上 下
48 / 148
第2章 お城の外へ。常識を知る

魔狼フェンリル

しおりを挟む
 森から、巨大な狼があらわれた。
 元の色がわからないほど、その体は血で赤く染まっている。

 ファロンたちと戦闘になったことは間違いない。
 だが、討伐隊の姿はなかった。コイツを逃がしてしまったのか、それとも……。

 と、フェンリルに向かって駆け寄る姿があった。
 クナーだ。フェンリルを見つけた瞬間に、戦闘態勢に入ったらしい。

 たった一人で、小山のような怪物に挑むのは無謀に思える。
 だがクナーとしては、自分を犠牲にしてでも、みんなが逃げる時間を稼ぐつもりなのだろう……。

 ……ふと、おかしなことに気づいた。
 フェンリルが、戸惑うようにその場を動かないのだ。あるいは、すでに身動きもままならないほどのダメージを負っているのかもしれない。

 オレが見ている間にもクナーは走る。
 目の前に敵があらわれて、フェンリルも覚悟を決めたようだ。
 唸り声をあげながらクナーに突進する。

 ──いや待て、オレはなにをぼうっと見ているんだ……!
 ようやく我に返った。こうしている暇はない。逃げるか戦うか、すぐに決めて行動にうつさなくてはならない。

 どちらを選ぶにせよ、まずは強化魔法をかける必要がある。

『オーラブースト10分!』

 あらかじめ決めておいた呪文を唱えた。

 この世界の魔法に呪文は必要ない。
 しかし、このように合言葉を決めておくと、スムーズに魔法を発動できるのだ。

 しかも、あらかじめ練習しておくことで、複数の魔法を同時起動することも可能だ。「オーラブースト」では、筋力や反射神経など、6つの強化魔法を同時に発動させている。

 フェンリルの突進を見て、クナーが立ち止まる。
 突然、フェンリルの体が切り裂かれた。肩のあたりから血が吹き出す。

 クナーが、風の魔法で斬りつけたのだろうか?
 だが肩の傷は、瞬く間に消え失せた。フェンリルは一瞬も動きを止めず、そのままクナーに跳びかかりる。

 オレは、右ナナメ前方に向かって走りだした。
 ここでオレだけ逃げるのはダメだろう。フェンリルのケガが重いなら、協力すれば倒せるかもしれないのだ。

 ただし、まっすぐは突っ込まない。
 接近戦に割り込むと、クナーの足手まといになるかもしれない。

 ──一秒。
 おそろしい速度で景色が後方に流れる。あまりの速さにバランスが崩れ、うまく走れない。クソっ、平衡感覚強化も入れておくべきだった。

 フェンリルの爪がクナーにかすった。クナーの足から血が吹き出す。

 ──二秒。
 クナーと正対しているフェンリルのナナメ45度の位置までたどり着いた。
 クナーに誤射しないために、できればフェンリルの真横までいきたいが……。

 フェンリルの爪を避けたクナーに、無数の石つぶてが降りかかる。
 あのバケモノ、土系の魔法を使えるのか!

 石つぶてのダメージはともかく、魔法のせいでクナーはバランスを崩した。
 そうして、フェンリルの噛みつきを避けそこねる。クナーの左肩から先の腕は、そっくり魔狼の口に飲み込まれていた。

 クナーの出血もすぐに止まった。けれども、左腕が再生していない。
 なんだ、クナーの治療が遅い?

 魔族なら、誰でも自己強化・自己治療は可能だ。
 腕一本は、ふつうの人間には重傷だが、魔族にとってはそうじゃない。ユルテに瀕死にされたオレが蘇ったように、簡単に治療できるはずなのだ。

 ……そうだ。ノランが気になることを言っていた。
 「クナーは、前の戦いの傷が癒えていない」と。

 じっさいのところ、クナーにケガの痕など微塵もなかったのに、だ。
 ということは、最初の時のオレのように、魔法で仮の治療がなされているだけなのだろう。ほとんどの魔族は、魔法効果を永続化できないのだから。

 そして、そのことが戦えない理由になるのだから、一つの推論が浮かび上がる。
 おそらく、治癒魔法は重ねがけが難しいのだ。仮治療状態で、さらに魔法をかけると失敗したり、魔力を大量に消費したりするのだろう。

 ダメだ、ベストポジションを選んでいる暇はない。
 モタモタしていると、クナーが危ない。

『ボロンランス1秒!』

 右手に大きな槍が生まれた。原子番号5番、ホウ素からなる投げ槍だ。

 ホウ素は硬い。しかもたった一種類の元素でできているため、ボロンランスは少ない魔力で生み出せる。脆いので防御には適さないだろうが、使い捨ての攻撃手段としては申し分ない。

 ホウ素の槍を、強化した体で力の限りに投げつけた。
 空気を切り裂く音が聞こえ、ほぼ同時に槍がフェンリルの胴体を貫通した。
 クナーに食らいついていたフェンリルの動きが止まる。

 フェンリルの腹に空いた穴は、すぐに塞がってしまった。残ったのは飛び散った血だけ。残念ながら、敵にはまだ余裕がありそうだった。

「なに、やって、いますの、はやくお逃げなさい……!」

 聴力も強化されているせいで、うめくようなクナーの声が聞こえてしまった。

 だがその言葉には従えない。オレはすでに二本目の槍を放っていた。
 今度はフェンリルもかわそうとしたが、避けそこねて右足に命中する。

 一声吠えると、フェンリルはオレに向かって走りだした。
 右足はまだ治っていない。

 どうしてだろう、治療速度に差がある?

 さらに槍を作り出して投げつける。今度は肩を突き抜けたが、すぐに再生してしまった。そのころには、フェンリルの右足も完治している。

 足が治ったフェンリルが、凄まじい速さで迫ってくる。
 オレは、フェンリルから離れるように走りだした。

 とりあえず、ヤツを村から引き離そう。
 そうすれば、クナーも村人も安全になる。

 ──一瞬、ユルテが真っ赤になってオレを怒る姿が思い浮かんだ。

 ああ、帰ったら、いくらでも叱られやるさ。だから、なんとか無事にかえらなくちゃな……!
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

処理中です...