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第4章 国境の外へ。戦いのはじまり

047 船旅

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 アカが誘拐犯ごと燃やしてしまった宿屋を、ぼんやりと見ていた。
 火の勢いが強すぎて、どうにも手の出しようがない。そして放火犯のアカはというと「してやったり」と誇らしげな表情を浮かべていた。

 ……いや、見た目はまんまるに太った鳥なので、表情はわからないんだが、なんとなく感情はわかるのだ。

「ぴ~!」

 まあ狼男から助けてくれたのは事実だしなあ。どうせなら攫われるまで待って、ヤツらのアジトを燃やしてくれればいろいろ助かったのだが。

 それにしても、オレに一度殺されたわりにあっさり懐いてくれたな。母親と思われているらしいのは、正直微妙な気分だが、将来アカと戦う必要がなさそうなのはありがたい。もしかしたらフェニックスは、体が再生するだけで記憶は残らないのかもしれないな……。

 さいわい、宿屋の火事はすぐに鎮火された。たまたま近くにいた魔族数名が、魔法で消火したのだ。地方都市なのに、ふつうに魔族がその辺を歩いてる。うちの領地とは違い人材豊富で羨ましい限りだ。

 火が消えていくらも経たないうちに、デトナとシグネが走って戻ってきた。人混みをかき分けながら近づいてくる二人と目が合う。デトナの感情は読めなかったけれど、シグネは般若のような顔になっていた。どうやらオレのせいで宿が焼けたと思っているようだ。

 大局的見地から鑑みて、オレに過失はなかった。一番悪いのはあの誘拐犯どもだし、あんなヤツらを野放しにしている治安担当者の責任でもある。アカは、まあその、ちょっぴりやり過ぎてしまったかもしれないけど、正当防衛の範疇だ。

 怒られるのも嫌だし、あんな高そうな宿屋の弁償でもさせられたらたまらない。なんとか誤魔化すことにしよう。まずオレは、抱えていたアカを地面に下ろした。それから魔法で目尻に水滴を作成する。

「うわ~ん、火がいっぱいで怖かったのじゃ~」

 そうして、泣き真似をしながらデトナに抱きついた。デトナは一瞬ビクリとしてから動かなくなった。うむ、予想通りだ。デトナは抱きついたり、手を繋いだりすると、借りてきた猫のようにおとなしくなる。

「アンタ、なにやったのよ!? あの宿には私のお気に入りの宝石──」
「うわ~ん、ご、ごめんなさい、ヒック、お姉ちゃんの宝物持ち出せなくて……」

 火事のせいで、この場には野次馬が集まっている。さて、彼らがオレたちを見たらどう思うだろうか。泣きじゃくる小さな女の子と、それを叱る女。きっとオレに同情するはずだ。

「ひでえな、あんな小さい子に……」「火事からやっと逃げ出した妹を慰めるどころか、自分の持ち物の心配かよ……」「あの子、かわいそう……!」

 野次馬たちから、シグネを責める声が聞こえた。今にもオレに掴みかかりそうだったシグネだが、まわりの雰囲気に押されるように手を引っ込めた。
 よしよし、周囲のプレッシャーに負けたな。ダメ押しとばかりに、魔法で滝のような涙を作り出した。

「うっ、うわ~ん、お、お姉ちゃん……」
「わ、わかったわよ! もう怒らないから泣き止んで」

「ヒック、後で怒ったりしない……?」
「しないわよ!」

「うっ、ヒック、後で金銭、あるいは物品など、なんらかの補償を要求しない?」
「しないからっ、とっとと他に行くわよ!」

 よし言質をとった。これでオレの責任が追求されることはないだろう。


 * * * * *


 オレたちはそのまま港に向かって、大型帆船に乗り込んだ。本当は足の早い軍艦を貸して欲しかったのだが「軍艦は目立ちすぎるからダメ」と断られたのだ。かわりに氷の魔王と関係が深い商家から、良い商船を買ってもらった。もちろん代金はむこう持ちだ。ずいぶん迷惑をかけられたんだから、これくらいはしてもらわないとな。

 乗組員もすでに確保できている。海軍から一部隊をまるごと引き抜いたらしい。これは素直にありがたかった。またあの狼男みたいなバカが出てくるとたまらないからな。ただ、積み荷の搬入が終わっていないのと、オレが頼んだ人員が集まっていないので、まだ出港はできない。

「ったく、なんで私が悪者にされるのよ……」
「ふはは、世の中とはそういうものじゃ」

 船室では、いまだにシグネが愚痴っていた。まあ、気持ちはわかるけど。
 子供を泣かしていると、泣かせたヤツが悪者みたいに見えるのはなんでなんだろうな?

