灰かぶりの姉

吉野 那生

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入社6年目『ソツスキ〜』の那月目線

健やかなる時も、病める時も

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その日は朝から雲1つない晴天だった。


『世界まで祝福してくれているみたいだ』

綾香の旦那さんとなったアーニィは、後にそう言った。

世界的に有名なメーカーの御曹司アーニィに見初められた綾香は、幼い頃からのあだ名通り、王子様と結ばれて「シンデレラ」になった。
そして大袈裟でもなんでもなく、その日の綾香は世界で1番綺麗な花嫁だった。


「健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しい時も、これを愛し、敬い、慰め、助け、死が2人を分かつまで真心を尽くす事を誓いますか?」

神父の問いに、昂然とした口調で是と答えるアーニィ。

燻んだ金の髪を後ろに撫で付け、漆黒のモーニングコートに艶のある銀鼠のウエストコートを身につけた彼は、本物の王子様のようだった。

その隣で微笑む綾香もまた、シンプルながら計算され尽くしたスリムラインのドレスに、この日の為だけに作られた煌めくティアラが清楚な魅力を引き立て、本物のお姫様のようだ。
いや、正確には花嫁だけど…。
  


同様の問いに囁くように、けれどハッキリ是と答えた綾香を、慈しむような眼差しで見つめるアーニィ。


大学生の時に見初められ、最初は知らなかったものの彼の知名度に尻込みしていた綾香。

隣に並ぶなんてありえない。
どうせ捨てられるのなら、いっそ最初からなかった事にすれば…と悶々悩んでいたあの子を説得したのは、やはりアーニィだった。

いや…説得じゃないな、あれは。
どちらかというと逃げられないよう、ありとあらゆる意味で雁字搦めにしたという方が正しいのかも。


とはいえ、綾香の同意なしにそんな事しようものなら、たとえ相手が誰であれこの結婚に反対したけれど。
あの、幸せそうな顔を見ている限り、その心配は無さそうだ。



——良かった、綾香が幸せそうで本当に良かった。

綺麗になった綾香に安心する。

ちゃんとアーニィに恋をして、愛されて、満たされているからこその、あの光り輝くような笑みなのだ、と心底ホッとしている。


パイプオルガンの荘厳な音色と、賛美歌の美しい調べが教会内に響き渡る。

今日の式は私と鷺山の祖母、航平のみが参加のごくごく内輪の…いわば、綾香と家族の為の式だ。

この後、彼とヨーロッパに帰りそこで挙げる式は世界中の大企業、財閥、財界の著名人などが出席する大規模なものだという。
そんな式に身内とはいえ出席するのは、少々…いや、かなり荷が重い。

いや、出ろと言われたら出るつもりはあるけれど…。
慣れない環境で、何かミスでもしでかしたら、それが綾香の失点にならないか、そちらの方が怖い。


アーニィとしても、花嫁の身内を招待したいのは山々だけど、彼自身の意向よりも諸事情が優先される事になったらしい。

だから私達家族のための式と、大々的な御披露目の式。
式を2回挙げる事になったのだ。

綾香のウエディングドレス姿を何度でも見たいという、彼の願望に基づいた要望で。

   * * *

「ホントのホントは、アーネストさんの求愛を断り切れないだけなんじゃないかって思っていたの。
あら、いやね、今はそんな事思ってないわよ」

慌てたような、どこか剣呑な瞳をするアーニィに祖母がコロコロと笑いかける。


式の後の食事会で、初対面の祖母(正確には違うのだけど、綾香も可愛い孫であると言い切る祖母と、血が繋がっていなくてもおばあちゃんと懐いている綾香は、どこから見ても家族でしかない)に先制パンチを浴びせかけられ、アーニィは苦笑いでもって応じた。


