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第23話 別離(後編)
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ゴンザは自宅の固いベッドではない、柔沢なベッドで目覚めた。
起き上がろうとすれば、全身が痛み出す。
「くっ…」
拘束されている訳ではない。全身の激しい筋肉痛と、幾らかの骨がやられているのだと感じた。
仕方なく、背を元に戻した。
気を失ってから戦いはどうなったのだろう。
不安に駆られるが、よく見ると以前に見た部屋の様式と豪華な壁紙。丈夫な斜光カーテン。
清い香りのする毛布とシーツ。
ノイツェ様の別宅に違いない。
下着だけに剥かれ、その下着も真新しい物に取り替えられていた。仲間がやってくれたのか。
喉の渇きを覚え、サイドチェストに置かれた水差しに手を伸ばした。が、後一歩届かない。
少し動かすだけで全身が悲鳴を訴えた。
覚えているのは敵を討ち果たした最後の光景。
よく自力で戻せたものだ。
自分で制御出来たのは初めてだった。
狂槍状態。自分ではそう呼んでいる。
本物の、スキルとしての【バーサーカー】には及ばないものの、短時間で能力値を飛躍させる。
特に槍を扱うと発動し易い。
見返りは見境無い狂慌状態と、反動から来る全身疲労。
記憶の欠損。それは今回は無い。
静かに部屋の扉が開かれた。
「あら?起きてらしたんですね」
「…ライラか」
ライラはベッド脇の椅子に腰掛けると、水差しの瓶を手に取った。
「飲みますか」
「ああ…。済まないな」
喉が潤った所でライラに尋ねた。
「あれから、どうなった」
「まー内外色々とありましたが。取り敢えず都内の離反は沈静化したと見て良いでしょう。弱体化の魔道具と、青銅鏡は手に入り、スターレン様が詳しく鑑定中です。カメノス邸に待機中のモーラスさんと、城内で奔走しているノイツェ以外の人員はこの別宅に居ます」
「ライラは城へは行かなくていいのか」
「新たな魔道具の監視をせよとのお達しです。それは建前ですが」
「建前?」
「私個人がゴンザさんのお世話をしたかったのです。報告後に抜けて来ました。感謝して下さい」
「助かるよ。それと」
あの後の事を詳しく尋ねた。
襲撃事件から丸二日が経過している事。
シュルツは無事にロロシュ邸に保護された事。
明日にはスターレンがヘルメン王に召還される事。
宰相が離反で投獄された事。
シュナイズ公爵家。及びその派閥と所有する商団が内通者である事。
もう一つの公爵家。ムートン・ソル・オーキナは中立の立場であった事。唯一救われた点として。
「グチャグチャだな」
「ええ本当に。只今絶賛、内政は混乱の極致。それらは気にされなくても結構です」
「尚更、ライラが戻らなくては」
不機嫌に成ったライラに水差しを口に突っ込まれた。
口内の水を飲み干すと。
今度は唇を塞がれ、舌まで捻じ込まれた。
暫くの交わり。互いの唇が離れた所で。
「これでも私の本心を疑いますか?解りませんか?」
「いや…とても。よく、解った。しかし、俺は…」
「ご不満ですか?これでも自己評価は中よりは上だと」
「違う。俺はまだ、君の事を思い出せていない」
ライラは大袈裟に溜息は吐いた。
「晩餐会後と待てば、自殺する様な真似をして。今度は言い訳をする。今は負傷されているので許します。生きて戻られたので」
フィーネを呼びに行くと言って、部屋を出た。
「言い訳か…」そう言われれば、そうなのだろう。
ん?フィーネ嬢?どうして今、何か関係の在る話か。
ゴンザに思い当たる点は特に無い。
暫く待っていると今度はノックされた。
「フィーネさんをお連れしました」
「ゴンザさん、お早う。と言ってももうお昼ですけど。それより聞きましたよ」
かなりご立腹の様子。俺が何をしたと言う。
「お、お早う。何を?」
「全身骨折らしいじゃないですか」
あぁ知られていたのか。メドベドかムルシュ辺りがバラしたに違いない。
「軽い皹が各所に入っただけだ。一週間も寝れば治る」
「一週間も寝た切りじゃないですか。ここにはノーラさんも来てますが、出産直後の人に介護までさせる気ですか」
言い返す言葉が見付からない。
とは言え、見捨てられてはトイレにも行けない。
最悪這って行くしか。
「カーネギさんも治しちゃいましたし…。
ホント内緒ですよ。特別ですからね!」
「な、何を怒っているんだ」
「ホントは旦那以外の男に触るの嫌なんですよ!」
「は、はぁ?」
フィーネは毛布を引っ剥がした。
急な寒さに震えるゴンザ。
「な、何を」
「ゴンザさん。頑張って堪えて」
隣のライラから応援された。いったい何が起こると。
「パンツ一丁とは…。男なら我慢!」
え?え?何が起きるんだ!
フィーネが両手を鎖骨上部に当てた。
骨の上を伝う指先。胸部にまで滑る。
通り過ぎた部分が、熱い!?
「あ!あぁぁぁ!!」
「暴れないで!カーネギさんは堪えてましたよ!」
熱い、痛い。激しく痛い。
フィーネの手は両腕、脇腹、股関節、大腿部、膝や脛。
手先、足先に至るまで痛打を与えて這い回った。
これは何だ。治していると言うよりも、逆に砕かれているような気さえする。
数分後…。
無茶苦茶にされた…。
「ハァ…ハァ…ゲホッ。な、何を…」
「はい、今度は肩から背中!」
終わったと思いきや。ベッドの上でうつ伏せに返され、荒療治が続行された。
「や、止めてくれぇぇぇ!!」
「子供じゃないんだから」
激しい痛みに意識が飛びそうになる。しかし追撃する痛みが飛翔を許さない。断固として覚醒中。
更に数分後…。
メチャメチャにされた…。
「はい完了!手洗ってくるんで。ライラさん後よろしく。夜には痛みが引くと思います」
「有り難う御座います」
出て行ったフィーネに代わってライラが、シクシクと泣くゴンザの汗を布で拭き取り、最後に毛布を掛けた。
脂汗に塗れた薄い頭も丁寧に拭いた。
やっぱり嫌じゃない。とライラは思った。
自分の意志さえ疑った時期もある。貴族の子息との縁談を持ち込まれた事もある。
十年以上前の恋。何度も冷めて、ぶり返す。
しかしどんな時も忘れた事だけは無かった。
「いい子でちゅねー」
「……グスン」
---------------
十年と少し前の出来事。
とある兵舎に隣接する訓練所。
そこでは新兵の適性と序列昇格を賭け、日夜連日の厳しい訓練が繰り広げられていた。
若者たちの表情は苦しくとも明るい。
男女分け隔てなく汗を流し、訓練後には独自で集まり反省会を繰り返していた。
その中でも注目株の二人。
メドベドとゴンザ。同郷であり幼馴染み。
王国騎士団への入団を夢見、王都の新兵募集の門を同じく叩いた。
他の新規入隊員とその二人が違うのは、まずは連携。
多種の武器が扱える多才さ。
特に槍術での連携は突出していた。
単独にしても動と静。ゴンザが動なら、メドベドが静。
合わさるなら、模造の槍で大岩さえ砕いたと言う。
烈火の如き突き。流水の如き払い。
そんな訓練風景を傍らで見守るうら若き少女たち。
貴婦人と呼ぶにはまだ少し早い、成人前の乙女。
淑女と呼ぶには投げ交す声援が少々粗かった。
「わたくしは断然、メドベド様よ」
「わたくしは、あの獰猛なゴンザ様だわ」
一種の新人狩り。観察して楽しむだけの余興。
将来有望そうな異性の新人に色目を付けるのが目的。
所謂青田買いである。
タイラント王国が他の国と違うのは、圧倒的な経済力。
商人たちが生み出す収益金の勢いは天井知らず。伴う税収のみで国は充二分に潤った。
誰もが商人を目指してしまい兵士に志願する若者が、年々減少傾向。加えて商人の道に挫折し、縛りを嫌う者は冒険者へと転身してしまう負のループ。
商人たちはその身や荷を守る為に冒険者を雇う。
国には王都や各地を守護する為に兵士が必要。
必然的に所属新兵でも、並の商人よりも多い安定給与が与えられる事となった。
兵士、兵員より一段上の兵長に上がるだけでも、中級冒険者の低層の稼ぎと同等。
武官、文官、士官。枝分かれする役職は多岐に渡る。
士官(騎士団)から連なる上級職ともなれば、爵位を冠した貴族と同等の地位まで昇れる。
夢は広がる。
どの職も危険を孕むなら。より安定した給与と将来性を少女たちは求めるのだ。人材を見極める目を養う上でも必要な行為と言えた。
例え、動機は不純でも。
出自は関係無く、将来の展望を見切ろうと少女たちは躍起となった。
時にある日。雑多な少女たちに紛れ、毛色が違う本物の貴族令嬢が見学会へ参加した。
アンネ・ミラージュ。ミラージュ公爵家の血縁者。
ライラ・キルメイ。国家高官の親戚筋子女。
この二人は何度か参加する内に知り合い、五歳違いの友人となった間柄。
アンネはライラを妹のように思い。ライラはアンネを姉のようだと慕った。
互いの目的の人物が同じであったのが大きい。
「いいですわねぇ。あの傲慢な足捌き。熟練の兵にも見劣りしない。是非情熱的なダンスを教え込みたいですわ」
「アンネ様。言葉尻が変テコですよ。ご無理をしないで。御父上様とまた喧嘩でも為さったのですか」
二人は来る時間を合せ、二階のテラス席から日々の訓練風景を眺めるようになった。
境遇も似ていた。父親が度々持って来る政略的な見合い話に辟易し、荒み掛けた心を癒やす目的も見学には含まれていた。
「あーもう。いっそ私たちも武芸を習いましょうよ」
「将来安泰のアンネ様ともあろうお人が何を。それこそロロシュ様に怒られますよ。私が習うのとは話が違います」
「知りません。あんな聞き分けの無い父など」
頑固な一面が垣間見えるアンネを、溜息交じりに見守るライラ。これはもう、私も付き合わされるのだろうと半ばで諦めた。
訓練の段落で給仕がタオルを持って走るのが見えた。
下の階から少女たちの歓声が飛んだ。
ゴンザとメドベドも他の員生も。嬉しそうに手を振り返す様子が窺えた。
立ち入れぬこちらにも手が振られた気がした。
二人もそれに手を振り返す。
目が合ったと思うのは気の所為だろうか。贔屓目が優ったとも取れる。
そんな日常の風景が流れた時節。
---------------
夕刻にまた目を覚ました。
カーテンの隙間から溢れる茜色が眩しい。
身体中の痛みが退き、張りを残すものの動かせるまでに回復していた。
半身を起こすと、ベッドの脇に寄り掛かりながら寝ていたライラも目を覚ました。
朧気な目を擦り、ライラも身体を起こして伸びをした。
いつの間にか肩に掛けられた毛布がハラリと床に落ちた。
「身体はどうですか」
落ちた毛布を掴み取りながら。
「…動かせるな。軽い筋肉痛程度だ」
腕や手足を曲げ伸ばして具合を確認した。
特に骨に異常は見られない。
「フィーネさんに治癒魔法をお願いしました。複雑骨折でなければ直ぐに治せると。先程の痛みは伴いますが」
「…思い出したくない」
「カーネギさんも腕の骨を折ってましたが、割と普通に堪えてましたよ。スターレン様は…。寧ろ喜ぶとか…」
「…変態だな」
「ですね。お腹、空きません?」
「正直空腹で死にそうだ」
「もう直ぐ夕飯です。リハビリ序でに下に降りましょう。
皆さんお待ちです」
「そうか」
トイレと着替えを済ませ、ゴンザはライラの肩を借りて下へと降りた。
キッチンから漂う、酸味の利いたトマトバジルの香りが食欲を誘った。
ゴンザを着席させると、ライラはキッチンに入った。
広いダイニングには蒼々たる面々。
メメット隊のメンバーに加え、昼には居なかったと聞くモーラスとシュルツの姿もあった。
トーム家の母子もリビングに見える。幼いモーラがトモラを危なげに抱えてあやしていた。
「スターレンとフィーネ嬢はキッチンか」
「起き抜けに開口一番それかよ。飯の心配よりも何か言う事あんだろ」
真顔のトームが隣に座った。
無茶をするな。単独で突っ込むな。深入りするな。
それは日頃から隊員たちに自分が伝える言葉だ。
「後でも謝罪はするが。今回の単独行動は、本当に申し訳なかった」
「最初からそう言え。まぁ今回は前置きしてからの行動だから大目に見てやるよ。無傷で帰って来てたらボコボコにしてやろうと思ってたがな」
「すまん…」
緊張していた空気が弛緩した。
次に口を開いたのはシュルツだった。
「我が家の離反者は父のシュベインでした。今は邸内に軟禁中です。御爺様も叔父様のサルベインも、クインザ系に連なる商団との交渉を進めていまして。当代の代理としてこの場に参じました。若輩で心許ないのはご勘弁を。
本心で言えば御爺様も来たかったのだと思いますが」
しっかりとした発言だ。
この数日間で見違える成長。かなり無理をしているのは違いないが。その割には表情は穏やかだった。
「あー。小難しい話は後だって言ったでしょ。シュルツちゃん配膳手伝ってくれない?」
丁度顔を覗かせたフィーネ嬢が、大人振るシュルツを手伝いに誘った。
「はい!お姉様」
元気に駆けて行くシュルツ。確かにこれ位が丁度いい気がするな。しかし…お姉様って。
他の面々は表情硬く沈黙している。
「どうしたんだ皆。緊張している気がするが、まだ誰か来るのか?」
答えてくれたのはメメット。
「それがよぉ…。ノイツェ様がよ」
「まさか…怪我でも?」
「全然。本人はピンピンしてる。ただなぁ。今日引き連れてくる御仁がな…、ハァ…」
重苦しい。そんな上の要人が来るのか。
「第二王子のライザー様のお忍びだとよ。こんな時に」
溜息交じりにトームが額を抑えた。
「は!?何でこんな…と言ってはあれだが。トップが行き成り下に脚を運ぶなど」
呼び出されるなら、まだ話は解るが。
「俺が知るか。ライラも何も教えてくれねえし。どんな話があるんだか。流石の俺も胃が痛えよ。さっさとレーラたちは飯食わせて帰らせるけどよ」
リビングから来たレーラと目が合う。
ツカツカと歩み寄ると、俺の頭を叩いた。
「反省なさい!兄さんが断罪されるかも知れないのよ」
「ごめん…」
そうか。その可能性があるのか。
今回の責任の所在を断ずるのが来訪の目的だとすれば、至極納得出来る。
それでこの空気か。
「処罰されるなら仕方ない。寧ろ俺一人で済むなら甘んじて受けるさ」
敵味方多くの死者も出ただろう。誰かが責任を取らなくてはならない。全ては国の判断だ。
レーラとモーラが左隣の空き席に座った。
レーラは赤ん坊を引き取ると、深いバスケットに寝かせてリビング手前の空間に置いた。
真っ先に配膳されたのは俺とレーラたち。
配膳し終えたフィーネ嬢がモーラの頭を撫でた。
「今日は大きい人たちで難しいお話するから、お代わりは無しだよ。お土産に甘い物あげるから我慢してね」
「うん…」
普段は元気に走り回るモーラが大人しい。何となく雰囲気の違いを感じているのか。
スターレンとライラも遅れて出て来た。
「お疲れっす。俺も詳細は何も聞いてないんで。お話を聞いてみてから判断しましょう。その後の交渉は任せて下さい」
上との話は俺では出来ない。スターレンの方が適任だ。
「頼む」
「取り敢えず元気そうで何よりです。運び込まれた時は死んでるのかと思いましたよ」
「迷惑掛けたな」
茹でた野菜のサラダと、トマトのスープ。柔らかいパン。
実に質素だが、病み上がりの上、これが最後の晩餐かと思うと味わって食べねば。
鼻奥がツンとする。涙が出そうだ。
「泣かないで下さい。私も反論してみます。ですが王子は特にお怒りではありませんでした。何かこう…酷く緊張なさってましたね」
ライラが慰めてくれたが、それは淡い期待だな。
「有り難う。そう言えばさっき少しだけ思い出せたよ。昔の思い出を」
「お別れの言葉に成りそうなので今は聞きたくないです」
「そうだな。生きていれば後日にでも」
「ええ。良いお返事を期待してます」
そう言って対面の席に座った。
大勢に見守られながらの食事は、とても喉の通りが悪かった。けれども仄かに香る香辛料がスプーンを誘った。
スープの味付けが甘めなのは、モーラに合わせたに違いない。
好き嫌いが幾分激しいモーラも文句を言わずに黙々と食べていた。それが成長なのか、弟が出来た事に依る自覚なのかは解らない。
淡々と食べ終わり、レーラたちの帰り支度を済ませ、ライラが玄関前の衛兵を呼んだ。
「抱いてあげてよ」
レーラがバスケットを持ち上げる。
中ではトモラがスヤスヤと寝息を立てていた。
「いや。折角寝ているのだし、このままでいい」
指の背でそのぷっくりとした柔らかな頬に触れた。
温かい。俺にもこんな…。
複数の護衛に連れられ、レーラたちは帰って行った。
暫くリビングの暖炉の前で歓談していると、ノイツェよりも先に来客があった。
「よぉ、皆の衆。連れて来てやったぜ。数少ない味方を。感謝しろ」
ズカズカと入って来たのはエドガント率いる…。モヘッド率いる護衛のギークとデュルガの三人。
「何を勝手に。この件では中立で行きますからね。ギークお手数ですが、エドを簀巻きにして下さい」
「了解だ」
「ちょ、ちょっと待てよ!解った解った。王子が何を口走っても絶対に口は開かねえ。約束だ」
「それを何度破られたことか…。難しい話に成ります。とは言ってもこちらから提示する物は何も無いですが。
あとこれをお二人に」
迎えに立ったスターレンとフィーネに、モヘッドは出来たての銅板のギルドカードを手渡した。下級冒険者の証。
「本当に微々たる物ですが。何処かで役に立つ事もあると思いましたので。私の責任の下、勝手に作成しました」
現時点で特に使い道は見当たらないが。二人はモヘッドに素直な礼で返した。
「兼業かぁ」
「落着いたらこっちの仕事も受けてみよっか」
などと嬉しそうに話していた。そこまで楽しい物だとは思えないが。何方の仕事も。
そろそろ王子が到着する時間だ。
身構えてもどうしようもない。腹を括ろう。
暖炉前のソファーで休んでいるとシュルツが隣に座った。
「御力に成れず。…いいえ。御免なさい!」
俺の腕に両手を乗せ、涙ながらに謝罪するシュルツ。
「心配ない。どうしてだか、不思議と心は穏やかだ。覚悟は出来ている」
「責めてこの場に御爺様が居れば。
力無い自分が憎いです。一人では何も出来ず、誰も救えず守る事も難しい。こんな役立たず…いっそ谷で死んでいれば」
彼女の涙を親指の腹で拭った。
「それは言ってはいけない言葉だ。君が居なければ、ロロシュ様と敵対していたかも知れない。
悪い面だけ見るな。戦争が起きればもっと大勢が死ぬ。それを止める術として先に逝くだけだ。それに俺の首などマッハリアからすると、何の価値も無い。
国に貢献出来るなら、寧ろその方がいいんだ」
「…」
納得出来ぬとばかりに、添えた手を振り払い、シュルツは洗面所に駆け込んだ。
ノイツェがリビングに現われた。
どうやら時間が来たようだ。
「ライザー殿下が参る。皆、粗相の無い様に」
踵を返そうとしたノイツェをスターレンが引き留めた。
「ノイちゃん。俺はどっちで対応するの?」
「…ああそうだな。立ったままで行ってくれ」
「オッケー」
…緊張感が足りない。
スターレン以外の全員は後ろに並び、片膝を着き、頭を垂れた。
「ライザー・ミュゼ・タイラントだ。皆楽に…」
唯一人立ったままのスターレンを見て閉口した殿下。
出迎える形となったスターレンは臆する事無く、その手を差し伸べた。
「お初にお目に掛かります殿下。スターレン・シュトルフと申します。侯爵家からは離れ久しく、配位は受けてはおりませんが、マッハリアの一系に連なる者とすれば膝は着く事は適いません。どうかご容赦を」
「そうか。其方が噂の…。いやいい。互いに苦しい立場なのは承知している。今日はノイツェに無理を言って押し掛けたのだ。他の者も面を上げ楽に。何より、私は王でもないしな」
「して、本日の御用向きは」
「詳しくは明日。ヘルメン王より沙汰が下される。私が来たのは単なる私情。ここでは何も」
