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【第2部】7章 風と鳥の図書館

22話 逃げないで

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 ――誰も彼も俺の行動言動に、何か意味を持たそうとする。何もないのにな。
 
 先週、グレンさんが言った一言。
 意味がないなんて嘘。
 彼は軽口ばかり言う。真面目なことはあまり喋らない分、きっとたくさん意味がある。
 
 お見舞いにくれたこのジニアの花束だって、そうでしょう?
 花言葉は「不在の友を想う」――。

(『不在の友』……『友』かぁ。うう……)

 お花を花瓶に活けながら、涙がこぼれそうなのをこらえる。
 
 お花を飾った後、キッチンで飲み物の用意。
 今わたしの家のリビングのソファに、グレンさんが座っている。
 彼は最初家に入るのを渋っていたけど、わたしが「寒いから入りたいんです」なんて言って半ば無理矢理に招き入れたのだ。
 
 日をおいて冷静になってくると、あの日、あんな風に爆発するほど叫んで泣きわめいて感情をぶつけてしまったのがすごく気まずい。
 あんなことするのは初めてだった。それも、好きな人に。
 
 
 ◇
 
 
「お待たせしました。ココアでいいですよね」

 ソファの前に置いてあるローテーブルにココアを差し出す。わたしはコーヒー。
 わたしがソファに腰を下ろそうとするとグレンさんが立ち上がり、わたしに頭を下げた。

「レイチェル……すまなかった」
「え……グレンさん、そんな、やめてください……!」

 わたしはグレンさん――というか、大人の男性に頭を下げられるという今までの人生でまずなかった状況にあせってしまう。

「……俺の浅はかな行為で、レイチェルをひどく傷つけた」
「グレンさんのせいじゃ……ありません。わたしが勝手に溜め込んで――」

 言いかけた所でグレンさんは首を振り、言葉を続ける。

「――俺は、レイチェルのことが好きだ」
「!!」

 心臓が跳ね上がってうるさいのに、息は止まりそうだ。
 グレンさんが、わたしを? まさか、そんな素振り一切なかった。
 でも、それより何より……そうだとしたら、ここ数日の彼の言動や行動には疑問しか浮かばない。
 
「それなら、どうしてあんな……」

 突き放すようなことを言ったの? 避けようとしたの? 逃げるってどういうことなの? 全然分からない。

「伝えるつもりはなかった。……なかったことにして見過ごそうと思ってたんだ」
「……ど、どうして」
「年も離れてるし、何より住んでいる世界が違う」
「住んでる、世界? 何……」
 
「俺は物心ついた時には既に両親はいなくて、孤児院にいた。孤児は番号で管理されていて、食い物はない、寒いし暑い劣悪な環境だった。でも善い行いをして神に祈って認められれば『光の塾』に連れて行ってやる。そのためにはまず『ヒト』であることを捨てよ、モノを作るのは神のすること、真似事をするな。感情は穢れだ、怒るな泣くな、喜ぶな……そんなことを毎日言われ続けていた」
「光の、塾……」
「……たぶんその”下位組織”って所か。ともかくそこへ行けば名前を与えてやる、そうしたらゴミから人間になれるから、そうなるように励めと。フランツの話だと『上のクラス』とやらでないとやっぱり番号で呼ばれるみたいだが」
「…………」

 あんまり、ひどい。ひどさを形容する言葉すら出てこない。
 フランツがその話をしている時、この人はどんな気持ちで聞いていたんだろう?
 
「……そんな所から人生始まってるからか、俺は感情が今ひとつ薄い。情熱とか優しさが足りない。そのくせ、イラついたり怒ったり妬んだり憎んだり……そういうのは人一倍強い。ディオール騎士になったのも、金と地位と名声が欲しかったからだ。何が何でも成り上がって『カラス』と蔑んできた連中をねじ伏せてやる……そんなことばかり考えてた」
「…………」

 いつか、彼が『カラスの黒海』というノルデン人を蔑む意図のお酒を渡されシンクに捨てていた時のことを思い出す。
 少しイライラしていそうだったけれど、『よくあることだ』なんて言ってた。『自分はその定義に当てはまるからなんとも』とも。
 彼の行動原理になるくらいに、やっぱりそれは耐え難いことだったんだ。
 
「それなりに金と地位と名声は手に入ったが、人間味がないただ強いだけの俺は常に恐怖の対象だった。何故か分からないが根も葉もない噂が好き放題に広がる。人を殺した過去があるらしいとか、あいつが魔物を呼び寄せてるんじゃないか? とか。それでも、信じてくれる人間はいたからそれでも戦い続けていたら……ある日急にプツッと切れた。生きる事に疲れて、どうでもよくなった。だから全部投げ出してディオールから逃げた」
 
「『ちょっと疲れて、消えたくなった』……、全然ちょっとじゃ、ないじゃないですか」

 涙が滲む。
 住む世界が違うなんて、そんなことありませんよって言いたい。
 だけどわたしの人生で体験してきたこととはあまりに違う。
「生きるのに疲れる」という心境が分からない。彼の境遇を聞いて、どんな言葉をかければいいの。
 
「……感情があると思うから疲れる。だから最初からそんなものを持っていないと思うようにした――『光の塾』の教義と、同じように。振り出しに戻るだけだ」
 
 ――なんにも、言葉が出てこない。
 わたしはただ彼の手をにぎることしかできなかった。
 
「進むことも戻ることもせず、時間が止まったように過ごしていた。図書館の仕事を見つけたのはそんな時だ。あそこは良い……俺が紋章使いと分かっていても館長は何も聞いてこない。死んだような目をしていても誰も咎めないし、ただそこにいることが許される。客もみんな穏やかでいい人だし、心が安らいだ。レイチェルもその一人だった」
「わたし……」
「ちょっとしたことで全力で喜んで、その日その日を全力で生きてる。活力に満ち溢れていて、眩しかった。太陽みたいだと思った」
「た、太陽なんてそんな……」
 
