上 下
150 / 385
8章 不穏の足音

15話 呪う女・怯える男

しおりを挟む
「――ストップ。落ち着いて、レイチェル」
「!!」
 
 肩に手を置かれて我に返る。カイルだ。
 いつの間にか帰ってきていたらしい……全然気がつかなかった。
 
「ああっ、副隊長さん……っ」

 アーテさんが急に声色を変えてカイルに駆け寄る。
 両手で左頬を抑え、目に涙を滲ませて……さっきまでとはまるで別人のような弱々しい乙女の顔。
 彼女はカイルの腕を取ろうとしたが、彼はそれをかわす。
 
「……何度も申し上げていますが、無闇に私に触れないでいただきたいのです」
「え……? あ……でもどうか、話を聞いていただきたく――」
「私から貴女にお話するようなことはありません。お話なら、こちらの方々に」
「え……?」
 
 カイルの後ろに、銀の刺繍を施した白い軍服を着た男の人が二人。腰には白銀の鞘にしまった剣を下げている。

(騎士の人……?)
「な、なんですのこの方達……?」
「ロレーヌ聖銀騎士団の方です。貴女にお話をお聞きしたいそうです」

 ロレーヌ聖銀騎士団――剣と光の魔法と回復魔法を使う僧兵だ。
 お城じゃなく教会や大聖堂の警護に当たっていて、神事の際は聖女様や司祭様の護衛をする。そんな人達がどうして?
 
「聖銀騎士、ですって……何故……クライブさん、貴方が呼んだのですか……?」
「花畑に散らばっている虫の死骸をいくつか教会に持って行って見てもらったのです。……短時間で生命が空っぽになっている、禍々しい呪術に使われた可能性が高いとのことで、その術者がいるなら話を聞きたいと」
「それで……何故、わたくしが? ま、まさかわたくしを疑っているんですの? どうして……」
 
 アーテさんは両手を抱えうつむく。

「何故なの……」

 やがて肩を震わせながら大きく息を吸ってカイルを睨みあげ、彼の頬を思い切り打った。さっきわたしを打ったときよりももっと強い音が食堂に響く。
 
「何故、私の思うように動かないの!!」
 
 耳が痛くなるくらいの高音でカイルを怒鳴りつけた後、血走った目で彼を睨んで呼吸を乱しつつギリギリと歯噛みをする。
 さすがのカイルも理解不能の事態に言葉もなく呆然としている――ルカに時計をぶつけられ腫れていた左頬を更に打たれたため、口から血が流れている。
 
「――私は、お前に役を与えたの!! 私の守護をする役よ! 私は主人なの!! それなのに、それなのにこの私を売り渡すなんて……!! 早く私を護りなさいよ、何をやっているの! 与えた役をこなしなさい!! 何度も術をかけたのになぜなの!! 無能のくせに! 無能のくせに!!」
 
 髪を振り乱して彼女は叫ぶ。
 一から十まで何を言っているのか分からず、その場の全員が口をつぐんでしまう。
 ――やがて、聖銀騎士の男性のうち一人が口を開いた。
 
「そちらの方に何の術をかけたのでしょう」
「誰が喋っていいと言ったの!! 許可なく台詞を発するんじゃない!! この色混じりが!」

 また金切り声を上げて、彼女は騎士を突き飛ばす。
『色混じり』ってなんだろう……また草子クサコとか無能力者みたいな蔑称だろうか。
 
「失礼します!」

 別の騎士が二人、食堂に入ってきた。カイルと一緒に来たのは二人だったけど他にもいたんだ。
 彼らは足早にさっき突き飛ばされた騎士の元へ行き、何事か耳打ちした。彼がリーダー格なんだろうか。
 
「貴女が宿泊なさっていた部屋から、黒魔術の儀式の道具と不審な宝玉が見つかりました。お話を聞かせてください」
「な、なんですって……レディの寝床を勝手に調べるなんて、なんて無礼な男なの!! 恥を知りなさい!!」 

 ――怖い。どこまでも自分本位で、何の言葉も通じない。
 騎士達が彼女を拘束すると、彼女は目玉が落ちそうなくらいに目を見開く。
 血走った目に、剥き出しの歯茎……もはや別人のようにその美貌は見る影もない。
 
「触らないで、汚らわしい! 何が黒魔術よ偽善者!! お前達だって、見ていて気持ち悪い不快だからと虫を殺すことくらいあるでしょう!! 私は魔術に使うことでゴミに価値を与えてあげているの! お前達よりも生命の価値を知っているのよ!! 無礼者!! 離しなさい! 私は次代の聖女なのよ――!!」
 
 断末魔のような叫び。
 何かの文字が刻まれた白銀の手錠をかけられ、彼女は騎士達に連行されていった。
 食堂から出ても廊下から罵倒の言葉が聞こえている。
 やがて彼女が聖銀騎士の馬車に乗せられるまで、ずっと何事か呪詛の言葉を吐き続けていた――。
 
 
 ◇
 
 
「はい、これで治りました」
「……ああ、ありがとう……」
 
 彼女が連行されたあと、カイルはぶたれた頬をベルに治してもらっていた。
 わたしも顔に跡が残ったら大変ってことで治療してもらった。2回叩かれたもんね……でも今それどころじゃないな。
 
「大丈夫? カイル……」
「……まあ、傷は大丈夫だけど。ちょっと心が大丈夫じゃないな」
「あはは……」
「ああああっ、怖い……! なんなのあの女……術がどうとかなんなんだよ怖い……」

