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出会い編
女の敵は…〜アリシア〜
しおりを挟む次に意識を取り戻した時、薬品の匂いがまず鼻をついた。
全身が重だるくて目を開けるのさえ億劫で、正直このままもう少しだけ眠っていたかった。
でも、周りの慌ただしい雰囲気と心配そうにこちらを窺う気配と、何より今のこの状況を確認しなければという危機感とで、ゆっくり目を開けてみた。
視界が妙に狭まって歪んでいるのが気持ち悪くて、瞬きをしていると
「気が付いたか」
冷たい手が額に当てられた。
「気持ち、いい」
熱のせいなのかその冷たさが心地よくて目を細めると、優しい仕草で額を撫でられる。
「アリシア、気分はどうだ?」
——気分?
気分、は。
そ、う…。
先程までの、痛みと屈辱に支配される状況とは違う。
ここは違う。
少なくとも…この「手」は違う。
私を傷つける事はないと信じられる「手」、そして「存在」。
キツく目を瞑り黙ったままの私を気遣うよう、宥めるよう、労わるよう、慈しむよう、シルヴァン様は何度も何度も頭を撫で、髪をすいてくれた。
その優しさに、少しだけ勇気をもらって目を開ける。
「良くはないです。
でも怖くもない…。
少なくとも、私を故意に傷つけようとする人は、ここにはいない。
…ですよね?」
心配そうにこちらを見つめるゴルさん。
怖い顔で両手を握りしめているグリスさん。
耳がペタンと垂れていて、今にも泣き出しそうな顔をしているレプスさん。
そして、私を見守るシルヴァン様。
1人1人が力強く頷いてくれる。
——ここには、私を辱めようとする人はいない。
力で支配しようとする人も、貶めようとする人もいない。
心を強く保ってそう信じていないと泣いてしまいそうで、叫び出してしまいそうで、意識して深呼吸をする。
そんな私の心のうちなどお見通しのようで
「アリシア、気持ち悪かったでしょうから身体を清め、手当てもして着替えさせておいたわ。
痛み止めの薬湯も用意してあるのだけど、身体を起こせる?」
とレプスさんは優しく微笑みながら身体を支え、少しでも楽な姿勢を保てるよう枕を幾つも当ててくれた。
「ありがとう、ございます」
身体を起こすだけであちこちに激痛が走る。
その時、控えめなノックの音に続いて、リサさんが入室してきた。
みんなにこれ以上心配をかけたくなくて奥歯を噛みしめ必死に堪える私に一瞬だけ鋭い視線を向け、すぐにどうでもよさそうに目を逸らす。
「無理しないで」
「大丈夫、です」
心配をかけたくないのは、確かに本当の気持ちだけど。
強がりでもやせ我慢でも、とにかくこれ以上隙を見せたくなかったのかもしれない。
レプスさんにも気をつけろと注意されていたというのに。
でも、ほんの少しの隙が、気の緩みの結果がアレだというのなら…。
「相変わらず苦い、ですね」
喉を滑り落ちる苦味と口内の痛みに、敢えて微笑んでみせるとレプスさんの眉間に皺がよった。
「あなたの傷の具合を伝えておくわね。
まずは左の頬が腫れ口の中が切れている。
頬には湿布を貼っているけど、数日は腫れがひかないと思うわ。
それと両腕、かなり強い力で拘束されていたようで、どす黒く内出血している。
あとは左の脇腹、そこは…もしかして蹴られた?
色が変わって腫れ始めているけれど、骨は折れてはいないみたい。
でも、もしかしたら骨にひびが入っているかもしれないから、当分は安静にする事。
それ以外に痛む所はある?」
それでも事務的に話すと、レプスさんは探るような眼差しを向けてきた。
正直、どこもかしこも痛むけれどそれを言っても仕方がないので黙って首を振る。
すると、フゥとため息が聞こえた。
そちらに目をやると、呆れた顔をしたリサさんが
「何とひ弱な…。
どうせチャラチャラ着飾って、男どもを誘ったのであろう?
その長い髪も男を誘うため伸ばしていたのでは?」
と言い放った。
鼻で笑うようなその声に、全身の血が沸騰した気がした。
怒りが頂点に達した時、心は逆に凪いで冷たく静まり返るのだと、私はその時初めて知った。
「長い髪が女性らしさの象徴だというのなら、男を誘うための道具だというのなら、私はそんなものいらない」
その瞬間、理不尽に対する怒りと悔しさが痛みを遥かに凌駕していた。
寝台から降り、遮ろうとするレプスさんを押しのけるようにし、そばにあったハサミを手に取り迷わず襟足に差し込む。
ジャキン。
ジャキ、ジャキン。
ハサミを動かすたび、零れ落ちる髪をシルヴァン様が呆然と見つめていたのが、なぜか印象的だった。
「アリシア!」
レプスさんの悲鳴のような静止の声も、リサさんの驚いたような、けれど悪意の交じった目も、もうどうでも良かった。
背の中ほどまで伸ばしていた髪を全て切り落とし、ハサミを置くと同時に
「リサ!あなたなんて事を!
この子の何をみて男を誘っていたなんて言うの?
アリシアを侮辱するのはやめてちょうだい!
大体、いつもいつも勇気を持って振舞える女性ばかりじゃないのよ。
数でも力も勝てない相手に立ち向かえるのは、よほどの訓練を積んだ猛者くらい。
それでも…怖いのに、この子なら尚更でしょ。
それでも抗ったからのこの傷を見て、同じ女性として、よくそんな事が言えるわね!」
怒りに震え、私を抱きしめながらレプスさんが抗議の声を上げる。
その声にシルヴァン様の低い声が被さった。
「この者を侮辱する事許さん。下がれ!」
苛立ちと軽蔑のこもった声色に、リサさんはハッキリと顔色を変える。
「私は…本当の事を言ったまで」
それでも言い募るリサさんに、シルヴァン様は冷ややかな眼差しを向けた。
「2度も言わせるな、下がれ」
部屋の温度が、急激に2~3度下がった気がした。
それほど冷ややかな目でシルヴァン様がリサさんをにらみつけ、2人はしばし無言で対峙する。
けれども最初に目を逸らしたのは…リサさんの方だった。
ギリっと唇を噛みしめ、私とレプスさんを憎々しげに睨みつけると、彼女は一礼して部屋を出て行った。
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