「そのレイチェルが何の縁か、あの砦にやってきた。アクの強い奴ばかりで、水かけられたり理不尽に怒鳴られたりするのに意外とめげない。人形みたいなルカとも普通に接するし、友達になってくれた。呪いの剣で情緒不安定なジャミルも、レイチェルには素直に色々話す。――カイルは、俺からしても年上で何か言いづらい。でもレイチェルはそいつに臆面なく思い切り説教して、頑なだったあいつも最終的に折れた。2人は和解して最悪の事態にならずに済んだ。ルカは花が好きになって、色んな気持ちを知っていってる。ジャミルは日常に戻っていって、たまに家にでかい弟が入り浸って文句を言ったりしてる。俺は今あの3人がそういう当たり前の日常を過ごせているのはレイチェルのおかげだと、そう思ってる」
「そ、そんな……い、言いすぎですよ」

 そんな風にわたしのことを見てくれて、評価してくれてたなんて。顔が熱い。
 恥ずかしすぎて小声で否定すると、グレンさんは少し微笑む。柔らかい笑顔に胸が高鳴る。

「言いすぎじゃない。だから俺も……惹かれた」
「グレンさん……」
「でも、だからこそ」

 そう切り出すと、さっきの柔らかい笑顔が消えてしまう。さっきからずっと、わたしの顔は見てくれない。

「レイチェルの気持ちが俺に向いてると気づいて、それは駄目だと思った」
「……なんで、そうなるの」
 
「俺の人生は始まりから呪わしい。育ちは悪いし、人を憎んだり妬んだり成り上がろうとしたり、汚い感情だらけだ。……それはそのうちに、健全な人間を押し潰す。俺はただの通過点であるべきだ。レイチェルにはもっとふさわしい男がいる。同じような環境で育った男と恋愛した方が――」
「だから、そうやって……、に、逃げるんだ」
「…………レイチェル」
「わたしを想ってくれて、わたしの気持ちにも気付いたのに、そんな、綺麗事っ、……ひどい」

 最後まで聞くと言ったのに、話の途中でわたしは彼の独白を否定する。だって、あまりに勝手で理不尽だ。
 結局泣いてしまった。涙が抑えられない。
 
「そこには、わたしの気持ちはどこにも入ってない……! 住んでる世界とか、別の男性と恋愛とか、そんなの勝手よ……わたしの気持ちも気付いてて……卑怯だよ!」

 いやだ、いやだ。また癇癪かんしゃく起こしてる。でも抑えることができない。

「『同じような環境で育った男の人』って、誰ですか? カイル? ジャミル? それか全然知らない、いつ出会うかも分からない架空の人ですか? そのためにわたしは今抱いてる気持ちを否定されないといけないの?」
 
 彼の生まれや境遇なんかを考えれば、そういう風に考えるのも無理がないのかもしれない。
 そうは思っても今のわたしには理屈はなく、感情だけが噴き出してきていた。
 気持ちを抑えられず、感情がわたしの口を突き動かす。涙で滲んで彼の表情かおは見えない。

「すまない……何も、弁解の余地はない。俺は戦い以外のことはほとんど何もできない」
「じ、自分で自分を悪く言う言葉だけ素直に受け入れて、駄目な人間なんだって引き下がって、それってかっこいい大人のフリなんですか? わたし、分かりません!」
「……」
 
「グレンさん、グレンさんは自分が普通の人じゃないみたいに言うけど、わたしから見たグレンさんは、普通の男の人です……。かっこいいけど、甘いものが好きだったり、料理がヘタだったり、お玉で殴られたりしてちょっとかっこ悪い所もあるけど、図書館を荒らされたり、カイルがジャミルを見捨てようとしたらすごく怒ったり……。人間味がないなんてそんなことない、当たり前の気持ちを当たり前に備えた、普通の人です! ノルデン人だとか、紋章持ってるとか、過去にどんなことがあってどんなに強い人なのかわたしには分かりません。だけどわたしは、ここで出会ったグレンさんを見て、話して、それで……好きになったんです。わたし……」
 
 せきを切ったように、想いを吐き出す。

「わたしが、好きになったのは、そういう……」

 ――胸が痛くて息が苦しい。辛い。

「……うっ、ううっ、ひっ……」

 わたしは子供みたいにしゃくりあげ、次の言葉を紡ぎ出せずただ泣いてうつむいてしまう。
 これじゃ、この前と同じだ。どうせ言ってしまうなら思い切り全部伝えたいのに。
 
 彼はわたしの手をとって握っている。彼の顔を見るけど、やっぱりずっと視線は合わない。

「ずるいんだ……っ、こうやって手はつなぐのに、ずっと、ほとんど目も合わせてくれない。言ってることがチグハグで……好きなのか、好きじゃないのか、わけ分かんないんだもん」
「……好きだ」
「嘘ですよ」
「さっき言ってくれたことは嬉しい。本当だ」
「わたしの目を見て言ってください。わたしがそんなに、怖い――」
 
 そう言いかけたところで彼はようやくわたしを見た。でも目が合ったのは一瞬だった。
 つないでいる手を引き寄せられて、彼の腕の中に閉じ込められてしまったからだ。
 
「目を見たら、こうやって……もう離したくなくなってしまう」

 聞いたことのない声で囁くようにそう言って、わたしをぎゅっと抱きすくめる。

 グレンさんは嘘つきだ。
 人間味がないなんて、感情が薄いなんて、そんなの絶対に、ない――。
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