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9章 壊れていく日常

◆回想―闇夜のカラス

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 孤児院から逃げ出した俺は生きる手段を知らず、盗みを繰り返しながら暮らしていた。
 "火"のない家は誰もいない。眠っている家には色がない。そういう家に入り込んで、物資を奪う。
 たくさん奪うと荷物になり見つかった時に全部諦めて逃げるハメになるから、少量だけ盗ることにしていた。
 
 根城は近くの山の穴蔵だ。
 街の外は魔物が徘徊していたが、武器が扱えなくとも火の術があるから大して難ではなかった。
 敵意の炎が燃えている所に自分の火を当てればすぐに静かになる。
 魔物は不思議だ。火の色は敵意・警戒・休み――この3色しかない。
 人間よりも単純で分かりやすい。むしろこっちの方がよほど綺麗だとすら思う。
 
 食べ物を持ち帰っても、モノ作り――料理ができないからいつもそのまま食っていた。
 焼けば柔らかくなる物もあったが火加減が難しい。
 空腹さえ満たされればそれでいいとは思うが焦げたものは全部苦くてまずい。
 そうなったものは食いたくないから、自然と火の紋章のコントロールができるようになっていた。
 もっと早くできていれば"あんなこと"には――。
 
(関係ないな……)
 
 火を自在にコントロールできたって、あの副院長は何かにつけて全部俺のせいにして毎日怒鳴り散らしていたのに違いないんだ。
 あの時、あの男の周りを爆発させてしまった。それ以外に俺はあいつに何をした? 何一つ理解できない。理解したくもない。
 今この紋章の能力ちからを使えばあんな奴すぐに消すことができるのに。
 いつかもっと力を付けたら、村ごと燃やしてやる――。
 
 俺は副院長を起点にして、あらゆるものを憎んでいた。
 それは妹の死を起点に全てのノルデン人を憎み蔑むあの副院長の思考とまるで同じ――心のどこかでそれを理解してはいたが、そうでなければこの汚く寒い薄暗い環境でゴミのような物を食らいながら生きる、その意義も意思も見つけられなかった。
 
 どこかで拝み倒せば、働き口があったかもしれない。食べ物を恵んでくれる人間もいたかもしれない。
 だがその時の自分にはそんなことは分かるはずがなかった。
 ノルデンの内乱や災害で、隣国であるこのディオールは数々のとばっちりを受けている。ノルデンという国自体を毛嫌いする者も少なくなかった。
 俺のような汚い浮浪児――"カラス"は特に忌み嫌われていた。昼に街に出れば「臭い」とつばを吐きかけられ、汚水をかけられる。
 この世に自分を受け入れる人間がいるなんて考えは微塵みじんも浮かばなかった。
 
 
 ◇
 
 
 そうやって盗みを繰り返していたある日のことだった。
 
 その家には"火"があったが、色がなく眠っていた。
 光り物のある部屋には誰もいない。いつものように音を立てずに忍び込んで、速やかに奪って逃げる――つもりだったのに。
 
「誰だ! そこにいるのは!!」
「!!」
 
 男の大声。
 いつの間にか、後ろに男が立っていた。
 大きい、業火のような赤い火だ――何故気づかなかったんだろう?
 男の右手が一瞬赤く閃いたかと思うと大きく振り上げられ、頬を思い切りぶん殴られた。
 吹き飛ばされて何かに頭と身体を打ち付けると同時に、木やガラスが割れる音が響く。
 痛みで身動きがとれない俺はあっさりと男に捕縛されもう一発もらってしまう。
 半端じゃない痛さだ――顔が砕けたんじゃないだろうか? 神父や副院長に食らったものとは比べものにならない。
 いつもだったらあの第一撃をかわせていたのに無理だった。
 ああやって赤く閃いたらどこに攻撃がくるか分かるから、かわすのはたやすい。
 でもそれが視えた所で、盗むことと逃げることしか能のない自分は圧倒的な力と速さで接近されればひとたまりもない……それを思い知った。
 
「この俺の店に盗みに入るとはいい度胸してやがる! おい、腕へし折ってやろうか?」
「ちょっとあんた、やりすぎよ! 死んだらどうするの! 灯りを――」
 
 女の声が聞こえたと思ったら、部屋が明るくなった。
 山のような大男と、痩せた女。俺を見下ろして驚いた顔をしている。
 
「え……」
「……なんだ……ガキじゃねぇか」
「ノルデン人……」
 
 その後、大男にふん縛られて色々と聞かれたが一切答えなかった。
 どうせ何を言っても否定される。それに盗みに入ったことは紛れもない事実だから喋る必要はない。
 名前も聞かれたが言わなかった。
 リューベの孤児院で副院長が俺をどやす時、まず大声で「グレン!」と怒鳴る所から入るのが嫌でたまらなかった。
 あいつキャプテンの名前を、誇り高い海の男の名前を呪いの呪文のように唱えて汚した。許せない。
 だからもう誰にも呼ばせてやらないんだ。"カラス"とか呼んでいればいい……盗んでいなくたってどうせみんなそう呼ぶんだから。
 何一つ答えない俺に腹を立てた男は「なんとか言え、口が聞けないのか」と声を荒げる。
 殴られるのかもしれない。
 
