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番外
102 ノラン1
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ノランは戸惑っていた。
使者としてクノ・ヴェニスロを訪れたのに、ザテナフの私室に案内されたからだ。
普通は大勢の魔族の前で、口上を告げるべきものではないのか。
(この男、私に好意を持っていたのか?)
ノランは、少し申し訳なく思った。
ノランの方は、ザテナフに対して特別な感慨は持っていなかったのだ。
ノランとザテナフは同じ王に仕えていた間柄とは言え、親しい関係ではなかった。
そもそも二人の立場がまるで違う。ノランは先王の親族のため、若いころから高い地位にいた。対してザテナフは地方の小役人から始め、徐々に重用されるようになった男だ。
またノランが武官で、ザテナフは文官。両者の接点はほとんどなかった。
それなのに、一対一で話し合う場を設けられたのだ。ノランの戸惑いは、ゆえなきことではない。
ザテナフは柔和な表情でノランを見ている。
交渉がうまくいくのでは、というノランの期待が高まった。
「率直に言おう。此度の戦で、我らの味方について欲しいのだ」
「ほう……。味方に……?」
ザテナフは意外そうに目を細める。
(戦争直前に使者が来たのだから、援軍の依頼だと思いつきそうなものだが。文官専門だったゆえ軍事に疎いのか?)
「その通り。ぜひとも協力してもらいたい」
「私としても先王には大恩があります。しかしこうも急な要請では、なかなか……。糧食や荷車の準備も必要ですし、他にも各方面への手当などありますし……」
ノランは少し呆れた。こちらが必要としているのは魔族の兵士だけだ。物資などは、当然こちらが用意するに決まっている。
「いや、すぐに動ける魔族を貸してくれればよいのだ。食料などはこちらで準備してある」
「なるほど、そちらの求めは理解しました。……ところで、例の約束についてはどうなったのでしょうか? 頼み事をする前に約束を果たすのが、礼儀だと思うのですが」
「や、約束……!?」
「先日ディニッサ様と交わした約束です。使者に来られたのですから、もちろんディニッサ様から伺っておられるのでしょう」
ノランは冷や汗をかいた。彼は約束のことなど何も聞いていないのだ。
(……ディニッサ様が連れ去られたのは、たしかクノ・ヴェニスロを訪れた日だったか? とすれば、その時に何かの契約を交わしたのか。いかん、どうすればよいのだ……!)
「ノラン殿、どうなされましたか。まさか約束について聞いていない、などということはないでしょう。約束を果たさず自分の要求だけを押し付けるような、そんな恥知らずなことをディニッサ様がするはずは、まさかないでしょう?」
ノランの焦燥感が高まる。このままでは援軍どころか、クノ・ヴェニスロ領まで敵にまわりかねない。
(……何も良い案が思い浮かばん。まさか私が、ここまで交渉事に無能だったとは!)
「す、すまぬ。じつは私は、その約束とやらについて何も知らないのだ」
「なんと! 本当に? ……どうやらディニッサ様は、私達を軽んじておられるようだ」
「い、いや、そういうわけでは──」
「……まあよろしい。では、一度城に戻って確認していただきましょう。ノラン殿の足なら、往復で数時間といったところでしょう。交渉はその時にあらためて行うという事で」
まるで悪意でもあるように、ザテナフの言葉は的確にノランの痛いところをついていく。
(戻って指示を仰げなどと言われても困る。城にはディニッサ様がいないのだ!)
