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【第2部】7章 風と鳥の図書館
28話 また会う日を、楽しみに
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「駆け落ち……」
小説や物語で読んだ時はロマンチックだなんて思ってたけど、館長や奥さんの身の上を聞くととても悲壮なもののように思える。
「はい。……私が妻に持ちかけて、妻も迷いながらも同意してくれました」
……と言った所で、テオ館長はちょっといたずらっぽく笑う。
「……というのはウソです」
「ほえ? ウソ??」
「ふふ、そうです。いえ、駆け落ちは本当ですが、実際は妻が私に『何もかも捨てて逃げましょう』と私の手を取って言ったんです」
「奥さんの方から、ですか」
「ええ」
驚いちゃった。……そのパターンはあんまり物語では見ない、かも?
「その時の私はそんな精神的余裕は全くありませんでした。紋章が発現してから人の持つ感情なんかが風となって視えるようになり……特に家族は顔が見えないくらいの黒い風に覆われていて……それに加え、実は家族に蔑まれていたという事実に打ちひしがれていました。曲がりなりにもあったと思っていた絆が、実はなかったんですから。妻との婚約も勝手に破棄されて、信じられる者が誰もいない――そんな風に思って塞ぎ込んでいたある日、妻が私の部屋のバルコニーに忍び込んできたんです」
「「…………」」
「えっ」
黙って聞いていたわたし達は、聞き捨てならない言葉に同時に顔を見合わせる。
「忍び込んで? ……えっ、奥さんが、ですか?」
「ええ。夜にね」
「ええと、貴族の屋敷に?」
「ええ。ふふふ……」
「……破天荒ですね」
グレンさんもさすがに少し驚いている。それはそうだ。
お嬢様の所に身分違いの男の人がさらいに来て とかなら分かるけど、貴族のお嬢様が忍び込む……?
テオ館長はおかしそうに笑う。
「ふふふ……おかしいでしょう。先にも言ったように妻は銀髪と魔法至上主義のノルデン貴族において黒髪、それに『無能力者』として家では最下級の扱いを受けていました。また……女性としては背が高くて『可愛げがない』と貴族令嬢としても価値がないものと言われていたんです。社交界に出ることも許されず……けれどそういうものに憧れがない妻は『ちょうどいいです』と笑っていました。それに妻は魔法は使えないものの運動神経がずば抜けていて、女性ながらに剣の扱いや馬術に長けていました。なので忍び込んで来た時は『私が貴方をお守りしますから一緒に逃げましょう』なんて言ってね……」
「わ、わあ……素敵だけど、テオ館長お姫様みたいですね」
「そうですねぇ……ふふふ。黒くて汚い風ばかり視えている中、その時の妻のまとっている風は本当にキラキラしていて……月明かりを背に降り立った姿はまるで女神でしたよ。既に愛してはいたんですが、もう本当の意味で惚れ込んでしまいました。それでね、」
「……?」
「恥ずかしいことに、あれこれ疲れ切ってどん底だった私は妻に縋り付いて泣いてしまいましたよ。『お願いだから、どうかずっと一緒にいてほしい』ってね」
「……館長……その、わたしは恥ずかしいなんて、思いません……」
もうその時は大人だった館長が縋って泣くなんて、それほど追い詰められていたということ……きっと本当に奥さんは救いの神みたいに見えたんだろうな。
「……ありがとう」
館長は少しはにかむ。
「ふふ、でもやっぱり恥ずかしいです。駆け落ちしてここに流れ着くまで本当に妻に守ってもらい、当面の生活費も妻が出してくれてたんです」
「た、たくましい……」
「『恥かきっ子の私は手切れ金としてたらふくお金をもらっていますから安心して大好きな本でも読んでいてください』と。紋章による自分の変化と魔術に慣れるまでは、本当にそれに甘えきりでした」
「へー……」
「ふふふ。いわゆるジゴロというやつです」
「ふぇっ! そ、そんな」
わざわざ言わなければ「ロマンチック~!」ってなってたのにぃ。
横でグレンさんがフッと鼻で笑っている……。
「しかもこの家も図書館もほとんど妻のお金で建てましたからねぇ。”手切れ金”とやらと、冒険者をやって稼いだお金と……私は妻がいなければとうに死んでいましたよ」
「冒険者まで!? ほんとにたくましい……でもそれだけテオ館長のことが好きだったんですよね」
「……ふふふ。図書館は婚約中からの妻と私の夢でしたからね。いつか結婚したらこの土地を離れて小さい図書館を……魔法を使える者使えない者、髪色や身分なんて関係なくみんなが気軽に訪れて好きな本を読める、そういう場所を作りたいと」
「夢がかなったんですね……」
「ええ。私と妻だけの秘密の名前で『風と鳥の図書館』って呼んでいました」
「風と、鳥」