「では。後ろに控えるゴンザの処遇の知らせではないと」
ライザーは首を傾げた。
「ゴンザの処遇とは何だ」
「此度の件。処罰の対象かと愚考しまして」
「…ん?処罰と言ったか。王からも特に拝命は受け取ってはいないが。どうして救国に奔走してくれた冒険者を断ずる必要が在るのだ」
「…あ、これは。無駄な邪推だった様で」
端々から安堵の声が漏れる。
「モヘッドも居るな。私は何か間違えたのか。それとも我の知らぬ間に、査問の知らせでも届いたか」
「いいえ。こちらにも特別には何も届いてはおりません」
「ならば、問題は無いのではないか」
「そうでしたか。どうぞ、今の私の発言はお忘れ下さい」
微妙に意見が食い違い、悩ましげなライザーは首を捻るばかりだった。
「ハッハッハッ」
軽妙なライザーの高笑いが会議室に響いた。
「いやはや笑って済まない。その様な勘繰りをされていたとはな。面白い事を考えるものだな、スターレン殿。
この国では飾りの王家とは言え。もう少し信用して欲しいものだ」
「いやーお恥ずかしい限りです。商人ばかりの相手をしていると搦め手、腹の探り合いばかりでして。疑って掛からないとと考えた次第」
「褒美を与えるなら兎も角。首を取るなど有り得ん。父にも念を押しておくぞ」
「そちらは是非にお願い致します」
「それにしても…これは美味いな」
毒味を終えて並べられた質素な料理。
先に、自分も食べたトマトスープを豪快に啜り上げた。
「この際マナーは勘弁してくれ。宮では堅苦しくてな。これが庶民の味か。誰が作ったのだ」
「我が妻のフィーネと2人で作りました」
「ほう。其方は料理までするのか」
「下民に降りた身ですので、そこは自由にと」
フィーネ嬢もスターレンの隣席で面を外して会釈した。
「ブホッ」
フィーネの顔を見た瞬間に殿下がスープを吹き戻した。
後ろに控えていたメドベドが即座に手拭いを差し出した。
奴も初見で戸惑っていた。
こちらに目を向けて苦笑いを浮べていた。
俺が知るか。
「これは何とも。素直にうらや…。いやスターレン殿は良妻を得たのだな!」
直近の上下席に座るスターレンの肩をバシバシと叩く。
苦く笑い返すだけに終始していた。
一通りの料理を食し終え。
「騒がせた。私も直ぐに戻らねばならない。今日の目的を見失う所だった」
口元と姿勢を整え、何故かシュルツに向き直った。
「時にシュルツ」
「何でしょうか」
「我が妻に成らぬか」
静寂が駆け巡る。
「ふえっ!?」
ライザーは席を立ち、シュルツの前で膝を折る。
右手を差し伸べ続けた。
「貴女の。先日の覚悟と心意気に感銘を受けました。御身を守る上でも最良と考えます。どうか、この手を」
「え!?えぇ…」
戸惑いながらも王子の前に直立。しかし手は伸ばさない。
助けて欲しいと俺とスターレンを交互に見やる。
これは、無理だ。突然の王子の求婚に口は挟めない。
そのスターレンも、目頭を押さえて苦悩していた。
「お、お許し頂けるなら、お返事は明日までお待ち…。しかし他のご婚約者の方は…」
「急な話ですので、お待ちします。他、と申されましても昨日までに全て破断しましてね。多少の文句は上がりましょうが、次期王は兄上。継承権も返上した身。父上、母上共に了承は得ています」
何が何だか。それでは外堀は全て埋まっているではないか。王族らしい直球勝負に場が騒然とした。
「…今。私めを娶れば。マッハリアがどう取るか。ご存じで在らせられますね」
「重々承知。その上での求婚です」
「…お話はとても。この上なく嬉しいです。ですが祖父ともよくよく相談しなければ、私の一存では決め兼ねます」
「そうですね。明日までとは言わず、良いお返事をお待ちしましょう。マッハリアの国賓来訪までには何卒」
「何の枷も無いなら。無断で迷わずその御手をお取り致します。決して嫌と言う訳ではありません。それだけはお心に留めて頂ければ嬉しく思います」
「勿論ですとも。…さて帰るかメドベド」
「ハッ!」
ライザーと言う名の嵐が過ぎ去り。会議室には、何とも言えない空気が乱れ狂った。
口を開いたのはスターレン。
「えーっと。先ずは、ゴンザさんの回帰祝いでもしましょうか。シュルツは、ロロシュさんと相談するとして」
「スターレン様のご意見は」
スターレンは深く唸った。
「正直この手は頭に無かった。王族何てどの国も似たり寄ったりで。マッハリアの馬鹿王子や王女を見て来た身としてはね。継承権を持つ全員ではないけど。
あの胆力と判断力は素晴らしい。彼の爪の垢でも送り付けたいよ。メイザー様もさぞ有能なんでしょうね。ノイちゃんはどう見ます?」
「こっちに振られてもな。返答に困るが、贔屓目に見ても人道的に何ら文句は付けられない。見た通りの裏表の無い性格で。裏も表も上手いメイザー様とは犬猿の仲。
それ故に次期は長兄だと頭の固い貴族院も満場一致。
ヘルメン王は、これを見越して子を必要以上に設けなかったとも取れる…。いやしかしどうだろう」
ノイツェまで困惑気味だ。
「この際何も考えず、シュルツの好きにすればいいと思うよ。流石に婚約候補者が一人消えた、って理由だけで全面戦争にはならない。火種の一つにはなるけど。
まだ他にも手は在るし。タイラント国内を平定する上でも悪い手じゃないと思う。彼に好意を持つなら、ね」
「好意…。確かに好感は持ちました。ですが…」
「一晩ゆっくり考えて。どんな選択でも絶対対処して見せるから。任せとけ。
で、遅くなりましたが食事にしましょう。食後に重要なお話があるんで酒は控えて下さい。ギルドの皆さんも聞いて行くなら食事は」
プファーと大袈裟に息を吐き出したエドガント。
「口挟む暇も無かったぜ。飯は勿論、その話ってのも聞いてくぞ。モヘッドたちは」
「当然、参加で。こちらの二人も同様に」
「ならスープは温め直しね。20人前以上は作ってあるからお代わりは…」
席を立とうしたフィーネの袖をシュルツが引いた。
「今晩、一緒に寝て下さい!お願いします」
「しょーがないなぁ。政の相談はされても困るけど。私で良ければ喜んで。取り敢えず腹拵え。お腹空いてちゃ悩みも解決出来ないし。特別にシチューも食べる?」
「あ、はい!」
即座に挙手をするメメット隊のメンバー。
当然俺もだ!これを逃してなるものか!
「予想通りで何より。はい、ドンッ」
フィーネ嬢がポーチの中から大型の寸胴鍋を取りだした。
沸き上がる歓声。取り残される初見のその他。
後に振舞われたダイニングテーブルで、壮絶なバトルが発生したのは言うまでもない。
トームの。
「ちくしょー。それはレーラたちの分だ!」とか。
ライラの。
「後日作り方を伝授して下さい。お師匠様!」とか。
ノイツェやモヘッドたちの。
「何だこれは!手が、手が止まらない」など。
色々な言葉が交された。
もしもライザー王子の前に出されていたら、スターレンとの血に塗れる抗争が勃発していただろう、と言わしめるこの至上の一品は、スープと共に一滴残らず歓喜する群衆たちの胃袋に収まった。
興奮冷めやらないダイニングから、少し肌寒い会議室へと場を移した。この清涼感は堪らなく心地良い。
「さてと。結構遅くなってしまったので巻きで行きます」
スターレンの道具袋から一つの指輪と、幾つかの装飾具が出され、フィーネ嬢のポーチからは布に包まれた青銅鏡が取り出されて机上に並べられた。
「この指輪が怠惰の指輪。周囲の生物の全能力値を10分の1にする反面、装着者はその場から動けなくなる、と言う代物です。効果範囲は起動者の魔力量に依存します。
予想では身体的、特に呼吸器系まで能力低下が見られていたので、抵抗力の低い赤ん坊や老人が近くに居たら非常にヤバかったですね」
トームの顔が青くなった。
「なら地下室に居たレーラたちもヤバかったてのか」
「あのまま長引けば危うかったです。
メレスさんがあの場に居てくれて助かりました。先に言いますがメレスさんが持つ剣には水竜様の加護が付与されてます。何が切っ掛けに付与されたかは推測の域を出ません。
俺の鎧と剣には女神様の加護が付いています。
指輪の効果が加護には敵用されない、と言う証明にもなりました。着ていた衣服も含めて10倍の重さになったと考えれば解り易いかと」
続いてノイツェが。
「その脇に並べたのが指輪に対抗する為の装具かい」
「そうです。これらが反撃のベルト。自己に影響する魔道具の効果を軽減する装具です。
魔道具にはそれぞれ核となる魔石が嵌っています。
その魔石のランク。詰りハイランクの魔物から取れた魔石で序列が決まり、序列の相関でこのベルトの効果も決められます。
怠惰よりも反撃の方が格下なので、効果は軽減止まり。格上の魔石に入替えれば完全に怠惰を封殺出来ます。
関連性のある魔物が不明なので、大きければ何れでもいいと言う訳ではない様です。
ベルト部は普通の牛の鞣し皮。装備していた敵は手首や足首とバラバラでした。
もし敵の装備者があの場に居たら…、全滅していたのはこちら側だったでしょう」
「それは古代兵器ではないんだね」
「俺の鑑定レベルでは表示されなかったので、これらは現代の量産と見て間違いないかと思います。
本当はその情報も得られれば良かったんですが」
謝罪したのはモーラス。
「済まない。実験段階の試薬を投与した挙句に薬殺してしまった。あの男なら何か知っていたかも知れん」
「結果論なので。まずは勝利した事を喜びましょう。シュルツは気分が悪いなら外してもいいよ」
「いいえ。御爺様に報告しなければいけないので。泣き言は言いません。最後までお聞きます」
「無理しないようにね。ノイちゃんには回収品の選別と量産に関わる情報収集を追加で依頼します」
「言われるまでもない」
「こちらで回収した反撃も半分お渡しします。と言っても真面に使えそうなのは3つ位です。後は粗悪品の塵」
モヘッドが手を挙げた。
「その情報は、こちらからも本部に照会を取ろう。余り言いたくないですが、本部は東大陸の中枢に在る為、時間はそれなりに掛かります」
「東でしたか。そちらはお任せで。目下の対策は、複数の怠惰に対抗し得る装備品を確保するしか」
「怠惰はそれだけではないと」
「こんな半端なタイミングで投入されたのが解せません。恐らくこれ以上の物が在ると思った方がいいです。
魔王戦でこれが使われたとも思えませんし」
「その根拠は」
「先程言った魔石のランクです。最上位である魔王が格下の魔石に不覚を取るでしょうか。俺は信じられません」
「成程な…。真実はベルエイガだけが知っていた、か。聞いてはみるが、多分本部の記録にも無いと思う」
「モヘッドさんは本部へ行った事が」
「無いよ。ロルーゼ経由で行けない事もないけど。そもそもあんな危険な場所には行けない。体力の無い僕には無理だ。全部エドたちからの受け売りです」
「東大陸の最果ての町。百を越える大遠征群でも、帰って来られたのは俺やギーク、デュルガ含め二割程度だ」
「あれは地獄だった」
「ああ…。地竜や飛竜で埋め尽くされた谷。天然のダンジョンもわんさか。おまけに移動型のダンジョンまで。地上を逃げ回るだけでも相当苦労させられた」
「辿り着いたが最後。任務が無ければ、そのまま自生してたぜ。名の在る冒険家が東に集中してるのは、あそこが西大陸を攻める上で、最低最高の拠点だったからだ。
行くだけでも年単位で時間が掛かる。今の話とは逸れるからここまでにしとこう」
「とっても興味があるんで。今度聞かせて下さい。
では最後にこちらの魔導鏡。その名も、吸魂の御鏡。王子のプロポーズじゃなくて、魂を吸い取ると書きます」
それには俺が答えた。
「確かに奴もそんな事を言っていた。理由を聞く前に倒してしまったから定かじゃない。奴が言うには、百番目はどうやら俺だった」
「その理由は何となく解りました。これの鑑定に時間が掛かったのもその為です。この中には確かに99の人や魔族の魂が封印されています。
100まで集めた暁には、どんな願いでも叶えるってふざけた代物です。それも一度切り。使えば鏡は砕け散るらしいです。本当かどうか何て誰にも解らないのに…。
あの王妃はそんな危ない橋は渡りません。ですのでこれだけは別口かも知れないですね」
「どうして俺だったんだ」
「ゴンザさんの嘗てのフィアンセ。アンネさんの魂が異常に強かったんだと思います。実際中の人々と話せた訳ではないですが、最後に一目でも会いたい。そんな想いだけは強く伝わって来ました。
他の98人を抑え込んで。丸で、その98人を守り抜く様な形で。強いですよね…本当に。死んでも他者を守ろうとするなんて、俺にはとても真似出来ませんよ」
スターレンが緩くなった鼻を啜り泣いていた。
違うな。泣いているのは、俺もだ。
「何か。解放してやれる方法はないのか」
「…解りません。単純な鏡の破壊だけは絶対に違うと思います。後は玉砕覚悟でゴンザさんがアンネさんに語り掛けるとか。こればかりは試せない。根拠は無いです…」
ノイツェが重く口を開く。
「確証は無いが。もしかしたら、宝物殿になら何か在るやも知れん。類する魔道具然り、こう言った危うい物は使用する場所まで限られると聞く」
「明日。王に直訴してみます。代償は何も出せませんが」
「王はお心の広い御方だ。話だけなら聞いては貰えるだろう。私では交渉すら出来ない。頑張ってくれ」
「陳情なら…か。モヘッドさんは何か」
「いいや。僕にもさっぱりだ。エドは何か知ってる?」
否定するエドら三人。
続けられたのはモヘッドからの警告。
「これに関しては本部にも聞けません。万が一敵側に情報が漏れれば、必ず取り戻そうとする。またゴンザさんが狙われる羽目にもなる。とても厄介ですね。失敗してこれが覆り、死霊系の魔物へと変化されたら…。聖剣が消えた現在では太刀打ち出来る術が無い。
更に悪く考えるなら、敵が魔王復活を願えば…」
全員が沈黙してしまう。
狙いはそれか!その可能性が在る限り、破壊も出来ず、
手放せば中の魂は未来永劫解放されない。
「ここは…。やはり俺が」
「まだ早いです。それは最後の手として考えましょう。
宝物殿に期待してもいい。
各地の闇市を潜ってもいい。
ベルエイガの魂の欠片を持つ、彼なら何か情報を持っているかも知れません。
諦めるのは早過ぎます」
モヘッドがスターレンに尋ねた。
「魂の欠片を持つ、彼とは」
「それはまだお伝え出来ません。彼の事情を聞いてませんし、聞いて真実を語ってくれるとも限りません」
再び押し黙る。解っているのは、何もかも不明だと言う事だけ。
その沈黙を破ったのは、シュルツだった。
「スターレン様。この首飾りを鑑定しては貰えませんか。
外壁の上から望遠鏡でこの鏡を捉えた時に、確かに反応を示した気がするんです」
外されたネックレスをスターレンが受け取った。
あれはシュルツの祖母からの遺品。血脈で受け継がれた大切な首飾り。
鑑定を始めたスターレンの目が見開かれる。
「う、嘘だろ…こんな」
立ち上がり、椅子の後ろを歩き回る。
「反魂の首飾り。死亡直後に使えば、たった一度だけ復活出来る…。こんな出鱈目な宝具が。シュルツはこれを何処で」
「祖母からの遺品です。御爺様も出所は知らないと」
確か俺も似た事を言われた気がする。女系だけで受け継がれた品だと。
「それが本当なら国宝級。いや世界宝具だ。私では何も見えん。この眼鏡で重ね掛けを」
ノイツェがスターレンに手渡したのは、時折着けている不思議な蝶眼鏡。あれも鑑定の魔道具だったか。
「お借りします…!?逆も、出来るのか…。万の魂が眠る場所…。墓所…いや違う。迷宮…いや、この大陸には深い場所は無い。ノイちゃん!この近場で1万の魂が集まる場所はありませんか」
「一万だと…。戦場跡地なら、ロルーゼ国境手前の大平原。大昔に激しい領土争いが起きた場所。しかし死者が万を超えたかと言われると疑わしい。正確ではない。
それよりも確実なのは…コロシアム…」
「そこです!」
「ライラ。明日も私は動けない。王との接見後に調査を頼めるか」
「闘技場は奴隷ギルドの管理でしたね。先代王の時代までは奴隷同士を戦わせ、賭博をしていたと聞いた事があります。今現在は祭事にのみ解放されるとか」
「使用する許可を頂くだけなら雑作もないさ。ヘルメン王に何をするかと問われた時が困るな」
「それは俺が交渉しま…。あ、ヤバっ」
スターレンが眼鏡を外そうとした途端。
彼はその場に倒れ、気を失った。
「大丈夫。魔力が枯渇した症状だ。半日も眠れば元に戻るだろう。王には私が枯渇させたと」
フィーネ嬢がノイツェの胸倉を掴み上げた。
「他に、言う事は」
「申し訳なかった!スキルと魔道具の重ね掛けが、これ程消耗するとは知らず」
「家の旦那で試さないで。危険性を感じたら、前以て助言して下さい。次は無いですよ」
「き、肝に銘じて」
本気で怒った訳じゃ無い。スターレン自身の不注意でもあるのだし。
彼女はそのまま椅子にノイツェを下ろした。本気だったら今頃は…。俺も気を付けなくては。
机上を片付け、その場は済し崩しに解散となった。
希望と恐怖が同時に見えた。そんな不思議な夜だった。
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差し込む日の光に起こされた。
僅かな気怠さと頭の痛み。
これは、懐かしの二日酔いに似ている…。
ハッ!完全に寝過ごしてる。
確か召還は午前だったはず。その筈だ。
朧気な記憶では、昨夜長引いた会議中に鑑定の重ね掛けをして…、し続けてうっかり魔力ロストで気絶したんだったわ。
そっか。ロストで気絶すると二日酔いみたくなるんだぁ。
なんてのんびりしてる場合じゃ無い。
ロイドちゃん。何で起こしてくれないのさ。
「…」
何かの反応を示している様子だがなんも聞こえない。
これがロストの弊害か。色々と失うようだ。
新たな発見と共に、念話にも魔力を使っているんだなと妙に納得した。
ある程度は回復してると思うから、単にロイドちゃんも離席中なのかも知れない。
お出掛けをしてるなら昨夜からかな。
ロスト寸前でも特に止められなかったしな。
「いかん!」
王の呼び出しに遅刻する。大惨事だ。切腹もんだろ。
小次郎との約束を破る武蔵じゃないんだから。
ベッドから立つと、立ち眩みで膝から崩れた。
重い…。鎧を脱いだ普段着のままでも。
徹夜明けに長い校長先生の、無益なスピーチを聞き流しているかの様だ。
先生、貧血です。
急ごう。這い這いしながらトイレ…、ここ2階じゃん。
どうやって上がったの?フィーネが運んでくれたのかしら。
お姫様抱っこで運ばれる俺。笑えるー。
手摺に抱き着きながら、ガクブルの足を一段一段丹念に下ろして、踵を滑らせた。
咄嗟に両手で後頭部を防御したものの、垂直開脚から尾骶の尻で石段を滑り降りていた。アガガガガ
後頭部は無意味だった。ここに要介助者が居ます。
一気に老けたな。老化とはこれを指すのだろう。
1Fに不時着。
尻肉は大変痛いが骨や関節に異常は無い。と思いたい。
「あ!ス、スターレン様!」
「おぉ、マイハニー。お早う。こんなに小っちゃくなってしまって。俺が大きくなってしまったのか」
「仰っている意味がさっぱり解りません!気をしっかり」
腕を引っ張られて起き上がったはいいが、速攻でよろめき抱き着いた。
「ちょっ、重いです。ご自分で立てないのですか…って何処を触っているのですか!」
何処をって。華奢な身体を抱いて可愛いお尻を。
「やっべぇ。また眠くなってきた…」
漂う石鹸の香りを嗅いでいると余計に心地良す。
「お姉様!スターレン様が変です!」
そうです、私が変態です。
「え?ちょっと、シュルツちゃんに何やってるのよ」
直立抱き枕から引き剥がされ、そのまま後ろに崩れて後頭部を床に強打した。頭守るなら今だったでしょ!!
