね」
「え……!? そんな、おかみさん! あいつはそんな、そんなことできる奴じゃありませんよ!」
 
 ……そうだ。金目当てに女に近づいて捨てるなんてそんな器用な真似ができるなら、あいつこんな生きるのに苦労してない。
 
「……分かってる。分かってるよ。……ごめん、言葉が足りなかった。この10年ばかり……ここ数年はほとんど会わなかったけど……それでもあの子のこと家族のように思ってたつもりさ。だけどあの子にとってはそうじゃなくて……ここは、辛いときに逃げてこられる場所じゃなかったんだって思ってね……」
「おかみさん……」
 
 おかみさんは唇を引き結んで顔をそらしてしまう。
 最初会った時から、腫れぼったい目をしているなと思っていた。
 気難しく人嫌いな親方を夫に持つ彼女――メリアさんは、それに負けず劣らず勝ち気で気丈だ。
 その彼女が、涙こそ出ていないものの、こんな風に悲しみを露わにするなんて。
 
「本当に、くだらない噂話ばっかり……あたしらはそんなこと微塵も信じていない。でもさ……きっとあたしらがどれだけ『信じてるから』って言っても駄目なんだ。あの子の耳には悪い話だけが入って、そっちを信じるようになっちゃってるんだ」
「…………」
「あたしらはその呪いを解くことができなかった……きっと今のあの子には、悪い言葉しか届かない。それがね……どうしようもなく悲しいんだ」
「おかみさん……」
 
 ――悪い言葉しか、届かない。どれだけ話しても……。
 
「俺も……俺も、同じ気持ちです……」
 
 
 ◇
 
 
『手紙を書くから、もし旅先で出会ったら渡して欲しい。悪いけど明日まで待って欲しい』と頼まれたので、ここへ来たときにいつも泊まっている宿に向かった。1階は酒場になっている。
 
(飲むような気分じゃないな、メシだけでも食うか……)
 
 いつもの酒場の、いつものテーブル。
 この宿の主人と何か交流があったとかで、ここであいつと食事をすることもあったっけ。
 
「…………」
 
 今日は食事の味がよく分からない。
 
 ――なんであいつ、いなくなってしまったんだろう?
 親方にもおかみさんにも何も言わないし、俺にも何の相談もない。
 軽いことばかり言うから、信頼するに足る人物じゃなかったのかな?
 俺が勝手に思ってるだけであいつにとって俺は友達でもなんでもなかった?
 人生に関わるような重い話はほとんどしないが、それでも俺はあいつとそれなりに友人関係築けていると思っていたのにな。
 
 時間を超えたとかなんとかいっても俺自身は全く平凡だ。
 歴史や世界を変えるだとか、そういう大それたこともしない。ああ、どうでもいいな、そんなの。
 なんというか、俺は誰にも何の影響も与えない人間だな――。
 
 この宿の料理はうまくていつも大量に食べてしまうが、今日ばかりはそんな気にならない。
 食は全く進まず目の前の料理は時間の経過でどんどん熱を奪われていく。
 それなのに重苦しい気持ちのせいで既に胃もたれすらしそうだ。
 
「……やっぱりアレだな~、純粋なディオール人じゃない人間は愛国心が足りないってことだな~」
「!」
 
 後ろのテーブルから男のしゃがれた大声が耳に入る――チラリと目をやると、男が二人で笑いながら何か話している。
 一言だけで、誰の何を言っているのか分かる。
 酒場は酔っ払いが多いから大体の人間が大声で話す。いつもなら不快ながらも環境音として聞き流せるものだった。だが――。
 
「全くだな。将軍にまでなったのに逃げ出すなんて無責任この上ない」
「国庫とか調べた方がいいんじゃないかあ? 何か持ち逃げしてるかもな、カラスだし」
「……次の将軍選出するのにも金がかかるんだろ? 税金泥棒もいいとこだよ、全くこれだからカラスは」
「まあでも、あの将軍様なんか闇墜ちしてるみたいで不気味だったし、出てってくれてよかったんじゃないか?」
「言えてるな。……にしても、あんな感じだけどしっかり女とは付き合ってるんだよな。ちょっとばかり誠意が足りないみたいだったが……ま、女の方もカラスなんかと付き合うから痛い目見るんだよな」
 
「…………!」
 
 ――頭に血が上る。これ以上言わせておけない。
 血の気の多かったガキの頃よりは落ち着いたつもりだが、さすがにもう我慢の限界だ。
 クソが。何も知らないくせに噂を鵜呑みにして、よくも侮辱を……!
 
「か、彼を侮辱するのはやめてください!」
「!」
 
 俺が立ち上がろうとしたのと同時に、一人の青年が男達の前に立ち大声を上げた。
 緑の髪の気弱そうな青年だ。出で立ちからして魔法使いだろうか?
 
