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第3章 旧領へ。新たな統治
037 ザテナフ・ルフ・カルマユール
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その日は寝苦しくて、いつもより早く目が覚めてしまった。
目を開けると、大きな瞳が至近距離からオレを見つめていた。驚いて逃げようとしたが、体がガッチリと固定されていてまるで動けない。
「姫様、夢に出た?」
挨拶もせずに質問してきたのはフィアだった。吐息がかかるような、というよりほんの少し動くだけでもキスしてしまいそうな距離に顔がある。前にも同じような事があったけど、本当に心臓に悪い。
「話がちがうよー。ディニッサ様に会えなかった」
オレが黙っていると、左側からファロンに文句を言われた。
……そうだ。昨日は夢の中で合流するため、ふだんより密着して寝たんだった。
「毎日連絡がくるわけではないのじゃ。とりあえず3人とも離れよ」
3人は口々に不満をもらしながらオレから離れていった。
こいつら、どんだけディニッサのことが好きなんだよ……。
* * * * *
いつものように朝の身支度を終えると、オレは侍女たちに質問してみた。
「この近くにダンジョンとかないかの? 地下迷宮とか、廃城とかそういうヤツ」
「……? 放棄された城跡ならありますけど、何に使うのですか?」
「そこを探索して、財宝を手に入れるのじゃ」
「財宝? どうして廃城に財宝があるんですか? 城を放棄するときに価値がある物は持ち去るでしょう」
「そう言われるとそうじゃな……」
3人が不思議がっている。よくあるゲームのように、迷宮探索で金を稼ごうと思ったのだが無理らしい。この世界にはそういう都合のいい場所はないようだ。失われた古代文明があるかと期待したのに……。
「なんで急にそんな変なコト言い出したのー?」
「金が、いますぐ金が欲しいのじゃ……!」
トクラのせいで国庫がヤバイことになっているのだ。このままでは破産する危険性がある。ひと月ほどたてば、収穫期に入るので持ちなおせるのだが。そこまで保たせるには、臨時収入を得るか、いまやっている事業を停止するしかない。
武具作成、砦の建設、兵士の増員、道の整備、貧民救済。どれも重要で中断したくない。それに放り出すと「やっぱり引きこもりの姫じゃダメだな」という評価が定着しかねない。そうなったら今後の政策すべてにマイナスの影響が出るだろう。
本当なら、さらに金をかけたい分野があったくらいなのだ。まだ農業に手を付けていない。ヴァロッゾから得た金で、なんとかしようと考えていたのだが……。
「なあ、この9年間の金策はどうしておったのじゃ? 赤字だったんじゃろ」
「宝物庫の魔法具を、売ってた」
ああそうか。そういえば最初きたとき、宝物庫の棚がずいぶんスカスカだと思ったっけ。ディニッサたちの食事と服飾費をまかなうために、家宝をどんどん切り売りしていたわけだ。
ため息がでる。あの魔法船のことを考えれば、家宝は簡単に売ってよいようなものではない、とわかりそうなものなのに……。
「宝物庫の魔法具の中に、お金稼ぎに使えるようなものはないのかの?」
オレの質問に侍女たちは顔を見合わせた。お互いに顔を横をふってなにか確認しあっている。
「魔法具の効果を詳しく知っているものはいないようですね」
「……効果を確認する魔法や方法はないのかの?」
「さあ? 商人はかなりの時間をかけて、なにやら確認しているみたいですけど」
ダメっぽいな……。使うこともできないし、売ることも難しそうだ。鑑定に長時間かかるなら、値がつかないだろう。
いよいよ手がなくなってきた。ガーナンに頼めば、なんとかしてくれそうな気もするが、いい加減ガーナン商会が潰れそうだし……。
そうなるとやはり、西の領地から金を巻き上げるしかないな。
* * * * *
シロに乗ってクノ・ヴェニスロに向かった。同行者はユルテとファロンだけだ。フィアは雪華隊の仕事をこなしてもらうために残してきた。トクラのおかげで諜報機関の必要性は十分わかったからな……。
「護衛が二人だけでは危なくないですか? テパエと違い、クノ・ヴェニスロにはかなりの数の魔族がいるはずですよ」
「大丈夫じゃ。代官のザテナフは温厚な人物のようじゃ。いきなり襲いかかってきたりはせんじゃろ」
それに、クノ・ヴェニスロ周辺にもルオフィキシラル教徒が多くいる。むやみに敵対関係になるのはあっちも避けたいはずだ。
クノ・ヴェニスロとの中間地点あたりで、先行していたファロンが戻ってきた。
「どうじゃった?」
「歓迎するってー」
今回は突然押しかけるのではなく、事前に連絡をとってみた。と言ってもファロンに手紙をもたせてひとっ走りしてもらっただけだ。本来ならもっと早く知らせるべきなんだろうが、そこまでの余裕はない。それにあまり時間を与えすぎると、よからぬ企みをされる危険性もある。
「そういえば、ヴァロッゾの時みたいに兵士は連れてこなくてよかったのー?」
「今回は必要ない。ザテナフを配下にできれば、それだけで街は掌握できる。逆に言えばザテナフが断るなら、兵士を連れて来ても支配は無理という事じゃ」
「どうでしょう。テパエのようにうまくいくでしょうか?」
「難しいかもしれんの……」
テパエは代官のネンズが、単純な武人肌の男だったため楽だった。小細工をしたが、あれがなくても殴りあって勝てば部下になってくれただろう。しかしザテナフにはその手は通用しそうもない。
今必要なのは武力でも魔力でもなく、交渉力だ。そしてそれが一番心配な点なのだ。外交官には、深い洞察力、素早く的確な判断力、予想外の事態にも動じない沈着冷静さ、世界全般に対する広汎な知識、などが必要なのだろうが……。
オレにそれがあるとは思えない。かといって現在のルオフィキシラル領に、適切な人材もいない。オレが外回りメインの仕事でもしていたら、もう少し自信がもてたんだろうけどなあ……。
* * * * *
オレたちがクノ・ヴェニスロにたどり着くと、市門は開け放たれ、兵士たちが並んで出迎えてくれた。半分ほどがエルフで、他にゴブリン、オークなどがいる。それぞれ緊張した面持ちだが、とくに敵意は感じない。とりあえずホッとした。
しかしオレの気が緩んだのとは反対に、シロと侍女たちは警戒を強めていた。ハッとして、魔力の流れを感知してみる。
──近くに30の魔力反応を確認した。
もうこれだけで、すでにオレの陣営の全魔族数を上回っている。たったひとつの都市しかもたない領地のわりにすごい戦力だ。……たぶん、うちの戦力がしょぼすぎるだけなんだろうけど。
門のわきには六頭立ての豪華な箱馬車がある。これに乗ってこいということか。オレの姿を街の人に見せない、というのがザテナフの意図だろう。オレが大通りを行進して、市民から歓声でも起きたら困るだろうからな。
(ディニッサ、アノ馬、食ベテイイ?)