「うぅ…。酔ってねえですよぉ。こんなの全然楽勝っす」
お星が見えます。その隙間にフィーネが見えます。
真っ白なタオルガウンを着こなして、お風呂上がりのホカホカ湯気を漂わせている。気がします。
V字な隙間から覘く柔らかな谷間が刺激的。
打ち所が悪かったのか、景色がグルグル回転。
「うわーこれ。完全にダメな人だわ…。ちょっと、絨毯の上で吐いちゃダメ!」
何を言って…。
「バケツお持ちしましたー」
「ナイス!これに吐くのよ。我慢しなくていいから」
首を後ろから子猫持ち。背中のトントンが気持ち良い。
「駄目!意識を保って。シュルツちゃん!背中を思い切りぶっ叩いて。私がやると死んじゃうから!」
「はい!行きますよー」
意識が…。
「面目ない…」
ダイニング席に座り、目の前に置かれたグラスの水を飲み干した。定番のハーブ水だな。口内に清涼感が漂い、気持ち悪さが幾分和らいだ。
水で濡らした布を額に押さえていると。
「何か食べる?食欲は?」
「全部、リバースする自信がある…。お粥と梅干しが食べたい」
「そんな物無いわよ。磨り潰した麦粥と漬物くらいなら」
今一微妙な…。
「やっぱ止めとく」
「おかゆ?うめぼし?ですか」
横目で伺うと、隣の席でシュルツが頭上に?を浮べて首を捻っていた。
「炊いたお米を…って解らんかぁ。シュルツは可愛いなぁもう」クラクラするぜ。主に頭が。
「きゅ、急にどうされたのですか」
「ほっときなさい。相手にしたら負け」
「はい」
酷い言われよう。そうなんだけど。
「他のみんなと、王との謁見は?」
「ノイツェさんに責任取らせて、王様のお時間午後にずらして貰えるか伺いに走らせた。
どっちでもライラさんが戻って来るから心配しないで。他のみんなはそれぞれ自宅へ」
「元々の召還のご指示は、スターレン様と私と御爺様。それとゴンザさんですから」
シュルツが補正してくれる。言われてみれば、そうだった気がしてきた。
「ノイちゃんの責任って」
「魔力枯渇させる前に止めなかったからよ」
「あーそっか。俺もロイドちゃんが止めなかったから大丈夫かと。失敗したぜ。まさかお出掛け中とは」
「そんな事もあるのね」
「極稀にね。念話が途絶える時がある。悪いタイミングが重なったみたい。あっちはあっちで何かと都合があるって」
「ろいどちゃん?ねんわ?知らない用語が沢山出て来ますね。興味が尽きません」
「ロイド・チャン。ではなく、ロイドね。何て言えばいいかなぁ」
「スターレン専属の守護天使様よ。その方とスターレンは頭の中でお話してるの。それが念話」
シンプル明瞭なご説明に感謝。
「凄いです。お姉様は天使様にお会いした事が?」
「一度切りね。ほんの一時。物凄い美人で、女の私でも軽く惚れそうだった」
「へぇ…。お、お姉様って、その…」
「無いわよ。ノーマルよ。ほらコレ。これが天使様の翼の羽根」
言い訳序でに証拠の品をポーチから取り出して見せた。
シュルツが受け取った羽根を宙にヒラヒラと薙ぐ。
「随分軽いのですね。大きいのに重みを感じません」
何だかんだと、フィーネもアイテムBOXの使い方をマスターしていた。昨夜のシチュー鍋が良い例だ。
ポーチの中では物の品質がほぼ劣化しない。
手で触れられる程度に冷ました鍋の温度が、1日経過後に取り出してみても殆ど変化しなかった。
温かいままだったのだ。
俺よりも先にその仕組みに気付いたフィーネの、自慢気に解いた時のドヤ顔が眩しかった。
常識を外れた空間が中に広がっているのだ。
手を突っ込んだだけでは、ひんやりとしていた。きっと鍋も冷めるのだと思っていたが、そうではなかった。
ポーチを俺に戻しても、フィーネが拡大させた領域は自分では扱えない事が判明した。
簡単に説明するなら手が届かない。触れられない領域として保持される。中身が飛び出る事は全くなかった。
これらの仕組みはノイツェ氏も知らないと言う。
また眼鏡でも借りてポーチを探れば、謎の一つ位は解明出来ようが、今は枯渇が怖くてやろうとは思わない。
ノイツェは半日寝れば戻ると言っていたらしいが、体感では24時間は必要なのではと推察した。
現在のステータス。
魔力:118/280
耐魔力:118/280
知能:135
枯渇を経験すると、魔力総量が倍化した。しかも微妙に知能の一桁目が切り上がっている。どうやら魔力は知能の完全互換ではないらしい事が窺えた。
魔力を使用すると抵抗力も低下してしまう。他にも色々と条件がありそうだが、注意事項として記憶しておく。
今の二日酔い状態に紐付ける。
「それをお願いして参りました」
お帰りロイドちゃん。何時から居なかったの?
「昨夜の重ね掛け直後です。私の緊急避難も兼ねていましたので事前にお伝えする事が出来ませんでした。独断で申し訳ありません」
それなら仕方ない。
俺もノイちゃんも知らなかったんだし。重ね掛けがこれ程とはね。俺の凡ミスだよ。
「この世界の魔道具の発動方法は様々ですが、強制発動となると加護抜きの地力魔力が必要となります。今回の枯渇は総量の増やし方含め、色々と参考になりましたね」
仰る通り。魔力総量を増やしたいなら枯渇を繰り返せって訳ね。この体調不良も、常人の理から外れるからか。
「それが最適解かと思います」
増やし方が判明しても、これは何度も実行出来ない。翌日まで動けなくなるのは頂けない。慎重にやらないと。
リビング奥の自動式反転砂時計を見た。
今が午前なら大体9時過ぎ。指針計でないのは玉に瑕。
それでも時間が計れる道具は貴重だ。是非欲しい。
ノイちゃんにお強請りしてみよう。
額から布を外した。
「よし!ロイドちゃんも帰って来た。考え事してたら大分気分も戻ったし、俺も風呂入るよ。登城するのにゲロ臭いのはあかんから。…お湯って落としちゃった?」
「え…」
シュルツが羽根を持ったまま固まった。みるみる内に顔が真っ赤に…。
「あーちょっとね。訳あって落としちゃった。入れ直すから待ってて」
訳とはなんぞ?もしかして。
「お赤飯?」
「…意味わかんないけど、多分それよ。深くは突っ込まないであげて」
シュルツが一歩大人になったのか。それが早いのか遅いのかは勿論解りません!
「おぉ…。お父様がご存命であれば、さぞお喜びに」
「死んでません!勝手に殺さないで下さい!」
プイと顔を逸らして、羽根をフィーネに返してダッシュで上の階に走って行った。
「デリカシーの欠片もないわ」
「でも、こう言うのってお祝いするもんじゃないの?」
「さぁ?宗派で風習も色々あるし。貴族家の習慣なんて知らないし」
確かに。でも誰に聞けば。後でそっとロロシュさんに聞いてみるかな。
「フィーネは?何か祝って貰った?」
「私はお母さんに厚手のパンツを…って言わせるな」
軽くペシッと叩かれた。
風呂場の掃除を手伝い…。素直に待つのが無難だな。
久々のボッチ風呂を堪能。
風呂から上がると、ライラが戻って来ていた。
暖炉から離れたソファーにガウン姿でドッカリと座り、ハーブ水を片手に対応。
「ライラ君。聞こうではないか」
ライラは対面に腰掛けた。
「もうここはスターレン殿の家ですか」
「うむり。実効支配も悪くない。実に快適」
「そうでしょうとも。都内でもこの邸の設備は随一。世界で見てもトップレベルですから」
そうなんだ。何か悪い事したな。まあちょっと間借りしてるだけだし。いいでしょ。いいよね。後で聞こう。
お家賃はお幾らなんだろ。
「接見時間の遅延変更はお許し頂けました。叔父の土下座を久々に拝見させて貰いましたよ。今からですと…昼食は城内で済ませるのが無難でしょう」
ライラも砂時計を見ていた。
「了解。今日は商人ストアレンとして行かせて貰うよ」
「何卒よしなに。こうして考えると、スターレン様は仮にも王族なのですね。普段は全くそうは見えませんが」
「褒められちった」
「褒めてはおりません!」
怒られてるん?
「あ!そのガウン!脱ぎなさい。私が使ってた奴をどうして使うのよ」
フィーネも何故かご立腹だ。
「えー。出来るだけ洗濯物を減らそうと(フィーネの温もりを感じたくて)使い回しただけだし」
「共用してどうするのよ」
剥がされて新品と交換されてしまった。
「やはり変態ですね」
すんません。調子に乗りやすくて。
着替えを終え、ターバン巻きスタイルで再度着席。その頃には機嫌を取り戻したシュルツもリビングに来てくれた。
対面は変わらずライラ。俺の左にフィーネ、右にシュルツが着席した。何気に高まる優越感。美女と美少女。
疑似ハーレムの完成だ。
まだシュルツは渡さないぞライザー君。
「昨日はどうでした?何か動きは」
「城内は特に。敵派閥の粛正も粗方終結。敵方シュナイズ家は存続。三大公爵家の首長協議へと移りました。メイザー様がご対応との事で、悪くは転ばないでしょう。確実なのはシュナイズ家に連なる派閥は縮小され、近く損失した兵の人員補充で新たな徴用法が発令される見込みです」
成程ね。内外国防面でも補充は必須だからな。
「もしかしてゴンザさんにも招集が?」
「…その点も踏まえ、王よりお話があるかと思います」
意外にライラの表情は明るい。後はゴンザさんの判断次第かな。
「昨夜の事ですが、スターレン様の借家に敵残党が潜伏していましたので殲滅しました。玄関を破壊してしまいましたが、修理費等は国が持ちますのでご安心を」
こっちに移ってて良かったー。やってみるもんだ。
後始末もしてくれたようで助かります。
「血を落とそうと、ゴンザさんを私自宅に招き入れ。衣服を脱がし、全力で押し倒し」
え?え?何言っちゃってるの?
「泣いて嫌がる彼を、美味しく頂きました」
昨晩の情事を思い出しているのか、卑下た笑みを浮べるライラ。悪い顔してらっしゃる。
こっちの3人はポカーンだよ。
「そう言うのは、シュルツの教育的に…」
「勿論冗談です」
一安心だ。
「強引に押し倒したのは本当ですが。合意は得ました」
やっちまったんかーい。
「私も焦ってしまい。…お亡くなりになったアンネ様が死して現われる可能性があるなど。嬉しいと思う反面、納得し難く。遂に我慢が出来ずに」
「何となくは理解しますが。お互いに本気ならいい事だと思います。最終的にライラさんを選ぶか、独身を貫くかは本人に任せましょうよ」
俺は何をフォローさせられてるんだろう。
「…そうですね。今度は妊娠を理由に攻めます」
反省の概念を忘れてしまったご様子。
右のシュルツが遂にオーバーフローで気絶した。
「ちょ!?」
仲良く4人で登城。
若干シュルツが挙動不審。ライラと微妙な距離を空けている。同性で距離取るって相当だと思う。
「本日は正式なお招きです。北正門より堂々と入城致しましょう」
ツアーガイドはライラ。
彼女の案内で城壁を北に回り込んだ。
ここパージェントの城は特殊で、北・南・東に門を構える。
北正門と南正門。閉ざされた東門は王家専用。
北でマッハリアに気を遣い、南で水竜様が居る海を迎える形を執っている。東門は専ら祭事、年間行事、年次の総本堂への御参拝等々に使用。
城下町は一応の落ち着きを取り戻していた。
行き交う人々の表情は気持ち固い。一般平民に直接的被害は無く、多少の損害被害内訳も俺たちの関係者のみ。
これなら平常運転に戻るのも早い筈。
中には死亡した敵兵士の遺族も居るのだから、全てが丸くとは行かない。落とし所はお上に委ねよう。
怠惰の使用は…意図が不明瞭だ。メレスが聞いた「上」とは誰の事を指していたのか。嘘か真か。
人は死ぬ直前では嘘を吐かないとか言われてるが、きっぱりさっぱり意味不明。案外何も考えてないとか。
ふーむ。
「背中でうーうー唸るな」
「ごめんちゃい」
フィーネの旋毛の匂いを味わいながら謝った。
まだよちよち歩きの俺は、只今絶賛おんぶで運ばれ、擦れ違う人々に鼻で笑われています。
いい大人が恥ずかしい。恥ずかしいがたまにはいいな。
いっそこのまま南へ2人でランデブーとか…。
王城の門が見えて来た。でも何か忘れているような。
「あ、今日ってドレスコードは」
「本日は急な召還です。三人様はそれなりに小綺麗。ゴンザさんには注文を付けましたが、不問ですね」
「晩餐会用にフィーネのドレスも作らないとな」
「え?私って晩餐会には行かなくていいんじゃないの?今日だって門前払いかも知れないし」
召還人員に入ってなかったのを気にしてるのか。
「出来れば隠し通す積もりだけど、万が一って事もあるから用意だけはしないと」
「んー。用意だけならいっか」
女の子ならたまにはオシャレしたいよな。
はい、忘れてました。
「お姉様のドレス姿…。多少手直しは必要ですが、叔母様のドレスが眠っている筈です。未使用品ばかりで、将来的に私しか引き継げませんし、どうでしょうか」
「ホント!今度見に行ってもいいかな」
お、意外に遠慮しないな。興味が優った感じだ。
「ええ是非。それと…細やかながら、お茶会でもと」
男の俺が口出しは止めとこ。
「誰かさんが仕立てた真っ赤なドレスが、目に焼き付いて離れないのよねぇ」
「あ…あれですか。確かにあれは…。シュルツ様、私もご一緒させて頂きたいのですが」
露骨に嫌そうな顔をするシュルツに対し。
「で、ですよねぇ…。言ってみただけです」
「冗談ですよ。そ、その…同性のご友人としてなら」
「は、はい!」
おーこれは、今日この後って話じゃなくなってきた。
男は不要。
追い出されるであろう俺も、買い物でもすっか。
あれこれと姦しい話をリスニングしていたら、兵舎屋横を擦り抜け、程なく門前に到着した。
ライラが対応。先日と同じ門番さんがおんぶの俺を見て首を捻りながらも、スルーしてくれた。
武装は一切してない。但しポーチの中には…てね。
身体検査もそこそこに、内宮前を左折。
右に行けば後宮。尤も王妃は一人で子王女も居ない。
男子禁制でもなく、王族一家で使われているらしい。
警備の数が半端ねえな。当然の如く。
騎士団の訓練所に併設された食堂へと通された。
何でも女中や侍女、給仕等の裏方さん向けの食堂らしく、窓の向こう側では、若手新兵の姿と威勢の良い声が響いていた。
「上の様子を伺って参ります。ここでしたら血の気の多い兵士も来ません。何より城内では、一番真面です」
小声のアドバイスを残し、ライラは給仕に声を掛けると退出して行った。
昼ラッシュ前の時間帯で人が少ない。
何処でも好きにと言われたので、訓練風景が覗ける窓際席を取った。
シュルツの椅子を引き、続けてフィーネ。自分はシュルツの対面に座った。
「ふー」まだまだ気怠さが抜けないわ。
暫くするとメイド姿のウェイトレスさんが、人数分のメニューと常温水ポット、木製グラスを持って来た。
「お代はライラ様より頂戴しております。そちらのメニュー表からお好きなだけご注文下さい。…本来は公職のお客様をお迎えする場ではありませんので、お口に合えば宜しいのですが、お気付きの点や不備が御座いましたら何なりとお申し付け下さい」
「そんなに畏まらなくて大丈夫ですよ」
営業スマイルを拝見。メニューはどれどれ…。
おお、コーヒーが在るぞ。砂糖は見当たらないが、折角だしチャレンジしてみよう。
「カフェオレと日替わりランチでお願いします」
「私も同じので」フィーネさんの面倒臭がりが出た。
「私はハーブティーと、それを」
シュルツは若干ドギマギ。
貴族令嬢は普通来ないもんな。こんなと言っては失礼だが大衆的な場所はね。
ポットを持とうとしてブルッた。腕に力が入らない。
「私がやるわよ。置いて」
「お願い…」
結局フィーネに水を注いで貰った。
「お姉様が退席を命じられたなら、私がスターレン様をお支え致します。…でも、お尻を触られるのはちょっと」
「今朝のは、申し訳ない」
「まったく…。魔力の枯渇って体力まで影響するのね。私も気を付けよ。セクハラされたら後で教えてね」
「はい。有りの侭に」
「しないって。…しっかし。魔力が底付きすると、気絶するだけじゃなく、完全復帰までに丸1日掛かるとは。
普通にスキルで消費して半分割っても特に何も起きないのに、零から回復させる時、魔力総量5割以上になるまで安静にしとかないと、今朝の俺みたくなるんだってさ。
さっき出掛けにロイドちゃんから聞いた。無理して起き上がったのが拙かったらしい」
「ふむふむ。そうなのね」
「魔力と呼ばれる物は、誰にでも在る物なのですか」
「みんな誰でも持ってるよ。何かしらスキル持ってたり、魔道具使わないと減らないから気付かないだけで。勿論シュルツにも備わってるよ」
「不思議な力ですね」
不思議だねぇ。元の現代世界では絶対に有り得ない力だから、個々の素養とセンスが問われると。
「ご明察です」恐縮です。
「お待たせしました」
日替わりランチは結構豪華だった。
茹で卵の剥き身。レーズンパン。固形バター。
大豆と根菜のブイオンスープに川魚のムニエル。
何だよ、大豆あんじゃん。
これでどうして醤油や味噌に辿り着かないんだ!
