狼王のつがい

吉野 那生

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過去の亡霊編

王都へ〜シルヴァン〜

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辺境伯という一貴族が使用するには豪華な馬車も、乗り心地の面では決して良いとは言えない。

ずっと同じ姿勢を保ち、緊張して乗っていればなおの事。
足腰も痛くなってくるし、地味に辛い。

私でさえそうなのだから、乗り慣れないユイにとってはどれ程の苦痛だろうと案じているのだが…。

気丈に振る舞うユイに今のところ疲れの色は見えない。


砦内ではお仕着せを身につけていたユイだが、今は簡素なドレスを着て背筋をピンと伸ばして座っている。

簡素とはいえ、お仕着せよりはるかに華やかな布地で作られたドレスは、派手さはないがユイの清楚さを引き立てていると思う。


髪の毛が短いのが少し残念だが、レプスの手により綺麗に整えられたそれは、本人がジャキジャキに切ってしまった頃より多少はマシになった。



——あんな、強さを持った子だとは知らなかった。

リサの明らかな侮辱に対し、メソメソ泣く事も喚き散らす事もせず、髪の毛を惜しげもなく切り落としたあの時のユイの静かな、けれど強い抗議と憤りを孕んだ瞳。

あの目を忘れる事はないだろう。


漆黒の艶やかな髪もよく手入れされていて、おそらく本人も好んで伸ばしていたのであろうに…。


“黒“という色は本質的に好まないが…それでもユイの髪なら、何度も指を滑らせてみたい。
いや、髪と言わず柔らかそうな頬でも露わな首筋でも触れてみたい。



——しかし…。
私が感じているような衝動も情念も、ユイには無縁のモノなのだろうな。


ふと苦笑いとも自嘲ともつかない想いに駆られ、唇の端を歪めた。

今だって、手を伸ばせばすぐに届く距離に、しかも人目が全くないとは言わないが密室に2人きり。

出来るものなら膝の上に乗せて、思うさま抱きしめたい。
赤く柔らかそうな唇を味わってみたいという衝動に、必死に耐えているというのに。



相手をつがいと認識する感覚は個体によって…そして獣人とヒトとではかなりの差があると聞く。


私は…崖から落ちたアリシア…ユイを助けた時に、そうと感じてはいた。

同時に、彼女の置かれた状況や背景が掴めず混乱に困惑、猜疑、不審、動揺、あらゆる感情に囚われ、つがいと認める事がなかなか出来なかった。


迷いびとであるという確信を持つに至って、初めて余計な先入観なく彼女と接する事が出来た。

獣人である私ですら、戸惑ったり悩んだりして受け入れた事実であるのに、獣人のようなつがいという概念も獣の本能もないユイに、受け入れろの強いるのも酷な話だ。



ユイはこの世界の者ではない。

この世界のことわりの外に生きる者。

無理やりこの世界に縛り付けてはいけない。


まして…この世界に残るという事は、元の世界の全てを捨てろと言うのと同義なのだ。

彼女は両親も恋人も、自分を待つ人は向こうにはいないと言ったが、それでも…何もかも捨てて私を選んでくれなんて事、言える筈がない。


そんな事を考えていると、向かいに座っているユイとパチリと目があった。


「どうかしたんですか?」

心配そうにこちらを見つめているユイを安心させようと、ぎこちなく笑いかけた瞬間。

異変を感じ取ったのはやはり他の獣人より優れた“狼の耳”だった。


「リサ!何か来る」

馬車の窓を開け放ち怒鳴るのと、空気を切り裂く音が聞こえるのがほぼ当時だった。


声にならない悲鳴と馬の甲高い嘶き。

そして鈍い衝撃音。

とっさに窓を閉めユイを抱きしめた私の鼻に錆びた鉄のような匂いが届いた。



——この臭いは…血?
……誰の?


「シルヴァン様!」

ドサリと重たい音と同時に馬車が止まる。


窓の外を窺うと、我々の馬車は馬に乗った10数名の獣人に包囲されていた。

その中に知った顔を見つけたのか、ユイが1人の男を指差す。


「あの時私を襲った猿人です」

あの時がどの時などと聞かなくてもわかる。

全身の毛が逆立ち、血が逆流するかのような感覚に、腕の中のユイがビクリと身体を震わせた。

「すまん、怖がらせたか」


宥めるように優しく背中を摩りながらも、明日には王都につくという状況と場所で襲ってきた奴らの狙いを考える。



——確かに、今通っている森が最後にして絶好のポイントではある。

王都へ入るにはこの森を抜けたら後は一本道で、比較的人通りが多く整備された街道を行く事になる。


しかし…狙いは私とユイ、どちらだろう。

捕獲か殺害か、まさか脅しという事はあるまいが。


考えている間にも、断末魔の叫びがすぐ近くで聞こえる。



——この場をどう切り抜けるか。
いや、この場合ユイを助ける事が先決か。


己のなすべき事が、優先順位が決まれば…。


「ユイ、緊急事態だ。
今から私は完全獣化するので、上着を持っていて欲しい。
あと、ドレスの裾を割いて紐状にしておいてくれ。
私が獣化したらお前と私をその紐で結ぶのだ」

「は…?あ、え?」


慌てて後ろを向いたユイの耳は、真っ赤に染まっていて。
察しの良い事だと笑いながら私は上着を脱いだ。


「頼んだぞ、後はしっかり掴まっていろ」

衣類を渡すと同時にヒト型を解いた私は前足で馬車の扉を開け、ユイを背に乗せる。


「シルヴァン様⁉︎」

低く吠えた私と背にまたがるユイとを、驚きに見開かれた目が捉え、僅かに眇められる。


「…お任せを」


しかし…ユイが、私が王に呼ばれし者である以上、護衛リサのすべき事は明白で。

この場を任せるという眼差しを理解したリサは、小さく頷いた。
 


馬車の反対側からユイを背に乗せたまま、跳躍する。
獣人達から十分な距離をとって着地し、一気に駆け抜けた。

血の匂いと剣戟が遠ざかる中、森の中をあえて出鱈目に走る。

当然、追手が追いつける筈もなく、これで逃げ切れると確信した瞬間。


「…っ!」

左の後ろ足に焼けるような痛みを感じた。


苦し紛れにはなった敵の矢が掠ったのだ、と理解できたが今さら止まる事はできない。

「シルヴァン様⁉︎」

気遣うような声にグルルと低く唸り、速度を上げてさらに敵を引き離す。



意外にも、ユイは乗り手としては優秀だった。
風の抵抗を可能な限り受けぬようぺたりと身を伏せ、太腿に力を入れて上手にバランスを保っている。

その事に少しだけ安心して、全速力で森を突っ切った。


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