(ダメ! 我慢するのじゃ。わらわたちは街の者と話がある。そなたはここでおとなしくしているのじゃぞ)
「く~ん……」
自分だけ置き去りにされると聞いたシロは、切なげに鳴いた。しかし騙されてはならない。これは演技だ。シロはいつの間にか、甘える技術をマスターしていたのだ。寂しそうにしていた時に、つい遊んでやっていたのが良くなかったのかもしれない。図体はデカイがまだ子供らしいからなあ……。
結局、交渉が終わったら今日一日遊んでやるという条件で納得させた。シロは門のわきで留守番させ、馬車に乗ってザテナフの元へ向かう。馬車にはカーテンがかかっていて外の様子が確認できないようになっていた。
* * * * *
たどり着いた代官屋敷は質素な建物だった。赤茶けたレンガをむき出しにした造りで街にある家々より金がかけられていないだろう。ふつうはレンガに漆喰を塗ったりするものだからだ。ヴァロッゾの倉庫街がちょうどこんな建物だった。
屋敷の中も実用一辺倒で、役所としての機能が最優先にされていた。美術品などはなく、魔法の照明装置もない。それでも案内されたザテナフとの会談場所は、多少なりとも金のかけられた部屋ではあった。
オレたちが部屋に入ると、椅子に座っていた魔族が立ち上がった。オレの倍はあるのではないか、と思えるような長身で威圧感がある。そして彼の特徴である羊と牛ふたつの頭には、やはり驚かされた。話に聞いてはいたのだが実物をみると、どうしても奇妙さに目を見張らざるをえない。
「ようこそおいでくださいました。私はクノ・ヴェニスロを管理しているザテナフ・ルフ・カルマユールと申すものです。お見知り置きを」
オレのぶしつけな視線に気づかないような態度でザテナフが挨拶をした。羊の頭から漏れでた声は、やや高く上品だった。
「わらわは魔王トゥーヌルの娘、ディニッサ・ロニドゥ・ルオフィキシラルじゃ」
お互い名乗り合ってから椅子に腰掛けた。ユルテとファロンはオレを守るように左右のすこし後ろに立つ。ザテナフの後ろにも警護の者らしき魔族が2名たった。大勢の魔族を並べての威嚇はしないようだ。
「このたび、わらわがクノ・ヴェニスロをおとなったのは──」
「失礼」
交渉に入ろうとしたオレを、牛の頭から出た低い声がさえぎった。
「トゥーヌル陛下に御息女がおられたことは、我も承知している。しかし足下がその御息女であると、どのように証明するつもりかな」
「無礼な! 姫様を偽物呼ばわりするのですか」
「無礼は承知。なれども最前、代官に商人が騙される、というような事もおこっているのだ。この街を統治する者として、細心の注意を払わざるを得ん」
ザテナフの先制攻撃にすこし驚いた。まさか本人証明からさせられるとは思っていなかったのだ。歓迎されるとまでは期待していなかったにしても、想定より攻撃的な態度だった。
トゥーヌルの娘である証明をしろ、などと言われても難しい。通常ならトゥーヌルが生きているときに、諸侯に紹介が済んでいなくてはいけないものだからだ。けれど、トゥーヌルはディニッサを無視していて、なおかつディニッサは引きこもりだった。
これは遠回しな、お前とは交渉をしないという宣言なのか? それとも交渉を有利に導くための牽制なのだろうか。ダメだ。羊と牛、動物の顔からはまるで感情が読み取れない。
「生まれた時から姫様のお世話をしている、この私が真実だと言っているのです。これ以上の証明が必要ですか!」
「さて……。トゥーヌル様存命のおり、我は幾たびも登城しているが、足下にもお会いした覚えはないのだが。そのあたりの証明からはじめるのがよろしかろう」
やっっぱりユルテも会ったことがないのか。ユルテもディニッサの世話ばかりにかまけすぎだな。二人が知り合いだったなら、ザテナフもここまで難癖をつけてこなかっただろうに。
「ノラン・キオコ・フェーヴリレとネンズ・テグニーが、わらわを証してくれるじゃろう。後日手紙を送らせてもよい」
「……足下の部下の二人であるな」
そう、二人は身内であるために証言者としては弱い。オレとザテナフの知り合いで、なおかつ中立な第三者でもいればいいのだが、そんな都合いい存在に心当たりはない。これでまだザテナフが文句を言うようなら、交渉は不可能だということだろう。
「お二人とは私も顔をあわせたことがあります。どちらも自分の利のために嘘をつくお方ではありませんね。信じましょう」
羊のほうが軽くうなずいた。少し遅れて牛が同意する。
「ふむ……。ては手紙を受け取るまでは仮とはいえ、貴殿をトゥーヌル様の御息女として扱おう。しかしトゥーヌル様の御息女であるからといって、その後継者とは必ずしも言えまい。そのあたりはいかかお考えか」
安心していたところにさらなる難題を出された。
しかもさっきより致命的な問題だ。
(ディニッサ様ー、あの牛なに言ってるの?)
