上 下
156 / 385
8章 不穏の足音

21話 囚われの貴族令嬢(2)

しおりを挟む
 そういうわけであたしは今、屋敷の一室に閉じ込められている。
 一応牢屋ではなく、立派な客室……でも部屋には外側から鍵が掛けられている。そしてこの部屋の扉を開けても前室があり、そこも同様。
 
 杖を砦に置いてきているし、あった所であたしは攻撃魔法は使えない。
 そもそも壁紙に沈黙魔法サイレスの印が記されており魔法自体が使えない――脱出の手立てはない。
 今、あたしの手元にあるのは……袋に入った冷凍の鶏肉(まるごと)。

「駄目よぉ……こんなのじゃどうにもならないぃ……」

 見張りの男をこれで殴ったとして、二人も倒せるわけがない。無理。
 
「どうしたらいいのぉ……」

 またまた半べそをかき膝を抱えていると、部屋の扉が開いた。
 
「ごきげんよう、ベルナデッタ。心は決まったかしら?」
「……」
 
 アーテ様だ。にこにこと笑いながら食事の乗ったトレーを運んで、テーブルの上に置いた。
 
「そのようなことに手を貸すことはできません。癒やしの力は神の力。その力を使って人の心を弄んで金をせびるなど、神が許すはずがありませんわ――」

 と、そこまで言った所で頬に衝撃が走った。平手ばっかりだわねこの人。
 
「そういうのはいいのよ。綺麗事ばかりのいい子ちゃん……虫唾が走るわ」

 眉間に思い切りシワを寄せて、彼女はあたしを見下ろす。

「エリス様のおっしゃることに従いなさい。貴女にもちゃんと"役"を用意してあるの……」

 しゃがみ込んで顔をぐりんと傾け、今度はあたしを間近で見上げてきた。

「や、役……?」
「そう。今ね、"レテ"の役が空いているの。それをやらせてあげるわ。前の"レテ"は役に立たなかったから……ね、光栄でしょう?」

 レテの役が……空いている? 前のレテ?
 全く何のことだか分からない。
 劇の配役ではなさそうだけれど、理解する気が起こらない。
 
「ね、ベルナデッタ。癒やしの力を持つわたくし達は神に近い力を持っているのよ。けれど人はそれに感謝などしない。だったらそれを仕事ビジネスにしてしまおうと、それだけのことなの」
「その、魔法でお金を取った人は……、依存してきている人は、最終的にどうなるのです」
「どう……? ふふ、お金がなくなればその人達はまた新たに血の宝玉になるの。最後までわたくし達の役に立つわ」
「な……なんですって……」
「最近までは人を魔法陣に置いて魂を吸い上げて魔器ルーンにしていたけれど……人体というのはかさばるでしょう? だからこうすれば持ち運びしやすいわ。便利でしょう?」

 血の宝玉片手に、まるで"生活の知恵"のように説明をする彼女。吐き気と頭痛がしてくる。
 そんなあたしに構うことなくアーテ様は喋り続ける。
 
「あのクライブという男も、無能者でも屈強な戦士のようだから良い宝玉になると思ったのに……まさか、"聖女の加護"を得ているだなんて……っ」
「聖女の……加護?」

 ミランダ教のトップ、教皇様と聖女様。
 ロレーヌやディオールでは王族が誕生した時のみ、洗礼として聖女様の加護を受けられる。
 あらゆる呪いや災いから遠ざけられるとされていて……そんなのをカイルさんが……? にわかには信じがたい。
 
「それならそうとちゃんとわたくしに言ってくれなければ駄目じゃない……恥をかかせて」
「そ、そんなこと、あたし知らな――」
「でもいいわ。エリス様に免じて許してあげる。……わたくし達に協力しなさい」
「お断りします」
「貴女の癒やしの術をエリス様が評価してくださっているのよ。ありがたく享受すべきだわ」
「あの方にとってわたくしの術とは、人の心を弄んで生命を費やす技術なのでしょう。そんなものを評価されても何も嬉しくありませんわ」
「お志が強いこと。けど貴女確か、自分の力は嫌いではなかったかしら?」
「……好きではないからといって何の誇りも持ち合わせてないわけではありませんわ、見くびらないでください。……それに学校で最初に教わったではありませんか。癒やしの力は数ある魔法の属性のうちの一つに過ぎない、それらを行使できるからといって自らを神などと思いおごるなかれ、と」
 