「別に反対している訳ではないんですよ。
ただね、なんていうか…あまりにも世界が違うから、私達とは。

だから綾香ちゃんが、しなくても良い苦労を背負い込むんじゃないかって…綾香ちゃんが本当に幸せになれるのかって、心配してたんですよ」


——おばあちゃんが抱いた不安は、私達家族の不安だ。


可愛い妹が(孫が)遠く離れた異国の地で、頼れるものは夫の愛情だけという状況で、1人寂しい思いをしないか。
辛い状況に置かれはしないか。


その不安は、完全に消えて無くなった訳ではない。

けれど…同時に、綾香の努力も見てきているから。

この3年間、彼の隣に立つと決めてから、ありとあらゆる努力を重ね、辛い困難からも逃げずに踏ん張ってきた綾香。
そして、それを誰よりも近くで支え、守り、導いてきたアーニィ。

それを誰よりもそばで見てきたから…今は綾香の幸せを祝福したい。


そんな祖母の想いが伝わったのか、アーニィは隣に座る綾香の手を取り、真剣な眼差しでおばあちゃん、そしておじいちゃんを見つめた。

「綾香を泣かせるような事はしません、絶対に。
神だけではなく家族となったあなた方に、誓います」

そこで、目と目を合わせ微笑み合うアーニィと綾香の間には、確かな愛情に裏打ちされた信頼が見て取れた。


「あなたを…というよりは、あなたを信じた綾香ちゃんを信じるわ。
でも、辛くなったり嫌になったらいつでも帰ってきていいのよ。
私達はどんな時も綾香ちゃんの味方ですからね」

ニッコリとクギを刺すおばあちゃんに、何度目かわからない苦笑を返すアーニィ。

それでも、2人とも本当に幸せそうで嬉しそうで…見ているこっちまで胸がいっぱいになる。


綾香と出会ってから今まで、本当に色々な事があった。
その1つ1つが胸に迫る。

今まで、手を引き見守ってきた妹が、遠くに行ってしまう。
もう私の手を必要としてはいない。
今、綾香の支えになっているのは、私ではないのだ。

今になって突然、湧き上がってきた寂しさと切なさに戸惑いつつ唇を噛みしめる。



——昔は「お姉ちゃん、お姉ちゃん」って、どこに行くのも何をするのも一緒だったのに。
来週にはヨーロッパに行ってしまう。
そうなれば…もう、頻繁に会う事はおろか、連絡を取り合うことすら難しくなるだろう。


でも…それで良いのだ、とも思う。
綾香が選んだ人と、望まれて幸せになるのなら。

そう、きっと私の役割はここでおしまいなのだ。
あとはアーニィが綾香を守り、支えて、隣を歩いてくれる。

幸せに…してくれる。


「お姉ちゃん、泣かないで」

気がつくと、涙が頬を伝ってこぼれ落ちていた。

心配そうに見つめる綾香に、微笑んで見せる。
…ちゃんと笑えているか、わからなかったけれど。

「大丈夫だよ、嬉しくて泣いているんだから。
綾香が幸せそうで本当に嬉しくて、ホッとして…その涙なの」



——今言った気持ちは嘘じゃない。

たとえ、寂しくても…ちゃんと綾香を送り出してあげなきゃ。
それが私にできる最後の…姉としての務めだから。


「野口さん、お姉ちゃんの事お願いしますね。
意地っ張りで1人で頑張りすぎちゃう人だから、支えてあげてください」

そんな私を見つめ、綾香は困ったように微笑見ながら、航平に頭を下げた。

「もちろん。
綾香ちゃんの分まで、那月を大事にする。
俺も誓うよ、今度こそ側にいて幸せにするって」

「…野口さんも、ちゃんと幸せになってくださいね」

泣き笑いの顔でそう言う綾香に航平は力強く頷き、私の手を握りしめた。

アーニィは綾香の肩を抱き、綾香もその胸に頭をもたせかける。


そんな私たちをおじいちゃんおばあちゃんが、優しく温かく見守ってれている。


まるでドラマの最終回のように、微笑ましくて幸せで、感動的なひと時だった。

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