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現世〜不穏〜
焦燥〜ユージン〜
しおりを挟むその事を知ったのは、本当に偶然だった。
「王宮内で?…毒だと?」
「しっ!声が大きい」
久しぶり帰った我が家で寛いでいた俺の耳に飛び込んできたのは、焦ったようなバルマン—父の副官—の咎める声だった。
「王はこの事態を重く受け止められ、近衛騎士でも王宮騎士でもなくファントムクォーツ騎士伯に指揮を取らせると決定された。
急ぎ支度を」
「わかった。で、被害者は?」
父とバルマンの遠ざかる声に聞き耳をたてる。
「クンツァイト家の…」
——もしや、クリスティナ様⁈
クリスティナ様が、朝早く王宮からの迎えの馬車に乗ったのは人伝てに聞いていた。
もちろん、被害者が彼女ではない可能性も無きにしも…だが。
けれど妙に胸騒ぎがした。
彼女の身に、一体何が。
毒という不穏な単語もあり、心臓が一気に暴れ出す。
——クリスティナ様を失ってしまうかもしれない。
それは、かつて夢の中で自身が怪物化した時以上の恐怖だった。
「父上!お願いです。
俺…私も王宮へ連れて行ってください!」
半分以上我を忘れて、書斎の扉をノックもせずに押し入る。
いきなり飛び込んできた俺の言葉に、2人ともギョッとしたが、すぐに渋い顔になった。
「…遊びに行くのではない」
突き放すような父の言葉に
「わかっております。
ですがクンツァイト嬢が…!
彼女は大丈夫なのですか?」
縋り付くようにして頼み込む。
すると、横から盛大なため息が聞こえた。
「だから声が大きいと…。
良いですか、ユージン。
クンツァイト嬢が倒れた事も、王宮内で騒ぎが起こっている事自体、機密扱いで誰にも知られていけない事。
そんな所にあなたを連れていけば、ファントムクォーツ騎士伯は機密を漏らした罪で処罰され、最悪王からの信頼を失います」
それでもついていきたいと、駄々をこねるおつもりか?
“目は口ほどに”という通り、雄弁に問うバルマンに返す言葉もない。
けれど…。
やはりクリスティナ様の身に何かあったのだ、という事実にどうしようもなく感情が揺さぶられる。
「…わかりました。
ではどうか、クンツァイト嬢の様子だけでもお知らせいただけないでしょうか?」
必死に食い下がる俺を、父とバルマンは面白そうに見下ろした。
「なんだ、お前、クンツァイト嬢と知り合いか?」
「…親しくさせていただいております」
——本当の理由など言える筈がない。
前世の縁などと、俺自身認めたくもない理由なのに。
「ふむ。
まぁいつになるかは分からんが、可能であれば使いを出そう。
他の者が知るよりはよほど早く、正確な事が掴めるであろう」
唇を噛みしめる俺に、それで妥協しろとばかりに頭を乱暴に撫でて、父は出て行った。
初めて出会った時から、否定しつつも心惹かれる人だった。
気がつくと、いつもその姿を目で追っていた。
セラフィーヌ様のような可憐さも、他の令嬢のような艶やかさもない。
どちらかといえば地味だという人もいるだろう。
けれど、野に咲く花のように慎ましやかな微笑みが脳裏から離れない。
「クリスティナ様…」
——もう2度と、あの優しい笑顔を見る事が出来ないのか。
あのいつまでも聞いていたい、落ち着いた声を耳にする事は…。
——イヤダ!
——イヤダ!
——イヤダ!!
頭の奥が立っていられないほどガンガンと痛み、思わずうずくまる。
——彼女を失うかもしれない、なんてそんな事!
身の内を駆け巡る激情に、ぐらりと目眩がする。
——俺は…また、失うのか。
背中が燃えるように熱い。
正確には、背中にある鱗のような皮膚の硬化した部分が。
『魔王はヒトの弱さより生まれし者。
悪しき者、邪な者のなれの果て』
聞き覚えのない声が耳の奥で殷々と響く。
『ノール!貴方は誇り高い龍の子孫。
祖先が愛し守ってきたこの国を、そこに生きとし生けるものを守って』
——アカ、リ。
目を瞑ると、はっきりと浮かぶ黒髪のたおやかな女性。
『そして、いつかまた生まれ変わったら…。
もしまた巡り会えたなら、その時は絶対離さないで。
私も貴方を探し続けるから。
絶対、見つけ出してみせるから、私の事忘れないでね』
悲しく切ない約束が蘇る。
——思い…出した。
「アカリ…」
何にも代え難い大切な名を、そっと口にする。
「…クリスティナ」
彼女を失ってなるものか。
俺はまだ彼女に告げていない。
謝ってもいない。
ノールなんて知らないと、過去の事だと突き放した事を。
「アカリ!」
胸を掻き毟りたくなる程の焦燥。
為すすべも、また彼女の様子を知るすべもない俺を嘲笑うよう、時だけが無情にも過ぎて行った。
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