いきなりファロンが、オレの肩に手をおいて念話をしてきたため、体がビクっとなった。ちょっと恥ずかしい。ザテナフは見て見ぬふりをするつもりか、とくに反応はしめさなかった。
(ユルテにも肩をさわるように言ってくれ)
(わかったー)
侍女二人がオレの肩に手をかける姿は、いかにもあやしかっただろうが気にせず念話を続ける。どうせむこうにも、こちらが何をしているのかはバレバレなのだ。
(もともとこっちの世界の相続があいまいな点が問題なのじゃ。ふつうは親が生きているうちに、主だった領民などをあつめて、後継者を指名するのじゃ。そこでみんなに認められて、はじめて次代の支配者であることが確定する。けれど──)
(……トゥーヌル様はそのようなことはやっていませんね)
(というより、最初からディニッサに跡を継がせる気がなかった、とみたほうがいい。敵のほうが優勢な戦争にいくときですら、遺言も残していないのじゃから)
(ってことは、どうなるのー?)
(領地がだれのものになるかは、領民の気分で決まるのじゃ)
(気分……!?)
(子供がそのまま受け継ぐことも多いみたいじゃが、絶対ではない。『おまえには従えない』とその地方の領主や領民が言えばそれまでじゃ。というか、領内のほとんどがルオフィキシラル教徒じゃなかったら、間違いなく城以外全部なくなっていたはずじゃ)
(……。)
「話はすみましたか?」
「そなたは、わらわが父上の後継者であることを認めぬつもりか」
「さあ、どうでしょう……。しかし昔の事より、これからの事を考えたほうがよくはないでしょうか。お互いの発展につながる話だとよいですね」
口調は穏やかだし、いっけん前向きな発言に思える。しかし言っている内容は、横領した税を払う気はない。これからの友好関係なら考えてやる、だ。
(温厚との評判でしたが、高圧的ではないですか? 戦争も辞さない交渉のように思えるのですけど)
ユルテの言葉で、すこし気になったことがあったことを思い出した。
最初にザテナフは「代官に商人が騙される」と言っていた。あきらかに、昨日おこったばかりのヴァロッゾの件だ。
情報が早い。
だがそれ以上に、オレにはトクラの影が見えた気がした。あいつなら今のオレの窮状はわかっているだろう。もしそれがザテナフに伝わっているとしたら? 最初の挑発的な発言もうなずける。
ようは舐められているわけだ。
腹はたつが、武力に訴えるわけにはいかない。そのために30人もの魔族に出迎えさせたのだろうし。だからオレとしては、ザテナフとクノ・ヴェニスロにメリットを提示しなくてはならないのだ。
──ふつうの王と貴族の関係はこうだ。領地を持つ貴族が王に税を払う。かわりに王は、貴族の領地が戦に巻き込まれた時に守る。
……いまのオレたちにできるか? 絶対無理だ。クノ・ヴェニスロの戦力にすら勝てないというのに。しかしそうなると、彼らがディニッサの下につく利点があるだろうか……? ない、な。金を取られるというデメリットしかなさそうだ。
(姫様、私の浮遊島をクノ・ヴェニスロに落とす、と脅してはどうでしょう)
(ダメに決まってるじゃろ!)
実行不可能な脅しなど意味がない。いや、ユルテなら実行しそうな怖さがあるけれども……。ユルテの領地の大きさは知らないが、空から大質量が落ちてきたら、この街くらいは簡単に吹き飛ぶだろう。そんな虐殺を許可できるかよ。
ここにきてオレは諦めた。クノ・ヴェニスロをルオフィキシラル領に取り戻すのは無理だ。金だけせびって帰ろう。チンピラみたいな発想だけど、むこうもそのあたりを落とし所と考えているはずだ。
温厚なザテナフだ。トクラからこちらの情報が渡っているなら、いくらかの金を恵んでお引き取り願うという方針になっているだろう。あっちだって、オレたちが自暴自棄になって暴れるのは避けたいはずだからな。
「ザテナフ、9年間払っていなかった税をすべて払うがよい」
「それは貴殿が正式な後継者である、と証明されてからの事であろう」
「断るなら教会に命じて、ザテナフはわらわの敵だと信徒に伝えさせるのじゃ。そしてクノ・ヴェニスロを捨てて、わらわの領内に移住することも命じる」
「なに……?」
ザテナフがはじめて動揺したように見えた。
「わらわは父上と違い、ルオフィキシラル教徒を優遇しておる。なにせ収穫の1割を教会に寄付するという太っ腹ぶりじゃ。クノ・ヴェニスロにも信者は大勢おるな? 試してみるかの、そなたの人望とわらわへの信仰心、どちらが強いか」
ザテナフが黙りこんだ。
オレの行動でどのていどの影響が出るか計算しているのだろう。
脅してみたものの、オレにも成算はない。いままで集めたデータから考えると、貧しい地域の方が信仰心が篤い傾向がある。ヴァロッゾほどではないにしろ、クノ・ヴェニスロも豊かな街だ。神よりザテナフの統治を選ぶ可能性は高い。
「私の治める地より、あなたの──」
「わらわもただ金を出せと言うつもりはない。そなたが横領した税を返すというならば、わらわはそなたを代官ではなく、クノ・ヴェニスロの領主だと認めるつもりじゃ」
(姫様、よいのですか!?)