「紋章があるものの私は最初、そよ風のようなものしか出せなくて……それを仮住まいの庭でひたすら出していたら、なぜか鳥が集まってくるようになりまして。鳥が好きな妻は大喜びで巣箱を置いたりしていました。だから図書館を建てる時も鳥が集まるための庭を作りました」
「あ……図書館のテラスって、そのためのものだったんですか」
「ええ。鳥のために巣箱を手作りして、ガーデニングもこだわって……『こんな幸せな空間をくださってありがとう』なんて言うものですから恐縮してしまいました。……一度妻に聞いたことがあるんです。なぜそんなにずっと笑っていられるのか、なぜそんなに強いのか、縋りついて何もかも頼りきり、守られてばかりのこんな情けない男を選んで良かったのか、と。そうしたら妻はこう言いました」
――テオ様、私は強くなんてありません。
最初に「守る」なんて殊勝な事を言いましたけれど、あの時の私はテオ様を誰にも取られたくなかっただけなんです。
だってテオ様はずっと私に優しかったんです。私という人間を認めて愛してくださるたった一人の人を失いたくなかったんです。
私やっと分かったんです。
黒髪であることも、魔法が使えないこともドレスが与えられないこともなんでもないように思ってきたけれど、ちがったんです。
私、ずっと怒っていました。不当な扱いをする周囲を恨んでいました。
理不尽と不平等に憤って、憎くて憎くて……心に溜め込んだ憎悪を魔物にぶつけていました。
けれど今私はテオ様をお守りするために剣を振っています。私の剣を、守るための剣に変えてくれたのはテオ様です。私それがとても幸せなんです。
私はこの鳥達と違う、寄る辺のない鳥。――そんな私をテオ様はずっと優しい風で包んでくださるんです。
これからも私はその風が絶えないよう、命をかけてお守りします。だからどうかテオ様、私をずっと包んでいてください。
――柱時計が鳴り、夕方の5時を知らせる。
「ああ、もうこんな時間だ。……老人の話は感傷的で長くなっていけないね。そろそろ、お開きにしましょうか」
「あ、はい……」
「レイチェルさん、グレン君。今までありがとう。君達と出会えて良かった」
「館長さん……わたし、わたしもです。わたしここが大好きでした。館長さんのことだって大好きでした。お別れするのは辛いです……」
泣かないようにしようと思っていたけど、館長と奥さんの話もあり結局涙がボロボロとこぼれてしまった。
「私も名残惜しいです。これからの君達に、いい風が吹きますように――」
館長はわたしが持ってきたネリネの花束を手にとってにっこりと笑った。
『また会う日を、楽しみに』――。
こうして「風と鳥の図書館」は、40数年の歴史にそっと幕を下ろした。
◇
「あれれ? グレンさんも何かもらったんですか」
「ああ。館長が自分の紋章のことを書いた手帳だそうだ」
「へえ……」
「50年分だって」
「わっ、すごい」
夕方、秋の空はすぐに暗くなってしまう。
図書館からの帰り、手をつないでまた家の近くの公園まで歩いてきた。
家とこの公園から図書館はけっこう近い。すぐに別れるのが惜しいから藤棚の下のベンチに座って少しの間話をすることにした。
「グレンさん。グレンさんは紋章があって辛いことはないんですか。館長は黒い風が視えて……って言ってましたけど」
「え……? いや、俺は館長や最近知り合った紋章使いの奴と違って子供の頃からあるし、逆に視えない状態が分からないからな」
「そっかぁ……うーん」
「何かしなければいけないとか思ってないか?」
「えっ? それは……はい。……館長のお話聞いたら、余計に」
そう言うとグレンさんはわたしの肩を抱き寄せ、頭をそっとなでてくれる。
「その言葉だけで十分だ」
「……グレンさん」
「でも……そうだな。どちらかというと奥さんの身の上や心情の方が俺に近いかもしれない」
「……はい」
理不尽に憤って、憎しみを手に剣を振る。でも奥さんには館長がいた。
だけど彼は潰れてしまった。元いた場所から姿を消してしまった。誰にも何も告げず……。
(寄る辺のない、鳥……)
「グレンさん。……つ、辛かったらですね、その……な、泣いてもいいんですよ」
「……縋り付いてか?」
「ど……どんと来いですっ」
「……ふふっ」
「おっ?」
「ははは……」
拳を手に当ててグレンさんがおかしそうに声を上げて笑う。
そんな笑い方もするんだ……って、
「そんな笑わなくたってぇ……、でもそうなったってわたし、恥ずかしいとかかっこ悪いなんて思いませんから」
「ふふ、ありがとう。覚えておく」
頬に手が添えられて、キスされた。唇が離れたと思ったら、角度を変えてもう一度……。
「――あそこがなくなったのは、残念だった」
「……はい」
「でも、大事な物を見つけられたから……それは、よかった」
大きな手で頬を包まれ、彼が微笑む。大事な物……それって、
「わ、わたしもですっ!!」
ボリュームを間違えてしまい静かな公園に大きな声が響く。甘い空気だったのにぶち壊しちゃった……?