「なんだぁ? 兄ちゃんは。すっこんでろよ」
 
 酔いが回った男二人は、貧弱な男の言うことなど意に介さずせせら笑う。
 
「あ、あなた方の生活を守ってくれていたのは、彼ではなかったのですか!? た、例え彼の素行に問題があったとしても、彼が数々の魔物を打ち倒して皆の命を守ってくれていた事実は消えないはずです、よくも、よくもそんなことが言えますね。あなた方は何もしないくせに……軽蔑します!」
「なんだとこの野郎……」
 
 男二人は立ち上がり、青年の胸ぐらを掴んだ。
 
(まずい……!)
 
「おい、やめろ!」
「なんだお前! 関係ないだろ!」
「うるさいしメシがまずくなるんだよ! それに俺はマクロード将軍と知り合いなんだ、よくも侮辱してくれたな! おい、そんなひ弱な青年をいびってもつまらないだろ? 俺が相手になってやるから表に出ろよ。言っとくけど俺は将軍とタメ張るくらい強いぞ」
「う……」
 
 そう言って睨み付けると、男二人は怯んで大人しくなってしまう。
 ――さっきまでの勢いはどうしたんだ。そっちの青年への態度と随分違うじゃないか。
 昔からそうだ。こいつらのような人間が"カラス"の蔑称のもと、あいつのイメージを勝手に構築して悪し様に扱ってきた。
 弱い時は面と向かって罵倒をし、そして強くなればこうやって陰口を叩く。
 盗んだだろう、火をつけただろう、女遊びしただろう、人を殺しただろう、闇堕ちをしてるだろう……いつだって弱い人間の見えない暴力があいつを苦しめてきた。
 
 許せない。
 こんな奴らをぶっとばしても何にもならないが、だからと言ってこのまま逃がしてやるのもしゃくだ。どうしてくれようか……。
 
「将軍を悪く言うな!! バカ!!」
「あっ、いでっ!?」
「!」
 
 急に少年が掛けてきて、男の足に水が入ったピッチャーを思い切り落とした。
 
(今度は子供か……)
 
 さっきから立て続けに別の人物が介入してきて、煮えくり返った気持ちがクールダウンしてしまうな。頭冷やせってことかな……?
 母親らしき女性が彼に駆け寄り「お客さんになんてことを、謝りなさい」とたしなめるが、少年は「絶対に謝らない」と頑として譲らない。
 足を押さえてピョンピョン跳びはねる男を涙目で睨みあげている。
 
「将軍は、命の恩人なんだ! 母ちゃんが赤ちゃん産まれそうになって、でも父ちゃんはいなくて……それで将軍がお医者さんに連れてってくれたんだ! 将軍がいなかったら、弟も母ちゃんも危なかったかもしれないんだ! 悪口言うなバカヤロー! 帰れ、帰れよ!! お前達なんか"出禁"だ! うわああん……!」
 
 
 ◇
 
 
「……大丈夫か? 君」
「はい、あの、ありがとうございました……」
 
 騒ぎの後、男に抗議していた青年と少し話をすることにした。
 ――さすがに子供の涙ながらの抗議は堪えたのか、男二人はそそくさと帰って行った。
 
「失礼だけど……君のような人がああいう連中に絡まない方がいいよ。何されるか分からないし」
「はい、そう思います……でも、ついカッとなってしまって」
「随分熱がこもっていたけど、将軍とは知り合いだったの?」
「……知り合い、というか……以前、私達の村を彼に救ってもらったのです」
「へえ……」
「私達の村は、西方のちっぽけな村です。取り立てて資源もなく、過疎化も進んでいて……そんな村が魔物に襲われたと聞いても、黒天騎士様が直接動くようなことはないでしょう。ですから私達も冒険者や傭兵を募って退治してもらおうとして……しかしそんな中、彼が来てくれたのです。管轄の地域でもないのにたった一人で、です」
「そんなことが……」
 
「ここは黒天騎士団のお膝元ですから、住民も皆『守られるのが当たり前』なのでしょうね。それなのに彼らにとっての不手際があった時だけこうやって槍玉に挙げ、ふがいないと罵る。理解ができません。どういった理由で辞めたのかは分かりませんが、僕は少なくとも彼には感謝しかありません……」
「…………」
 
 その後、一言二言交わして彼と別れた。
 
 ――やりきれない。
 あいつは騎士団で最強くらいに強いと聞いた。
 つまり、こうやってあいつに命を助けられて感謝している人間も多いはずなんだ。
 
『あの子の耳には悪い話だけが入って、そっちを信じるようになっちゃってるんだ』――
 
(グレン……)
 
 お前、一体どこへ行ってしまったんだ。
 この人達の声は、ちゃんとお前の耳に届いているか――? 
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