狼王のつがい

吉野 那生

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出会い編

始まりの死

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あまりにもアリシアが落ち着いていたものだから、つい忘れてしまいそうになるが…。


日中、彼女は暴漢に襲われた事実などなかったかのように淡々と過ごしていた。

けれど夜になると…。

枕に顔を埋めて嗚咽を噛み殺し、あるいは悪夢に怯え身体を震わせながら泣き叫び、か細い悲鳴のような声を上げ意識を失う事もあった。

その度にレプスが駆けつけ、アリシアを宥め、その訴えに耳を傾け共に涙を流し、時に薬によって落ち着かせた。



「体の傷は概ね目立たなくなりました。
痛みももう殆ど無いとの事ですし、あの事件から15日。
順調に回復し、あと数日以内には完治と言って良いかと」

「問題は…心の傷、か」


深い後悔の滲む昏い眼をして呟くシルヴァンを、レプスはそっと眺めやる。



——この方は、あの時はそれが最善と思いアリシアを囮にした。

それでこの砦に住む民を、兵を、大切な者達を守れるなら…脅威を排除出来るのならと為政者として冷静に、いや、冷酷に判断したのだろう。

けれども一方で、獣人として「つがい」に対する本能がこの方を苦しめている。


苛立ちと憔悴を隠さないシルヴァンのため、レプスは薬草茶を煎れ、彼に手渡した。



『つがい』

それは神が定めたもうた運命の相手。
唯一、真の姿と真名を交わし合う存在。


濃すぎる血は不幸しか生まない。
人がかつて禁忌を犯したのも同族同士のみで交配し、必要以上に濃くなった血のせいだという。

ならば同族同士で相手を選ばない交配が必要と神は考え、そこで出来たのが「つがい」という仕組みだった。


大きさも力の強さも種族も、時に年齢も異なる個体同士が神によって選ばれ、本人達にしか自覚のできない感覚でもって相手を判別する。
そんな仕組みが組み込まれた事により、獣人は獣としての本能と人としての理性という2面性を持つ複雑な存在へと進化した。



そして、獣人はつがいを殊のほか大切にする。

間違っても囮に使うなど、危険な目に合わせる事を黙認する筈がない。


それでもシルヴァン様が、いまだにアリシアに対してつがいの契約を結ばないどころか、つがいであるという事すら打ち明けていないのは…。




アリシアがだから。


そして…何よりも本来の名を、真名を今は失っているあの子にとって、シルヴァン様のつがいだという自覚が無いからなのだろう。


本来つがい同士であれば一目見た瞬間、あるいは声を聞いた瞬間、とにかく相手の存在を認識した瞬間にそれとわかるものだ。

現にシルヴァン様はアリシアをつがいと認識しておられる。

にもかかわらず、アリシアの方にその兆候が見られないという事は、おそらく彼女の真名が関係しているのだろう。



——そういえば随分昔にも我が国に迷いびとが現れた事があったわね。


当時の一連の騒動に、レプスはしばし思いを馳せた。

 *

「ゾットが、死んだだと?」

その報告が上がったのは、彼らが牢に入れられて5日目の朝だった。


「バカな!何故だ?
見張りは何をやっていた?」

「その見張りからの報告です。
前日の晩、硬いパンと冷めたスープを食べたのを確認、食器などは毎回必ず回収していたそうです。
ですが、今朝起き出してこない事に気がついた見張りが確認したところ、パンを喉につまらせ窒息死していたとか。
大方、こっそり後で食べようとパンを隠し持っていたのでしょう」

「脈は?呼吸は?」

「双方共にありません。
念のため蘇生措置も施しましたが、戻る事なく既に冷たくなっております」

報告を受け、シルヴァンとグリス、傍にいたレプスは互いに顔を見合わせた。


「なんという事だ」

過酷で拷問とも言える取調にも口を割らず、挙げ句の果てこのような不審死を遂げるなど…。

日頃の彼の言動を目にしていたグリスは、密かに唸った。



お調子者でいつもヘラヘラしているヤツだったが、どこか隙のない眼をしていた。
アリシアにちょっかいをかけ続けていたのも、好意を寄せているというよりは纏わりついていても不自然と思われないよう、周囲と彼女に油断させるのが目的だったのかも。