と、文句を言っても始まらない。
スープは薄味でもしっかりとした出汁が利いて、大変満足な仕上がり。
ムニエルも元の魚は不明だが、臭みも感じず程良い胡椒が絶妙。
酢を加えれば南蛮ぽく出来そう。候補に加えるか。
焼きたてのレーズンパンも香ばしく、外カリ中フワ。軽くバターを乗せても尚良し。
茹で卵も黄身が濃厚で幸せ気分。
お代わりも自由とのお知らせを受け取ったが、大事な接見前でとお断りした。
温くなったカフェオレを飲みながら、泥汗臭い訓練風景を眺める優雅なブランチ。
彼ら彼女らも、何事も無ければそれぞれの配属先で活躍して行く行くは上へと昇進する。
紛争や戦争、魔物の出現などが起きれば、真っ先に対応従事させられるのはあの人たちだ。
「お二人から見て、あの方たちはお強いのでしょうか」
同じ様に風景を眺めるシュルツから、そんな真っ直ぐな質問が上った。
「何人か見込みはありそうね。でも」
「何を以て強いか、だな。単純な腕力か精神力か、その両方か。本当の戦闘では個人の才能、運も関わってくる。
その時の連携、隣り合う仲間。体調、機嫌。優れた武具とか指揮者の采配。詰まる所、その時になってみないと誰にも解らないんだ」
「難しいのですね…。この先、私もどうなるかは解りませんが、武芸の一つでも習得出来れば、お二人のお役に立てるのでしょうか」
「背伸びしなくてもいいさ。人それぞれ、出来る事を精一杯やればいい。ライラのように文官の道だって、充分に人の役に立てる。もしシュルツがお姫様に成っても、優秀な家臣を見つけ出せれば、終ぞ民を守る事にも繋がる。
方法は一つじゃない。剣を握る事だけが戦いじゃない。
結局はシュルツが何をしたいか、だと思うよ」
「何をしたいか…」
「私の言う台詞。無いじゃない」
「…ごめん」
「シュルツちゃんは、夢とかは無いの?」
「夢、ですか…。私が見ても良いのでしょうか」
「夢を見るのは人間の権利よ。神様にだって文句は言われない。それを探すのも自由。貴女だけの物。
私はもう、見付けてしまったけれど」
手の甲に添えられたフィーネの手が温かい。俺は何も言わず握り返した。
「お二人が羨ましいです」
「こう見えて。出会った時に、俺はフィーネに殺され掛けたんだぞ」
「あれは…。気絶させようとしただけよ」
「ホントかなぁ」
「興味が…。でもお聞きするのが怖い…」
3人で薄く笑い合った。
人が増え出した食堂に、外から聞こえるランニング中の掛け声が、小さく届けられた。
女性2人がお花を摘みに行き、後で俺も運んで貰って用を済ませた頃。ジャストでライラが戻って来た。
「そろそろ控え室の方へ。フィーネさんも是非にと。ライザー様より強く推されました。…素顔を晒したのが、よろしくなかったかも」
「それだけでお姉様に靡くような方でしたら、綺麗にお断りして見せます」
シュルツが言い切った。
「そうでしょうとも」満場一致で。
時間にはまだ余裕があった為、回廊から見える景色を幾つか案内して貰った。
大層立派な庭園や噴水。ラザーリアの中庭よりも豪華に見えた。あっちは見栄、こっちは審美。
花の品種は置いて、水竜神を信奉しているからか全体的に青彩色が多目だった。
ブルーとは行かないまでも、薄紫のバラも在った。
内門を潜り、中央の通用門…ではなく後宮方面へ。
「今日って後宮?いいの?」
「大きな声では言えませんが、王は存外気分で場を変えたりします。玉座の間では肩が凝るとかで。しかも本日はこちら都合で変更の形。王もスターレン様と同じく家族を重んじる御方。ちょっぴり似ていらっしゃるかも」
「いやー。そりゃないっしょ」
フィーネや仲間を家族とするなら、大事にしていると評価されるのは悪い気はしない。
しかし自由気まま、奔放だと言われるとなぁ。
お会いしてから考えますか。
後宮の離れ。前室に通された。
入室するとロロシュとゴンザ両人が向い合って、テーブル席に着席していた。
言わずとも重苦しい雰囲気。ゴンザさんがこちらを見付けてホッと胸を撫で下ろしていた。
もうちょい早めに来ても良かったかも。
「御爺様!」
「うむ。元気そうだな。しっかり眠れているか」
「はい。我が儘を言ってお姉様に添い寝して頂きましたのでぐっすりと」
「…そ、そうか…」
ロロシュさんが少し寂しそうに見える。
「で、では今度わしとも…」
「それよりも御爺様。接見前にご相談が」
華麗にスルーを咬ましたシュルツが、昨夕のライザー氏に求婚された件を話した。
より寂しそうに見えなくも無い。
「条件としては最善だな。他国の豚にくれてやる位なら。
だがしかし、こちらもこちらで手は用意した。王のご判断を仰ぎ聞き、その上で策は講じよう。
何より、シュルツ自身が殿下を認めなければ始まらぬ。
シュベインの意見などは聞かぬが、一度メリアードにも聞いてみなさい」
「解りました。では続いて昨日スターレン様が話されていた内容をお伝えします」
自分の事はそっちのけで、昨日の話を要約してロロシュさんに伝えてくれた。
素晴らしいの一言。何一つ間違えず、内容に抜け漏れは無かった。頑張ったね。お兄ちゃん嬉しいよ。
「スターレン君。間違いはないかね」
「はい。寸分違わず。シュルツは賢いです」
「その感想は求めていなかったが。…そうか、アンネの魂が捕われているのか」
「後に陛下にも詳しくご説明します。解放するにも色々と条件はありますが、方法には目処が立ちました」
フィーネの肩を借りながら、ロロシュに歩み寄る。
「その魔道具に鑑定スキルを多用した挙句。こんな具合になってしまいましたが、明日には戻ります」
「魔力枯渇か。スキルが備わっていない身としては、理解し難い物だ。許せ」
「何を仰いますか」
ゴンザさんは部屋の片隅で、緊張でガクブルしているだけだった。
そんな彼の肩を抱いて、ライラは「大丈夫」を繰り返し慰めていた。あ、これもう逃げられん奴だわ。慰めながらもほくそ笑む彼女の顔は、とても悪い子になっていた。
ゴンザさん!隣!隣見て!
蟻地獄に肩まで浸かった彼にエールを送っていると、お呼び出しに預かった。
初見で中央奥に鎮座するヘルメン王を垣間見た。
黒髪に白髪が入り交じったナイスミドル。
やり手の社長さんだ。
恰幅はいい。御年相応の佇まい。
ベースは童顔に感じたが、小皺と黒い口髭がいい味。
ライラは控え室に居残り。以外のメンバーで机前に並び膝を着く。前と言ってもだいぶ距離は在る。
頭を垂れる姿勢が辛い。非常に辛い。何だったら土下座の方が楽。
堪えに堪え。隣のフィーネに位置に、手の甲を向けた。
掌返しで頭を上げる合図。
「スターレン殿は、魔力枯渇で体調が優れぬと聞いた。拝礼は一度で構わぬ。適当に席へ着け」
殿?殿つった?何でや。初対面だよな。
折角仰せつかったので甘えます。
掌を返し、フィーネの肩に掴まって席を探す。
「お見苦しい姿で、失礼致します」
「スターレン殿はこちらに」
ライザー王子が左手を机上に置いた。
末席じゃないの?と浮べつつも素直に従う。
対面席は奥から知らん人。ロロシュ、シュルツ。
こちら奥から、ライザー、自分、フィーネ、ゴンザと言う並びで着席。
壁際にはギルマートとノイツェの姿も見える。
ゴンザさんが酷い顔になってる。今夜はハゲがより進行するに違いない。
最奥が王と王妃。ヘルメン様と…やべぇど忘れした。
結構な美熟女だ。スタイルも良い。何処ぞのデブとは大違いだ。
「ミラン様ですね」助かったー♡
知らん人はメイザー王太子。王から始まる、イエァ自己紹介もそこそこに特別会議が始まった。
「今日呼び立てたのは…」
フィーネの仮面解除攻撃に時を止めたが、何とか持ち直し続けたヘルメン王。ご立派だが、お隣の姐さんの眉がピク付いた。
「直に状況報告を受ける為。足を運んで貰った。スターレン君の率直な意見が聞きたい。ノイツェに、これ以上の襲撃は無いと言い切ったそうだが」
「はい陛下。端的に申しますと、
マッハリア王、クライフ・クリエ・ラザーリアの派行に由縁しております。今回は妃であるフレゼリカも随伴。彼の妃は控え目に語っても、非常に無駄を嫌う御方。
無駄とは、国境越えに在ります。知らせを直接賜った訳には在りませんが、そろそろではと推察します。それこそが限界点。妃の目的の一つはこの私の殺害に在ります。
国境を越えた後に、私が死するのは構想外と成り、無駄と成るのです」
「私は率直に、と言った。自分の言葉で申してみよ」
解り辛いってよ。誰か訳してやってくれ。誰も居ないな。
「彼の妃は常人には計れぬ御方。詰り、あのデブは、私を自分の手で殺さなくては気が済まないのです。それが遠方に離れた地であっても、己が企てた謀略で害せねば喜びは得られません。それが根拠と成り得ます」
これに対し、ヘルメンは大いに笑った。
やってやったぜ。
「愉快な奴め。それを迎える身にも成れ」
「私はそれを迎えるに当たり、異国のグルメをご用意しお待ちする旨を先手で打ちました。国境を越えて私が居ないとなれば、それも消え、完全な無駄足と成るでしょう。越えて尚、追撃する事は有り得ません」
「恐ろしい女なのだな。フレゼリカは」
「この私も、国に残る家族も。彼女の玩具です。飽きるまで決して離さず、地の果てまで追いましょう」
「それを解った上で、何故に国を出た」
「理由は至極簡単。私が生き続ける限り、駒である家族には手は出されません。全ては彼女の欲望を満たす為。
たったそれだけです。国に残れば、家族は順番に冤罪で殺されます。それが解ったので逃亡しました」
「こう言っては何だが、一挙手で害するのでは駄目なのか」
「彼女は狂人。一手で葬ったなら、その楽しみは一瞬で消えてしまいます。私の母を殺すのに10年もの歳月を掛け追い込みました。1つ1つ潰して行くのが楽しいのでしょうねぇ。斯くも愛しきは己が欲望。全く以て反吐が出ます」
深く息を吐き、ヘルメンは暫く瞑目した。
「招待状を出す前に、君に会うべきだったな…。御せると考えたのがそもそもの間違いだった。
して、この国は守られるのか。滅ぶのか、何方だ」
「守ります。必ずや巨悪の根源を追い返してご覧入れましょう。勿論私も最大限の努力はさせて頂きます。その上で陛下に幾つかご相談が在るのですが」
「よい。聞こう」
「その前に、喉が渇きましたわ。体が優れぬ客人にばかり御喋りを続けさせるのですか」
「おぉ、これは」
番に控える兵士に指示を出し、直ぐに紅茶が運ばれて来た。ミラン様に惚れそうだ。
一息入れてから、今後の方針展開、のご提案。
前提として。
1.マッハリアとの同盟は結ぶに値しない事。
理由は帝国の動向。本当に戦争を起こすなら、真っ先に狙うはロルーゼ。何かしら帝国が望まない状況となればその矛先はマッハリアに向かう。
戦時下で同盟を結んでいると、強制参加。
帝国がロルーゼを落とせば、次いでタイラントが標的と化す事を説明した。
何れにせよ、巻き込まれるのが数年早いか遅いかだけ。
2.フレゼリカ王妃を迎えるに当たり、考案した料理を何品か出品させて欲しい事。
後日、品評会に参加させて貰い実食での判断を求めた。
是で在るなら、王宮料理番との顔繋ぎをお願いした。
3.派行に際し、自分の家族が同伴させられている可能性が在る事。
父か弟かは解らないが、推定は弟。
先布令の書でも在るなら、参照を要求。
4.吸魂の御鏡を解放する為、闘技場を近日中に1日貸し切りにさせて欲しい事。
昨日は話すか悩んだが、嘘を言って後に問題視されてはその他が立ち行かない。包み隠さず説明した。
5.ぶっ壊された彫像は修理しました。
投獄中の元宰相をどうするかはお任せ。
「一番は参考としよう。善き助言感謝する。
二番は直ぐにでも手配する。事前にロロシュからも聞いていた。品評会は楽しみしている。
三番はノイツェに託そう。記憶では、類する旨は書いていなかった気がするが…。
四番は魔道具を見せよ。闘技場の貸し切りに関してはそれからだ。
五番は…さて、どうしたものか」
王様凄ぇ!!馬鹿にしててすんません。
メイザーは筆でメモを取って、唸っていた。
お隣ライザーはフィーネに目を向けない様に必死に堪えていた。シュルツの事で頭が一杯なのはいいが、こっちの話も聞いて欲しい。
「ロロシュ卿。五番をどう見る」
「むぅ。壊した時の状況を見てないのでな。故意であるならフレゼリカ妃の前で断罪してやれば、興味は引けるやも知れぬ」
「うむ。それで行くか…。この彫像はどう直した」
王が手渡した修理品を捏ねて眺め倒す。
(フィーネの治癒魔法が仕事してくれました)
「案外綺麗に割れていましたので、接着剤、石灰で繋ぎ上塗りで誤魔化しました。会場の手の届かぬ場所に置き、返してやる旨を陛下より、伝えて頂けるなら幸いです」
「やはり返すのが前提なのだな。こちらには未練も何の無いが…、天使様の彫像は手に入らぬか」
お、そっちに食い付いたか。
「スタプ初期の頃の木造作品なら、ロルーゼの貴族が独占している筈です。生誕祭を無事に乗り越えた暁には取り寄せを図りますが、宜しいでしょうか」
「よい。スターレン殿に任せよう。後に結果を教えてくれ。四番を話し合う前に、ライザー、何か言いたい事は」
「ハッ。陛下の御前で、改めてシュルツ嬢への婚約を求めたいと願います」
「だそうだが、シュルツはこの愚息をどう思う」
シュルツは一度目を伏せたが、やがてライザーに向き直り言った。
「大変嬉しく思います。そちらのフィーネ様に靡くようならどうかと思っておりましたが、何とか堪えられていたご様子でした。私はそれを好意と受け取ります。ですが!