「声が大きいな……」
と、グレンさんが司書をやっていた時と同じように言って苦笑いする。
「す、すみません……」
うう、誰も聞いていないとはいえ恥ずかしい……。
「えと、あそこの仕事なくなったら、冒険者の任務を増やすんですか?」
「そうなるかな……ああ、面倒だ」
「あはは。カイルに怒られますよ」
「デートしたいのに」
「デ……そ、それは、あの、はい」
「そういう時は声小さいんだな」
「う……」
大照れしてボソボソ喋るわたしを彼がいたずらっぽくからかう。
そんなわたし達の間にふわりと風が吹く。
今度は不安を煽らない、優しい心地よい風。
かっこいい憧れの司書のお兄さんは、わたしのバイトの雇い主になって、それからまさかまさかの恋人になった。
ちょっとかっこ悪くて抜けてる所があるけど、何か悲しい事情を抱えている人。
わたしはそんな彼に、いい風を吹かせられるのかな……?
小説や物語で読んだ時はロマンチックだなんて思ってたけど、館長や奥さんの身の上を聞くととても悲壮なもののように思える。
「はい。……私が妻に持ちかけて、妻も迷いながらも同意してくれました」
……と言った所で、テオ館長はちょっといたずらっぽく笑う。
「……というのはウソです」
「ほえ? ウソ??」
「ふふ、そうです。いえ、駆け落ちは本当ですが、実際は妻が私に『何もかも捨てて逃げましょう』と私の手を取って言ったんです」
「奥さんの方から、ですか」
「ええ」
驚いちゃった。……そのパターンはあんまり物語では見ない、かも?
「その時の私はそんな精神的余裕は全くありませんでした。紋章が発現してから人の持つ感情なんかが風となって視えるようになり……特に家族は顔が見えないくらいの黒い風に覆われていて……それに加え、実は家族に蔑まれていたという事実に打ちひしがれていました。曲がりなりにもあったと思っていた絆が、実はなかったんですから。妻との婚約も勝手に破棄されて、信じられる者が誰もいない――そんな風に思って塞ぎ込んでいたある日、妻が私の部屋のバルコニーに忍び込んできたんです」
「「…………」」
「えっ」
黙って聞いていたわたし達は、聞き捨てならない言葉に同時に顔を見合わせる。
「忍び込んで? ……えっ、奥さんが、ですか?」
「ええ。夜にね」
「ええと、貴族の屋敷に?」
「ええ。ふふふ……」
「……破天荒ですね」
グレンさんもさすがに少し驚いている。それはそうだ。
お嬢様の所に身分違いの男の人がさらいに来て とかなら分かるけど、貴族のお嬢様が忍び込む……?