(現状でクノ・ヴェニスロを支配するのは無理じゃ。だから支配権を高値で売り払おう)
豊かな穀物地帯を失うことは、長期的にはかなりの損失だろう。けれど仕方がない。溺れる寸前に、明日の食事の心配をしても無意味なのだ。
さて。これでザテナフがこちらの要求を飲むかどうか。
もしオレが本当に信徒に布告をしたら、ザテナフにとっても大きな痛手になる。日本で言えば仏敵、ヨーロッパで言う破門だ。それはザテナフも避けたいだろう。オレは条件しだいで交渉が成立するとみている。
「……私を領主に、ですか」
「そうじゃ。トゥーヌルの世継ぎとしてではなく、ルオフィキシラル教の神として認定するのじゃ」
「領主認定と引き換えに金を払え。よかろう、それは認めよう。だが9年分の税とは法外な要求だ」
予想通りだ。オレも9年分もの税を一括で払ってもらえるとは思っていない。最初に1年分程度、そして残りを20年くらいかけて払ってもらう形になれば十分だろう。
「ふむ。それではそなたはどのくらいが適当だと思うのじゃ?」
「9年前よりはじめて、5年分の税をお支払いしましょう。大変な金額ですがなんとかいたします」
「それなら──」
(ダメ!)
5年分といえば、9年間の過半数だ。ザテナフが大分譲歩してくれた、と喜んで返事をしそうになったオレを、なぜかファロンが止めた。
(どうしたのじゃ?)
(わかんない。けど、なんかイヤなカンジがした。あいつニヤっとしたよー)
笑っただろうか。オレはザテナフの表情の変化に気づけなかった。けれど、ファロンがそう言うならそうなのだろう。もう一度考えてみよう。
……たしかに今の条件だと、残りの4年分は払われない。しかし5年分も一気にもらえるなら、そこは目をつぶってもいいと思う。長期契約にすると、ちゃんと履行されるか不安もあるし。
クノ・ヴェニスロは、6つの街道で6つの街とつながっている交通の要所だ。便利ではあるが、他から攻められる可能性も高い。
オレが簡単に支配を諦めたのには、この影響もある。手に入れても守り切るのに苦労するだろう。もちろんザテナフがやられる可能性もあるわけで、長期契約はあまり頼りにできない。
やっぱり今の条件をのむか……?
──声を出そうとした瞬間、唐突にザテナフの罠に気づいた。
あの羊野郎、やってくれる!
つまり「9年前よりはじめて」というのがダメなんだ。
オレはケネフェトに聞いた話を必死に思い出す。9年前は戦争の影響で税収が少なかった。その次の年は疫病、その次が地震、次が虫の大発生。
たしかに年という分け方だと過半数ではある。けれど、総額から考えるとかなり低い割合になってしまう。なにせまともな収穫があったのが5年前だけなのだ。
「……よく考えると半分以上の税を一括で払わせるのは、酷であったかもしれん。今年、去年、一昨年、その前と4年分でよいぞ」
オレにもわかるくらいザテナフの顔が歪んだ。
「……6年分。残りも30年かけて払うという条件ではいかがでしょうか」
「4年分じゃ。だがそうじゃな、かわりに優れた農具を贈ろう」
「農具ですか」「農具だと」
はじめて二つの頭が同時に喋った。聞いていた通りだ。ザテナフはかなり農業に関心があるようだ。
「そうじゃ。どんなものかは見てのお楽しみじゃが、農作業が劇的にかわるということを約束するのじゃ」
ザテナフは4つの目をつぶって、しばし沈思した。そして目をあけて微笑む。
「……今年の分はなんとか今日中にご用意しましょう。残りの3年分は収穫期がくるたびに払っていきます。それから、お互いの領地を侵さないという契約をかわしてください。この条件でどうでしょうか」
「うむ。それでよいのじゃ!」
* * * * *
会談のあと馬車で街を周回させられた。こんどは周りがよく見える、囲いのない馬車だ。同時に、オレがザテナフを領主に任命したこと、お互いの領地が友好関係を築いたことが人々に知らさせる。
街の人々は、領主の件にも友好の件にも大喜びしていた。ディニッサはこの街でも人気があり、どこにいっても歓声があがる。悪い気分ではないが、ザテナフにうまく利用されたな、と思わないでもない。
「1勝2敗というところかの……」
テパエは手に入れたが、ヴァロッゾでは負債をかかえこみ、クノ・ヴェニスロは放棄することになった。やり方しだいでもう少し良い展開もありえたのだろうが、オレの能力ではこのあたりが限界だった。
「元気出して。ディニッサ様、がんばってたよー」
「そうですね。できるかぎりのことはやったでしょう。私としては、すべて放り出して逃げたほうが良かったと思いますけど」
とにかく、これで旧領巡りは終わった。
あとは全力で戦争に備えるだけだ……!