 どうせこれも一笑に付すだろうけど、言うべきことを言った。

「……いいのかしら? 貴女の秘密をご両親や婚約者に言いつけるわよ」

 彼女はやはりせせら笑いながら、急におかしなことを言い出す。
 
「秘密……?」
「そう。貴女が男と二人、汚い店から出てきたこと。夜中にその男とは違う男と二人、ベンチに座って語らっていたこと。……全て明るみにするわ」
「…………」

 きっとカイルさんと、ジャミル君の事を言っている。
 どちらもやましいことは一切ない――もちろん貴族令嬢としては、相応しくないかもしれないけれど。
 それよりなんでそんなことを知っているのか……ずっと見られていたの? ……気味が悪い。

「男にだらしないふしだらな女だと知れればどうなるでしょうね? 婚約は破棄、下手をすれば貴族の地位を失って……」
「……どうぞ」
「なんですって?」
「言うなら、どうぞご自由になさってください」
 
 そう返すとアーテ様は、信じがたい事実を目の当たりにしたかのように目を見開き驚く。
 彼女にとっては婚約と貴族の地位は何物にも代え難いものなのだろう。だから脅しに使った。
 でもあたしはその2つに価値を感じていない。
 デニス様はあたしと婚約破棄になっても、代わりの女性はいくらでもいる。
 父はぶどう農園さえあればいい人。母はアーテ様と同じ種類の人だから泣くかもしれないけど……でもたまにはあたしのせいで色々台無しになって泣けばいいんじゃないかしら。
 彼と……ジャミル君と結ばれることがないとしても、自由になれるのなら願ったり叶ったりだわ。
 そんなことを考えていると、また頬に衝撃が走った。

「……っ」

 痛い、もう……叩けばいいと思ってるじゃないこの人。
 これに反撃して啖呵たんか切るなんてレイチェルってばやるわね……。
 
「いちいち口答えばかり……いつからそんなに偉くなったのかしら!? 貴族の地位を失ってどう生きるつもり? お前なんて貴族の地位と癒やしの術がなければ何もない空っぽの馬鹿じゃない!!」
「……!」
「ああ、でもそのお顔と身体だもの、娼婦としてならやっていけるかも……ホホホ、良かったわねぇ」

 大声で歌うように罵倒しながら、アーテ様は両手を広げる。

「黙ってエリス様に従いなさい。一晩時間をあげるから、その空っぽの頭でよく考えることね!」
 
 ドカドカと足音を立てながら、扉を思い切り閉めてアーテ様は出ていった。
 
 
 ◇
 
 
 彼女にぶたれた頬が痛む。でもそれ以上に、彼女に言われたことの方が……。
 
 ――お前なんて貴族の地位と癒やしの術がなければ何もない空っぽの馬鹿じゃない!!
 ――そのお顔と身体だもの、娼婦としてならやっていけるかも……。
 
「…………」

 支離滅裂にしても、あまりな侮辱。
 でも実はこんな風に言われるのは初めてじゃなかった。
 回復魔法をあまり練習せずにお菓子を作っていたら、母に同じようなことを言われた。
 
「何にもしないくせに、体ばっかりいやらしく成長して。娼婦にでもなるつもり?」
「せっかく癒やしの術を使えるように産んであげたのに練習もしない!!」
「お菓子づくりなんてね、誰でもできるの!! 癒やしの術をやらなかったら貴女なんて何の価値もないわよ!!」
 
 母として、それ以上に人間としてのラインを飛び越えた罵倒。
 父が咎めても意味はなかった。だって母にとって父は目下の存在。
 当主といえど、領地もない田舎の伯爵家のそれも無能者――そんな父の言うことなんて聞き入れる必要もなければ、価値もない。
 口が立たない父は散々に自分の無能さを嘲り罵倒され、やがて母に進言することをやめた。
 
 お祖母様が亡くなって、領地を売り払ってなくなるはずだったサンチェス伯爵家。
 でも権威が欲しかった母があたしの婚約を取り付けてきてその話はお流れになった。
 親しい領民とぶどう農園をやりたかった父はやがてあたしを疎ましい目で見るようになった。
 
