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9章 壊れていく日常

◆エピソード―レスター:交差することのない人生(後)

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 更に数日後。
 父は何を考えたのか「礼がしたい」とグレンを呼び寄せたそうだ。
 そこでワインを振る舞おうとしたらしいが、何かに激昂した彼はもらったワインの瓶を叩き割り、割れた瓶を突きつけワインセラーに案内をさせた。
 そして父ご自慢のワインのコレクションを片っ端から全て叩き落とし破壊した。
 父が最初に振る舞ったというワインの瓶の欠片を見ると「カラスの黒海」という品だった。
 多くの場合、ノルデン人に渡したなら侮辱と取るだろう。もちろん父もそのつもりだったはず。
 
 ――黙って受け取るとでも思ったのだろうか?
 嫌な物を渡されても大人の態度でかわしてくれると、そう思ったのだろうか?
 
 宝物を破壊され抜け殻のように天を仰ぎ涙を垂れ流す父を見て、僕は正直胸がすく思いだった。
 
 
 それからまた数日後。
 自警団の詰め所にグレン・マクロードの名前で手紙が届いた。
 封を開ければ、中には開封済みの手紙が入っていた。
 見覚えのある文字――これは父のものだ。父がグレンに宛てた手紙だ。
 手紙の内容はこうだった。

「村が魔物に襲われて苦心しているので退治してほしい。今こそ恩の一つも返す時だろう。助けてくれたなら過去の罪はないものとし、この村の土をまた踏むことを許す」

 ――皆、口々に「恥を知れ」「過去の罪とはなんだ」「謝るのならともかく、許すとは何様だ」と父をなじる。
 それに対し父は「私はこの村を思ってやっただけなのに皆で責めるのか」と被害者面。
 
(地獄だ……)
 
 きっとグレンはあの手紙を読んで村の者の総意と思ったことだろう。
 なぜ来てくれたのかはわからないが、立場を手にした途端にすり寄って体よく利用しようとする村の者を軽蔑し憎んでいるのに違いない。
 
 ――もう駄目だ。彼と会うことは叶わない。過去の謝罪はもちろん、礼を言うことすらできない。
 人生が交わる瞬間は、もはや訪れないだろう。
 
 
 ◇
 
 
 そしてまた日を置いて、父の元に憲兵がやってきた。
 
「横領の罪で逮捕する。調べはついている」
 
 寝耳に水だった。
 どういうことか問うと、父がノルデン孤児を引き取った際に国から出される助成金を懐にしまっていたというのだ。
 助成金はノルデン孤児が自立するまでの育成に使われ、その子達が自立した際、残った分がその子に還元される。
 それを経理も担当していた父が帳簿に嘘の額を書きほとんどを自分の物にして、自立していった子には金を渡さなかった。
 グレンを追い出した際などは、別の孤児院に移ったなら国に申請しなければならなかったのにそうせず、まるで彼が孤児院にいるかのように偽装した帳簿を書き続け助成金を受け取っていたという。
 横領した金で父はワインを収集していた。数年前に建てたあのやけに造りのいいワインセラーもそういうことらしい――吐き気がする。
 よくもグレンを始めとしたノルデン孤児にカラスだの泥棒だの言えたものだ。
 自分こそが泥棒の小悪党じゃないか。
 
 父の動向を調べ上げ憲兵を派遣したのはグレンだった。
 それを聞いた父は「あのカラスめ、ここまでするなんてどうかしている! いつまでも根に持ってなんてしつこいんだ、騎士のくせに幼稚だ」と喚き散らす。
 呼び寄せられた時に具体的に何があったかは分からないし、それがきっかけなのかも分からない。
 ただ父を社会的に殺そうという意思は伝わってきた。彼は父を許していないのだ。
 
 父は最後まで見苦しかった。
 憲兵に連れて行かれる際に「少しは親をかばう姿勢くらい見せろ親不孝め」などとこちらに矛先を向けてくる始末だ。
 
「騎士様に無礼な言いがかりをつけたから目を付けられたんだね」
「僕がグレンだったら父さんをワインセラーごと燃やしているよ、死ななくてよかったね」と言うと酷く驚いていた。飼い犬に手を噛まれた気分だったのだろう。
 