テオ館長はおかしそうに笑う。
「ふふふ……おかしいでしょう。先にも言ったように妻は銀髪と魔法至上主義のノルデン貴族において黒髪、それに『無能力者』として家では最下級の扱いを受けていました。また……女性としては背が高くて『可愛げがない』と貴族令嬢としても価値がないものと言われていたんです。社交界に出ることも許されず……けれどそういうものに憧れがない妻は『ちょうどいいです』と笑っていました。それに妻は魔法は使えないものの運動神経がずば抜けていて、女性ながらに剣の扱いや馬術に長けていました。なので忍び込んで来た時は『私が貴方をお守りしますから一緒に逃げましょう』なんて言ってね……」
「わ、わあ……素敵だけど、テオ館長お姫様みたいですね」
「そうですねぇ……ふふふ。黒くて汚い風ばかり視えている中、その時の妻のまとっている風は本当にキラキラしていて……月明かりを背に降り立った姿はまるで女神でしたよ。既に愛してはいたんですが、もう本当の意味で惚れ込んでしまいました。それでね、」
「……?」
「恥ずかしいことに、あれこれ疲れ切ってどん底だった私は妻に縋り付いて泣いてしまいましたよ。『お願いだから、どうかずっと一緒にいてほしい』ってね」
「……館長……その、わたしは恥ずかしいなんて、思いません……」
もうその時は大人だった館長が縋って泣くなんて、それほど追い詰められていたということ……きっと本当に奥さんは救いの神みたいに見えたんだろうな。
「……ありがとう」
館長は少しはにかむ。
「ふふ、でもやっぱり恥ずかしいです。駆け落ちしてここに流れ着くまで本当に妻に守ってもらい、当面の生活費も妻が出してくれてたんです」
「た、たくましい……」
「『恥かきっ子の私は手切れ金としてたらふくお金をもらっていますから安心して大好きな本でも読んでいてください』と。紋章による自分の変化と魔術に慣れるまでは、本当にそれに甘えきりでした」
「へー……」
「ふふふ。いわゆるジゴロというやつです」
「ふぇっ! そ、そんな」
わざわざ言わなければ「ロマンチック~!」ってなってたのにぃ。
横でグレンさんがフッと鼻で笑っている……。
「しかもこの家も図書館もほとんど妻のお金で建てましたからねぇ。”手切れ金”とやらと、冒険者をやって稼いだお金と……私は妻がいなければとうに死んでいましたよ」
「冒険者まで!? ほんとにたくましい……でもそれだけテオ館長のことが好きだったんですよね」
「……ふふふ。図書館は婚約中からの妻と私の夢でしたからね。いつか結婚したらこの土地を離れて小さい図書館を……魔法を使える者使えない者、髪色や身分なんて関係なくみんなが気軽に訪れて好きな本を読める、そういう場所を作りたいと」
「夢がかなったんですね……」
「ええ。私と妻だけの秘密の名前で『風と鳥の図書館』って呼んでいました」
「風と、鳥」
「紋章があるものの私は最初、そよ風のようなものしか出せなくて……それを仮住まいの庭でひたすら出していたら、なぜか鳥が集まってくるようになりまして。鳥が好きな妻は大喜びで巣箱を置いたりしていました。だから図書館を建てる時も鳥が集まるための庭を作りました」
「あ……図書館のテラスって、そのためのものだったんですか」
「ええ。鳥のために巣箱を手作りして、ガーデニングもこだわって……『こんな幸せな空間をくださってありがとう』なんて言うものですから恐縮してしまいました。……一度妻に聞いたことがあるんです。なぜそんなにずっと笑っていられるのか、なぜそんなに強いのか、縋りついて何もかも頼りきり、守られてばかりのこんな情けない男を選んで良かったのか、と。そうしたら妻はこう言いました」
――テオ様、私は強くなんてありません。
最初に「守る」なんて殊勝な事を言いましたけれど、あの時の私はテオ様を誰にも取られたくなかっただけなんです。
だってテオ様はずっと私に優しかったんです。私という人間を認めて愛してくださるたった一人の人を失いたくなかったんです。
私やっと分かったんです。
黒髪であることも、魔法が使えないこともドレスが与えられないこともなんでもないように思ってきたけれど、ちがったんです。
私、ずっと怒っていました。不当な扱いをする周囲を恨んでいました。
理不尽と不平等に憤って、憎くて憎くて……心に溜め込んだ憎悪を魔物にぶつけていました。
けれど今私はテオ様をお守りするために剣を振っています。私の剣を、守るための剣に変えてくれたのはテオ様です。私それがとても幸せなんです。
