上 下
102 / 385
【第2部】7章 風と鳥の図書館

◆エピソード―アルノー:暗くて、苦い(前)

しおりを挟む
 黒い風が吹いている。雑音が、聞こえる――。
 
 夏の終り、魔術学院の自習室。
 魔術学院に来て4ヶ月経ったけど僕はろくに魔法が使えるようにならなかった。
 みんな「努力が足りない」「紋章があるからって練習をさぼっている」なんて口々に言う。
 でもいくら意識を集中しても、風の刃ひとつ生み出すことができない。出せるのは、少し冷たいそよ風程度。
「暑いからちょうどいい。空調くん、ちょっと風出してよ」とバカにしてくる者もいた。
 
「ほとんど無能力者、しかも平民のくせに白服着るなんて」
 白服は特待生、優秀な生徒が通う「特等学科」の証。魔術学院でも一握りのエリートだけが着ることを許される。
 白地に金の刺繍の、貴族のようにきらびやかな制服は能力にも身分にもまるで釣り合っていない。
 
 先生は一向に魔力が上昇せず基本的な魔法すら使えない僕にため息をつくばかり。
「分からないなら聞いてくださいね」「分からないことをそのままにしないで」「何故聞かないんだ」「前も教えたよね?」

「すみません……」

 ――毎日毎日、何かしら謝り通しだ。
 
「何を謝っているの?」
「謝れば済むと思ってるの?」
「いちいち謝らないで。腹が立つ」
 
「みんなそんないじめてやるなよー。空調くんは風だけ出してくれりゃいいんだからさー」

 自称ムードメーカーの生徒がそう言うと、他の生徒が「言い過ぎ」と言ってクスクス笑う。
 
 ――ある日、僕は魔法が使えなくなった。

「え――!? 空調くん魔法使えない? これからが夏本番なのに何やってんのー!」

 空調くんと呼んでくるこの生徒は、僕を除けばクラスでの魔力は最下位。
 他の生徒によれば「成金の子爵が金で特級学科にねじ込んだ」らしいが、真相は知らない。貴族という割に言葉遣いや所作が汚い。
 さらに他の生徒も「地方貴族」「火しか使えないくせに偉そうに」「舞踏会で似合わないゴテゴテのドレスを着ている貧相な令嬢」などと、それぞれ本人がいない時に悪口を言い合う。
 汚く口を歪め、目を吊り上げながら嘲笑しあう生徒達。
 顔の周りに何か虫が飛んでいる者もいる。鬱陶うっとうしくないんだろうか。
 あそこの彼は腕の周りに蛇のような形状の黒い風が巻き付いている。

 なんだろうか。みんなどこかしら気持ち悪い。心臓を硬い刷毛はけでザラザラ撫でつけられているような不快感……何故、みんな平気なんだろう。
 
 ――疲れたな。左手のこんな紋章ものがなければ、僕はロイエンタール学院に通って自由に橋の絵を描いていたはずなんだ。
 もう嫌だ。こんな奴らと同じ空間にいるのが耐えられない。

 親や先生に相談してみても、

「まだ4ヶ月だろう。もうちょっとがんばりなさい」
「『女神の祝福』を授かれる者は千人に一人と言われているんだ。これは天啓だ、魔術を覚えないなんてもったいない」
「できないからといって逃げては何にもならないよ」
「少し言葉がきつすぎたかもしれないが、君に期待しているからこそなんだ。先生も頑張るから君も頑張ってくれ」

 判で押したようにそれしか言わない。
 期待しているなんて嘘だ。紋章使いを指導・育成したとあれば先生の評価が上がるからそう言っているだけなんだ。
 
 この特等学科ではもちろんのこと、他のクラスの人達は高慢で居丈高な「白服」の人間を嫌っているため、誰も僕とは口を聞いてくれない。
 誰でもいい。誰か話を聞いてほしい。頭がおかしくなりそうだ。
 
 一人、ずっと手紙のやりとりをしている相手がいた。
 前の学校でルームメイトだった友達だ。
「手紙を出す」と言ってくれた通り、月に1回か2回は手紙をよこしてくれていた。
 内容は、前の学校での何気ない日常とか。
 僕は魔術学院で覚えたことを最初書いていたが、ここ最近は何を書いていいものか分からず、毎回言葉を探していた。
 彼とは仲が良かったけれど、悩み事や深い話をするような間柄ではない。
 それなのに急にこっちの学校が辛いだなんだと書いてよこしたら、引かれないだろうか。返事が返ってこなかったらどうしよう。
 それでも僕はどうしても耐えきれず、最近の心情を吐露した手紙を書き始めた。……返事が来る頻度が減ってしまった。やっぱり書くべきじゃなかっただろうか。
 そう思うのに返事が来ると僕は安心して、また心の中のヘドロのような感情を手紙にしたためた。
 腕ごと紋章を捨ててやりたい、みんなバカにしている、黒い風が渦巻いている、辛い、死にたい……。
 
 友達を汚い感情のはけ口に利用してしまっている罪悪感。
 同時に、楽しく学園生活を送っているであろう彼がとても妬ましかった。

 ――君は楽しいんだろう? だからこれくらいの感情ぶつけられたって他の楽しいことで帳消しにできるだろう?
 