 虐げた子供はいつまでも子供ではない。
 いつか自分よりも強い大人になり仕返ししてくるかもしれないと、どうして考えられないのだろう。
 
 
 ◇
 
 
 ある日、用事があり僕はカンタール市街へ足を運んだ。
 ここはイルムガルト辺境伯領の中心地。辺境伯の屋敷もこの街にある。
 父が逮捕され僕が孤児院の院長を引き継ぐことになったので、その手続きのために訪れていた。
 
 立ち寄った宿屋の酒場で、グレンの噂話をしている客がいた。
 
 彼は騎士を辞めて姿を消してしまったらしい。
 それを「無責任だ」「やっぱり純粋なディオール人じゃないから愛国心が足りない」とか、「化け物じみた力で不気味だった」など、酒の勢いもあってか好き勝手に言っていた。
 
 それから話は女性関係にまでのぼる――付き合い方に誠意がないとかなんとか。
 ――経緯は何も分からないが、自分たちの平和を守ってくれていたのは彼ではなかったのか。
 彼が女性に対して誠意がなかったとして、それが民衆にどう影響を与えるというのか。
 
 カッとなって、彼らのテーブルまで行き抗議をしてしまった。
 酔っ払い相手に無謀なことをした……途中で冒険者の男が止めに入ってくれなければボコボコにされていたかもしれない。
 彼らの話を聞く限りでも、グレンはここで地位を得ても身勝手な連中に根も葉もない噂を立てられ振り回されていたことが分かってしまった。
 行方が分からないというが、どこへ行ってしまったのだろう。
 
 
 ◇
 
 
「院長せんせー! これ見て!」
「うん?」
 
 孤児の少年の一人がパタパタと駆けてきて、一枚の紙を渡してくれる。
 絵の具でたくさんの丸が描かれている不思議な絵だ。
 
「綺麗な色使いだね。これは何を描いたの?」
「みんなだよ!」
「みんな?」
「うん。こじいんのみんな! みんなの"火"だよ!」
「火……」
 
 どきりとしてしまう。この子にはみんなの"火"が視える。
 彼と、同じだ……。
 
「そうか。みんなの火か……どれが誰なの?」
「んっとね、これはエイミー。これはコリン。それから……」
 
 一つ一つ指差しながら、楽しそうにどれが誰の火か教えてくれる。
 僕のものもあった。オレンジ色で暖かいそうだ。
 
「それでねえ、これは、ママ先生だよ!」
 
 ママ先生というのは、副院長をやっている妻のこと。
 薄い桃色――その真ん中に、小さく小さく赤い丸が描かれている。
 
「へえ……綺麗だね。……それで、これは? 小さい丸もあるよ」
「うん! ママ先生には2つ火があるよ! すごい小さいけど、もえてるんだ」
「……! そう……ありがとう、見せてくれて」
 
 思わず顔が綻んでしまう。2つ火がある……それはつまり、そういうことだろう。
 少年はにっこり笑って「また誰かに絵を見せる!」と言いながら嬉しそうに駆けていく。
 彼曰く、自分が視える火はもっとたくさんの色があって、絵の具では表現しきれないとのことだった。
 人の火が視える子。発現はしていないが、きっと紋章を宿しているんだろう。
 あんな悲劇が繰り返されないよう、しっかり導いてあげないといけない。
 
 同じように、風の紋章を持っている子もいた。
 ピアノがとても上手な子だ。でも彼女曰く「風が音を見せてくれて、その通りに弾いているだけ」らしい。
 
 紋章は魔器ルーンなしで魔法を撃てる、選ばれし者の力。自然の声を聞き、その力を引き出す。魔術学院ではそう教わった。
 だけど本当にそれだけだろうか?
 
 あの子達の視える世界、僕たちが視ることのできない世界。
 その世界の話を聞くと、絵本や夢の中を旅している気分になり心が綻ぶ。
 あれはきっと、自然の力を借りて自分を表現する優しい力だ。
 
 ――彼だってきっとそうだった。
 
「もう魔物の火は消えたから安心していい」――魔物を征伐した際の彼の言葉。
 どうやら彼は多くの紋章使いと同じように、紋章の力を戦いに利用しているようだ。
 戦いは彼の望んだことなのだろうか。傷つけ殺すために紋章の力を使うことは、彼の心身を傷つけたりはしていないだろうか。
 
 無表情な彼が火と色の話をしている時は穏やかな笑みを浮かべていたことを思い出し、胸が詰まる。
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