 ――勝手にしろ。死ぬまでボコボコに殴ればいい。
 それでどこかに野晒しで捨てて、『あれは何か』と尋ねられれば『瓦礫がれきでも当たったんじゃないですか』って笑いながら言っていればいいんだ。
 あの避難所で俺のパンを奪った銀色の奴がそうされたみたいに――。
 
「ああもう……声が大きいんだよあんたは。威圧しか能がないのかねえ……で、この子どうするのよ?」
「壊した備品を弁償させる。小僧。おめえ金は持ってるのか」
「……」
「おい、耳は聞こえてるんだろ? 金があるのかないのか答えろ」
「……穴蔵に戻れば、ある」
「ほう。案内しろ」
「え……」
 
 男が俺の肩に手を当て目を閉じると、次の瞬間目の前にいつもの穴蔵が現れた。
 
「な……」
「ほう、ここがお前のアジトか。……ああ、確かに金がやたらとありやがる」
 
 そう言って穴蔵の地面に散らばっている金貨や紙幣をかき集め、俺が寝るときにかぶっている毛布に包んだ。
 そしてまた俺の肩に手を当てて目を閉じる――するとさっき盗みに入った家にまた戻った。
 
「おい、このガキ本当に金持ってやがったぜ」
「ヒッ……ちょっと、どれだけあるのよこれ……!」
 
 女は毛布に包まれた金を見て息を呑む。
 
「ざっと50くらいはありやがる。こんくらいありゃ壊れたあれこれも直るだろうが――」
「ちょっと! 私は嫌だよ。人様から盗った金でそんな」
「分かってらぁ、話は最後まで聞け。おい小僧、この金はどこから盗ったのか覚えてねえのか」
 
 ――覚えているはずがない。
 何も答えずにいると女は手を頬に当ててため息をつき、続いて男が俺の頭を思い切り掴んだ。
 
「小僧。金はあるが、これで弁償はさせねえ。うちで働いて返せ。労働をしろ、汗水垂らして働いた金で弁償しろ」
「…………」
「ちょっとあんた正気なの!? そんなの逃げられておしまいだよ、憲兵に引き渡せばいいじゃないのよ!」
「小僧。さっき見た通り、俺は転移魔法を使える。お前がどこに逃げたって気配を察知してとっ捕まえてやるから覚えとけ。地の果てまでも追いかけて弁償させてやるからな」
「……ヒッ」
 
 身動きがとれない。この男が怖いのもある。だがそれより何より、昔俺に名前を捨てることを強要した神父の「逃げようものならどこまでも追いかけてお前を罰してやる」という言葉を思い出したからだ。
 
 その後、男はブツブツと文句を言う女に「顔を治してからこいつを風呂に連れて行け」と命じ、女はまた文句を垂れた。
 そうしながらも女は、さっき殴られて3倍くらいに膨れた俺の顔を回復魔法で治療し、俺を風呂に連れて行った。
 そして「はっきり言ってあんた臭うよ。体も髪も3回くらい洗いな」と言い捨てていった。
 渡されたタオルは俺が穴蔵で使っている毛布よりもふわふわと柔らかかった。
 
「マードック武器工房」――なぜか分からないが、俺はここで住み込みで働くことになった。
 壊した木箱やガラスの弁償のためだが、そもそも俺は壊していない。
 あの男が俺を殴り飛ばしてぶつかったのだから、壊したのはあの男じゃないか?
 よっぽどそう言ってやりたかったが、恐ろしいのでやめておいた。
 
 親方と呼ばれている男の名前は「ガストン」、女はおかみさんと呼ばれていて、「メリア」という名前。
 ……あいつらの名前なんかどうでもいい。そのうちスキを見つけて逃げ出してやる。
 この世のあらゆるものは敵だ。
 あの男が追いかけてきたって今の俺には魔法がある。いざとなればぶつけてやればいい。
 ここから出られないならいっそ、家を燃やしてやればいい――そんなことを半分本気で考えていた。
 
 薄闇の穴蔵の中で数年。街に出るのは夜のみ。
 その環境下、心は憎しみを燃やすくらいにしか費やすことができなかった。
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