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9章 壊れていく日常

8話 あなたがいなければ

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 長い沈黙のあと、後ろから何かグシュグシュという音が聞こえた。見ると、ベルが両手で鼻と口を抑えて涙を流していた。
 
「隊長……もしかして、ここからいなくなるおつもりでしたか? 駄目です、そんなの……」
「……ベル」
 
「あたし、あたしはここに来て、楽しいことばかりで……『回復魔法なんかよりお菓子作りの方が大事』って隊長が言ってくれたの、とても嬉しかったんです。隊長にとっては、何でもない発言でしたでしょうけど、でもあたしは、それでちょっと救われたんです。あたしだけじゃない、ジャミル君もカイルさんもルカもフランツも、この砦の集まりがなかったらみんな少しずつ何かが足りなくて、何かがずれていて……でもそれが何か分からないまま過ごしていました。それなのに隊長だけが救われないなんて、そんなこと、そんなの、あたしは嫌です……」
「…………」
「……今は、ただ休んで、そして立ち直り方を考えましょう。赤眼の人みんなが誰一人復帰せず処断されたなんてことないはずです。ですから……」
「ベルナデッタ」
「ですからどうか、絶望しないでください……希望を、捨てないでください……」
 
 全て言い切ったのか、ベルはすすり泣くだけになってしまった。
 肩に手を置くと、そのままオレの肩に顔をくっつけて泣き続ける。
 
「オレは、あんたに出会ってなかったらどうなってたか分からない。下手すりゃ死んでたかもしれねえ……あんたは『何もしてない』って言うけど、そんなことはない。オレは助かったのにあんたは助からずに投獄されるなんて、そんなことオレは納得できねえ。できることはするから……諦めないでくれよ」
 
 ――オレがあの黒い剣を持っていた時のことをグレンは「君がそのうち堕ちていくまで見なければならないのかと思って憂鬱だった」と言っていた。今ならそれが分かる。全く同じ気分だ。
 
「二人の言う通りだ……境遇のせいで色々と疑心暗鬼になるのは分かるが、少しは仲間を信じて欲しい。……『赤眼になって危険だから憲兵に引き渡しました』なんて、俺はそんなことを親方やレイチェルにはとても告げられない」
「……!」
 
 レイチェルの名前を聞いて、力なくだらりと下ろしている手がピクリと反応する。
 その手をテーブルの上に置き直し、祈るように両手を組み合わせギリギリと握った。
 
「頼む……レイチェルは……レイチェル、だけには……」
「……分かってる。でも、いずれ分かることだぞ。告げるのが遅れれば遅れるほど、あの子も傷つく。それは頭に入れておけよ」
「…………ああ」
 
 ぼそりと返事をした後、グレンは気怠けだるげに立ち上がり、ヨタヨタと歩んで食堂を出ようとする。
 
「おい大丈夫……じゃないな。部屋で寝てろよ」
「いや。今日は一旦帰る。荷造りをして……また明日ここへ来る」
「そうか」
 
「……カイル」
「ん?」
 
 食堂の扉の取手に手をかけながら、グレンがカイルに声をかける――後ろ姿で、表情は伺い知れない。
 
「誤解を与えて、悪かった。別にお前のことを信用していないわけじゃないし、冷血とも思っていない」
「……そうか」
「……お前がいなかったなら……俺の人生はもっと……破滅的な方向へ行っていた。"カラス"を続けていただろうし、そのうち野盗やならず者になっていた。お前の存在は……救いだった」
「……っ、馬鹿野郎……そんな遺言みたいなのやめろよ、縁起でもない……!」
「すまない。そのうちに……自我がなくなってしまうかもしれないと、思って」
 
 ドアを開けてグレンが出ていく。
 少ししてからカイルが机を叩き、そのまま机に突っ伏した。ベルはオレの肩でずっとすすり泣いたまま。
 食堂のテラスから、中庭を挟んで廊下を歩いていくグレンが見える。
 