ディニッサが城に戻ろうとしているのは確かだが、あとどれくらいかかるかわからないし、こちらから連絡する方法もない。
「じつは今、ディニッサ様が城にいないのだ」
「……なるほど。それでディニッサ様は、どこにおられるのです?」
「わからぬ」
「もしや領内におられない?」
「ああ」
「……なるほど。それならば、新しい領主を決めてから交渉に来られるとよいでしょう」
「……新しい領主? なんのことだ」
「ディニッサ様は、領地を捨ててしまったのでしょう?」
そこまで言われて、ようやくノランはお互いの認識がずれていることに気づいた。どうやらザテナフは、ディニッサが逃亡したと思っているらしい。まあ、これまでのディニッサの行動からして、そう思われても仕方のないことではある。
「誤解だ。ディニッサ様はさらわれたのだ」
「……え? すみません、ノラン殿。どうも聞き間違ったようです。もう一度おっしゃってくださいませんか」
「ディニッサ様はさらわれた」
「さ、さらわれた? 誰に? まさかアッフェリがそのような事を?」
ノランは、ディニッサが連れ去られた経緯を説明した。
フィアが氷の魔王の末娘であること。氷の魔王の一族は、フィアが戦争に巻き込まれるのを恐れていること。フィアを連れ戻すついでに、ディニッサがさらわれたということ。
「くっ、くっくっく」
真剣に話を聞いていたザテナフだが、ノランの話が終わるのを待たず、こらえきれないというように笑いだした。これまで話をしていた羊頭だけでなく、黙りこくっていた牛頭の方も大笑いしている。
「笑い事ではないのだが」
「くっ、これは失礼しました。しかし、くく、さらわれた? 領主が? ディ、ディニッサ様のなされることは、ことごとく私達の想像を越えてくる」
半笑いのザテナフにどう対処すればよいのか、ノランは戸惑った。
もしかしたら、正直にすべてを話したのは失敗だったのだろうか。
「ディニッサ様は、領地に戻ってくるのですね?」
「ああ、使者の話では、戦争には間に合いそうだ」
「よろしい。対ジヌーロ戦だけなら協力しましょう」
「よ、よいのか? 約束は?」
ザテナフの笑みが深くなった。首を傾げる。
「約束? なんの話でしょうか」
「いや、さっきまで約束を果たさなければと──」
そこで唐突にノランは閃いた。
「まさか、嘘だったのか! しかしどうしてそんな嘘を?」
「約束などという話題が出ましたか?」
羊頭が牛頭に問いかける。牛頭は首を振った。
「そんな話はなかったな。ノランは夢でも見ていたのだろう」
「そんなバカな!」
ザテナフがもう一度笑った。
「ディニッサ様の不在を疑っていたとしたら、そういう話をすれば、事実を確認できるのではないでしょうか。まあ私は約束などとは口にしていませんが」
「忠告しておくぞノラン。おまえは二度と交渉の責任者になるな。国家の大事を軽々語るなど、考えられん愚行だ」
「……グッ」
ノランは言葉に詰まった。彼自身、あまりよい話の進め方ではなかったと、薄々感じていたのだ。
「とはいえ、今回はノラン殿の率直さが功を奏したようですよ」
「フン。我らが力を貸す以上ジヌーロには勝つ。せいぜいアッフェリどもにしてやられないようにすることだな」
使者としてクノ・ヴェニスロを訪れたのに、ザテナフの私室に案内されたからだ。
普通は大勢の魔族の前で、口上を告げるべきものではないのか。
(この男、私に好意を持っていたのか?)
ノランは、少し申し訳なく思った。
ノランの方は、ザテナフに対して特別な感慨は持っていなかったのだ。
ノランとザテナフは同じ王に仕えていた間柄とは言え、親しい関係ではなかった。
そもそも二人の立場がまるで違う。ノランは先王の親族のため、若いころから高い地位にいた。対してザテナフは地方の小役人から始め、徐々に重用されるようになった男だ。
またノランが武官で、ザテナフは文官。両者の接点はほとんどなかった。
それなのに、一対一で話し合う場を設けられたのだ。ノランの戸惑いは、ゆえなきことではない。
ザテナフは柔和な表情でノランを見ている。
交渉がうまくいくのでは、というノランの期待が高まった。
「率直に言おう。此度の戦で、我らの味方について欲しいのだ」
「ほう……。味方に……?」
ザテナフは意外そうに目を細める。
(戦争直前に使者が来たのだから、援軍の依頼だと思いつきそうなものだが。文官専門だったゆえ軍事に疎いのか?)
「その通り。ぜひとも協力してもらいたい」
「私としても先王には大恩があります。しかしこうも急な要請では、なかなか……。糧食や荷車の準備も必要ですし、他にも各方面への手当などありますし……」
ノランは少し呆れた。こちらが必要としているのは魔族の兵士だけだ。物資などは、当然こちらが用意するに決まっている。
「いや、すぐに動ける魔族を貸してくれればよいのだ。食料などはこちらで準備してある」
「なるほど、そちらの求めは理解しました。……ところで、例の約束についてはどうなったのでしょうか? 頼み事をする前に約束を果たすのが、礼儀だと思うのですが」
「や、約束……!?」
「先日ディニッサ様と交わした約束です。使者に来られたのですから、もちろんディニッサ様から伺っておられるのでしょう」
ノランは冷や汗をかいた。彼は約束のことなど何も聞いていないのだ。
(……ディニッサ様が連れ去られたのは、たしかクノ・ヴェニスロを訪れた日だったか? とすれば、その時に何かの契約を交わしたのか。いかん、どうすればよいのだ……!)