目を開けると、大きな瞳が至近距離からオレを見つめていた。驚いて逃げようとしたが、体がガッチリと固定されていてまるで動けない。
「姫様、夢に出た?」
挨拶もせずに質問してきたのはフィアだった。吐息がかかるような、というよりほんの少し動くだけでもキスしてしまいそうな距離に顔がある。前にも同じような事があったけど、本当に心臓に悪い。
「話がちがうよー。ディニッサ様に会えなかった」
オレが黙っていると、左側からファロンに文句を言われた。
……そうだ。昨日は夢の中で合流するため、ふだんより密着して寝たんだった。
「毎日連絡がくるわけではないのじゃ。とりあえず3人とも離れよ」
3人は口々に不満をもらしながらオレから離れていった。
こいつら、どんだけディニッサのことが好きなんだよ……。
* * * * *
いつものように朝の身支度を終えると、オレは侍女たちに質問してみた。
「この近くにダンジョンとかないかの? 地下迷宮とか、廃城とかそういうヤツ」
「……? 放棄された城跡ならありますけど、何に使うのですか?」
「そこを探索して、財宝を手に入れるのじゃ」
「財宝? どうして廃城に財宝があるんですか? 城を放棄するときに価値がある物は持ち去るでしょう」
「そう言われるとそうじゃな……」
3人が不思議がっている。よくあるゲームのように、迷宮探索で金を稼ごうと思ったのだが無理らしい。この世界にはそういう都合のいい場所はないようだ。失われた古代文明があるかと期待したのに……。
「なんで急にそんな変なコト言い出したのー?」
「金が、いますぐ金が欲しいのじゃ……!」
トクラのせいで国庫がヤバイことになっているのだ。このままでは破産する危険性がある。ひと月ほどたてば、収穫期に入るので持ちなおせるのだが。そこまで保たせるには、臨時収入を得るか、いまやっている事業を停止するしかない。
武具作成、砦の建設、兵士の増員、道の整備、貧民救済。どれも重要で中断したくない。それに放り出すと「やっぱり引きこもりの姫じゃダメだな」という評価が定着しかねない。そうなったら今後の政策すべてにマイナスの影響が出るだろう。
本当なら、さらに金をかけたい分野があったくらいなのだ。まだ農業に手を付けていない。ヴァロッゾから得た金で、なんとかしようと考えていたのだが……。
「なあ、この9年間の金策はどうしておったのじゃ? 赤字だったんじゃろ」
「宝物庫の魔法具を、売ってた」
ああそうか。そういえば最初きたとき、宝物庫の棚がずいぶんスカスカだと思ったっけ。ディニッサたちの食事と服飾費をまかなうために、家宝をどんどん切り売りしていたわけだ。
ため息がでる。あの魔法船のことを考えれば、家宝は簡単に売ってよいようなものではない、とわかりそうなものなのに……。
「宝物庫の魔法具の中に、お金稼ぎに使えるようなものはないのかの?」
オレの質問に侍女たちは顔を見合わせた。お互いに顔を横をふってなにか確認しあっている。
「魔法具の効果を詳しく知っているものはいないようですね」
「……効果を確認する魔法や方法はないのかの?」
「さあ? 商人はかなりの時間をかけて、なにやら確認しているみたいですけど」
ダメっぽいな……。使うこともできないし、売ることも難しそうだ。鑑定に長時間かかるなら、値がつかないだろう。
いよいよ手がなくなってきた。ガーナンに頼めば、なんとかしてくれそうな気もするが、いい加減ガーナン商会が潰れそうだし……。
そうなるとやはり、西の領地から金を巻き上げるしかないな。
* * * * *
シロに乗ってクノ・ヴェニスロに向かった。同行者はユルテとファロンだけだ。フィアは雪華隊の仕事をこなしてもらうために残してきた。トクラのおかげで諜報機関の必要性は十分わかったからな……。
「護衛が二人だけでは危なくないですか? テパエと違い、クノ・ヴェニスロにはかなりの数の魔族がいるはずですよ」
「大丈夫じゃ。代官のザテナフは温厚な人物のようじゃ。いきなり襲いかかってきたりはせんじゃろ」
それに、クノ・ヴェニスロ周辺にもルオフィキシラル教徒が多くいる。むやみに敵対関係になるのはあっちも避けたいはずだ。
クノ・ヴェニスロとの中間地点あたりで、先行していたファロンが戻ってきた。
「どうじゃった?」
「歓迎するってー」
今回は突然押しかけるのではなく、事前に連絡をとってみた。と言ってもファロンに手紙をもたせてひとっ走りしてもらっただけだ。本来ならもっと早く知らせるべきなんだろうが、そこまでの余裕はない。それにあまり時間を与えすぎると、よからぬ企みをされる危険性もある。
「そういえば、ヴァロッゾの時みたいに兵士は連れてこなくてよかったのー?」
「今回は必要ない。ザテナフを配下にできれば、それだけで街は掌握できる。逆に言えばザテナフが断るなら、兵士を連れて来ても支配は無理という事じゃ」
「どうでしょう。テパエのようにうまくいくでしょうか?」
「難しいかもしれんの……」
テパエは代官のネンズが、単純な武人肌の男だったため楽だった。小細工をしたが、あれがなくても殴りあって勝てば部下になってくれただろう。しかしザテナフにはその手は通用しそうもない。
今必要なのは武力でも魔力でもなく、交渉力だ。そしてそれが一番心配な点なのだ。外交官には、深い洞察力、素早く的確な判断力、予想外の事態にも動じない沈着冷静さ、世界全般に対する広汎な知識、などが必要なのだろうが……。
オレにそれがあるとは思えない。かといって現在のルオフィキシラル領に、適切な人材もいない。オレが外回りメインの仕事でもしていたら、もう少し自信がもてたんだろうけどなあ……。
* * * * *
オレたちがクノ・ヴェニスロにたどり着くと、市門は開け放たれ、兵士たちが並んで出迎えてくれた。半分ほどがエルフで、他にゴブリン、オークなどがいる。それぞれ緊張した面持ちだが、とくに敵意は感じない。とりあえずホッとした。
しかしオレの気が緩んだのとは反対に、シロと侍女たちは警戒を強めていた。ハッとして、魔力の流れを感知してみる。
──近くに30の魔力反応を確認した。
もうこれだけで、すでにオレの陣営の全魔族数を上回っている。たったひとつの都市しかもたない領地のわりにすごい戦力だ。……たぶん、うちの戦力がしょぼすぎるだけなんだろうけど。
門のわきには六頭立ての豪華な箱馬車がある。これに乗ってこいということか。オレの姿を街の人に見せない、というのがザテナフの意図だろう。オレが大通りを行進して、市民から歓声でも起きたら困るだろうからな。
(ディニッサ、アノ馬、食ベテイイ?)