昨日もお伝えしましたが、先程に御爺様に相談させて頂いたばかり、疎遠であっても母にもお伺いを立てねばなりません。もう暫くのお待ちを」
疎遠…なのね。引き続き保留宣言に、王子がしょんぼりしていた。
「こればかりは当人に決めさせる。マッハリア側から正式な要請が在った訳でもない。良いなヘルメン」
何ぞ!ロロシュさんが強気に出た。不敬全開の言動。
「人前では勘弁を、先生」
先生?たった一言で折れちゃうのヘルメンさん。
関係性が謎だ。
「主の教育担当から離れ久しい。勝手に進める気なら、押し付けられた爵位こそ切り捨てる」
「それで亡命されても困る。…ウホンッ。ライザー、幼き婦人に強引に迫る事の無い様に」
「…解りました。返事をお待ちします」
「シュルツを表に立たせるならば、先日まで使用していた変装の魔道具を使われる事を進言します」
「まだお借りしていても良いのですか」
「うん。元々ノイツェ氏のコレクションだからね」
「貸与に関しては問題ありません」
ノイちゃんの快い返答。これぞ事後承諾。
「マッハリアの王子とは、どの様な人物だ」
「はい陛下。婚姻が確定していない第二位以下全て、不細工で能無し、病弱なのも居ります。
特に、王妃直系は行き遅れの強欲揃い。マッハリアの未来は真っ暗だと断言します!正統に妃が崩御すれば、代替えも有り得るかと」
「…救い様がないな…」
シュルツの顔が真っ青。先に、教えてあげれば良かったかも知れない。
「メイザー様も、晩餐会前に決めておいた方が宜しいかと思います」
「せ、性急に纏めるとも。…この国にも、フィーネ嬢の様な方が居ればな…」
こいつら自重しないな。
「まぁお上手ですこと」
「メイザー。人様の妻に手を出そうなどと」
「母上。それは有り得ません。失言、平にご容赦を」
幾分和んだ所で、魔導鏡を机上に置いた。
「鏡面を覗き込むと、不意に取り込まれる可能性がありますので裏向けにて失礼致します」
王はノイツェから蝶眼鏡を受け取り、鏡の背を眺めた。
「確かに。吸魂の御鏡とあるな。よい、話を聞こう」
王様って万能かよ。話が通じて助かるけど。
「これの解放条件に、万の魂が集まる場所とありまして。それで闘技場をお借り出来ればと考えた次第です」
「成程な…。よし許可を出そう。院にも布令を出さねばならん。早くて明後日になる。
それについての危険性は報告を受けた。寄越せなどとは言えぬ。無事に解放せよ」
「熟慮して事に当たります。先立ってその調査にライラ殿をお借りしたいと考えますが、宜しいでしょうか」
「よいか。ギルマート、ノイツェ」
「「ハッ」」
久々にギルマートの声を聞いた気がする。
「して、最後になるが。そこで今にも死にそうな顔を浮べる者に付いて。ギルマート、申せ」
王の左後方2歩手前に立ち、ギルマートが告げたのは。
魔道具入手に加え、現われた異形を討伐した功績が評価され、王国騎士団への再入団を促すものだった。
メドベドさんの更に上。何段飛ばしになるんだろ。
王の御前で、半強制だ。
「陛下。ご、ご拝命、大変に嬉しく。しかしながら、先の御身生誕祭が終わるまでは、所属するメメット隊とこのスターレンの下で働きたいと希望します。
配位をお受けするかは、それ以降とさせて頂く事は可能でしょうか」
「ふむ。スターレン殿は、何か意見は」
助けを求めるゴンザさんの熱視線が痛い。
「はい陛下。本人の意志を尊重しますが、我が儘を申しますと、我がメメット隊は少数精鋭。1人抜けるだけでもかなりの痛手。同じく、祭事完結までを希望致します」
「国の兵士も減った。留意とするが、期待はするぞ」
もうそれ逃げられない奴じゃん。
「…ご配慮。感謝致します」
後宮を出る頃には夕暮れ間近。
シュルツはロロシュに連れられ、ゴンザはライラに拉致られ、俺はフィーネに支えられながら、各々の帰路へ。
何処って?そりゃ玄関が新しくなった借家の方です。
起き上がろうとすれば、全身が痛み出す。
「くっ…」
拘束されている訳ではない。全身の激しい筋肉痛と、幾らかの骨がやられているのだと感じた。
仕方なく、背を元に戻した。
気を失ってから戦いはどうなったのだろう。
不安に駆られるが、よく見ると以前に見た部屋の様式と豪華な壁紙。丈夫な斜光カーテン。
清い香りのする毛布とシーツ。
ノイツェ様の別宅に違いない。
下着だけに剥かれ、その下着も真新しい物に取り替えられていた。仲間がやってくれたのか。
喉の渇きを覚え、サイドチェストに置かれた水差しに手を伸ばした。が、後一歩届かない。
少し動かすだけで全身が悲鳴を訴えた。
覚えているのは敵を討ち果たした最後の光景。
よく自力で戻せたものだ。
自分で制御出来たのは初めてだった。
狂槍状態。自分ではそう呼んでいる。
本物の、スキルとしての【バーサーカー】には及ばないものの、短時間で能力値を飛躍させる。
特に槍を扱うと発動し易い。
見返りは見境無い狂慌状態と、反動から来る全身疲労。
記憶の欠損。それは今回は無い。
静かに部屋の扉が開かれた。
「あら?起きてらしたんですね」
「…ライラか」
ライラはベッド脇の椅子に腰掛けると、水差しの瓶を手に取った。
「飲みますか」
「ああ…。済まないな」
喉が潤った所でライラに尋ねた。
「あれから、どうなった」
「まー内外色々とありましたが。取り敢えず都内の離反は沈静化したと見て良いでしょう。弱体化の魔道具と、青銅鏡は手に入り、スターレン様が詳しく鑑定中です。カメノス邸に待機中のモーラスさんと、城内で奔走しているノイツェ以外の人員はこの別宅に居ます」
「ライラは城へは行かなくていいのか」
「新たな魔道具の監視をせよとのお達しです。それは建前ですが」
「建前?」
「私個人がゴンザさんのお世話をしたかったのです。報告後に抜けて来ました。感謝して下さい」
「助かるよ。それと」
あの後の事を詳しく尋ねた。
襲撃事件から丸二日が経過している事。
シュルツは無事にロロシュ邸に保護された事。
明日にはスターレンがヘルメン王に召還される事。
宰相が離反で投獄された事。
シュナイズ公爵家。及びその派閥と所有する商団が内通者である事。
もう一つの公爵家。ムートン・ソル・オーキナは中立の立場であった事。唯一救われた点として。
「グチャグチャだな」
「ええ本当に。只今絶賛、内政は混乱の極致。それらは気にされなくても結構です」
「尚更、ライラが戻らなくては」
不機嫌に成ったライラに水差しを口に突っ込まれた。
口内の水を飲み干すと。
今度は唇を塞がれ、舌まで捻じ込まれた。
暫くの交わり。互いの唇が離れた所で。
「これでも私の本心を疑いますか?解りませんか?」
「いや…とても。よく、解った。しかし、俺は…」
「ご不満ですか?これでも自己評価は中よりは上だと」
「違う。俺はまだ、君の事を思い出せていない」
ライラは大袈裟に溜息は吐いた。
「晩餐会後と待てば、自殺する様な真似をして。今度は言い訳をする。今は負傷されているので許します。生きて戻られたので」
フィーネを呼びに行くと言って、部屋を出た。
「言い訳か…」そう言われれば、そうなのだろう。
ん?フィーネ嬢?どうして今、何か関係の在る話か。
ゴンザに思い当たる点は特に無い。
暫く待っていると今度はノックされた。
「フィーネさんをお連れしました」
「ゴンザさん、お早う。と言ってももうお昼ですけど。それより聞きましたよ」
かなりご立腹の様子。俺が何をしたと言う。
「お、お早う。何を?」
「全身骨折らしいじゃないですか」
あぁ知られていたのか。メドベドかムルシュ辺りがバラしたに違いない。
「軽い皹が各所に入っただけだ。一週間も寝れば治る」
「一週間も寝た切りじゃないですか。ここにはノーラさんも来てますが、出産直後の人に介護までさせる気ですか」
言い返す言葉が見付からない。
とは言え、見捨てられてはトイレにも行けない。
最悪這って行くしか。
「カーネギさんも治しちゃいましたし…。
ホント内緒ですよ。特別ですからね!」
「な、何を怒っているんだ」
「ホントは旦那以外の男に触るの嫌なんですよ!」
「は、はぁ?」
フィーネは毛布を引っ剥がした。
急な寒さに震えるゴンザ。
「な、何を」
「ゴンザさん。頑張って堪えて」
隣のライラから応援された。いったい何が起こると。
「パンツ一丁とは…。男なら我慢!」
え?え?何が起きるんだ!
フィーネが両手を鎖骨上部に当てた。
骨の上を伝う指先。胸部にまで滑る。
通り過ぎた部分が、熱い!?
「あ!あぁぁぁ!!」
「暴れないで!カーネギさんは堪えてましたよ!」
熱い、痛い。激しく痛い。
フィーネの手は両腕、脇腹、股関節、大腿部、膝や脛。
手先、足先に至るまで痛打を与えて這い回った。
これは何だ。治していると言うよりも、逆に砕かれているような気さえする。
数分後…。
無茶苦茶にされた…。
「ハァ…ハァ…ゲホッ。な、何を…」
「はい、今度は肩から背中!」
終わったと思いきや。ベッドの上でうつ伏せに返され、荒療治が続行された。
「や、止めてくれぇぇぇ!!」
「子供じゃないんだから」
激しい痛みに意識が飛びそうになる。しかし追撃する痛みが飛翔を許さない。断固として覚醒中。
更に数分後…。
メチャメチャにされた…。
「はい完了!手洗ってくるんで。ライラさん後よろしく。夜には痛みが引くと思います」
「有り難う御座います」
出て行ったフィーネに代わってライラが、シクシクと泣くゴンザの汗を布で拭き取り、最後に毛布を掛けた。
脂汗に塗れた薄い頭も丁寧に拭いた。
やっぱり嫌じゃない。とライラは思った。
自分の意志さえ疑った時期もある。貴族の子息との縁談を持ち込まれた事もある。
十年以上前の恋。何度も冷めて、ぶり返す。
しかしどんな時も忘れた事だけは無かった。
「いい子でちゅねー」
「……グスン」
---------------
十年と少し前の出来事。
とある兵舎に隣接する訓練所。
そこでは新兵の適性と序列昇格を賭け、日夜連日の厳しい訓練が繰り広げられていた。
若者たちの表情は苦しくとも明るい。
男女分け隔てなく汗を流し、訓練後には独自で集まり反省会を繰り返していた。
その中でも注目株の二人。
メドベドとゴンザ。同郷であり幼馴染み。
王国騎士団への入団を夢見、王都の新兵募集の門を同じく叩いた。
他の新規入隊員とその二人が違うのは、まずは連携。
多種の武器が扱える多才さ。
特に槍術での連携は突出していた。
単独にしても動と静。ゴンザが動なら、メドベドが静。
合わさるなら、模造の槍で大岩さえ砕いたと言う。
烈火の如き突き。流水の如き払い。
そんな訓練風景を傍らで見守るうら若き少女たち。
貴婦人と呼ぶにはまだ少し早い、成人前の乙女。
淑女と呼ぶには投げ交す声援が少々粗かった。
「わたくしは断然、メドベド様よ」
「わたくしは、あの獰猛なゴンザ様だわ」
一種の新人狩り。観察して楽しむだけの余興。
将来有望そうな異性の新人に色目を付けるのが目的。
所謂青田買いである。
タイラント王国が他の国と違うのは、圧倒的な経済力。
商人たちが生み出す収益金の勢いは天井知らず。伴う税収のみで国は充二分に潤った。
誰もが商人を目指してしまい兵士に志願する若者が、年々減少傾向。加えて商人の道に挫折し、縛りを嫌う者は冒険者へと転身してしまう負のループ。
商人たちはその身や荷を守る為に冒険者を雇う。
国には王都や各地を守護する為に兵士が必要。
必然的に所属新兵でも、並の商人よりも多い安定給与が与えられる事となった。
兵士、兵員より一段上の兵長に上がるだけでも、中級冒険者の低層の稼ぎと同等。
武官、文官、士官。枝分かれする役職は多岐に渡る。
士官(騎士団)から連なる上級職ともなれば、爵位を冠した貴族と同等の地位まで昇れる。
夢は広がる。
どの職も危険を孕むなら。より安定した給与と将来性を少女たちは求めるのだ。人材を見極める目を養う上でも必要な行為と言えた。
例え、動機は不純でも。
出自は関係無く、将来の展望を見切ろうと少女たちは躍起となった。
時にある日。雑多な少女たちに紛れ、毛色が違う本物の貴族令嬢が見学会へ参加した。
アンネ・ミラージュ。ミラージュ公爵家の血縁者。
ライラ・キルメイ。国家高官の親戚筋子女。
この二人は何度か参加する内に知り合い、五歳違いの友人となった間柄。
アンネはライラを妹のように思い。ライラはアンネを姉のようだと慕った。
互いの目的の人物が同じであったのが大きい。
「いいですわねぇ。あの傲慢な足捌き。熟練の兵にも見劣りしない。是非情熱的なダンスを教え込みたいですわ」
「アンネ様。言葉尻が変テコですよ。ご無理をしないで。御父上様とまた喧嘩でも為さったのですか」
二人は来る時間を合せ、二階のテラス席から日々の訓練風景を眺めるようになった。
境遇も似ていた。父親が度々持って来る政略的な見合い話に辟易し、荒み掛けた心を癒やす目的も見学には含まれていた。
「あーもう。いっそ私たちも武芸を習いましょうよ」
「将来安泰のアンネ様ともあろうお人が何を。それこそロロシュ様に怒られますよ。私が習うのとは話が違います」
「知りません。あんな聞き分けの無い父など」
頑固な一面が垣間見えるアンネを、溜息交じりに見守るライラ。これはもう、私も付き合わされるのだろうと半ばで諦めた。
訓練の段落で給仕がタオルを持って走るのが見えた。
下の階から少女たちの歓声が飛んだ。
ゴンザとメドベドも他の員生も。嬉しそうに手を振り返す様子が窺えた。
立ち入れぬこちらにも手が振られた気がした。
二人もそれに手を振り返す。
目が合ったと思うのは気の所為だろうか。贔屓目が優ったとも取れる。
そんな日常の風景が流れた時節。
---------------
夕刻にまた目を覚ました。
カーテンの隙間から溢れる茜色が眩しい。
身体中の痛みが退き、張りを残すものの動かせるまでに回復していた。
半身を起こすと、ベッドの脇に寄り掛かりながら寝ていたライラも目を覚ました。
朧気な目を擦り、ライラも身体を起こして伸びをした。
いつの間にか肩に掛けられた毛布がハラリと床に落ちた。
「身体はどうですか」
落ちた毛布を掴み取りながら。
「…動かせるな。軽い筋肉痛程度だ」
腕や手足を曲げ伸ばして具合を確認した。
特に骨に異常は見られない。
「フィーネさんに治癒魔法をお願いしました。複雑骨折でなければ直ぐに治せると。先程の痛みは伴いますが」
「…思い出したくない」
「カーネギさんも腕の骨を折ってましたが、割と普通に堪えてましたよ。スターレン様は…。寧ろ喜ぶとか…」
「…変態だな」
「ですね。お腹、空きません?」
「正直空腹で死にそうだ」
「もう直ぐ夕飯です。リハビリ序でに下に降りましょう。
皆さんお待ちです」
「そうか」
トイレと着替えを済ませ、ゴンザはライラの肩を借りて下へと降りた。
キッチンから漂う、酸味の利いたトマトバジルの香りが食欲を誘った。
ゴンザを着席させると、ライラはキッチンに入った。
広いダイニングには蒼々たる面々。
メメット隊のメンバーに加え、昼には居なかったと聞くモーラスとシュルツの姿もあった。
トーム家の母子もリビングに見える。幼いモーラがトモラを危なげに抱えてあやしていた。
「スターレンとフィーネ嬢はキッチンか」
「起き抜けに開口一番それかよ。飯の心配よりも何か言う事あんだろ」
真顔のトームが隣に座った。
無茶をするな。単独で突っ込むな。深入りするな。
それは日頃から隊員たちに自分が伝える言葉だ。
「後でも謝罪はするが。今回の単独行動は、本当に申し訳なかった」
「最初からそう言え。まぁ今回は前置きしてからの行動だから大目に見てやるよ。無傷で帰って来てたらボコボコにしてやろうと思ってたがな」
「すまん…」
緊張していた空気が弛緩した。
次に口を開いたのはシュルツだった。
「我が家の離反者は父のシュベインでした。今は邸内に軟禁中です。御爺様も叔父様のサルベインも、クインザ系に連なる商団との交渉を進めていまして。当代の代理としてこの場に参じました。若輩で心許ないのはご勘弁を。
本心で言えば御爺様も来たかったのだと思いますが」
しっかりとした発言だ。
この数日間で見違える成長。かなり無理をしているのは違いないが。その割には表情は穏やかだった。
「あー。小難しい話は後だって言ったでしょ。シュルツちゃん配膳手伝ってくれない?」
丁度顔を覗かせたフィーネ嬢が、大人振るシュルツを手伝いに誘った。
「はい!お姉様」
元気に駆けて行くシュルツ。確かにこれ位が丁度いい気がするな。しかし…お姉様って。
他の面々は表情硬く沈黙している。
「どうしたんだ皆。緊張している気がするが、まだ誰か来るのか?」
答えてくれたのはメメット。
「それがよぉ…。ノイツェ様がよ」
「まさか…怪我でも?」
「全然。本人はピンピンしてる。ただなぁ。今日引き連れてくる御仁がな…、ハァ…」
重苦しい。そんな上の要人が来るのか。
「第二王子のライザー様のお忍びだとよ。こんな時に」
溜息交じりにトームが額を抑えた。
「は!?何でこんな…と言ってはあれだが。トップが行き成り下に脚を運ぶなど」
呼び出されるなら、まだ話は解るが。
「俺が知るか。ライラも何も教えてくれねえし。どんな話があるんだか。流石の俺も胃が痛えよ。さっさとレーラたちは飯食わせて帰らせるけどよ」
リビングから来たレーラと目が合う。
ツカツカと歩み寄ると、俺の頭を叩いた。
「反省なさい!兄さんが断罪されるかも知れないのよ」
「ごめん…」
そうか。その可能性があるのか。
今回の責任の所在を断ずるのが来訪の目的だとすれば、至極納得出来る。
それでこの空気か。
「処罰されるなら仕方ない。寧ろ俺一人で済むなら甘んじて受けるさ」
敵味方多くの死者も出ただろう。誰かが責任を取らなくてはならない。全ては国の判断だ。
レーラとモーラが左隣の空き席に座った。
レーラは赤ん坊を引き取ると、深いバスケットに寝かせてリビング手前の空間に置いた。
真っ先に配膳されたのは俺とレーラたち。
配膳し終えたフィーネ嬢がモーラの頭を撫でた。
「今日は大きい人たちで難しいお話するから、お代わりは無しだよ。お土産に甘い物あげるから我慢してね」
「うん…」
普段は元気に走り回るモーラが大人しい。何となく雰囲気の違いを感じているのか。
スターレンとライラも遅れて出て来た。
「お疲れっす。俺も詳細は何も聞いてないんで。お話を聞いてみてから判断しましょう。その後の交渉は任せて下さい」
上との話は俺では出来ない。スターレンの方が適任だ。
「頼む」
「取り敢えず元気そうで何よりです。運び込まれた時は死んでるのかと思いましたよ」
「迷惑掛けたな」
茹でた野菜のサラダと、トマトのスープ。柔らかいパン。
実に質素だが、病み上がりの上、これが最後の晩餐かと思うと味わって食べねば。
鼻奥がツンとする。涙が出そうだ。
「泣かないで下さい。私も反論してみます。ですが王子は特にお怒りではありませんでした。何かこう…酷く緊張なさってましたね」
ライラが慰めてくれたが、それは淡い期待だな。
「有り難う。そう言えばさっき少しだけ思い出せたよ。昔の思い出を」
「お別れの言葉に成りそうなので今は聞きたくないです」
「そうだな。生きていれば後日にでも」
「ええ。良いお返事を期待してます」
そう言って対面の席に座った。
大勢に見守られながらの食事は、とても喉の通りが悪かった。けれども仄かに香る香辛料がスプーンを誘った。
スープの味付けが甘めなのは、モーラに合わせたに違いない。
好き嫌いが幾分激しいモーラも文句を言わずに黙々と食べていた。それが成長なのか、弟が出来た事に依る自覚なのかは解らない。
淡々と食べ終わり、レーラたちの帰り支度を済ませ、ライラが玄関前の衛兵を呼んだ。
「抱いてあげてよ」
レーラがバスケットを持ち上げる。
中ではトモラがスヤスヤと寝息を立てていた。
「いや。折角寝ているのだし、このままでいい」
指の背でそのぷっくりとした柔らかな頬に触れた。
温かい。俺にもこんな…。
複数の護衛に連れられ、レーラたちは帰って行った。
暫くリビングの暖炉の前で歓談していると、ノイツェよりも先に来客があった。
「よぉ、皆の衆。連れて来てやったぜ。数少ない味方を。感謝しろ」
ズカズカと入って来たのはエドガント率いる…。モヘッド率いる護衛のギークとデュルガの三人。
「何を勝手に。この件では中立で行きますからね。ギークお手数ですが、エドを簀巻きにして下さい」
「了解だ」
「ちょ、ちょっと待てよ!解った解った。王子が何を口走っても絶対に口は開かねえ。約束だ」
「それを何度破られたことか…。難しい話に成ります。とは言ってもこちらから提示する物は何も無いですが。
あとこれをお二人に」
迎えに立ったスターレンとフィーネに、モヘッドは出来たての銅板のギルドカードを手渡した。下級冒険者の証。
「本当に微々たる物ですが。何処かで役に立つ事もあると思いましたので。私の責任の下、勝手に作成しました」
現時点で特に使い道は見当たらないが。二人はモヘッドに素直な礼で返した。
「兼業かぁ」
「落着いたらこっちの仕事も受けてみよっか」
などと嬉しそうに話していた。そこまで楽しい物だとは思えないが。何方の仕事も。
そろそろ王子が到着する時間だ。
身構えてもどうしようもない。腹を括ろう。
暖炉前のソファーで休んでいるとシュルツが隣に座った。
「御力に成れず。…いいえ。御免なさい!」
俺の腕に両手を乗せ、涙ながらに謝罪するシュルツ。
「心配ない。どうしてだか、不思議と心は穏やかだ。覚悟は出来ている」