「……ベル、悪い。オレ、ちょっと……」
「え……?」
「すぐ戻るから」
 
 オレは食堂を出て、グレンを追いかけた――さっきはヨタヨタとしていたのに、足が早い。もう、砦を出るところだ。
 
「……グレン!」
「ジャミルか……いつかと、立場が逆になったな」
「そう、だな……。あの、送ってってやろうか?」
「いや、大丈夫だ。転移魔法があるから。それに少し寄りたい所がある」
「そっか」
 
 肩にいるウィルが羽ばたいてグレンの肩に止まると、グレンは表情なくウィルの胸元を指で撫で口を開いた。
 
「……ウィル」
「え……名前、言えるのか」
 
 使い魔のウィルの名前は、基本的に主人であるオレしか呼べない。唯一、ルカだけは呼べたが――。
 
「よく分からないが、魔力が高まっているらしい……転移魔法も、連発しても疲労がない」
「そうなのか」
ウィルこいつが剣だった時に言っていた……『心根のまっすぐな人間のわずかな心の闇を刺激して堕とすのが楽しい』と」
「……悪趣味だ」
「それで……『お前はこっち側の人間だから堕とす必要性がない』とも」
「…………」
「……もう、闇魔法の研究に没頭するのはやめたのか」
「え? いや、研究は続けてる……前ほど、躍起になってないだけで。ちょっと前まではなんかこう……渇望してる感じがあったんだけど」
「渇望……」
 
 単語を復唱したあと、グレンは自分の手のひらを見ながら握るような動作をする。
 
「俺は……こうなった以上、もうレイチェルのそばにはいてはいけないと思っている」
「え、おい……」
「確かに、そう思っているのに……離れる気が起きない。どこにもやりたくない、誰にも渡したくない、ずっとこの腕の中に閉じ込めていたいとすら……思う」
「……」

 テオ館長の奥さんの手記の一節が頭をよぎる。
 
 ――足りない、足りない、私はずっと足りていない。
 ――醜い自分はあの人にふさわしくない、だけど欲しい、彼は私のもの。
 
「……なんとなく……分かるよ、それ」
「……そうか。ありがとう」
「……うん」

 何に対しての礼なのかよく分からないが、受け入れておいた。
 
「じゃあ、俺は帰るから……ほら、主人の所に戻れ」
 
 ウィルがオレの所に舞い戻ってくる。それを見届けたグレンはこちらに背を向け、転移魔法で消えていった。
 
 
 ◇
 
 
「……これからどうする?」
「……そうだな……」
 
 グレンを見送ったあと、今後のことを3人で考えていた。
 カイルは冷めきったピラフをまた食っている。冷や飯でも食らっていたい気分だそうだ。
 
「とりあえず、あたしはここに光の防護魔法をかけますわ。保養施設にもある光の魔石も用意しましょう、それで少しでも楽になるようにします」
「オレは闇堕ちしかかった友達に、その時のことを聞いてみる。保養施設がどんなだったとか……なんか手がかりになるようなことが聞けるかも」
「……ありがとう、二人とも。俺はあいつが出られない代わりに魔物討伐の任務とか増やさないといけないから、あまり戻れないかもしれない。ギルドマスターとかにはグレンは病気で伏せってるとでも言っておくとして……レイチェルにはどう言ったものか」
「……やっぱ病気だって言っとくしかねえけど、隠し通せるもんじゃねえな。アイツそんな察し悪い方じゃねえし」
「コソコソされるのは嫌いだもんな。今週来ないのは、運が良かったと言うべきか……」
「あの子が来るまでに、何か糸口が一つでも見つかっていればいいのですけれど」
 
「…………」
 
 そんなものがあるんだろうか。
 諦めないでくれとか希望を捨てないでとか信用してくれとか言ってみたものの、実際今の状況は絶望的だ。
 物心ついた頃から今までに蓄積した憎しみのその果てに、闇に墜ちたグレン。
 
 アイツ大丈夫なんだろうか。
 砦を出る時には消えていたが、あの子供の姿の黒い影はまたグレンに縋り付き「どうしてどうして」と繰り返しているんだろうか。

 オレは悪夢をたくさん見た。夢か現実か分からない光景が目の前に広がって、どんどん黒いぬかるみに沈んでいった。
 アイツもそうなるのか。
 もう闇に堕ちているというなら、せめて眠る間くらいは闇から解放して、楽にさせてやって欲しい――。
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