 けど、思ったより泣き虫作戦は有効だった。今まで有効に使わなかったのがもったいないくらいだ。これからは積極的に発動させることにしよう。せっかくかわいい女の子になっているんだから活用しないとな!

「……で、結局なにがあったのよ。そのデブ鳥がいきなり燃え上がったの?」
「アカはわらわを助けてくれたのじゃぞ。そなたたちがいない間に、小汚い狼男たちがわらわをさらいに来たのじゃ」

 そう言いつつ、ぷにぷにしたアカの腹をなでてやった。
 アカは「ぴ~」と嬉しそうに目を細めた。

「狼男……。あいつらか。まったく。なにが不満で反抗するのかわからないわ」

 シグネはブツブツ言いながら船員を呼びつけた。狼男の情報を領主に伝えるよう命令している。

「……なあ、氷の魔王はこの大陸全土を掌握しているのじゃろ」
「なによ、文句あるの? いくら支配していても、叛徒の何人かは出てくるわよ」

「そうではない。わらわが聞きたいのは支配層の割合じゃ。各街の管理者、軍隊の統率者、官僚のトップ。その中に魔王の一族はどのくらおるのじゃ?」

「そんなの全部よ。決まっているでしょ?」
「全部、か。それは不満もおきるじゃろ……」

 魔王一族が権力を握っているとは思っていたが、まさか占有率100%とは。魔王一族にあらざらむ人はみな非魔族なるべし、だな。清盛よろしく魔王に何かあったら悲惨なことになりそうだ……。


 * * * * *


 結局その日は出港できなかった。必要な人員が集まったのが夜だったのだ。こちらの世界には、夜間航行できるような技術はない。とはいえオレは焦ってはいなかった。期日前にルオフィキシラル領に帰れる成算があったからだ。

 北の大陸から元の大陸に戻るには、船旅だけで相当な日数がかかる。風次第で大幅にかわるが、早くて数週間、遅ければ数ヶ月。すでにタイムリミットは三週間ちょっとしかない。ふつうにやっていては、まったく間に合わない。

 そこで魔族を集めることにしたのだ。帆船の旅が風次第なら、魔法でずっと追い風を吹かせればいいという単純な考えだ。単純な作戦だけど、計算上は余裕をもって期日前に帰れることになっている。


 * * * * *


 船に乗ってから2週間ほどが過ぎた。船旅はまさに順風満帆だった。魔法で追い風大作戦は、想定以上の効果を挙げてくれた。これなら計画より早く帰ることができそうだ。

 ちなみにオレも作戦に参加しているが、あまり役に立っているとは言えない。アカのせいで魔力が減っているというのもあるが、そもそもオレは風の魔法がうまくないからだ。酸素や水素など、気体を作るのはできる。けど「風」を作るという感覚がよくわからないのだ。しかし他の連中はごく自然に風を作っている。もしかしたらオレが使っている魔法と、他のヤツらが使っている魔法は微妙に違うのかもしれない……。

「姫さまー、コックに菓子を作ってもらったぜ。喰うかい?」
「食べる~。タルーは優しいから大好きじゃ!」

 オレが笑いかけると、船員のオッサンはデレデレになっていた。ちょろい。
 船旅が順調だったのは魔法のせいだけじゃない。船員たちが張り切ってくれたからでもある。オレが頑張って媚を売った成果だ。おかげで300人ほどいる船員たち全員の名前はおろか、家族構成まで覚えてしまった。

「……。」「……。」

 オッサンたちとキャッキャしているオレを見て、オレの本性を知っているデトナとシグネは引いていた。


 * * * * *


 ふかふかの布団に天蓋付きのベッド。ふむ。いつものわらわの寝室じゃ。
 しかし、なにやらおかしな気色じゃな?

「──」

 頭を誰かの太ももに乗せられておるようじゃ。膝枕は好きなのじゃが、これはあまり気持ちよくないの。筋肉質でゴツゴツしておるぞ……。

「──」
「下手くそな歌じゃな」

 ゴツンと頭を叩かれた。正直に言っただけなのに……。
 涙目になったわらわを見て、部屋にいた人々が笑いさざめく。みんなひどく楽しげで、オレも痛みを忘れて笑ってしまった。


 * * * * *


 真っ暗だった。
 何も見えない。息苦しい。
 体が壊れそうなぐらい痛い。

「ハッ!」

 気合とともに力を込めて、覆いかぶさる何かをどかした。
 ドスンと何かが床に落ちる音がして、オレの体は開放された。

「ぴ~♪」

 ベッドから転げ落ちた物体の正体は、アカだった。
 「ぴ~♪」じゃねえ。あやうく圧死するところだったじゃねえか!