(ダメ! 我慢するのじゃ。わらわたちは街の者と話がある。そなたはここでおとなしくしているのじゃぞ)
「く~ん……」
自分だけ置き去りにされると聞いたシロは、切なげに鳴いた。しかし騙されてはならない。これは演技だ。シロはいつの間にか、甘える技術をマスターしていたのだ。寂しそうにしていた時に、つい遊んでやっていたのが良くなかったのかもしれない。図体はデカイがまだ子供らしいからなあ……。
結局、交渉が終わったら今日一日遊んでやるという条件で納得させた。シロは門のわきで留守番させ、馬車に乗ってザテナフの元へ向かう。馬車にはカーテンがかかっていて外の様子が確認できないようになっていた。
* * * * *
たどり着いた代官屋敷は質素な建物だった。赤茶けたレンガをむき出しにした造りで街にある家々より金がかけられていないだろう。ふつうはレンガに漆喰を塗ったりするものだからだ。ヴァロッゾの倉庫街がちょうどこんな建物だった。
屋敷の中も実用一辺倒で、役所としての機能が最優先にされていた。美術品などはなく、魔法の照明装置もない。それでも案内されたザテナフとの会談場所は、多少なりとも金のかけられた部屋ではあった。
オレたちが部屋に入ると、椅子に座っていた魔族が立ち上がった。オレの倍はあるのではないか、と思えるような長身で威圧感がある。そして彼の特徴である羊と牛ふたつの頭には、やはり驚かされた。話に聞いてはいたのだが実物をみると、どうしても奇妙さに目を見張らざるをえない。
「ようこそおいでくださいました。私はクノ・ヴェニスロを管理しているザテナフ・ルフ・カルマユールと申すものです。お見知り置きを」
オレのぶしつけな視線に気づかないような態度でザテナフが挨拶をした。羊の頭から漏れでた声は、やや高く上品だった。
「わらわは魔王トゥーヌルの娘、ディニッサ・ロニドゥ・ルオフィキシラルじゃ」
お互い名乗り合ってから椅子に腰掛けた。ユルテとファロンはオレを守るように左右のすこし後ろに立つ。ザテナフの後ろにも警護の者らしき魔族が2名たった。大勢の魔族を並べての威嚇はしないようだ。
「このたび、わらわがクノ・ヴェニスロをおとなったのは──」
「失礼」
交渉に入ろうとしたオレを、牛の頭から出た低い声がさえぎった。
「トゥーヌル陛下に御息女がおられたことは、我も承知している。しかし足下がその御息女であると、どのように証明するつもりかな」
「無礼な! 姫様を偽物呼ばわりするのですか」
「無礼は承知。なれども最前、代官に商人が騙される、というような事もおこっているのだ。この街を統治する者として、細心の注意を払わざるを得ん」
ザテナフの先制攻撃にすこし驚いた。まさか本人証明からさせられるとは思っていなかったのだ。歓迎されるとまでは期待していなかったにしても、想定より攻撃的な態度だった。
トゥーヌルの娘である証明をしろ、などと言われても難しい。通常ならトゥーヌルが生きているときに、諸侯に紹介が済んでいなくてはいけないものだからだ。けれど、トゥーヌルはディニッサを無視していて、なおかつディニッサは引きこもりだった。
これは遠回しな、お前とは交渉をしないという宣言なのか? それとも交渉を有利に導くための牽制なのだろうか。ダメだ。羊と牛、動物の顔からはまるで感情が読み取れない。
「生まれた時から姫様のお世話をしている、この私が真実だと言っているのです。これ以上の証明が必要ですか!」
「さて……。トゥーヌル様存命のおり、我は幾たびも登城しているが、足下にもお会いした覚えはないのだが。そのあたりの証明からはじめるのがよろしかろう」
やっっぱりユルテも会ったことがないのか。ユルテもディニッサの世話ばかりにかまけすぎだな。二人が知り合いだったなら、ザテナフもここまで難癖をつけてこなかっただろうに。
「ノラン・キオコ・フェーヴリレとネンズ・テグニーが、わらわを証してくれるじゃろう。後日手紙を送らせてもよい」
「……足下の部下の二人であるな」
そう、二人は身内であるために証言者としては弱い。オレとザテナフの知り合いで、なおかつ中立な第三者でもいればいいのだが、そんな都合いい存在に心当たりはない。これでまだザテナフが文句を言うようなら、交渉は不可能だということだろう。
「お二人とは私も顔をあわせたことがあります。どちらも自分の利のために嘘をつくお方ではありませんね。信じましょう」
羊のほうが軽くうなずいた。少し遅れて牛が同意する。
「ふむ……。ては手紙を受け取るまでは仮とはいえ、貴殿をトゥーヌル様の御息女として扱おう。しかしトゥーヌル様の御息女であるからといって、その後継者とは必ずしも言えまい。そのあたりはいかかお考えか」
安心していたところにさらなる難題を出された。
しかもさっきより致命的な問題だ。
(ディニッサ様ー、あの牛なに言ってるの?)