 そんな風にすら考えてしまっていた。なんて醜いんだろうか……友達なのに。
 
 数日後、返事が返ってきた。今までで、一番早い気がした。
 何が書いてあるんだろう、怖い。「気持ち悪い」とか書いてあったらどうしよう。
 恐る恐る、手紙の封を切る。
 
『お前の腕はちぎって捨てるためのもんじゃない。橋の絵と図面を書けるすごい手だろ。オレはお前の書いた橋が形になるのを見たい、いつか一緒に渡りたい。だから死にたいなんて言わないで生きててくれよ。死にたいくらいなら、学校やめろよ。そこは牢屋じゃないだろ、出たって誰もお前を捕まえないだろ。死ぬ気が起こらないとこに逃げろよ。どこでもいいから』
 
「……ジャミル……っ」
 
 辛い、辛い。
 嫌なものを見せる、夢を邪魔するこんな紋章もの、腕ごと捨てたい。死んでしまいたい。
 ちがう僕は死にたくない。腕だって切りたくなんかない。
 そうだよ、僕は橋の設計士になりたかったんだ。だけど誰もそれをさせてくれない。
 どうやったって魔法の才能がないのに先生も親も『逃げるな』ばかり言うんだ。
『眼の前の障害から逃げるな立ち向かえ』『頑張れ』――。
 でも彼は『逃げろ』って。彼だけが逃げていいと言ってくれた。
 もう嫌だ、僕はこんなことやりたくない。魔法なんてどうでもいいんだ。
 
 次の月、本格的に学校を辞めたい旨を親と教師に伝えたが返答はやはり芳しくないものだった。
 とにかく落ち着け、と話し合いの場が持たれた。
 話し"合い" とは名ばかりの、僕を説き伏せ言うことを聞かせるためのものだ。

「とりあえず休学ということにして落ち着きなさい」
「せっかくの魔術学院をやめるだなんて」

 また同じ台詞。堂々巡りだ。
 休学してどうする? せっかくの魔術学院ってなんだ? ここで得るものは何もない。
 親は勝ち馬に乗れるチャンスを逃したくない。教師は自分の拾ったものがダイヤの原石でなく石ころだという事実を認めたくない。
 毒のような真意を聞こえのいい言葉で包んで食わせて、僕を宥めようとしている。

 ――どれだけ僕という人間を馬鹿にして踏みにじれば気が済むんだ。
 
 親はしまいに、教師の前だというのに言い合いを始めた。
 父はお前の育て方がどうのこうの、母は僕に「お父さんに早く謝って」と喚き散らす。
「もういい加減にしてくれ」と叫んだ次の瞬間、僕の周りのカーテンや家具がズタズタになった。

 ――風の紋章が暴発したんだ。

 呪文書をポンと渡されただけで、コントロールの仕方をろくに教わっていない僕はどうやっても自分で魔力を制御できない。
 魔法は肥大化し、風は僕の魔力が尽きて気絶するまで巻き起こり続けた。
 後日僕は、親と教師に怪我を負わせ校舎も一部破壊してしたため闇堕ちしかけの危険人物と見なされ、強制的にそういう人間が入る保養所に入れられた。
 結果的に学校を辞めることができた。
 ただ、指導力が足りない事を認めたくない学校側は僕を退学処分とせず休学扱いにした。
 卒業の年まで籍を置き、形だけでも卒業させることにするらしい。
 そうまでして紋章使いを卒業させることに一体何の価値があるんだろう。
 
 一度、特等学科の人間が全員で見舞いに来て謝罪してきた。
 暴走した際の僕の魔法は凄まじかったので、仕返しを恐れてだろう。
「空調くん」の彼も「アルノー君今までごめんね」と謝ってきたので
「『空調くん』でいいんだよ」と言うと気の毒なくらいに震え上がっていた。
 暴走したその時だけで、僕はやっぱり弱い魔法しか使えないのに何を怖がっているんだろう。
 面白くなってしまって大笑いしたら、みんな悲鳴を上げながら逃げていった。
 親は「頭がおかしい人間のこんな施設に入るなんて恥を知れ」「親に大怪我を負わせるなんて」「恩知らず」「金食い虫」などひとしきり叫んで縁を切られた。
 
 何もなくなってしまった。――元から、いらないものだったけれど。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

帰らなければ良かった

jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。 傷付いたシシリーと傷付けたブライアン… 何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。 *性被害、レイプなどの言葉が出てきます。 気になる方はお避け下さい。 ・8/1 長編に変更しました。 ・8/16 本編完結しました。

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

愛する貴方の愛する彼女の愛する人から愛されています

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「ユスティーナ様、ごめんなさい。今日はレナードとお茶をしたい気分だからお借りしますね」 先に彼とお茶の約束していたのは私なのに……。 「ジュディットがどうしても二人きりが良いと聞かなくてな」「すまない」貴方はそう言って、婚約者の私ではなく、何時も彼女を優先させる。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 公爵令嬢のユスティーナには愛する婚約者の第二王子であるレナードがいる。 だがレナードには、恋慕する女性がいた。その女性は侯爵令嬢のジュディット。絶世の美女と呼ばれている彼女は、彼の兄である王太子のヴォルフラムの婚約者だった。 そんなジュディットは、事ある事にレナードの元を訪れてはユスティーナとレナードとの仲を邪魔してくる。だがレナードは彼女を諌めるどころか、彼女を庇い彼女を何時も優先させる。例えユスティーナがレナードと先に約束をしていたとしても、ジュディットが一言言えば彼は彼女の言いなりだ。だがそんなジュディットは、実は自分の婚約者のヴォルフラムにぞっこんだった。だがしかし、ヴォルフラムはジュディットに全く関心がないようで、相手にされていない。どうやらヴォルフラムにも別に想う女性がいるようで……。

処理中です...