 この力が嫌いだ。だけど自分にはそれしかないから、自分を見てもらうためにこの力をアピールしないといけない。
 奇跡の力、慈愛の力なんて言うけどあたしが相手を癒す時にそんな心を持って癒やしたことはない。
 何のコンセプトも芯もないから、人を羨んでばかり。確かにあたしは空っぽの人間だわ。
 
 ――回復魔法よりもメシとパンケーキの方が大事だから。お菓子作り得意なんだろ? パンケーキだけ焼きまくってくれればそれでいい。
 
「……隊長」
 
 回復魔法なんていらないんだって。
 あたしの好きなお菓子づくりだけしてればいいんだって。嬉しかったなぁ、飛び上がっちゃった。
 ラーメン作ることにはみんな驚いてたけど、そのうちすぐに慣れてみんなラーメンをおいしそうに食べてくれたの。
 レイチェルにはレシピあげたりなんてして……。

(レイチェル……、レイチェルか……)
 
 ――お願いだよ、ルカがせっかく見つけたルカを捨ててしまわないでよ……
 
 ルカに言ったあのセリフ、すっごい刺さっちゃってあたしも泣きそうになっちゃった。
 やっぱり、お菓子とラーメン作ってるのは楽しいの。
 あたしは自分の力どころか自分自身を好きになれない。
 でも料理をしてる自分だけはやっぱりちょっと好きだなぁって、あの砦に来て初めてそう思えたのよ。
 それで……。
 
 ――だから、大好きなラーメン作ってる時のアンタって、いつもニコニコ楽しそうでさ。そういうのってオレは……。
 
 ――オレは、アンタのことが好きだな。
 
 少しはにかむように彼がそう言ったの。
 癒やしの力を使えるあたしじゃない。人が美しいと褒めそやす容姿なんかじゃない。
 あたしが、あたしがやっとちょっと自分を好きかもって、そう思った自分を、彼が好きだって言ってくれたの。
 
 ……今、こんなこと思い出してどうしようっていうんだろう。
 
 さすがにアイデンティティぐらぐらのあたしと言えど、あの非人道的な行いに手を貸すことは絶対にしない。
 それならあたしの行く末は、あの"血の宝玉"にされることだ。きっと殺されてしまうんだ。
 
「おばあさま……ピッピ……」
 
 心細い時にずっと唱えてきた2つの呼称。
 そのうちに彼も加えるようになるのかなんて思って涙したのは数日前のこと。
 でも……いいかな? いいよね。
 本当にどうにもできなくて、すごく心細くて怖いの、不安なの。だから今だけ……ごめんね。
 
「……ジャミル君……」
 
 そう呼んだら少し安心できるような気がしたけど、余計に涙が出てきてしまった。打たれた頬に涙が伝うとじんと痛い。
 なぜこんなことに? 誰にも、自分にも向き合わずいい加減に生きてきた報いなの?
 それにしたって、あんまりにも釣り合わなすぎるじゃない。
 
「ジャミル君……ジャミル君……たすけて……」
 
 絶対に届くはずのない声が、薄暗くひんやりとした部屋に虚しく響く……。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子
恋愛
学院には立ち入りを禁じられた場所があり、鬼が棲んでいるという噂がある。 朱里(あかり)はクラスメートと共に、禁じられた場所へ向かった。 禁じられた場所へ向かう途中、朱里は端正な容姿の男と出会う。 ――君が望むのなら、私は全身全霊をかけて護る。 不思議な言葉を残して立ち去った男。 その日を境に、朱里の周りで、説明のつかない不思議な出来事が起こり始める。 ※本文中のルビは読み方ではなく、意味合いの場合があります。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

裏切りの代償

志波 連
恋愛
伯爵令嬢であるキャンディは婚約者ニックの浮気を知り、婚約解消を願い出るが1年間の再教育を施すというニックの父親の言葉に願いを取り下げ、家出を決行した。 家庭教師という職を得て充実した日々を送るキャンディの前に父親が現れた。 連れ帰られ無理やりニックと結婚させられたキャンディだったが、子供もできてこれも人生だと思い直し、ニックの妻として人生を全うしようとする。 しかしある日ニックが浮気をしていることをしり、我慢の限界を迎えたキャンディは、友人の手を借りながら人生を切り開いていくのだった。 他サイトでも掲載しています。 R15を保険で追加しました。 表紙は写真AC様よりダウンロードしました。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

処理中です...