いきなりファロンが、オレの肩に手をおいて念話をしてきたため、体がビクっとなった。ちょっと恥ずかしい。ザテナフは見て見ぬふりをするつもりか、とくに反応はしめさなかった。
(ユルテにも肩をさわるように言ってくれ)
(わかったー)
侍女二人がオレの肩に手をかける姿は、いかにもあやしかっただろうが気にせず念話を続ける。どうせむこうにも、こちらが何をしているのかはバレバレなのだ。
(もともとこっちの世界の相続があいまいな点が問題なのじゃ。ふつうは親が生きているうちに、主だった領民などをあつめて、後継者を指名するのじゃ。そこでみんなに認められて、はじめて次代の支配者であることが確定する。けれど──)
(……トゥーヌル様はそのようなことはやっていませんね)
(というより、最初からディニッサに跡を継がせる気がなかった、とみたほうがいい。敵のほうが優勢な戦争にいくときですら、遺言も残していないのじゃから)
(ってことは、どうなるのー?)
(領地がだれのものになるかは、領民の気分で決まるのじゃ)
(気分……!?)
(子供がそのまま受け継ぐことも多いみたいじゃが、絶対ではない。『おまえには従えない』とその地方の領主や領民が言えばそれまでじゃ。というか、領内のほとんどがルオフィキシラル教徒じゃなかったら、間違いなく城以外全部なくなっていたはずじゃ)
(……。)
「話はすみましたか?」
「そなたは、わらわが父上の後継者であることを認めぬつもりか」
「さあ、どうでしょう……。しかし昔の事より、これからの事を考えたほうがよくはないでしょうか。お互いの発展につながる話だとよいですね」
口調は穏やかだし、いっけん前向きな発言に思える。しかし言っている内容は、横領した税を払う気はない。これからの友好関係なら考えてやる、だ。
(温厚との評判でしたが、高圧的ではないですか? 戦争も辞さない交渉のように思えるのですけど)
ユルテの言葉で、すこし気になったことがあったことを思い出した。
最初にザテナフは「代官に商人が騙される」と言っていた。あきらかに、昨日おこったばかりのヴァロッゾの件だ。
情報が早い。
だがそれ以上に、オレにはトクラの影が見えた気がした。あいつなら今のオレの窮状はわかっているだろう。もしそれがザテナフに伝わっているとしたら? 最初の挑発的な発言もうなずける。
ようは舐められているわけだ。
腹はたつが、武力に訴えるわけにはいかない。そのために30人もの魔族に出迎えさせたのだろうし。だからオレとしては、ザテナフとクノ・ヴェニスロにメリットを提示しなくてはならないのだ。
──ふつうの王と貴族の関係はこうだ。領地を持つ貴族が王に税を払う。かわりに王は、貴族の領地が戦に巻き込まれた時に守る。
……いまのオレたちにできるか? 絶対無理だ。クノ・ヴェニスロの戦力にすら勝てないというのに。しかしそうなると、彼らがディニッサの下につく利点があるだろうか……? ない、な。金を取られるというデメリットしかなさそうだ。
(姫様、私の浮遊島をクノ・ヴェニスロに落とす、と脅してはどうでしょう)
(ダメに決まってるじゃろ!)
実行不可能な脅しなど意味がない。いや、ユルテなら実行しそうな怖さがあるけれども……。ユルテの領地の大きさは知らないが、空から大質量が落ちてきたら、この街くらいは簡単に吹き飛ぶだろう。そんな虐殺を許可できるかよ。
ここにきてオレは諦めた。クノ・ヴェニスロをルオフィキシラル領に取り戻すのは無理だ。金だけせびって帰ろう。チンピラみたいな発想だけど、むこうもそのあたりを落とし所と考えているはずだ。
温厚なザテナフだ。トクラからこちらの情報が渡っているなら、いくらかの金を恵んでお引き取り願うという方針になっているだろう。あっちだって、オレたちが自暴自棄になって暴れるのは避けたいはずだからな。
「ザテナフ、9年間払っていなかった税をすべて払うがよい」
「それは貴殿が正式な後継者である、と証明されてからの事であろう」
「断るなら教会に命じて、ザテナフはわらわの敵だと信徒に伝えさせるのじゃ。そしてクノ・ヴェニスロを捨てて、わらわの領内に移住することも命じる」
「なに……?」
ザテナフがはじめて動揺したように見えた。
「わらわは父上と違い、ルオフィキシラル教徒を優遇しておる。なにせ収穫の1割を教会に寄付するという太っ腹ぶりじゃ。クノ・ヴェニスロにも信者は大勢おるな? 試してみるかの、そなたの人望とわらわへの信仰心、どちらが強いか」
ザテナフが黙りこんだ。
オレの行動でどのていどの影響が出るか計算しているのだろう。
脅してみたものの、オレにも成算はない。いままで集めたデータから考えると、貧しい地域の方が信仰心が篤い傾向がある。ヴァロッゾほどではないにしろ、クノ・ヴェニスロも豊かな街だ。神よりザテナフの統治を選ぶ可能性は高い。
「私の治める地より、あなたの──」
「わらわもただ金を出せと言うつもりはない。そなたが横領した税を返すというならば、わらわはそなたを代官ではなく、クノ・ヴェニスロの領主だと認めるつもりじゃ」
(姫様、よいのですか!?)
