上 下
192 / 385
9章 壊れていく日常

◆回想―鍛冶の神様

しおりを挟む
「はい、お待たせしました。チキンサンドです」
 
 カンタール市街の武器屋で下働きさせられて――といっても給料は全部備品の修理代として巻き上げられている――ともかく、そうなって数ヶ月。
 
 昼休憩中、街の露店でパンを買って商品を受け取る。
 食べようと口を開けると、ヒソヒソクスクスと笑い声が聞こえてくる。
 見れば、今このパンを買った店の人間2人がこっちを見てニヤニヤしていた。
 構わずにパンをかじると「ゲッ」と声を上げて驚き、2人はまたヒソヒソと言い合う。
 
 何がなんだか分からないでいると、パンの間に噛みちぎられて半分になった虫が挟まっているのが見えた。
 嫌がらせで入れたが、普通に食ったから驚いている――そんなところだろうか。
 そういえば、虫は通常あまり食べたりしないと前の孤児院で言っていた気がする。
 ノルデンにいた時、それに前の孤児院を出されてからは普通に食べていたからあまり何も思わなかった。
 虫を入れることが嫌がらせになると思っているのか。
 こいつらは食い物がない時はどうするんだろう……どうでもいいけど。
 
 街での自分の立ち位置はリューベ村の孤児院とそう大して変わらない。
 相変わらずカラスと呼ばれる。聞こえるように汚い臭いと陰口を叩かれる。
 食い物を買えばこうやって虫とかゴミを混入したものをよこされる。物を売ってもらえないことも多いし、「仲間の分を払っていけ」と規定の値段の2倍量取られることもあった。"カラス"に物を盗られたらしい。仲間の分と言うが、俺もひょっとしたらこの店に盗りに入ったかもしれない。
 
 こういう時は副院長と接している時と同じに、全く何も考えずにやりすごすことにしていた。
「光の塾に行きたければ心はないものとしなさい」と繰り返し教えられていたから、その通りにしていれば楽だった。
 
 
 ◇
 
 
「お帰り」
「…………」
 
 休憩から戻った俺に「おかみさん」が声をかける。
 昼休憩に出る前はこの人が毎日俺に昼食代1000リエールをよこす。釣りはお駄賃にしていいとのことで、渡さなくてよかった。
 
「ちょっと。お帰りって言ってるじゃない。『ただいま』とか『戻りました』とか言いなさい」
「…………もどり、ました」
「はい。じゃあ、倉庫からこれ持ってきてくれる?」
「……」
「返事」
「……はい」
 
 この「おかみさん」という人はよく分からない。
 料理は好きじゃない、手間だ、全く面倒を押しつけて……と言いながらも毎日朝晩俺の分の飯を作って出す。
 俺が最初に着ていた服を「あんなものは臭いから捨てた」と言い新しい服を投げてよこす。
「あたしに服のセンスを求めないでちょうだい。趣味に合わなくても文句言うんじゃないよ」とも。
 で、毎日同じ服を着続けていたら怒られた。
 
「ちょっと。他に何種類か買ってあるのになんで毎日同じ服を着るのよ。洗濯できないじゃない」
「……黒」
「え?」
「黒は、嫌だ。カラスって言われる」
「……」
 
 いくつか渡された服はいずれも黒や濃紺などで、一着だけが白色のシャツと薄いグレーのパンツ。俺はそれだけを着ていた。
 彼女からすれば、男だから黒っぽい色の服を用意したにすぎないんだろう。
 でも俺にとっては忌まわしい色だった。
 黒はもう何にも染まらない。混ぜれば全ての色がくすんだ汚い色になる。
 色彩が失われた、命が消えた色。一切の光がない闇の色――嫌いだった。
 この髪色以外に黒い物は身につけたくなかった。闇に溶け込みそうだし、着ると本当にカラスみたいなのも嫌だった。
 
「おかみさん」は俺の言葉を聞いたあと、無言で濃い色合いの服を全部持って行った。
 次の日、「ほら!」と、紙袋を投げてよこす。中には白や灰色や水色など、明るい色の服が入っていた。
 礼を言おうとすると「もう買わないからね!」とだけ大声で告げて部屋の扉をバタンと閉めた。
 

 ◇
 

 昼休憩後、腹の音を盛大に鳴らしている俺を見て「どうしたのか」と尋ねてきたことがあった。
 
「……昼食べてない」
「なんで。昼代渡しただろ」
「俺には売りたくないって店の人が」
「……どこの店」
 
 店の名前を教えると「おかみさん」はその店まで俺を連れて行った。
 そして店主に「この子うちの店で働くことになったんだ、よろしくね」と深々とお辞儀をした。

「あ、そ、そうなの……ハハ」

 俺と相対した時とは打って変わって、店主は気まずそうに笑う。

「でもさあ、メリアさん……」
「泥棒だったけど主人がボコボコにして歯も2本折ったし、もうやらないはずだよ。でも何かあったら遠慮なく言っておくれね、主人が鉄槌食らわしておくから。……ただ、主人は嘘が嫌いで、真実は追究したい派だから……そこはよろしくね」
「は、はあ……」
 
 ――複数の店を回ってそんなやりとりをした。彼女曰く"挨拶回り"らしい。
 そういうわけで、挨拶をした店なら物を売ってもらえるようになった。店員は必ずしも好意的ではなかったが。
 