私はこの鳥達と違う、寄る辺のない鳥。――そんな私をテオ様はずっと優しい風で包んでくださるんです。
これからも私はその風が絶えないよう、命をかけてお守りします。だからどうかテオ様、私をずっと包んでいてください。
――柱時計が鳴り、夕方の5時を知らせる。
「ああ、もうこんな時間だ。……老人の話は感傷的で長くなっていけないね。そろそろ、お開きにしましょうか」
「あ、はい……」
「レイチェルさん、グレン君。今までありがとう。君達と出会えて良かった」
「館長さん……わたし、わたしもです。わたしここが大好きでした。館長さんのことだって大好きでした。お別れするのは辛いです……」
泣かないようにしようと思っていたけど、館長と奥さんの話もあり結局涙がボロボロとこぼれてしまった。
「私も名残惜しいです。これからの君達に、いい風が吹きますように――」
館長はわたしが持ってきたネリネの花束を手にとってにっこりと笑った。
『また会う日を、楽しみに』――。
こうして「風と鳥の図書館」は、40数年の歴史にそっと幕を下ろした。
◇
「あれれ? グレンさんも何かもらったんですか」
「ああ。館長が自分の紋章のことを書いた手帳だそうだ」
「へえ……」
「50年分だって」
「わっ、すごい」
夕方、秋の空はすぐに暗くなってしまう。
図書館からの帰り、手をつないでまた家の近くの公園まで歩いてきた。
家とこの公園から図書館はけっこう近い。すぐに別れるのが惜しいから藤棚の下のベンチに座って少しの間話をすることにした。
「グレンさん。グレンさんは紋章があって辛いことはないんですか。館長は黒い風が視えて……って言ってましたけど」
「え……? いや、俺は館長や最近知り合った紋章使いの奴と違って子供の頃からあるし、逆に視えない状態が分からないからな」
「そっかぁ……うーん」
「何かしなければいけないとか思ってないか?」
「えっ? それは……はい。……館長のお話聞いたら、余計に」
そう言うとグレンさんはわたしの肩を抱き寄せ、頭をそっとなでてくれる。
「その言葉だけで十分だ」
「……グレンさん」
「でも……そうだな。どちらかというと奥さんの身の上や心情の方が俺に近いかもしれない」
「……はい」
理不尽に憤って、憎しみを手に剣を振る。でも奥さんには館長がいた。
だけど彼は潰れてしまった。元いた場所から姿を消してしまった。誰にも何も告げず……。
(寄る辺のない、鳥……)
「グレンさん。……つ、辛かったらですね、その……な、泣いてもいいんですよ」
「……縋り付いてか?」
「ど……どんと来いですっ」
「……ふふっ」
「おっ?」
「ははは……」
拳を手に当ててグレンさんがおかしそうに声を上げて笑う。
そんな笑い方もするんだ……って、
「そんな笑わなくたってぇ……、でもそうなったってわたし、恥ずかしいとかかっこ悪いなんて思いませんから」
「ふふ、ありがとう。覚えておく」
頬に手が添えられて、キスされた。唇が離れたと思ったら、角度を変えてもう一度……。
「――あそこがなくなったのは、残念だった」
「……はい」
「でも、大事な物を見つけられたから……それは、よかった」
大きな手で頬を包まれ、彼が微笑む。大事な物……それって、
「わ、わたしもですっ!!」
ボリュームを間違えてしまい静かな公園に大きな声が響く。甘い空気だったのにぶち壊しちゃった……?
「声が大きいな……」
と、グレンさんが司書をやっていた時と同じように言って苦笑いする。
「す、すみません……」
うう、誰も聞いていないとはいえ恥ずかしい……。
「えと、あそこの仕事なくなったら、冒険者の任務を増やすんですか?」
「そうなるかな……ああ、面倒だ」
「あはは。カイルに怒られますよ」
「デートしたいのに」
「デ……そ、それは、あの、はい」
「そういう時は声小さいんだな」
「う……」
大照れしてボソボソ喋るわたしを彼がいたずらっぽくからかう。
そんなわたし達の間にふわりと風が吹く。
今度は不安を煽らない、優しい心地よい風。
かっこいい憧れの司書のお兄さんは、わたしのバイトの雇い主になって、それからまさかまさかの恋人になった。
ちょっとかっこ悪くて抜けてる所があるけど、何か悲しい事情を抱えている人。
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