元聖女の恋

吉野 那生

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かつての聖女1〜ロイ視点〜

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朝から晩まで馬を飛ばし、潰れた馬を替え、翌日また走り続ける。

予定通りの行程とはいえ慣れぬ長旅。
しかもほぼ1日馬車で揺られっぱなしは、聖女にはさぞ辛かっただろう。

それでも弱音一つ吐かず頑張ってくれたおかげで、王都を発って3日目の夕方には魔の森近くの神殿へ到着する事ができた。


「残念でしたね、団長」

「残念?何が?」

軽口を叩きながら寄ってくるディードを軽く睨みつけ、神殿脇の厩舎に馬を繋ぐ。

「何って。
可愛い女の子を前に抱いて走る機会を失って?」

王都を出る前、1日でも早く到着するには誰かが聖女を前に乗せ、そのまま馬を飛ばせば良いという案が出た。
現実的ではないし、聖女に負担がかかると却下されたそれを、今ここで蒸し返すのか?

というか…こいつときたら、聖女様も女の子扱いか。
呆れて溜息しか出てこない。

「人前では口を慎めよ」

一応釘を刺し厩舎を出ると、そこに神殿に仕える神官長が待っていた。



絶えず瘴気を放ち、拡大を広げる魔の森を何とか食い止めているのも、この神官長が居るからだとか。
王都の大神殿の神官に勝るとも劣らない、高い魔力を持つ神官長に敬意を評して騎士の礼をとる。

「お待ちしておりました」

勇者の到着にようやく安堵した表情を滲ませ、神官長は我々を神殿内へ案内した。


***


騎士達には荷解きと休憩を命じ、主だった者は案内された一室に集まった。


各々席に着くと、傍に控えていた侍女が用意していた茶を出してくれた。
喉が渇いていたので有難く飲み干し
「で、現状は?
妖魔樹はもう覚醒しているのか?」
と神官長に尋ねる。

「今のところ、妖魔は確認されていません。
なので確とは申し上げられませんが、おそらくまだではないかと」

はっきりしない神官長の言葉に、首を傾げる。

「妖魔とは妖魔樹より生まれ出ずるもの。
妖魔が確認されていない事から推測するに、妖魔樹が覚醒していないのではないかと思われます」

神官の言葉を引き取ったのは、隣に座った侍女だった。

彼女の横顔に引っかかるものを感じ、どこかで見た顔だと記憶を辿る。


「詳しいのですね。
他に知っている事があれば教えていただきたい」

黙り込んだ俺に代わり、オルトランが侍女に話しかける。

「妖魔樹とはその名の通り、とても大きな木の形をしています。
といっても普通の樹木ではなく、とにかく異質な存在ですが。
妖魔樹は妖魔を生み出す、いわば母体。
妖魔と幹の中にある核で繋がり、核が破壊されると妖魔も消滅します」

語られる詳細な説明に、まるで見てきたようだと思い…そこで不意に思い出した。


「癒しの聖女…!」

7年前、王都に戻ってきた勇者一行の中でひときわ憔悴した女性がいた事を。


決して小さくはなかった声に、みな驚愕の表情を浮かべるなか

「…癒しの聖女はもう居ません。
己の無力さを嘆き、それでも祈り続けましたが、涙と共に力も溢れ落ちてしまいました」

彼女は困ったような顔をして、しかしきっぱりと言いきった。


その時

「先々代の…聖女様?」

それまで殆ど言葉を発しなかった聖女が、まるで子供のようにくしゃりと顔を歪ませ…

「…えぇ。
あなたが聖女レティシア様ですね。
お初にお目にかかります、マリアと申します」

「…マリア様!」

声を震わせ、元聖女にしがみついた。



王宮で初めて会った時から、妙に強張った表情が気にはなっていた。
最初は緊張しているのかと思ったが。

よく考えてみれば、社交界にデビューする年頃の若い娘だ。
親の庇護のもと、これから経験を積んでいくのが普通だろうに。
聖女といえど、まだ10代半ばの子供には荷が重かったようだ。