「あたしは不正と不当な扱いが大嫌いなだけ。もしあんたが嘘ついたり盗みを働いたら許さないよ、引っ叩いてメシ抜きにするから覚悟しときなさい。歯が抜けたって治してやらないから」
 とのことだった。
 メシ抜きは困る――せっかく肉が食えるのに。
 
 不正が嫌いというのはどうやら本当のことらしい。
 俺はこの店で働かされるのはまだ理解できるとして、衣食住の世話までされるのは本当に理解できなかった。
 なので「俺をここに置いたら"助成金"が出るのか」と尋ねてみたら、
「ふざけんじゃないよ! あんたみたいな子供の金を当てにするほどあたしらは腐ってないんだよ」と机を叩いて怒鳴られた。
 副院長が「助成金がなかったらお前なんか引き取らなかった」なんてことあるごとに言っていたから聞いてみただけだったんだが……。
「それならなんで」と聞けば「知らないよそんなこと! あの人が勝手に決めたんだから!!」とまた怒鳴られた。
 そして「ああもう! そろそろ夕飯じゃないの! 全くめんどくさい」と言いながら焦げ付いた鍋を洗い始める――言動と行動が何かいつもチグハグなのが、このメリア・マードックという人だった。
 汚い色の火じゃないからいいが、正直よく分からない。
 
 
 ◇
 
 
 マードック武器工房という所は、武器を売る他に修理したり作ったりもする。
「親方」のガストンは決まった客以外とは話さず、工房で武器を修理したり作っていることが多い。
 カン、カン、キン、キンと、金属を打つ音が聞こえる。
 今日は何か武器を打っているようだ。
 
「……何だ」
「もうすぐ、メシだって」
「ああ」
 
 そう言いながらも、ハンマーを置くことはない。
「おかみさん」曰く、武器を作り始めたら寝食も忘れて気が済むまで打ち続けるらしい。
 食卓にはどうせ来ないから時間を知らせる意味で「もうすぐメシだ」と告げに行く――そういう儀式だそうだ。
 ここは熱気がすごい。"炉"の中では炎が燃えさかっている。
 
「…………」
「……何だ」
「別に」
「…………」
 
 炉で熱した真っ赤な"鋼"は温度の変化とともに色が変わる。
 炉の中の炎はどれくらいに熱いんだろうか。きっと俺の術で出る火とは比べものにならない。
 
「……きれいだ」
「何がだ」
「炉と、火と、その鋼と……音も、それから色も」
「……変わった感性を持ってやがるな」
 
「親方」はそのままハンマーを打ち付け続ける。
「怒鳴られたくなければ武器を打っている時は邪魔をせず、速やかに立ち去れ」――「おかみさん」にはそう言い含められていたが、いつまでたっても怒鳴られることがなかった。
 そのままボーッと「親方」が剣を打つ様子を見ていた。
 あんな勢いの火を前にしてもひるむことがない。
 炎の魔物みたいな熱塊は「親方」がハンマーを打つ度に形を変えていく。これがいずれ剣や槍になっていくんだろう。
 規則的なハンマーの音は、まるで旋律のようだった。
 ハンマーを打っている「親方」の火は、炉の火に負けないほどに燃え上がっている。天まで届きそうな、火の柱だ。
 
 この人はすごい人だ。
 前の孤児院で読んだおとぎ話に出てきた「鍛冶の神様」みたいだ――そう思った。
 モノを作るのは罪と教わったけど、本当にそうなんだろうか?
 俺はこの人が作りだすモノを、出来上がる過程を見たい。
 
 ――そのうちに逃げ出してやるつもりでいた。
「おかみさん」は大体ブチブチと文句を言っているが、出て行けと言うわけでもないし敵意の炎も燃えていない。
「親方」も、殴ってきたのは盗みに入った時だけで意味なく怒鳴ったりもしない。
 街では嫌な目には遭うが、あの穴蔵にずっといるよりはマシだった。ゴミを漁ったり泥水すすったりしなくてもいいんだから。
 そういうわけでなんだかんだで居着いてしまっていた。
 
 でも数ヶ月経っても相変わらず名前を教える気にはなれなかった。
 小僧とかあんたとか呼ばれてるし、もう聞かれもしないし別にいいか――そう思っていたのだが、ある人物と出会ったことで名乗ることになってしまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

冷徹御曹司と極上の一夜に溺れたら愛を孕みました

せいとも
恋愛
旧題:運命の一夜と愛の結晶〜裏切られた絶望がもたらす奇跡〜 神楽坂グループ傘下『田崎ホールディングス』の創業50周年パーティーが開催された。 舞台で挨拶するのは、専務の田崎悠太だ。 専務の秘書で彼女の月島さくらは、会場で挨拶を聞いていた。 そこで、今の瞬間まで彼氏だと思っていた悠太の口から、別の女性との婚約が発表された。 さくらは、訳が分からずショックを受け会場を後にする。 その様子を見ていたのが、神楽坂グループの御曹司で、社長の怜だった。 海外出張から一時帰国して、パーティーに出席していたのだ。 会場から出たさくらを追いかけ、忘れさせてやると一夜の関係をもつ。 一生をさくらと共にしようと考えていた怜と、怜とは一夜の関係だと割り切り前に進むさくらとの、長い長いすれ違いが始まる。 再会の日は……。

大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました

柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」  結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。 「……ああ、お前の好きにしろ」  婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。  ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。  いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。  そのはず、だったのだが……?  離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。 ※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが

マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって? まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ? ※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。 ※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

処理中です...