「責めてこの場に御爺様が居れば。
力無い自分が憎いです。一人では何も出来ず、誰も救えず守る事も難しい。こんな役立たず…いっそ谷で死んでいれば」
彼女の涙を親指の腹で拭った。
「それは言ってはいけない言葉だ。君が居なければ、ロロシュ様と敵対していたかも知れない。
悪い面だけ見るな。戦争が起きればもっと大勢が死ぬ。それを止める術として先に逝くだけだ。それに俺の首などマッハリアからすると、何の価値も無い。
国に貢献出来るなら、寧ろその方がいいんだ」
「…」
納得出来ぬとばかりに、添えた手を振り払い、シュルツは洗面所に駆け込んだ。
ノイツェがリビングに現われた。
どうやら時間が来たようだ。
「ライザー殿下が参る。皆、粗相の無い様に」
踵を返そうとしたノイツェをスターレンが引き留めた。
「ノイちゃん。俺はどっちで対応するの?」
「…ああそうだな。立ったままで行ってくれ」
「オッケー」
…緊張感が足りない。
スターレン以外の全員は後ろに並び、片膝を着き、頭を垂れた。
「ライザー・ミュゼ・タイラントだ。皆楽に…」
唯一人立ったままのスターレンを見て閉口した殿下。
出迎える形となったスターレンは臆する事無く、その手を差し伸べた。
「お初にお目に掛かります殿下。スターレン・シュトルフと申します。侯爵家からは離れ久しく、配位は受けてはおりませんが、マッハリアの一系に連なる者とすれば膝は着く事は適いません。どうかご容赦を」
「そうか。其方が噂の…。いやいい。互いに苦しい立場なのは承知している。今日はノイツェに無理を言って押し掛けたのだ。他の者も面を上げ楽に。何より、私は王でもないしな」
「して、本日の御用向きは」
「詳しくは明日。ヘルメン王より沙汰が下される。私が来たのは単なる私情。ここでは何も」
「では。後ろに控えるゴンザの処遇の知らせではないと」
ライザーは首を傾げた。
「ゴンザの処遇とは何だ」
「此度の件。処罰の対象かと愚考しまして」
「…ん?処罰と言ったか。王からも特に拝命は受け取ってはいないが。どうして救国に奔走してくれた冒険者を断ずる必要が在るのだ」
「…あ、これは。無駄な邪推だった様で」
端々から安堵の声が漏れる。
「モヘッドも居るな。私は何か間違えたのか。それとも我の知らぬ間に、査問の知らせでも届いたか」
「いいえ。こちらにも特別には何も届いてはおりません」
「ならば、問題は無いのではないか」
「そうでしたか。どうぞ、今の私の発言はお忘れ下さい」
微妙に意見が食い違い、悩ましげなライザーは首を捻るばかりだった。
「ハッハッハッ」
軽妙なライザーの高笑いが会議室に響いた。
「いやはや笑って済まない。その様な勘繰りをされていたとはな。面白い事を考えるものだな、スターレン殿。
この国では飾りの王家とは言え。もう少し信用して欲しいものだ」
「いやーお恥ずかしい限りです。商人ばかりの相手をしていると搦め手、腹の探り合いばかりでして。疑って掛からないとと考えた次第」
「褒美を与えるなら兎も角。首を取るなど有り得ん。父にも念を押しておくぞ」
「そちらは是非にお願い致します」
「それにしても…これは美味いな」
毒味を終えて並べられた質素な料理。
先に、自分も食べたトマトスープを豪快に啜り上げた。
「この際マナーは勘弁してくれ。宮では堅苦しくてな。これが庶民の味か。誰が作ったのだ」
「我が妻のフィーネと2人で作りました」
「ほう。其方は料理までするのか」
「下民に降りた身ですので、そこは自由にと」
フィーネ嬢もスターレンの隣席で面を外して会釈した。
「ブホッ」
フィーネの顔を見た瞬間に殿下がスープを吹き戻した。
後ろに控えていたメドベドが即座に手拭いを差し出した。
奴も初見で戸惑っていた。
こちらに目を向けて苦笑いを浮べていた。
俺が知るか。
「これは何とも。素直にうらや…。いやスターレン殿は良妻を得たのだな!」
直近の上下席に座るスターレンの肩をバシバシと叩く。
苦く笑い返すだけに終始していた。
一通りの料理を食し終え。
「騒がせた。私も直ぐに戻らねばならない。今日の目的を見失う所だった」
口元と姿勢を整え、何故かシュルツに向き直った。
「時にシュルツ」
「何でしょうか」
「我が妻に成らぬか」
静寂が駆け巡る。
「ふえっ!?」
ライザーは席を立ち、シュルツの前で膝を折る。
右手を差し伸べ続けた。
「貴女の。先日の覚悟と心意気に感銘を受けました。御身を守る上でも最良と考えます。どうか、この手を」
「え!?えぇ…」
戸惑いながらも王子の前に直立。しかし手は伸ばさない。
助けて欲しいと俺とスターレンを交互に見やる。
これは、無理だ。突然の王子の求婚に口は挟めない。
そのスターレンも、目頭を押さえて苦悩していた。
「お、お許し頂けるなら、お返事は明日までお待ち…。しかし他のご婚約者の方は…」
「急な話ですので、お待ちします。他、と申されましても昨日までに全て破断しましてね。多少の文句は上がりましょうが、次期王は兄上。継承権も返上した身。父上、母上共に了承は得ています」
何が何だか。それでは外堀は全て埋まっているではないか。王族らしい直球勝負に場が騒然とした。
「…今。私めを娶れば。マッハリアがどう取るか。ご存じで在らせられますね」
「重々承知。その上での求婚です」
「…お話はとても。この上なく嬉しいです。ですが祖父ともよくよく相談しなければ、私の一存では決め兼ねます」
「そうですね。明日までとは言わず、良いお返事をお待ちしましょう。マッハリアの国賓来訪までには何卒」
「何の枷も無いなら。無断で迷わずその御手をお取り致します。決して嫌と言う訳ではありません。それだけはお心に留めて頂ければ嬉しく思います」
「勿論ですとも。…さて帰るかメドベド」
「ハッ!」
ライザーと言う名の嵐が過ぎ去り。会議室には、何とも言えない空気が乱れ狂った。
口を開いたのはスターレン。
「えーっと。先ずは、ゴンザさんの回帰祝いでもしましょうか。シュルツは、ロロシュさんと相談するとして」
「スターレン様のご意見は」
スターレンは深く唸った。
「正直この手は頭に無かった。王族何てどの国も似たり寄ったりで。マッハリアの馬鹿王子や王女を見て来た身としてはね。継承権を持つ全員ではないけど。
あの胆力と判断力は素晴らしい。彼の爪の垢でも送り付けたいよ。メイザー様もさぞ有能なんでしょうね。ノイちゃんはどう見ます?」
「こっちに振られてもな。返答に困るが、贔屓目に見ても人道的に何ら文句は付けられない。見た通りの裏表の無い性格で。裏も表も上手いメイザー様とは犬猿の仲。
それ故に次期は長兄だと頭の固い貴族院も満場一致。
ヘルメン王は、これを見越して子を必要以上に設けなかったとも取れる…。いやしかしどうだろう」
ノイツェまで困惑気味だ。
「この際何も考えず、シュルツの好きにすればいいと思うよ。流石に婚約候補者が一人消えた、って理由だけで全面戦争にはならない。火種の一つにはなるけど。
まだ他にも手は在るし。タイラント国内を平定する上でも悪い手じゃないと思う。彼に好意を持つなら、ね」
「好意…。確かに好感は持ちました。ですが…」
「一晩ゆっくり考えて。どんな選択でも絶対対処して見せるから。任せとけ。
で、遅くなりましたが食事にしましょう。食後に重要なお話があるんで酒は控えて下さい。ギルドの皆さんも聞いて行くなら食事は」
プファーと大袈裟に息を吐き出したエドガント。
「口挟む暇も無かったぜ。飯は勿論、その話ってのも聞いてくぞ。モヘッドたちは」
「当然、参加で。こちらの二人も同様に」
「ならスープは温め直しね。20人前以上は作ってあるからお代わりは…」
席を立とうしたフィーネの袖をシュルツが引いた。
「今晩、一緒に寝て下さい!お願いします」
「しょーがないなぁ。政の相談はされても困るけど。私で良ければ喜んで。取り敢えず腹拵え。お腹空いてちゃ悩みも解決出来ないし。特別にシチューも食べる?」
「あ、はい!」
即座に挙手をするメメット隊のメンバー。
当然俺もだ!これを逃してなるものか!
「予想通りで何より。はい、ドンッ」
フィーネ嬢がポーチの中から大型の寸胴鍋を取りだした。
沸き上がる歓声。取り残される初見のその他。
後に振舞われたダイニングテーブルで、壮絶なバトルが発生したのは言うまでもない。
トームの。
「ちくしょー。それはレーラたちの分だ!」とか。
ライラの。
「後日作り方を伝授して下さい。お師匠様!」とか。
ノイツェやモヘッドたちの。
「何だこれは!手が、手が止まらない」など。
色々な言葉が交された。
もしもライザー王子の前に出されていたら、スターレンとの血に塗れる抗争が勃発していただろう、と言わしめるこの至上の一品は、スープと共に一滴残らず歓喜する群衆たちの胃袋に収まった。
興奮冷めやらないダイニングから、少し肌寒い会議室へと場を移した。この清涼感は堪らなく心地良い。
「さてと。結構遅くなってしまったので巻きで行きます」
スターレンの道具袋から一つの指輪と、幾つかの装飾具が出され、フィーネ嬢のポーチからは布に包まれた青銅鏡が取り出されて机上に並べられた。
「この指輪が怠惰の指輪。周囲の生物の全能力値を10分の1にする反面、装着者はその場から動けなくなる、と言う代物です。効果範囲は起動者の魔力量に依存します。
予想では身体的、特に呼吸器系まで能力低下が見られていたので、抵抗力の低い赤ん坊や老人が近くに居たら非常にヤバかったですね」
トームの顔が青くなった。
「なら地下室に居たレーラたちもヤバかったてのか」
「あのまま長引けば危うかったです。
メレスさんがあの場に居てくれて助かりました。先に言いますがメレスさんが持つ剣には水竜様の加護が付与されてます。何が切っ掛けに付与されたかは推測の域を出ません。
俺の鎧と剣には女神様の加護が付いています。
指輪の効果が加護には敵用されない、と言う証明にもなりました。着ていた衣服も含めて10倍の重さになったと考えれば解り易いかと」
続いてノイツェが。
「その脇に並べたのが指輪に対抗する為の装具かい」
「そうです。これらが反撃のベルト。自己に影響する魔道具の効果を軽減する装具です。
魔道具にはそれぞれ核となる魔石が嵌っています。
その魔石のランク。詰りハイランクの魔物から取れた魔石で序列が決まり、序列の相関でこのベルトの効果も決められます。
怠惰よりも反撃の方が格下なので、効果は軽減止まり。格上の魔石に入替えれば完全に怠惰を封殺出来ます。
関連性のある魔物が不明なので、大きければ何れでもいいと言う訳ではない様です。
ベルト部は普通の牛の鞣し皮。装備していた敵は手首や足首とバラバラでした。
もし敵の装備者があの場に居たら…、全滅していたのはこちら側だったでしょう」
「それは古代兵器ではないんだね」
「俺の鑑定レベルでは表示されなかったので、これらは現代の量産と見て間違いないかと思います。
本当はその情報も得られれば良かったんですが」
謝罪したのはモーラス。
「済まない。実験段階の試薬を投与した挙句に薬殺してしまった。あの男なら何か知っていたかも知れん」
「結果論なので。まずは勝利した事を喜びましょう。シュルツは気分が悪いなら外してもいいよ」
「いいえ。御爺様に報告しなければいけないので。泣き言は言いません。最後までお聞きます」
「無理しないようにね。ノイちゃんには回収品の選別と量産に関わる情報収集を追加で依頼します」
「言われるまでもない」
「こちらで回収した反撃も半分お渡しします。と言っても真面に使えそうなのは3つ位です。後は粗悪品の塵」
モヘッドが手を挙げた。
「その情報は、こちらからも本部に照会を取ろう。余り言いたくないですが、本部は東大陸の中枢に在る為、時間はそれなりに掛かります」
「東でしたか。そちらはお任せで。目下の対策は、複数の怠惰に対抗し得る装備品を確保するしか」
「怠惰はそれだけではないと」
「こんな半端なタイミングで投入されたのが解せません。恐らくこれ以上の物が在ると思った方がいいです。
魔王戦でこれが使われたとも思えませんし」
「その根拠は」
「先程言った魔石のランクです。最上位である魔王が格下の魔石に不覚を取るでしょうか。俺は信じられません」
「成程な…。真実はベルエイガだけが知っていた、か。聞いてはみるが、多分本部の記録にも無いと思う」
「モヘッドさんは本部へ行った事が」
「無いよ。ロルーゼ経由で行けない事もないけど。そもそもあんな危険な場所には行けない。体力の無い僕には無理だ。全部エドたちからの受け売りです」
「東大陸の最果ての町。百を越える大遠征群でも、帰って来られたのは俺やギーク、デュルガ含め二割程度だ」
「あれは地獄だった」
「ああ…。地竜や飛竜で埋め尽くされた谷。天然のダンジョンもわんさか。おまけに移動型のダンジョンまで。地上を逃げ回るだけでも相当苦労させられた」
「辿り着いたが最後。任務が無ければ、そのまま自生してたぜ。名の在る冒険家が東に集中してるのは、あそこが西大陸を攻める上で、最低最高の拠点だったからだ。
行くだけでも年単位で時間が掛かる。今の話とは逸れるからここまでにしとこう」
「とっても興味があるんで。今度聞かせて下さい。
では最後にこちらの魔導鏡。その名も、吸魂の御鏡。王子のプロポーズじゃなくて、魂を吸い取ると書きます」
それには俺が答えた。
「確かに奴もそんな事を言っていた。理由を聞く前に倒してしまったから定かじゃない。奴が言うには、百番目はどうやら俺だった」
「その理由は何となく解りました。これの鑑定に時間が掛かったのもその為です。この中には確かに99の人や魔族の魂が封印されています。
100まで集めた暁には、どんな願いでも叶えるってふざけた代物です。それも一度切り。使えば鏡は砕け散るらしいです。本当かどうか何て誰にも解らないのに…。
あの王妃はそんな危ない橋は渡りません。ですのでこれだけは別口かも知れないですね」
「どうして俺だったんだ」
「ゴンザさんの嘗てのフィアンセ。アンネさんの魂が異常に強かったんだと思います。実際中の人々と話せた訳ではないですが、最後に一目でも会いたい。そんな想いだけは強く伝わって来ました。
他の98人を抑え込んで。丸で、その98人を守り抜く様な形で。強いですよね…本当に。死んでも他者を守ろうとするなんて、俺にはとても真似出来ませんよ」
スターレンが緩くなった鼻を啜り泣いていた。
違うな。泣いているのは、俺もだ。
「何か。解放してやれる方法はないのか」
「…解りません。単純な鏡の破壊だけは絶対に違うと思います。後は玉砕覚悟でゴンザさんがアンネさんに語り掛けるとか。こればかりは試せない。根拠は無いです…」
ノイツェが重く口を開く。
「確証は無いが。もしかしたら、宝物殿になら何か在るやも知れん。類する魔道具然り、こう言った危うい物は使用する場所まで限られると聞く」
「明日。王に直訴してみます。代償は何も出せませんが」
「王はお心の広い御方だ。話だけなら聞いては貰えるだろう。私では交渉すら出来ない。頑張ってくれ」
「陳情なら…か。モヘッドさんは何か」
「いいや。僕にもさっぱりだ。エドは何か知ってる?」
否定するエドら三人。
続けられたのはモヘッドからの警告。
「これに関しては本部にも聞けません。万が一敵側に情報が漏れれば、必ず取り戻そうとする。またゴンザさんが狙われる羽目にもなる。とても厄介ですね。失敗してこれが覆り、死霊系の魔物へと変化されたら…。聖剣が消えた現在では太刀打ち出来る術が無い。
更に悪く考えるなら、敵が魔王復活を願えば…」
全員が沈黙してしまう。
狙いはそれか!その可能性が在る限り、破壊も出来ず、
手放せば中の魂は未来永劫解放されない。
「ここは…。やはり俺が」
「まだ早いです。それは最後の手として考えましょう。
宝物殿に期待してもいい。
各地の闇市を潜ってもいい。
ベルエイガの魂の欠片を持つ、彼なら何か情報を持っているかも知れません。
諦めるのは早過ぎます」
モヘッドがスターレンに尋ねた。
「魂の欠片を持つ、彼とは」
「それはまだお伝え出来ません。彼の事情を聞いてませんし、聞いて真実を語ってくれるとも限りません」
再び押し黙る。解っているのは、何もかも不明だと言う事だけ。
その沈黙を破ったのは、シュルツだった。
「スターレン様。この首飾りを鑑定しては貰えませんか。
外壁の上から望遠鏡でこの鏡を捉えた時に、確かに反応を示した気がするんです」
外されたネックレスをスターレンが受け取った。
あれはシュルツの祖母からの遺品。血脈で受け継がれた大切な首飾り。
鑑定を始めたスターレンの目が見開かれる。
「う、嘘だろ…こんな」
立ち上がり、椅子の後ろを歩き回る。
「反魂の首飾り。死亡直後に使えば、たった一度だけ復活出来る…。こんな出鱈目な宝具が。シュルツはこれを何処で」
「祖母からの遺品です。御爺様も出所は知らないと」
確か俺も似た事を言われた気がする。女系だけで受け継がれた品だと。
「それが本当なら国宝級。いや世界宝具だ。私では何も見えん。この眼鏡で重ね掛けを」
ノイツェがスターレンに手渡したのは、時折着けている不思議な蝶眼鏡。あれも鑑定の魔道具だったか。
「お借りします…!?逆も、出来るのか…。万の魂が眠る場所…。墓所…いや違う。迷宮…いや、この大陸には深い場所は無い。ノイちゃん!この近場で1万の魂が集まる場所はありませんか」
「一万だと…。戦場跡地なら、ロルーゼ国境手前の大平原。大昔に激しい領土争いが起きた場所。しかし死者が万を超えたかと言われると疑わしい。正確ではない。
それよりも確実なのは…コロシアム…」
「そこです!」
「ライラ。明日も私は動けない。王との接見後に調査を頼めるか」
「闘技場は奴隷ギルドの管理でしたね。先代王の時代までは奴隷同士を戦わせ、賭博をしていたと聞いた事があります。今現在は祭事にのみ解放されるとか」
「使用する許可を頂くだけなら雑作もないさ。ヘルメン王に何をするかと問われた時が困るな」
「それは俺が交渉しま…。あ、ヤバっ」
スターレンが眼鏡を外そうとした途端。
彼はその場に倒れ、気を失った。
「大丈夫。魔力が枯渇した症状だ。半日も眠れば元に戻るだろう。王には私が枯渇させたと」
フィーネ嬢がノイツェの胸倉を掴み上げた。
「他に、言う事は」
「申し訳なかった!スキルと魔道具の重ね掛けが、これ程消耗するとは知らず」
「家の旦那で試さないで。危険性を感じたら、前以て助言して下さい。次は無いですよ」
「き、肝に銘じて」
本気で怒った訳じゃ無い。スターレン自身の不注意でもあるのだし。
彼女はそのまま椅子にノイツェを下ろした。本気だったら今頃は…。俺も気を付けなくては。
机上を片付け、その場は済し崩しに解散となった。
希望と恐怖が同時に見えた。そんな不思議な夜だった。
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差し込む日の光に起こされた。
僅かな気怠さと頭の痛み。
これは、懐かしの二日酔いに似ている…。
ハッ!完全に寝過ごしてる。
確か召還は午前だったはず。その筈だ。
朧気な記憶では、昨夜長引いた会議中に鑑定の重ね掛けをして…、し続けてうっかり魔力ロストで気絶したんだったわ。
そっか。ロストで気絶すると二日酔いみたくなるんだぁ。
なんてのんびりしてる場合じゃ無い。
ロイドちゃん。何で起こしてくれないのさ。
「…」
何かの反応を示している様子だがなんも聞こえない。
これがロストの弊害か。色々と失うようだ。
新たな発見と共に、念話にも魔力を使っているんだなと妙に納得した。
ある程度は回復してると思うから、単にロイドちゃんも離席中なのかも知れない。
お出掛けをしてるなら昨夜からかな。
ロスト寸前でも特に止められなかったしな。
「いかん!」
王の呼び出しに遅刻する。大惨事だ。切腹もんだろ。
小次郎との約束を破る武蔵じゃないんだから。
ベッドから立つと、立ち眩みで膝から崩れた。
重い…。鎧を脱いだ普段着のままでも。
徹夜明けに長い校長先生の、無益なスピーチを聞き流しているかの様だ。
先生、貧血です。
急ごう。這い這いしながらトイレ…、ここ2階じゃん。
どうやって上がったの?フィーネが運んでくれたのかしら。
お姫様抱っこで運ばれる俺。笑えるー。
手摺に抱き着きながら、ガクブルの足を一段一段丹念に下ろして、踵を滑らせた。
咄嗟に両手で後頭部を防御したものの、垂直開脚から尾骶の尻で石段を滑り降りていた。アガガガガ
後頭部は無意味だった。ここに要介助者が居ます。
一気に老けたな。老化とはこれを指すのだろう。
1Fに不時着。
尻肉は大変痛いが骨や関節に異常は無い。と思いたい。
「あ!ス、スターレン様!」
「おぉ、マイハニー。お早う。こんなに小っちゃくなってしまって。俺が大きくなってしまったのか」
「仰っている意味がさっぱり解りません!気をしっかり」
腕を引っ張られて起き上がったはいいが、速攻でよろめき抱き着いた。
「ちょっ、重いです。ご自分で立てないのですか…って何処を触っているのですか!」
何処をって。華奢な身体を抱いて可愛いお尻を。
「やっべぇ。また眠くなってきた…」
漂う石鹸の香りを嗅いでいると余計に心地良す。
「お姉様!スターレン様が変です!」
そうです、私が変態です。
「え?ちょっと、シュルツちゃんに何やってるのよ」
直立抱き枕から引き剥がされ、そのまま後ろに崩れて後頭部を床に強打した。頭守るなら今だったでしょ!!
