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◇8-9章 幕間:番外編・小話
◆エピソード―館長日誌:寄る辺なき鳥
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――1563年9月末、とうとう迎えた閉館の日。
今日は昔なじみの友人を呼んで昔話をしたり、常連の子供にお礼の品や絵本を渡したりなどして過ごした。
マクロード君には来客後の片付けなど簡単な手伝いをしてもらっている。
何か思うところがあるのだろうか、テラスに出て庭を見つめたり、何もなくなった図書館のホールで天窓を見上げたりしていた。
「君はこれからどうするのかね」
「しばらくはここに留まり、相棒と魔物退治などしながら冒険者としてやっていきます」
「そうかね。……旅に出てしまうのかと思っていたよ」
「ここ数ヶ月で色々と事情が変わりまして……今はここを離れたくないと、そう思っています」
「それは良かった。いい風が吹いてきているようで何よりです」
「風……」
私の言葉を聞いて彼は少し笑みを浮かべる。
「ここへ来たばかりの時の君は、沖合に取り残されて漂う舟のようでした。けれど君は少しずつ舟を漕ぎ出した。……進路はまだ、定まっていないようですが」
「…………」
「迷うことが多いかね」
「……分かりません。どこも自分の場所ではない、何も自分の物ではない気がします。……名前も、所詮借り物ですし」
「グレン・マクロード君」
「!」
名前を呼ぶと彼は驚いた顔をして、背筋を伸ばす。
「借り物だとしても、君はその名でずっと生きてきたでしょう。何を負い目に感じることがあるのかね」
「……」
――彼の返事はなかった。
そんな彼に、私は一冊の手帳を差し出した。
「君にこれを」
「……これは?」
「私の紋章について記したものです」
「え……」
彼がここへ来て丸一年。
お互いに認識してはいるものの、私も彼も紋章について自分から明かしたり何か話したりということは一切なかった。
私自身この紋章で煩わしい目に遭ったことが何度もある。彼もきっとそうだろう。だから紋章使いとして接することはなかった。
――強いて言うなら、先日やってきた泥棒の学生の一件か。
黒魔術を使ったであろう学生の周りに『虫が飛んでいる』という不快感の共有、それくらいのものだった。
「何、大した物じゃありませんよ。紋章についての魔術学的な見解……というようなものではなく、紋章が発現する前と後で何が違うようになったかとか、何が視えるとか、そういう日々の気づきを書いたものです」
「そんな大事な物はいただけません」
「グレン君。君に何かを禁じて縛り付けているものは、一体何だろうか。その正体が分かれば少しでも楽になると思うよ。それは容易ではないでしょうが……これが、少しでもその標になればと思います」
私がそう言うと、彼はようやく手帳を受け取ってくれた。
「……ありがとうございます」
小さくそう言うと、彼は私に大きく頭を下げた。
彼はとても腕っぷしが強い、立派な大人の青年だ。
だがその本質はきっと、とても儚く脆い。
虚ろな目をしていた青年――相変わらず彼は必要以上は喋らない。
だが目に生気が宿り始め、徐々に風も吹き始めた。
しかしまだまだ微弱だ。ともすれば、かき消えてしまいそうなくらいに。
彼が気になっていた理由が分かった。
彼はかつての私のようであり、また妻のようでもあった。
――未だ彼は、寄る辺なき鳥なのだ。
「一年間ありがとう、グレン君。……君の幸せを、願っていますよ」
今日は昔なじみの友人を呼んで昔話をしたり、常連の子供にお礼の品や絵本を渡したりなどして過ごした。
マクロード君には来客後の片付けなど簡単な手伝いをしてもらっている。
何か思うところがあるのだろうか、テラスに出て庭を見つめたり、何もなくなった図書館のホールで天窓を見上げたりしていた。
「君はこれからどうするのかね」
「しばらくはここに留まり、相棒と魔物退治などしながら冒険者としてやっていきます」
「そうかね。……旅に出てしまうのかと思っていたよ」
「ここ数ヶ月で色々と事情が変わりまして……今はここを離れたくないと、そう思っています」
「それは良かった。いい風が吹いてきているようで何よりです」
「風……」
私の言葉を聞いて彼は少し笑みを浮かべる。
「ここへ来たばかりの時の君は、沖合に取り残されて漂う舟のようでした。けれど君は少しずつ舟を漕ぎ出した。……進路はまだ、定まっていないようですが」
「…………」
「迷うことが多いかね」
「……分かりません。どこも自分の場所ではない、何も自分の物ではない気がします。……名前も、所詮借り物ですし」
「グレン・マクロード君」
「!」
名前を呼ぶと彼は驚いた顔をして、背筋を伸ばす。
「借り物だとしても、君はその名でずっと生きてきたでしょう。何を負い目に感じることがあるのかね」
「……」
――彼の返事はなかった。
そんな彼に、私は一冊の手帳を差し出した。
「君にこれを」
「……これは?」
「私の紋章について記したものです」
「え……」
彼がここへ来て丸一年。
お互いに認識してはいるものの、私も彼も紋章について自分から明かしたり何か話したりということは一切なかった。
私自身この紋章で煩わしい目に遭ったことが何度もある。彼もきっとそうだろう。だから紋章使いとして接することはなかった。
――強いて言うなら、先日やってきた泥棒の学生の一件か。
黒魔術を使ったであろう学生の周りに『虫が飛んでいる』という不快感の共有、それくらいのものだった。
「何、大した物じゃありませんよ。紋章についての魔術学的な見解……というようなものではなく、紋章が発現する前と後で何が違うようになったかとか、何が視えるとか、そういう日々の気づきを書いたものです」
「そんな大事な物はいただけません」
「グレン君。君に何かを禁じて縛り付けているものは、一体何だろうか。その正体が分かれば少しでも楽になると思うよ。それは容易ではないでしょうが……これが、少しでもその標になればと思います」
私がそう言うと、彼はようやく手帳を受け取ってくれた。
「……ありがとうございます」
小さくそう言うと、彼は私に大きく頭を下げた。
彼はとても腕っぷしが強い、立派な大人の青年だ。
だがその本質はきっと、とても儚く脆い。
虚ろな目をしていた青年――相変わらず彼は必要以上は喋らない。
だが目に生気が宿り始め、徐々に風も吹き始めた。
しかしまだまだ微弱だ。ともすれば、かき消えてしまいそうなくらいに。
彼が気になっていた理由が分かった。
彼はかつての私のようであり、また妻のようでもあった。
――未だ彼は、寄る辺なき鳥なのだ。
「一年間ありがとう、グレン君。……君の幸せを、願っていますよ」
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