——それにしても。

アリシアを襲った主犯格のゾットが死に、もう1人のアルバは捕らえる際の抵抗が激しく、だいぶ衰弱している。

奴らがただの卑怯な弱い者いじめでアリシアを狙った訳ではない事は、彼女自身の証言からも明らかだ。

彼らはアリシアをシルヴァン様のつがいだと断じ、その上で辱めようとしたのだという。


また、断言はできないが奴らはアリシアを知っていたらしい。


『あの時、ゾットが言ったんです。
「生きていたのか」と。
そして「俺達の話を盗み聞きして逃げ出した」と。
その時、ゾットは多分口を滑らせたのでしょう。
猿人に叱責されて、不満そうに口を噤んでいましたから』

『猿人は終始私とは言葉を交わさず、手も出しませんでした。
ただ、彼らの行いを面白そうに見つめ、誘導していたように思います』



聞けば聞くほど胸糞の悪い話だと怒りが湧いてくる。


確かに、当初はアリシアの事を俺も疑ってはいた。
ヒトであるという事実も、記憶がないという事も、胡散臭いと思っていた。


獣人にとって、いや、自分にとって「ヒト」は未知の存在。
シルヴァン様とレプスは、以前ヒトに会った事があるらしいが、俺自身はどう接して良いか正直戸惑いしか感じなかった。

けれど彼女の言葉に嘘がないと思えたのは、獣人特有の「匂い」がしなかったから。


我々獣人は、種族や個体により特有の匂いを持っている。
俗にフェロモンと呼ばれるそれは、個体によって程度の差があっても、どんなに微かでも獣人であれば嗅ぎ取る事の出来る物だ。

視覚より嗅覚によって種族を判別する獣人にとって、アリシアは「無味無臭」の歪な存在でしかなかった。

だからレプスがアリシアの頭部を布で隠したのも、苦肉の策であったのだ。
レプスの身につけていた、匂いのついた小物でアリシアの「無臭」を誤魔化していたのだから。


それでも…訳もわからず治療の名目で軟禁されたアリシアは、ここで生きてゆくしかないのだと腹を括ったのか、とても素直にそしてよく周りに順応していった。


元来争いを好まない優しい性質なのだろう。

理不尽にもめげず、前向きで裏表のない言動もはにかんだような控えめな笑顔も。
そして彼女の淹れてくれた茶を飲みながら、弾みこそしないもののポツポツと会話する時間も、とても好ましいものだった。



——娘が、いたら…。
あるいはこんな風だったのだろうか。


3人で暮らす生活は意外と苦にならず、それどころか穏やかで楽しいと、心地よいとすら思える瞬間もあった。


それなのに…。



「グリス、捕らえられなかった猿人の件、どう見る?」

シルヴァンに声をかけられ、物思いにふけっていたグリスはハッと顔を上げた。


「そう、ですな」


神狼国と隣国・千猿国は昔から仲が悪く、互いに攻め入る隙を窺いあっていた。

ここ国境付近での小競り合いも頻発していたが、シルヴァン様がこの砦の守りを固めるようになって、多少沈静化していたのだが。


「ここに来て動きが活発になったという事と、アリシアの存在が漏れていたという事実が気になります。

それと…ゾットは元々この付近の者でも、兵士ですらありませんでした。
あの者の身元は現在調査中ですが、その出自は巧妙に隠されております。

アルバとも普段は親しくしていなかったようで、奴らを知る者は接点はなかった筈と口を揃えて申しております」



調べれば調べる程、わからないのだ。

奴らの目的が何なのか…何の為にアリシアを狙ったのか。


隣国との関係性も、今後アリシアの存在を公にするかも含め、どのように扱っていくべきなのかも。



——頭の痛い事だらけだな。


自分のように力を振るう事は得意だが、策を練る事、物事の裏の裏を読むのが苦手な者にとっては、些か荷の重い任となりそうだ。 


首をゴキゴキと鳴らし、フーッと息を吐くとグリスは誰にその任にあたらせるかと、思案を始めた。
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