「うぅ…。酔ってねえですよぉ。こんなの全然楽勝っす」
お星が見えます。その隙間にフィーネが見えます。
真っ白なタオルガウンを着こなして、お風呂上がりのホカホカ湯気を漂わせている。気がします。
V字な隙間から覘く柔らかな谷間が刺激的。
打ち所が悪かったのか、景色がグルグル回転。
「うわーこれ。完全にダメな人だわ…。ちょっと、絨毯の上で吐いちゃダメ!」
何を言って…。
「バケツお持ちしましたー」
「ナイス!これに吐くのよ。我慢しなくていいから」
首を後ろから子猫持ち。背中のトントンが気持ち良い。
「駄目!意識を保って。シュルツちゃん!背中を思い切りぶっ叩いて。私がやると死んじゃうから!」
「はい!行きますよー」
意識が…。
「面目ない…」
ダイニング席に座り、目の前に置かれたグラスの水を飲み干した。定番のハーブ水だな。口内に清涼感が漂い、気持ち悪さが幾分和らいだ。
水で濡らした布を額に押さえていると。
「何か食べる?食欲は?」
「全部、リバースする自信がある…。お粥と梅干しが食べたい」
「そんな物無いわよ。磨り潰した麦粥と漬物くらいなら」
今一微妙な…。
「やっぱ止めとく」
「おかゆ?うめぼし?ですか」
横目で伺うと、隣の席でシュルツが頭上に?を浮べて首を捻っていた。
「炊いたお米を…って解らんかぁ。シュルツは可愛いなぁもう」クラクラするぜ。主に頭が。
「きゅ、急にどうされたのですか」
「ほっときなさい。相手にしたら負け」
「はい」
酷い言われよう。そうなんだけど。
「他のみんなと、王との謁見は?」
「ノイツェさんに責任取らせて、王様のお時間午後にずらして貰えるか伺いに走らせた。
どっちでもライラさんが戻って来るから心配しないで。他のみんなはそれぞれ自宅へ」
「元々の召還のご指示は、スターレン様と私と御爺様。それとゴンザさんですから」
シュルツが補正してくれる。言われてみれば、そうだった気がしてきた。
「ノイちゃんの責任って」
「魔力枯渇させる前に止めなかったからよ」
「あーそっか。俺もロイドちゃんが止めなかったから大丈夫かと。失敗したぜ。まさかお出掛け中とは」
「そんな事もあるのね」
「極稀にね。念話が途絶える時がある。悪いタイミングが重なったみたい。あっちはあっちで何かと都合があるって」
「ろいどちゃん?ねんわ?知らない用語が沢山出て来ますね。興味が尽きません」
「ロイド・チャン。ではなく、ロイドね。何て言えばいいかなぁ」
「スターレン専属の守護天使様よ。その方とスターレンは頭の中でお話してるの。それが念話」
シンプル明瞭なご説明に感謝。
「凄いです。お姉様は天使様にお会いした事が?」
「一度切りね。ほんの一時。物凄い美人で、女の私でも軽く惚れそうだった」
「へぇ…。お、お姉様って、その…」
「無いわよ。ノーマルよ。ほらコレ。これが天使様の翼の羽根」
言い訳序でに証拠の品をポーチから取り出して見せた。
シュルツが受け取った羽根を宙にヒラヒラと薙ぐ。
「随分軽いのですね。大きいのに重みを感じません」
何だかんだと、フィーネもアイテムBOXの使い方をマスターしていた。昨夜のシチュー鍋が良い例だ。
ポーチの中では物の品質がほぼ劣化しない。
手で触れられる程度に冷ました鍋の温度が、1日経過後に取り出してみても殆ど変化しなかった。
温かいままだったのだ。
俺よりも先にその仕組みに気付いたフィーネの、自慢気に解いた時のドヤ顔が眩しかった。
常識を外れた空間が中に広がっているのだ。
手を突っ込んだだけでは、ひんやりとしていた。きっと鍋も冷めるのだと思っていたが、そうではなかった。
ポーチを俺に戻しても、フィーネが拡大させた領域は自分では扱えない事が判明した。
簡単に説明するなら手が届かない。触れられない領域として保持される。中身が飛び出る事は全くなかった。
これらの仕組みはノイツェ氏も知らないと言う。
また眼鏡でも借りてポーチを探れば、謎の一つ位は解明出来ようが、今は枯渇が怖くてやろうとは思わない。
ノイツェは半日寝れば戻ると言っていたらしいが、体感では24時間は必要なのではと推察した。
現在のステータス。
魔力:118/280
耐魔力:118/280
知能:135
枯渇を経験すると、魔力総量が倍化した。しかも微妙に知能の一桁目が切り上がっている。どうやら魔力は知能の完全互換ではないらしい事が窺えた。
魔力を使用すると抵抗力も低下してしまう。他にも色々と条件がありそうだが、注意事項として記憶しておく。
今の二日酔い状態に紐付ける。
「それをお願いして参りました」
お帰りロイドちゃん。何時から居なかったの?
「昨夜の重ね掛け直後です。私の緊急避難も兼ねていましたので事前にお伝えする事が出来ませんでした。独断で申し訳ありません」
それなら仕方ない。
俺もノイちゃんも知らなかったんだし。重ね掛けがこれ程とはね。俺の凡ミスだよ。
「この世界の魔道具の発動方法は様々ですが、強制発動となると加護抜きの地力魔力が必要となります。今回の枯渇は総量の増やし方含め、色々と参考になりましたね」
仰る通り。魔力総量を増やしたいなら枯渇を繰り返せって訳ね。この体調不良も、常人の理から外れるからか。
「それが最適解かと思います」
増やし方が判明しても、これは何度も実行出来ない。翌日まで動けなくなるのは頂けない。慎重にやらないと。
リビング奥の自動式反転砂時計を見た。
今が午前なら大体9時過ぎ。指針計でないのは玉に瑕。
それでも時間が計れる道具は貴重だ。是非欲しい。
ノイちゃんにお強請りしてみよう。
額から布を外した。
「よし!ロイドちゃんも帰って来た。考え事してたら大分気分も戻ったし、俺も風呂入るよ。登城するのにゲロ臭いのはあかんから。…お湯って落としちゃった?」
「え…」
シュルツが羽根を持ったまま固まった。みるみる内に顔が真っ赤に…。
「あーちょっとね。訳あって落としちゃった。入れ直すから待ってて」
訳とはなんぞ?もしかして。
「お赤飯?」
「…意味わかんないけど、多分それよ。深くは突っ込まないであげて」
シュルツが一歩大人になったのか。それが早いのか遅いのかは勿論解りません!
「おぉ…。お父様がご存命であれば、さぞお喜びに」
「死んでません!勝手に殺さないで下さい!」
プイと顔を逸らして、羽根をフィーネに返してダッシュで上の階に走って行った。
「デリカシーの欠片もないわ」
「でも、こう言うのってお祝いするもんじゃないの?」
「さぁ?宗派で風習も色々あるし。貴族家の習慣なんて知らないし」
確かに。でも誰に聞けば。後でそっとロロシュさんに聞いてみるかな。
「フィーネは?何か祝って貰った?」
「私はお母さんに厚手のパンツを…って言わせるな」
軽くペシッと叩かれた。
風呂場の掃除を手伝い…。素直に待つのが無難だな。
久々のボッチ風呂を堪能。
風呂から上がると、ライラが戻って来ていた。
暖炉から離れたソファーにガウン姿でドッカリと座り、ハーブ水を片手に対応。
「ライラ君。聞こうではないか」
ライラは対面に腰掛けた。
「もうここはスターレン殿の家ですか」
「うむり。実効支配も悪くない。実に快適」
「そうでしょうとも。都内でもこの邸の設備は随一。世界で見てもトップレベルですから」
そうなんだ。何か悪い事したな。まあちょっと間借りしてるだけだし。いいでしょ。いいよね。後で聞こう。
お家賃はお幾らなんだろ。
「接見時間の遅延変更はお許し頂けました。叔父の土下座を久々に拝見させて貰いましたよ。今からですと…昼食は城内で済ませるのが無難でしょう」
ライラも砂時計を見ていた。
「了解。今日は商人ストアレンとして行かせて貰うよ」
「何卒よしなに。こうして考えると、スターレン様は仮にも王族なのですね。普段は全くそうは見えませんが」
「褒められちった」
「褒めてはおりません!」
怒られてるん?
「あ!そのガウン!脱ぎなさい。私が使ってた奴をどうして使うのよ」
フィーネも何故かご立腹だ。
「えー。出来るだけ洗濯物を減らそうと(フィーネの温もりを感じたくて)使い回しただけだし」
「共用してどうするのよ」
剥がされて新品と交換されてしまった。
「やはり変態ですね」
すんません。調子に乗りやすくて。
着替えを終え、ターバン巻きスタイルで再度着席。その頃には機嫌を取り戻したシュルツもリビングに来てくれた。
対面は変わらずライラ。俺の左にフィーネ、右にシュルツが着席した。何気に高まる優越感。美女と美少女。
疑似ハーレムの完成だ。
まだシュルツは渡さないぞライザー君。
「昨日はどうでした?何か動きは」
「城内は特に。敵派閥の粛正も粗方終結。敵方シュナイズ家は存続。三大公爵家の首長協議へと移りました。メイザー様がご対応との事で、悪くは転ばないでしょう。確実なのはシュナイズ家に連なる派閥は縮小され、近く損失した兵の人員補充で新たな徴用法が発令される見込みです」
成程ね。内外国防面でも補充は必須だからな。
「もしかしてゴンザさんにも招集が?」
「…その点も踏まえ、王よりお話があるかと思います」
意外にライラの表情は明るい。後はゴンザさんの判断次第かな。
「昨夜の事ですが、スターレン様の借家に敵残党が潜伏していましたので殲滅しました。玄関を破壊してしまいましたが、修理費等は国が持ちますのでご安心を」
こっちに移ってて良かったー。やってみるもんだ。
後始末もしてくれたようで助かります。
「血を落とそうと、ゴンザさんを私自宅に招き入れ。衣服を脱がし、全力で押し倒し」
え?え?何言っちゃってるの?
「泣いて嫌がる彼を、美味しく頂きました」
昨晩の情事を思い出しているのか、卑下た笑みを浮べるライラ。悪い顔してらっしゃる。
こっちの3人はポカーンだよ。
「そう言うのは、シュルツの教育的に…」
「勿論冗談です」
一安心だ。
「強引に押し倒したのは本当ですが。合意は得ました」
やっちまったんかーい。
「私も焦ってしまい。…お亡くなりになったアンネ様が死して現われる可能性があるなど。嬉しいと思う反面、納得し難く。遂に我慢が出来ずに」
「何となくは理解しますが。お互いに本気ならいい事だと思います。最終的にライラさんを選ぶか、独身を貫くかは本人に任せましょうよ」
俺は何をフォローさせられてるんだろう。
「…そうですね。今度は妊娠を理由に攻めます」
反省の概念を忘れてしまったご様子。
右のシュルツが遂にオーバーフローで気絶した。
「ちょ!?」
仲良く4人で登城。
若干シュルツが挙動不審。ライラと微妙な距離を空けている。同性で距離取るって相当だと思う。
「本日は正式なお招きです。北正門より堂々と入城致しましょう」
ツアーガイドはライラ。
彼女の案内で城壁を北に回り込んだ。
ここパージェントの城は特殊で、北・南・東に門を構える。
北正門と南正門。閉ざされた東門は王家専用。
北でマッハリアに気を遣い、南で水竜様が居る海を迎える形を執っている。東門は専ら祭事、年間行事、年次の総本堂への御参拝等々に使用。
城下町は一応の落ち着きを取り戻していた。
行き交う人々の表情は気持ち固い。一般平民に直接的被害は無く、多少の損害被害内訳も俺たちの関係者のみ。
これなら平常運転に戻るのも早い筈。
中には死亡した敵兵士の遺族も居るのだから、全てが丸くとは行かない。落とし所はお上に委ねよう。
怠惰の使用は…意図が不明瞭だ。メレスが聞いた「上」とは誰の事を指していたのか。嘘か真か。
人は死ぬ直前では嘘を吐かないとか言われてるが、きっぱりさっぱり意味不明。案外何も考えてないとか。
ふーむ。
「背中でうーうー唸るな」
「ごめんちゃい」
フィーネの旋毛の匂いを味わいながら謝った。
まだよちよち歩きの俺は、只今絶賛おんぶで運ばれ、擦れ違う人々に鼻で笑われています。
いい大人が恥ずかしい。恥ずかしいがたまにはいいな。
いっそこのまま南へ2人でランデブーとか…。
王城の門が見えて来た。でも何か忘れているような。
「あ、今日ってドレスコードは」
「本日は急な召還です。三人様はそれなりに小綺麗。ゴンザさんには注文を付けましたが、不問ですね」
「晩餐会用にフィーネのドレスも作らないとな」
「え?私って晩餐会には行かなくていいんじゃないの?今日だって門前払いかも知れないし」
召還人員に入ってなかったのを気にしてるのか。
「出来れば隠し通す積もりだけど、万が一って事もあるから用意だけはしないと」
「んー。用意だけならいっか」
女の子ならたまにはオシャレしたいよな。
はい、忘れてました。
「お姉様のドレス姿…。多少手直しは必要ですが、叔母様のドレスが眠っている筈です。未使用品ばかりで、将来的に私しか引き継げませんし、どうでしょうか」
「ホント!今度見に行ってもいいかな」
お、意外に遠慮しないな。興味が優った感じだ。
「ええ是非。それと…細やかながら、お茶会でもと」
男の俺が口出しは止めとこ。
「誰かさんが仕立てた真っ赤なドレスが、目に焼き付いて離れないのよねぇ」
「あ…あれですか。確かにあれは…。シュルツ様、私もご一緒させて頂きたいのですが」
露骨に嫌そうな顔をするシュルツに対し。
「で、ですよねぇ…。言ってみただけです」
「冗談ですよ。そ、その…同性のご友人としてなら」
「は、はい!」
おーこれは、今日この後って話じゃなくなってきた。
男は不要。
追い出されるであろう俺も、買い物でもすっか。
あれこれと姦しい話をリスニングしていたら、兵舎屋横を擦り抜け、程なく門前に到着した。
ライラが対応。先日と同じ門番さんがおんぶの俺を見て首を捻りながらも、スルーしてくれた。
武装は一切してない。但しポーチの中には…てね。
身体検査もそこそこに、内宮前を左折。
右に行けば後宮。尤も王妃は一人で子王女も居ない。
男子禁制でもなく、王族一家で使われているらしい。
警備の数が半端ねえな。当然の如く。
騎士団の訓練所に併設された食堂へと通された。
何でも女中や侍女、給仕等の裏方さん向けの食堂らしく、窓の向こう側では、若手新兵の姿と威勢の良い声が響いていた。
「上の様子を伺って参ります。ここでしたら血の気の多い兵士も来ません。何より城内では、一番真面です」
小声のアドバイスを残し、ライラは給仕に声を掛けると退出して行った。
昼ラッシュ前の時間帯で人が少ない。
何処でも好きにと言われたので、訓練風景が覗ける窓際席を取った。
シュルツの椅子を引き、続けてフィーネ。自分はシュルツの対面に座った。
「ふー」まだまだ気怠さが抜けないわ。
暫くするとメイド姿のウェイトレスさんが、人数分のメニューと常温水ポット、木製グラスを持って来た。
「お代はライラ様より頂戴しております。そちらのメニュー表からお好きなだけご注文下さい。…本来は公職のお客様をお迎えする場ではありませんので、お口に合えば宜しいのですが、お気付きの点や不備が御座いましたら何なりとお申し付け下さい」
「そんなに畏まらなくて大丈夫ですよ」
営業スマイルを拝見。メニューはどれどれ…。
おお、コーヒーが在るぞ。砂糖は見当たらないが、折角だしチャレンジしてみよう。
「カフェオレと日替わりランチでお願いします」
「私も同じので」フィーネさんの面倒臭がりが出た。
「私はハーブティーと、それを」
シュルツは若干ドギマギ。
貴族令嬢は普通来ないもんな。こんなと言っては失礼だが大衆的な場所はね。
ポットを持とうとしてブルッた。腕に力が入らない。
「私がやるわよ。置いて」
「お願い…」
結局フィーネに水を注いで貰った。
「お姉様が退席を命じられたなら、私がスターレン様をお支え致します。…でも、お尻を触られるのはちょっと」
「今朝のは、申し訳ない」
「まったく…。魔力の枯渇って体力まで影響するのね。私も気を付けよ。セクハラされたら後で教えてね」
「はい。有りの侭に」
「しないって。…しっかし。魔力が底付きすると、気絶するだけじゃなく、完全復帰までに丸1日掛かるとは。
普通にスキルで消費して半分割っても特に何も起きないのに、零から回復させる時、魔力総量5割以上になるまで安静にしとかないと、今朝の俺みたくなるんだってさ。
さっき出掛けにロイドちゃんから聞いた。無理して起き上がったのが拙かったらしい」
「ふむふむ。そうなのね」
「魔力と呼ばれる物は、誰にでも在る物なのですか」
「みんな誰でも持ってるよ。何かしらスキル持ってたり、魔道具使わないと減らないから気付かないだけで。勿論シュルツにも備わってるよ」
「不思議な力ですね」
不思議だねぇ。元の現代世界では絶対に有り得ない力だから、個々の素養とセンスが問われると。
「ご明察です」恐縮です。
「お待たせしました」
日替わりランチは結構豪華だった。
茹で卵の剥き身。レーズンパン。固形バター。
大豆と根菜のブイオンスープに川魚のムニエル。
何だよ、大豆あんじゃん。
これでどうして醤油や味噌に辿り着かないんだ!