 青白い顔で両腕を抱えてカイルは身震いをする。
 よっぽど怖かったのか、口調が普段の大人びた感じでなくなっている。
 
「聖銀騎士様が彼女の部屋を調べてくださってますけれど……まさかあんな。申し訳ありません……」
「君が謝ることじゃないでしょ? ……黒魔術であんなになっているのかただ性格悪いのか分からないから厄介だよなぁ」
「不審な宝玉とかって何なんだろうね……」
 
「失礼します」
「!」

 聖銀騎士の人が食堂に入ってきた。あのリーダーっぽい人だ。
 砦に残ってアーテさんの部屋を調べてくれていたのだ。

「クライブ・ディクソンさんというのはあなたでしょうか」
「あ、はい……」

 名前を呼ばれて、カイルが立ち上がる。
 
「彼女の部屋から、大量の虫の死骸、それからあなたの名前を書いた紙と頭髪が見つかりました」
「え……、え!?」
「紙に記された魔法の文字を解読しましたところ、どうやら彼女はあなたに魅了の術をかけていたようなのですが……」
「み、魅了……」
「見た所なんともないようですが、身体の具合などおかしなところはありませんか?」
「いや、そういえば頭が痛い気がしますが……ただ疲れてるだけかと」

 目を泳がせながら、カイルは再びイスに座り込み頭を抱える。

「『術をかけたのに効かない』ってそういうことだったんだね……」

 虫の死骸が大量に出てきたとか嫌だなぁ……あの人の部屋誰も使えないな。
 
「強靭な精神力をお持ちなのですね。しかし全く効かないのは不思議です。何か特別な装飾品やお守りなどをお持ちで?」
「いや、特別心当たりは……」
「しかし念の為に解呪魔法ディスペルをかけてもらった方が良いのでは。そちらに回復術師の方もいらっしゃいますし」
「あ! そ、そうですね!! 早速やりましょう!」
「ああ……頼むよ」

 カイルの台詞を受け、すぐにベルが杖を両手に持ち目を閉じる。

「彼の者に降りかかりし災いよ……姿を見せよ」

 ベルがそう唱えると、掲げた杖が光り出す。まばゆい光がカイルを包み、やがて……。
 
「ひっ!?」
「な……!」

 その場の全員が息を呑む。
 カイルの全身――頭から腕、足にかけて、おびただしい数の赤い糸がくっついていた。血のような、赤。
 彼自身が蜘蛛の巣にかかった虫のように、ベトベトに糸が絡みついていた――。
 
 
 ◇
 
 
 聖銀騎士の人の話だと、あの糸は1本でもそこそこの効き目があり、かけられた者は術者を目で追うなどしはじめるらしい。
 カイルに直接触ることで糸をくっつけたりもしたようだ。
 だけどまるで効かないどころか「触るな」とたしなめられる。
 何度も何度も術をかけて、彼が赤い糸まみれになっても全く効かない。
 そして自分を聖銀騎士に売り渡すようなことをされ、とうとう怒りが頂点になってしまったようだ……。
 
「なんでだよ……怖すぎるんだよ……」

 身震いしながらカイルが机に突っ伏す。呪いはベルに解いてもらったけど、疲労がすごいみたいだ……。

「なんで全然効かなかったんだろうね?」
「名前じゃないかな……紙に『クライブ・ディクソン』って書いてあったらしいし」
「なるほど、真名まなでないと駄目ということでしょうか」
「それに君がかけた光の守護方陣も彼女の魔法を弱めたのかもしれないね」
「ふぇー、ベルってやっぱりすごいね。っていうか、カイルの髪の毛なんてどこで?」
「部屋は毎回カギかけてたけどな……知らない間に髪切られたみたいなこともないし……」
「あ! お風呂の脱衣所とかは? 髪の毛落ちてるんじゃない?」
「はっ! 脱衣所!?」
「えっ」
 
 素っ頓狂な声を上げたあと、またまた青褪めた顔でカイルは口を両手で覆う。
 
「……そうだ……髪散らばってる……グレンがいないから……」
「「ああ~……!」」
 
 土日の早朝、グレンさんがいつも掃除をしている。
 そしてカイルは今週冒険に出ず砦で寝泊まりをしている。女性の脱衣所はわたし達が掃除しているけど、男性の脱衣所はグレンさん以外が掃除をすることがない。1週間誰も掃除しなければそれなりに髪の毛が落ちるだろう。
 
「なんだか……隊長ってなかなか大事な存在ね……」
「うん……」

 うう、寂しいなぁ。あの人はいなくなったけど、早く帰って来て欲しい……。
 
「ルカ姉ちゃん!?」
「わっ!」

 フランツが大声で叫びながら、食堂の扉を開けた。

「びっくりしたぁ、どうしたの、フランツ」
「ルカ姉ちゃんは? おれ寝ちゃってて……」
「ルカ? 来てないけど……」

 そう言うと、フランツは泣きそうな顔になって拳を握る。
 
「どうしよう……ルカ姉ちゃん、どっか行っちゃった!」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました

杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」 王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。 第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。 確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。 唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。 もう味方はいない。 誰への義理もない。 ならば、もうどうにでもなればいい。 アレクシアはスッと背筋を伸ばした。 そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺! ◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。 ◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。 ◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。 ◆全8話、最終話だけ少し長めです。 恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。 ◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。 ◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03) ◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます! 9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

処理中です...