(現状でクノ・ヴェニスロを支配するのは無理じゃ。だから支配権を高値で売り払おう)
豊かな穀物地帯を失うことは、長期的にはかなりの損失だろう。けれど仕方がない。溺れる寸前に、明日の食事の心配をしても無意味なのだ。
さて。これでザテナフがこちらの要求を飲むかどうか。
もしオレが本当に信徒に布告をしたら、ザテナフにとっても大きな痛手になる。日本で言えば仏敵、ヨーロッパで言う破門だ。それはザテナフも避けたいだろう。オレは条件しだいで交渉が成立するとみている。
「……私を領主に、ですか」
「そうじゃ。トゥーヌルの世継ぎとしてではなく、ルオフィキシラル教の神として認定するのじゃ」
「領主認定と引き換えに金を払え。よかろう、それは認めよう。だが9年分の税とは法外な要求だ」
予想通りだ。オレも9年分もの税を一括で払ってもらえるとは思っていない。最初に1年分程度、そして残りを20年くらいかけて払ってもらう形になれば十分だろう。
「ふむ。それではそなたはどのくらいが適当だと思うのじゃ?」
「9年前よりはじめて、5年分の税をお支払いしましょう。大変な金額ですがなんとかいたします」
「それなら──」
(ダメ!)
5年分といえば、9年間の過半数だ。ザテナフが大分譲歩してくれた、と喜んで返事をしそうになったオレを、なぜかファロンが止めた。
(どうしたのじゃ?)
(わかんない。けど、なんかイヤなカンジがした。あいつニヤっとしたよー)
笑っただろうか。オレはザテナフの表情の変化に気づけなかった。けれど、ファロンがそう言うならそうなのだろう。もう一度考えてみよう。
……たしかに今の条件だと、残りの4年分は払われない。しかし5年分も一気にもらえるなら、そこは目をつぶってもいいと思う。長期契約にすると、ちゃんと履行されるか不安もあるし。
クノ・ヴェニスロは、6つの街道で6つの街とつながっている交通の要所だ。便利ではあるが、他から攻められる可能性も高い。
オレが簡単に支配を諦めたのには、この影響もある。手に入れても守り切るのに苦労するだろう。もちろんザテナフがやられる可能性もあるわけで、長期契約はあまり頼りにできない。
やっぱり今の条件をのむか……?
──声を出そうとした瞬間、唐突にザテナフの罠に気づいた。
あの羊野郎、やってくれる!
つまり「9年前よりはじめて」というのがダメなんだ。
オレはケネフェトに聞いた話を必死に思い出す。9年前は戦争の影響で税収が少なかった。その次の年は疫病、その次が地震、次が虫の大発生。
たしかに年という分け方だと過半数ではある。けれど、総額から考えるとかなり低い割合になってしまう。なにせまともな収穫があったのが5年前だけなのだ。
「……よく考えると半分以上の税を一括で払わせるのは、酷であったかもしれん。今年、去年、一昨年、その前と4年分でよいぞ」
オレにもわかるくらいザテナフの顔が歪んだ。
「……6年分。残りも30年かけて払うという条件ではいかがでしょうか」
「4年分じゃ。だがそうじゃな、かわりに優れた農具を贈ろう」
「農具ですか」「農具だと」
はじめて二つの頭が同時に喋った。聞いていた通りだ。ザテナフはかなり農業に関心があるようだ。
「そうじゃ。どんなものかは見てのお楽しみじゃが、農作業が劇的にかわるということを約束するのじゃ」
ザテナフは4つの目をつぶって、しばし沈思した。そして目をあけて微笑む。
「……今年の分はなんとか今日中にご用意しましょう。残りの3年分は収穫期がくるたびに払っていきます。それから、お互いの領地を侵さないという契約をかわしてください。この条件でどうでしょうか」
「うむ。それでよいのじゃ!」
* * * * *
会談のあと馬車で街を周回させられた。こんどは周りがよく見える、囲いのない馬車だ。同時に、オレがザテナフを領主に任命したこと、お互いの領地が友好関係を築いたことが人々に知らさせる。
街の人々は、領主の件にも友好の件にも大喜びしていた。ディニッサはこの街でも人気があり、どこにいっても歓声があがる。悪い気分ではないが、ザテナフにうまく利用されたな、と思わないでもない。
「1勝2敗というところかの……」
テパエは手に入れたが、ヴァロッゾでは負債をかかえこみ、クノ・ヴェニスロは放棄することになった。やり方しだいでもう少し良い展開もありえたのだろうが、オレの能力ではこのあたりが限界だった。
「元気出して。ディニッサ様、がんばってたよー」
「そうですね。できるかぎりのことはやったでしょう。私としては、すべて放り出して逃げたほうが良かったと思いますけど」
とにかく、これで旧領巡りは終わった。
あとは全力で戦争に備えるだけだ……!
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