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つがい編
言葉にできない想い
しおりを挟む自分や自分の母以外にも、そして神狼国以外にも迷い人がいる。
その可能性に思い至らなかった結の心中に芽生えたのは、意外にも郷愁の念だった。
記憶を取り戻すまでは、あれ程帰りたいと思っていたのに…。
いざ、全てを思い出してみるとそれ程でもないと思ってしまうのは、母も父も祖父母も、もう自分を待っていてくれる肉親は居ないからだろうか。
友人は…もしかしたら探してくれてたかもしれない。
でも、こちらに来て数ヶ月。
もし向こうと時の流れが同じなら、数ヶ月の間行方のわからない、失踪したとしても何の手がかりもない友人の事など探し続けてくれるだろうか。
どちらかというと引っ込み思案で、それなりの付き合いしかしてこなかった結にとって、そこまで自分の身を案じてくれると友人がいるとは思えなかった。
けれども…自分と同じ迷いびとに会えるかもしれない。
そしてその者が自分と同郷である日本人である可能性が極めて高い。
同じ“モノ”を見て、同じ“言語”を使って、同じ時を生きて価値観を同じくする人が、この世界に自分の他にもいる。
その事実が結の胸をざわつかせた。
「その者に会ってみたいと、そう思うか?」
現れた時同様、話が終わるや否や忽然と姿を消したハクの居た場所を呆然と見つめる結に、躊躇いがちに声をかけたのはシルヴァンだった。
「そう…ですね。
会いたくないといえば嘘になります」
——今、自分が話している言葉は、彼らの耳にはどう届いているのだろう。
とぼんやりと結は思った。
何故かはわからないが、明らかに言語が違うであろう彼らの話が理解できるし、向こうもこちらの話がわかっている。
けれど口の動きを見ても、彼らが日本語を話しているとは思えない。
彼らの話している言葉は、結の耳にはほんの少しだけノイズの混じった日本語に聞こえるが、どうしても翻訳できない単語があるとそこだけはそのままこの世界の言葉として届くのだ。
——それにももう慣れたけど…。
物思いに耽っていた結は、ふとシルヴァンの耳がヘニャリと垂れている事に気がついた。
「ユイが帰りたいのなら、私には止める権利はない。
千猿国の迷いびとに会いたいというのなら、そのように取り計らってやりたいとも思う」
言葉とは裏腹に、飼い主に見捨てられた犬のような寂しげな瞳で見つめるシルヴァンに、結はついクスリと笑ってしまった。
「帰りたい訳ではないんです。
向こうで私を待っている両親も恋人もいませんから」
「そう、なのか?」
耳がピョコンと立ち、わかりやすく目を輝かせるその姿は大型犬に似ていて、結の笑みはますます深まる。
「えぇ、でも千猿国の迷いびとにはお会いしてみたい気もします」
そういえば、帰り際ハクが気になる事を言っていたなとシルヴァンは思い出した。
『迷いびと同士、話をしたいのなら早い方がいい』
それがどういう事なのか、訊ねる前に姿を消したので詳しくはわからないが…。
それにしても…。
——あの“拳銃”という武器、あれはなかなか厄介な代物だ。
剣でも槍でも弓でもない、
しかもそれらより遥かに強力な殺傷能力を持った武器という説明は、いまいちピンとこなかったけれど。
弓と同じくらいの間合いから放たれる、弓よりも遥かに早くしかも連射のきく武器。
あれをもし、猿達が大量生産するような事があれば、現在何とか保たれているバランスが一気に崩れてしまう。
そうなったら…この砦などひとたまりないだろう。
王太子はその辺も危惧しているようだが…。
確かに「ヒトの可能性」というか、ヒトの所有している武器だけではないにせよ、情報というものは魅力的に感じる部分もある。
だからと言って、それを求めるかと言われたら…。
ヒトと同じ過ちを犯したくはない、同じ轍は踏みたくないという思いの方が強いが。
そもそも、ヒトと“同じモノ”を求めるなんて…。
何のために神は人から獣にこの地上の支配権を移したのかという話になりかねない。
それともう1つ。
シルヴァンには気になっている事があった。
王都にいる頃は面識があるという程度で特に親しくはなかったが、それでも王家の外戚という事でそれなりの付き合いはあったリサ。
そんな彼女がノワールの命とはいえ辺境に自分の護衛として派遣されて来た時
「信頼出来ない者に背中を預ける気はない」
と言い放ったシルヴァンに
「私もただの阿呆なら守ってやろうとは思わない」
とリサは嫣然と微笑んだ。
王都にいた頃の幼いながらも気が強く、やや不遜な印象からあまり変わっていない態度に思わず笑ってしまったシルヴァンは、彼女を受け入れた。
その秘めた目的を見抜いた上で。
それから10年。
確かにリサはよく仕えてくれたと、シルヴァンも理解している。
おそらくは気に食わない相手であったろうに…何なら刺客に便乗してそうと見せかけ殺害する事も出来た筈だが、彼女は自分の職務を全うし続けた。
その点に関しては…彼女の護衛としての矜持と仕事ぶりに関してはもう疑いは抱いてはいない。
背を預ける事も何ら心配ではない。
けれども…、アリシア、いや、ユイが現れてからというもの、リサの挙動に変化が見られる、ような気がする。
最近は特に何やら単独で行動する事も増え、きな臭いと感じる言動も増えたとシルヴァンは気を揉んでいた。
——まさかとは思うが。
レプスの言っていたこちらのスパイ。
それが…リサだとしたら。
自分はどうしたら良いのだろう。
そもそも20年前のあの日から、シルヴァンは自分に問い続けていた。
——あの時、何の罪もないサラを斬ろうとした兄に対して、どうすれば良かったのか。
そして今、千猿国の王太子の話を真に受けるのならヒトの持つ力を得ようと、ヒトに近づこうとしている兄に対して、どうすべきなのか。
20年経った今もなお、答えは見つかっていない問いにシルヴァンは深くため息をついた。
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