立場上、募る不安も弱音も吐き出す事はできないまま、遂に目的地へ到着。
ここに来て、積もりに積もった不安が一気に溢れ出たらしい。


泣きじゃくる聖女を、元聖女—ややこしいな—マリアと名乗った女性は、優しく抱きしめていた。

その姿は慈愛に満ちていて、聖母という言葉がぴったりだった。

——これが聖女か。


そんな場合ではないというのに、その横顔から目が離せなくなってしまう。


***


旅の疲れが出たのか、あるいは泣き疲れたのか。
眠ってしまった聖女を部屋に運び、ひとまず解散という事になった。

詳しい話は食事の時にでもという事で、それぞれ部屋に戻ったが、そんな気分でなかった俺は神殿の外へ足を運んだ。

向かった先は、魔の森。

神官達の張った結界が瘴気の侵攻を食い止めているが、破られるのも時間の問題。
それよりも先程の話が本当なら、まだ妖魔樹が覚醒していない状態なら…。


ふと背後に気配を感じ、振り向くとそこには元聖女が立っていた。

「これは、元聖女様」

役職を退いたとはいえ、かつて国を支え尽くしてくれた女性に騎士として礼をとる。

「元聖女はよしてくださいな」
「では、なんとお呼びすれば?」
「マリア、で結構です。
それにしても…よくご存知でしたね、私の事など」

職を解かれたのは7年も前なのに、と苦笑する元聖女の顔をまじまじと見つめる。

「7年前、討伐に赴いたミツルギ団長は直属の上官でした。
凱旋時、一行を出迎えた隊の中に自分も居たのです」
「そう…ですか」


当時を思い出したのか、遠い目をする彼女の表情はどこか悲しげで。
彼女のそんな顔を何故か見たくなくて…

「貴女のお話を聞いた事があります」
「私の、ですか?ミツルギ団長から?」

驚いた様子でこちらを見上げる彼女に、ホッとしながら話を続ける。

「ミツルギ団長は言っていました。
あの一件は不幸なものだったけれど、貴女が奇跡を起こしたのは紛れもない事実だと」

「…え?」

「団長はあの時、聖魔力の力を広範囲に感じたそうです。
団長だけじゃない。
貴女の涙が、祈りが、浄化の力となって瘴気を払った。
当時の神官長もそう証言したと、自分は聞きました」

勇者を悲劇の英雄に仕立てたばかりに、聖女の力がなぜ失われたのか、なぜ瘴気が消えたのか、具体的な説明は公にできなかった、と団長は苦々しく呟いていた。


「貴女が力を失ったのは、途轍もない聖魔力を限界まで使った事によるもの。
あなたは紛れもなく国を救った聖女でした。
でも今は聖魔力を持たない貴女が、何故ここに?」

「偶然、と答えたら?」


悪戯っぽく問う彼女に首を振ってみせる。

「7年前の討伐を知る元聖女と討伐に向かう我々の、出来すぎている出会い。
これが偶然だと思える程、楽観的な性格はしていない」

これでも一応、王国騎士団団長なのでね、と嘯くと

「さすがはミツルギ団長の後継と名高いスカイフィールド様ですね」

今度ははっきりとした笑みを浮かべ、マリア様は頷いた。


「そうね…。
貴方に嘘偽りを言っても仕方のない事。
正直に言います、私を討伐の一行に加えて欲しいのです」


——やはりそうだったのか。


どこか覚悟の決まった眼差しに、そうではないかと思っていたが。


「7年前の討伐を直に知る私なら、貴方がたのお力になれる筈。
何よりあの討伐に加わった者として、見届けたいのです。
今度こそ、妖魔樹の確実な消滅を」


…確かに、彼女の申し出は願ってもない話だ。


しかし最低限の人数での討伐。
力を持たない彼女を守る為に、貴重な戦力を割く余裕はない。

「お考えはわかります。
私の為に貴重な戦力は割けない、そういう事ですよね?」

「…率直に言えば」


度胸も行動力もあって、人の機微にも聡い。
信念を貫く強さと、折れないしなやかさを持つ、かつての聖女。

7年前の憔悴しきった儚げな様子からは、とても今の彼女を想像する事は出来ないな。


まるで、顔を上げて凛と咲く百合の花のようだ。


「かつて、私も戦闘訓練を受けました。
剣は…不向きでしたが、代わりに弓を徹底的に」

「…」

「今でも毎日欠かしませんのよ、弓の鍛錬は」


是が非でも同行を認めさせようと詰め寄る彼女に、両手を挙げてみせる。


「…スカイフィールド様?」

「わかりました。
お分かりかと思いますが、命の保証はできませんよ?
それでもと仰るのなら条件があります。
自分の身は自分で守る事。
くれぐれも無理をしない事。
この2つをお約束いただけるのであれば、許可しましょう」

「…っ!ありがとうございます」


アルフォンスはともかく、オルトラン達にどう説明しようか。

そこは頭が痛い所だが、彼女の持つ情報は有益だ。

軍人として冷静に判断する一方、花に例えた彼女から目が離せなくなりつつある自分がいた。


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