「ノラン殿、どうなされましたか。まさか約束について聞いていない、などということはないでしょう。約束を果たさず自分の要求だけを押し付けるような、そんな恥知らずなことをディニッサ様がするはずは、まさかないでしょう?」
ノランの焦燥感が高まる。このままでは援軍どころか、クノ・ヴェニスロ領まで敵にまわりかねない。
(……何も良い案が思い浮かばん。まさか私が、ここまで交渉事に無能だったとは!)
「す、すまぬ。じつは私は、その約束とやらについて何も知らないのだ」
「なんと! 本当に? ……どうやらディニッサ様は、私達を軽んじておられるようだ」
「い、いや、そういうわけでは──」
「……まあよろしい。では、一度城に戻って確認していただきましょう。ノラン殿の足なら、往復で数時間といったところでしょう。交渉はその時にあらためて行うという事で」
まるで悪意でもあるように、ザテナフの言葉は的確にノランの痛いところをついていく。
(戻って指示を仰げなどと言われても困る。城にはディニッサ様がいないのだ!)
ディニッサが城に戻ろうとしているのは確かだが、あとどれくらいかかるかわからないし、こちらから連絡する方法もない。
「じつは今、ディニッサ様が城にいないのだ」
「……なるほど。それでディニッサ様は、どこにおられるのです?」
「わからぬ」
「もしや領内におられない?」
「ああ」
「……なるほど。それならば、新しい領主を決めてから交渉に来られるとよいでしょう」
「……新しい領主? なんのことだ」
「ディニッサ様は、領地を捨ててしまったのでしょう?」
そこまで言われて、ようやくノランはお互いの認識がずれていることに気づいた。どうやらザテナフは、ディニッサが逃亡したと思っているらしい。まあ、これまでのディニッサの行動からして、そう思われても仕方のないことではある。
「誤解だ。ディニッサ様はさらわれたのだ」
「……え? すみません、ノラン殿。どうも聞き間違ったようです。もう一度おっしゃってくださいませんか」
「ディニッサ様はさらわれた」
「さ、さらわれた? 誰に? まさかアッフェリがそのような事を?」
ノランは、ディニッサが連れ去られた経緯を説明した。
フィアが氷の魔王の末娘であること。氷の魔王の一族は、フィアが戦争に巻き込まれるのを恐れていること。フィアを連れ戻すついでに、ディニッサがさらわれたということ。
「くっ、くっくっく」
真剣に話を聞いていたザテナフだが、ノランの話が終わるのを待たず、こらえきれないというように笑いだした。これまで話をしていた羊頭だけでなく、黙りこくっていた牛頭の方も大笑いしている。
「笑い事ではないのだが」
「くっ、これは失礼しました。しかし、くく、さらわれた? 領主が? ディ、ディニッサ様のなされることは、ことごとく私達の想像を越えてくる」
半笑いのザテナフにどう対処すればよいのか、ノランは戸惑った。
もしかしたら、正直にすべてを話したのは失敗だったのだろうか。
「ディニッサ様は、領地に戻ってくるのですね?」
「ああ、使者の話では、戦争には間に合いそうだ」
「よろしい。対ジヌーロ戦だけなら協力しましょう」
「よ、よいのか? 約束は?」
ザテナフの笑みが深くなった。首を傾げる。
「約束? なんの話でしょうか」
「いや、さっきまで約束を果たさなければと──」
そこで唐突にノランは閃いた。
「まさか、嘘だったのか! しかしどうしてそんな嘘を?」
「約束などという話題が出ましたか?」
羊頭が牛頭に問いかける。牛頭は首を振った。
「そんな話はなかったな。ノランは夢でも見ていたのだろう」
「そんなバカな!」
ザテナフがもう一度笑った。
「ディニッサ様の不在を疑っていたとしたら、そういう話をすれば、事実を確認できるのではないでしょうか。まあ私は約束などとは口にしていませんが」
「忠告しておくぞノラン。おまえは二度と交渉の責任者になるな。国家の大事を軽々語るなど、考えられん愚行だ」
「……グッ」
ノランは言葉に詰まった。彼自身、あまりよい話の進め方ではなかったと、薄々感じていたのだ。
「とはいえ、今回はノラン殿の率直さが功を奏したようですよ」
「フン。我らが力を貸す以上ジヌーロには勝つ。せいぜいアッフェリどもにしてやられないようにすることだな」
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