 アカはさらに成長を続け、今ではオレより身長が高くなっていた。メタボ体型は変わっていないので、相当な体重がある。たぶん500kgはあるだろう。アカは甘えてじゃれついているつもりらしいが、油断すると殺されかねない。

「ぴ~♪」

 アカは楽しそうに船室内をゴロゴロと転がっていた。部屋が壊れる。アカを止めようとしたオレは、その時やっと周囲の異常に気づいた。船のゆれが大きすぎるのだ。床が斜めにせり上がっていく。オレは床と固定されたベッドからおりて、船室の扉を開けた。なにが起きたのか確かめないと。


 * * * * *


 甲板に上がると外は大荒れだった。突風が吹き、視界をさえぎるほどの大雨が降っている。

「デトナ!」
「……ああ、ディニッサ様。外にいると危ないですよ」

 近くにいたデトナに声をかけてみたが、デトナは疲れきった様子だった。

「まさかそなた、ずっと外にいたのか」
「……休憩に戻ろうとしたら、ちょうど嵐がきまして」

 デトナはオレと交代で上に行った。オレが何時間寝ていたのかわからないが、相当な時間にわたって魔法を使い続けているはずだ。

「わらわが代わるのじゃ。デトナは船室に戻って──」
「ディニッサ様!」

 オレの言葉さえぎったデトナは、顔を青くさせていた。
 どうしたんだ? まわりを見ると、揺れが小さくなっていた。しかし、風も雨もまったくおさまっていない。どうして揺れだけが?

 海を見て、その理由がわかった。渦潮だ。すり鉢のように海がへこんでいる。渦潮の圏内に入ったからこそ、船の挙動が少し安定したのだ。大きく螺旋を描きながら同じ方向に潮が流れているため、不規則な揺れが消えている。

 このままだとマズい。渦潮の中心に連れて行かれたら、船が沈む。
 しかし……。嵐で壊されないためにだろう、帆はたたまれている。どうすればあれから脱出できる?

「総帆展帆、急げ!」
「艦長っ、この嵐では帆がもちません」

「どうせこのままでは助からん。帆を張って魔法の風を集中するしかない。急げ」
「ハッ」

 嵐をぬって船員たちのがなり声が聞こえてきた。艦長は帆を張りなおすつもりのようだ。しかしこの暴風の中では、なかなか作業も進まないだろう。なにか他に方法は──

 考え始めた時、フッと何かの気配を感じた。緑色で長い、タコの足のようなものが海から伸びてきていたのだ。声をかける間もなく、触手がデトナの胴に巻き付いた。そのままデトナは、ふなばたを越えて海に引きづりこまれていく。オレはデトナを追いかけ、その腕をつかむ。デトナといっしょに海に落ちそうになったが、かろうじて片手で船べりにしがみつくことができた。

「デトナ、わらわは動けん、その触手をなんとかできぬか!?」
「……ディニッサ様」

 デトナは驚いたようにオレを見るだけだった。なにもできないほど魔力を消耗してしまっているのか……?

 まわりを確認すると、海からさらに無数の触手が伸びてきているのが見えた。船員たちや魔族たちは触手への対応におわれている。まずいな、のんびりしていると状況が悪くなるばかりだぞ。

「ぴー!」

 いつの間にか、アカがそばまで来ていた。助けてくれ、と言いかけてオレは口をつぐんだ。アカには手がないからオレたちを引き上げられない、という理由ではない。

「ぴっぴー!」

 明らかにアカがブチ切れていたからだ。赤い羽根が逆立って、クチバシから火が漏れている。ヤバイ、これ、爆発するパターンだ!

「やめよ、アカ! 船が燃えてしまうのじゃ」
「ぴ!」

「わかったんじゃな!?」
「ぴー!!」

 コイツぜったいわかってねえ! むしろヤル気満々ってツラしてやがる!

「すまん、デトナ!」

 オレはデトナの腕を離してアカに抱きついた。そのまま船を思いっきり蹴り飛ばして飛び上がる。ほぼ同時にアカの体が燃え上がった。オレたちはすごい速度で渦潮の中心部に向かって飛んでいく。

 できるだけ急いだが、完全には間に合わなかったらしい。空を飛んでいくオレの目に、火に包まれた船が見えた……。
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