と、文句を言っても始まらない。
スープは薄味でもしっかりとした出汁が利いて、大変満足な仕上がり。
ムニエルも元の魚は不明だが、臭みも感じず程良い胡椒が絶妙。
酢を加えれば南蛮ぽく出来そう。候補に加えるか。
焼きたてのレーズンパンも香ばしく、外カリ中フワ。軽くバターを乗せても尚良し。
茹で卵も黄身が濃厚で幸せ気分。
お代わりも自由とのお知らせを受け取ったが、大事な接見前でとお断りした。
温くなったカフェオレを飲みながら、泥汗臭い訓練風景を眺める優雅なブランチ。
彼ら彼女らも、何事も無ければそれぞれの配属先で活躍して行く行くは上へと昇進する。
紛争や戦争、魔物の出現などが起きれば、真っ先に対応従事させられるのはあの人たちだ。
「お二人から見て、あの方たちはお強いのでしょうか」
同じ様に風景を眺めるシュルツから、そんな真っ直ぐな質問が上った。
「何人か見込みはありそうね。でも」
「何を以て強いか、だな。単純な腕力か精神力か、その両方か。本当の戦闘では個人の才能、運も関わってくる。
その時の連携、隣り合う仲間。体調、機嫌。優れた武具とか指揮者の采配。詰まる所、その時になってみないと誰にも解らないんだ」
「難しいのですね…。この先、私もどうなるかは解りませんが、武芸の一つでも習得出来れば、お二人のお役に立てるのでしょうか」
「背伸びしなくてもいいさ。人それぞれ、出来る事を精一杯やればいい。ライラのように文官の道だって、充分に人の役に立てる。もしシュルツがお姫様に成っても、優秀な家臣を見つけ出せれば、終ぞ民を守る事にも繋がる。
方法は一つじゃない。剣を握る事だけが戦いじゃない。
結局はシュルツが何をしたいか、だと思うよ」
「何をしたいか…」
「私の言う台詞。無いじゃない」
「…ごめん」
「シュルツちゃんは、夢とかは無いの?」
「夢、ですか…。私が見ても良いのでしょうか」
「夢を見るのは人間の権利よ。神様にだって文句は言われない。それを探すのも自由。貴女だけの物。
私はもう、見付けてしまったけれど」
手の甲に添えられたフィーネの手が温かい。俺は何も言わず握り返した。
「お二人が羨ましいです」
「こう見えて。出会った時に、俺はフィーネに殺され掛けたんだぞ」
「あれは…。気絶させようとしただけよ」
「ホントかなぁ」
「興味が…。でもお聞きするのが怖い…」
3人で薄く笑い合った。
人が増え出した食堂に、外から聞こえるランニング中の掛け声が、小さく届けられた。
女性2人がお花を摘みに行き、後で俺も運んで貰って用を済ませた頃。ジャストでライラが戻って来た。
「そろそろ控え室の方へ。フィーネさんも是非にと。ライザー様より強く推されました。…素顔を晒したのが、よろしくなかったかも」
「それだけでお姉様に靡くような方でしたら、綺麗にお断りして見せます」
シュルツが言い切った。
「そうでしょうとも」満場一致で。
時間にはまだ余裕があった為、回廊から見える景色を幾つか案内して貰った。
大層立派な庭園や噴水。ラザーリアの中庭よりも豪華に見えた。あっちは見栄、こっちは審美。
花の品種は置いて、水竜神を信奉しているからか全体的に青彩色が多目だった。
ブルーとは行かないまでも、薄紫のバラも在った。
内門を潜り、中央の通用門…ではなく後宮方面へ。
「今日って後宮?いいの?」
「大きな声では言えませんが、王は存外気分で場を変えたりします。玉座の間では肩が凝るとかで。しかも本日はこちら都合で変更の形。王もスターレン様と同じく家族を重んじる御方。ちょっぴり似ていらっしゃるかも」
「いやー。そりゃないっしょ」
フィーネや仲間を家族とするなら、大事にしていると評価されるのは悪い気はしない。
しかし自由気まま、奔放だと言われるとなぁ。
お会いしてから考えますか。
後宮の離れ。前室に通された。
入室するとロロシュとゴンザ両人が向い合って、テーブル席に着席していた。
言わずとも重苦しい雰囲気。ゴンザさんがこちらを見付けてホッと胸を撫で下ろしていた。
もうちょい早めに来ても良かったかも。
「御爺様!」
「うむ。元気そうだな。しっかり眠れているか」
「はい。我が儘を言ってお姉様に添い寝して頂きましたのでぐっすりと」
「…そ、そうか…」
ロロシュさんが少し寂しそうに見える。
「で、では今度わしとも…」
「それよりも御爺様。接見前にご相談が」
華麗にスルーを咬ましたシュルツが、昨夕のライザー氏に求婚された件を話した。
より寂しそうに見えなくも無い。
「条件としては最善だな。他国の豚にくれてやる位なら。
だがしかし、こちらもこちらで手は用意した。王のご判断を仰ぎ聞き、その上で策は講じよう。
何より、シュルツ自身が殿下を認めなければ始まらぬ。
シュベインの意見などは聞かぬが、一度メリアードにも聞いてみなさい」
「解りました。では続いて昨日スターレン様が話されていた内容をお伝えします」
自分の事はそっちのけで、昨日の話を要約してロロシュさんに伝えてくれた。
素晴らしいの一言。何一つ間違えず、内容に抜け漏れは無かった。頑張ったね。お兄ちゃん嬉しいよ。
「スターレン君。間違いはないかね」
「はい。寸分違わず。シュルツは賢いです」
「その感想は求めていなかったが。…そうか、アンネの魂が捕われているのか」
「後に陛下にも詳しくご説明します。解放するにも色々と条件はありますが、方法には目処が立ちました」
フィーネの肩を借りながら、ロロシュに歩み寄る。
「その魔道具に鑑定スキルを多用した挙句。こんな具合になってしまいましたが、明日には戻ります」
「魔力枯渇か。スキルが備わっていない身としては、理解し難い物だ。許せ」
「何を仰いますか」
ゴンザさんは部屋の片隅で、緊張でガクブルしているだけだった。
そんな彼の肩を抱いて、ライラは「大丈夫」を繰り返し慰めていた。あ、これもう逃げられん奴だわ。慰めながらもほくそ笑む彼女の顔は、とても悪い子になっていた。
ゴンザさん!隣!隣見て!
蟻地獄に肩まで浸かった彼にエールを送っていると、お呼び出しに預かった。
初見で中央奥に鎮座するヘルメン王を垣間見た。
黒髪に白髪が入り交じったナイスミドル。
やり手の社長さんだ。
恰幅はいい。御年相応の佇まい。
ベースは童顔に感じたが、小皺と黒い口髭がいい味。
ライラは控え室に居残り。以外のメンバーで机前に並び膝を着く。前と言ってもだいぶ距離は在る。
頭を垂れる姿勢が辛い。非常に辛い。何だったら土下座の方が楽。
堪えに堪え。隣のフィーネに位置に、手の甲を向けた。
掌返しで頭を上げる合図。
「スターレン殿は、魔力枯渇で体調が優れぬと聞いた。拝礼は一度で構わぬ。適当に席へ着け」
殿?殿つった?何でや。初対面だよな。
折角仰せつかったので甘えます。
掌を返し、フィーネの肩に掴まって席を探す。
「お見苦しい姿で、失礼致します」
「スターレン殿はこちらに」
ライザー王子が左手を机上に置いた。
末席じゃないの?と浮べつつも素直に従う。
対面席は奥から知らん人。ロロシュ、シュルツ。
こちら奥から、ライザー、自分、フィーネ、ゴンザと言う並びで着席。
壁際にはギルマートとノイツェの姿も見える。
ゴンザさんが酷い顔になってる。今夜はハゲがより進行するに違いない。
最奥が王と王妃。ヘルメン様と…やべぇど忘れした。
結構な美熟女だ。スタイルも良い。何処ぞのデブとは大違いだ。
「ミラン様ですね」助かったー♡
知らん人はメイザー王太子。王から始まる、イエァ自己紹介もそこそこに特別会議が始まった。
「今日呼び立てたのは…」
フィーネの仮面解除攻撃に時を止めたが、何とか持ち直し続けたヘルメン王。ご立派だが、お隣の姐さんの眉がピク付いた。
「直に状況報告を受ける為。足を運んで貰った。スターレン君の率直な意見が聞きたい。ノイツェに、これ以上の襲撃は無いと言い切ったそうだが」
「はい陛下。端的に申しますと、
マッハリア王、クライフ・クリエ・ラザーリアの派行に由縁しております。今回は妃であるフレゼリカも随伴。彼の妃は控え目に語っても、非常に無駄を嫌う御方。
無駄とは、国境越えに在ります。知らせを直接賜った訳には在りませんが、そろそろではと推察します。それこそが限界点。妃の目的の一つはこの私の殺害に在ります。
国境を越えた後に、私が死するのは構想外と成り、無駄と成るのです」
「私は率直に、と言った。自分の言葉で申してみよ」
解り辛いってよ。誰か訳してやってくれ。誰も居ないな。
「彼の妃は常人には計れぬ御方。詰り、あのデブは、私を自分の手で殺さなくては気が済まないのです。それが遠方に離れた地であっても、己が企てた謀略で害せねば喜びは得られません。それが根拠と成り得ます」
これに対し、ヘルメンは大いに笑った。
やってやったぜ。
「愉快な奴め。それを迎える身にも成れ」
「私はそれを迎えるに当たり、異国のグルメをご用意しお待ちする旨を先手で打ちました。国境を越えて私が居ないとなれば、それも消え、完全な無駄足と成るでしょう。越えて尚、追撃する事は有り得ません」
「恐ろしい女なのだな。フレゼリカは」
「この私も、国に残る家族も。彼女の玩具です。飽きるまで決して離さず、地の果てまで追いましょう」
「それを解った上で、何故に国を出た」
「理由は至極簡単。私が生き続ける限り、駒である家族には手は出されません。全ては彼女の欲望を満たす為。
たったそれだけです。国に残れば、家族は順番に冤罪で殺されます。それが解ったので逃亡しました」
「こう言っては何だが、一挙手で害するのでは駄目なのか」
「彼女は狂人。一手で葬ったなら、その楽しみは一瞬で消えてしまいます。私の母を殺すのに10年もの歳月を掛け追い込みました。1つ1つ潰して行くのが楽しいのでしょうねぇ。斯くも愛しきは己が欲望。全く以て反吐が出ます」
深く息を吐き、ヘルメンは暫く瞑目した。
「招待状を出す前に、君に会うべきだったな…。御せると考えたのがそもそもの間違いだった。
して、この国は守られるのか。滅ぶのか、何方だ」
「守ります。必ずや巨悪の根源を追い返してご覧入れましょう。勿論私も最大限の努力はさせて頂きます。その上で陛下に幾つかご相談が在るのですが」
「よい。聞こう」
「その前に、喉が渇きましたわ。体が優れぬ客人にばかり御喋りを続けさせるのですか」
「おぉ、これは」
番に控える兵士に指示を出し、直ぐに紅茶が運ばれて来た。ミラン様に惚れそうだ。
一息入れてから、今後の方針展開、のご提案。
前提として。
1.マッハリアとの同盟は結ぶに値しない事。
理由は帝国の動向。本当に戦争を起こすなら、真っ先に狙うはロルーゼ。何かしら帝国が望まない状況となればその矛先はマッハリアに向かう。
戦時下で同盟を結んでいると、強制参加。
帝国がロルーゼを落とせば、次いでタイラントが標的と化す事を説明した。
何れにせよ、巻き込まれるのが数年早いか遅いかだけ。
2.フレゼリカ王妃を迎えるに当たり、考案した料理を何品か出品させて欲しい事。
後日、品評会に参加させて貰い実食での判断を求めた。
是で在るなら、王宮料理番との顔繋ぎをお願いした。
3.派行に際し、自分の家族が同伴させられている可能性が在る事。
父か弟かは解らないが、推定は弟。
先布令の書でも在るなら、参照を要求。
4.吸魂の御鏡を解放する為、闘技場を近日中に1日貸し切りにさせて欲しい事。
昨日は話すか悩んだが、嘘を言って後に問題視されてはその他が立ち行かない。包み隠さず説明した。
5.ぶっ壊された彫像は修理しました。
投獄中の元宰相をどうするかはお任せ。
「一番は参考としよう。善き助言感謝する。
二番は直ぐにでも手配する。事前にロロシュからも聞いていた。品評会は楽しみしている。
三番はノイツェに託そう。記憶では、類する旨は書いていなかった気がするが…。
四番は魔道具を見せよ。闘技場の貸し切りに関してはそれからだ。
五番は…さて、どうしたものか」
王様凄ぇ!!馬鹿にしててすんません。
メイザーは筆でメモを取って、唸っていた。
お隣ライザーはフィーネに目を向けない様に必死に堪えていた。シュルツの事で頭が一杯なのはいいが、こっちの話も聞いて欲しい。
「ロロシュ卿。五番をどう見る」
「むぅ。壊した時の状況を見てないのでな。故意であるならフレゼリカ妃の前で断罪してやれば、興味は引けるやも知れぬ」
「うむ。それで行くか…。この彫像はどう直した」
王が手渡した修理品を捏ねて眺め倒す。
(フィーネの治癒魔法が仕事してくれました)
「案外綺麗に割れていましたので、接着剤、石灰で繋ぎ上塗りで誤魔化しました。会場の手の届かぬ場所に置き、返してやる旨を陛下より、伝えて頂けるなら幸いです」
「やはり返すのが前提なのだな。こちらには未練も何の無いが…、天使様の彫像は手に入らぬか」
お、そっちに食い付いたか。
「スタプ初期の頃の木造作品なら、ロルーゼの貴族が独占している筈です。生誕祭を無事に乗り越えた暁には取り寄せを図りますが、宜しいでしょうか」
「よい。スターレン殿に任せよう。後に結果を教えてくれ。四番を話し合う前に、ライザー、何か言いたい事は」
「ハッ。陛下の御前で、改めてシュルツ嬢への婚約を求めたいと願います」
「だそうだが、シュルツはこの愚息をどう思う」
シュルツは一度目を伏せたが、やがてライザーに向き直り言った。
「大変嬉しく思います。そちらのフィーネ様に靡くようならどうかと思っておりましたが、何とか堪えられていたご様子でした。私はそれを好意と受け取ります。ですが!
昨日もお伝えしましたが、先程に御爺様に相談させて頂いたばかり、疎遠であっても母にもお伺いを立てねばなりません。もう暫くのお待ちを」
疎遠…なのね。引き続き保留宣言に、王子がしょんぼりしていた。
「こればかりは当人に決めさせる。マッハリア側から正式な要請が在った訳でもない。良いなヘルメン」
何ぞ!ロロシュさんが強気に出た。不敬全開の言動。
「人前では勘弁を、先生」
先生?たった一言で折れちゃうのヘルメンさん。
関係性が謎だ。
「主の教育担当から離れ久しい。勝手に進める気なら、押し付けられた爵位こそ切り捨てる」
「それで亡命されても困る。…ウホンッ。ライザー、幼き婦人に強引に迫る事の無い様に」
「…解りました。返事をお待ちします」
「シュルツを表に立たせるならば、先日まで使用していた変装の魔道具を使われる事を進言します」
「まだお借りしていても良いのですか」
「うん。元々ノイツェ氏のコレクションだからね」
「貸与に関しては問題ありません」
ノイちゃんの快い返答。これぞ事後承諾。
「マッハリアの王子とは、どの様な人物だ」
「はい陛下。婚姻が確定していない第二位以下全て、不細工で能無し、病弱なのも居ります。
特に、王妃直系は行き遅れの強欲揃い。マッハリアの未来は真っ暗だと断言します!正統に妃が崩御すれば、代替えも有り得るかと」
「…救い様がないな…」
シュルツの顔が真っ青。先に、教えてあげれば良かったかも知れない。
「メイザー様も、晩餐会前に決めておいた方が宜しいかと思います」
「せ、性急に纏めるとも。…この国にも、フィーネ嬢の様な方が居ればな…」
こいつら自重しないな。
「まぁお上手ですこと」
「メイザー。人様の妻に手を出そうなどと」
「母上。それは有り得ません。失言、平にご容赦を」
幾分和んだ所で、魔導鏡を机上に置いた。
「鏡面を覗き込むと、不意に取り込まれる可能性がありますので裏向けにて失礼致します」
王はノイツェから蝶眼鏡を受け取り、鏡の背を眺めた。
「確かに。吸魂の御鏡とあるな。よい、話を聞こう」
王様って万能かよ。話が通じて助かるけど。
「これの解放条件に、万の魂が集まる場所とありまして。それで闘技場をお借り出来ればと考えた次第です」
「成程な…。よし許可を出そう。院にも布令を出さねばならん。早くて明後日になる。
それについての危険性は報告を受けた。寄越せなどとは言えぬ。無事に解放せよ」
「熟慮して事に当たります。先立ってその調査にライラ殿をお借りしたいと考えますが、宜しいでしょうか」
「よいか。ギルマート、ノイツェ」
「「ハッ」」
久々にギルマートの声を聞いた気がする。
「して、最後になるが。そこで今にも死にそうな顔を浮べる者に付いて。ギルマート、申せ」
王の左後方2歩手前に立ち、ギルマートが告げたのは。
魔道具入手に加え、現われた異形を討伐した功績が評価され、王国騎士団への再入団を促すものだった。
メドベドさんの更に上。何段飛ばしになるんだろ。
王の御前で、半強制だ。
「陛下。ご、ご拝命、大変に嬉しく。しかしながら、先の御身生誕祭が終わるまでは、所属するメメット隊とこのスターレンの下で働きたいと希望します。
配位をお受けするかは、それ以降とさせて頂く事は可能でしょうか」
「ふむ。スターレン殿は、何か意見は」
助けを求めるゴンザさんの熱視線が痛い。
「はい陛下。本人の意志を尊重しますが、我が儘を申しますと、我がメメット隊は少数精鋭。1人抜けるだけでもかなりの痛手。同じく、祭事完結までを希望致します」
「国の兵士も減った。留意とするが、期待はするぞ」
もうそれ逃げられない奴じゃん。
「…ご配慮。感謝致します」
後宮を出る頃には夕暮れ間近。
シュルツはロロシュに連れられ、ゴンザはライラに拉致られ、俺はフィーネに支えられながら、各々の帰路へ。
何処って?そりゃ玄関が新しくなった借家の方です。
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