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第1章 異世界へ。現状を知る

陽菜の選択

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 陽菜は風呂場で固まっていた。
 ディニッサが、服を脱がしてくれ、などという無理難題を言ってきたためだ。

 狭い部屋に二人で暮らしているのだ。兄の下着姿や、裸に近いものを見てしまうことは、たしかにあった。だが自分で脱がして見るということになると、それとはまるでべつの問題だろう。

「ムリ! いくら兄妹でも、男の人の服なんて脱がせられないよ」
「え~。それじゃ、わらわは生涯この服で暮らすことになるのか……」

 ディニッサが、がっくりとうなだれた。自分でなんとかする気はないらしい。
 下着姿までなら、やってあげるか? そう思いながらも陽菜がためらっているとディニッサが、ぽんと手を打った。そして満面の笑みを浮かべる。
 
「いい手を考えた! 男の服は脱がせないのじゃな? ならば、わらわが──」

 ディニッサの体が霧のようなものに包まれる。

「わらわが女になれば良いだけのこと」

 霧が晴れると、そこにはぶかぶかの服を着た、銀髪の美少女が立っていた。

「……もう魔力がないって言ってなかった?」
「大魔法を使うほどはない、と言ったのじゃ。この程度の魔法ならぞうさもない」

「さあ! 脱がすがよいぞ」

 ディニッサは、ドヤ顔で両手を広げた。

 くやしいけど、めちゃくちゃ可愛いな。ネクタイをほどきながら陽菜は思う。
 なにかをやり遂げたかのような誇らしげな表情と、ぶかぶかの服の対比がさらに愛らしさを強調していた。メイドたちが甘やかしてしまうのもわかる。

 服をすべて脱がしてもらったあとも、ディニッサはその場から動かなかった。
 いいかげん、次の展開が予想できるようになった陽菜は先に口をひらいた。

「だれがわらわの体を洗うのじゃ。ってこと?」
「うむ。はやく陽菜も服を脱ぐのじゃ」

「わかった。着替えもってくるから、中でまってて」

 あきらめ顔で陽菜は同意した。兄の姿ならともかく、今は小学生くらいの女の子だ。親戚の子をお風呂に入れてあげると思えば、たいしたことではないだろう。


 * * * * *


「手伝ってあげるのは今日だけだからね! ちゃんとおぼえてよ」

 ディニッサの髪を洗いながら、陽菜は言う。

 世話自体はべつにかまわないけれど、と陽菜は考える。
 けれど、ワンルームマンションのユニットバスは、二人で入るには狭い。

 それに、お風呂でくらいはノンビリしたいものだ。
 これからしばらくは、このお姫様につきあわされると思えばなおさらである。

 風呂に入っている間、ディニッサは陽菜の指示に素直に従った。手を上げてといえば上げるし、座ってと言えば座る。そういう意味では手間のかからない子ではあった。素直な代わりに、ほとんどの行動を自発的にはやらないのだが。

「……ねえ、二人で中入ると狭くない? 先にディニッサが入って、私を待たないで上がっちゃいなよ」

「そなたがいなければ、だれがわらわの服を着──」

「あーはいはい、わかりました。いっしょに入ろ。──って、なんで私の上に座るの!?」

「これが普通じゃろ? それに別れて入ったら足も伸ばせんじゃろ」

 水中であるためそれほど重くはない。
 しかし、人を乗せて風呂に入るのは奇妙な体験だった。

 そこでひとつ陽菜は気づいた。
 兄もあのあと、金髪の人に乗せられてお風呂につかったのではないか。
 きっと、ニヤニヤとだらしない顔をしていたのだろう。いやらしい。

「む~。陽菜はおっぱいちっちゃいのう」
「ハァ!? なに言っちゃってんの、私はこれからだから、成長期だから!」

 ちなみに陽菜は14歳である。

「まだまだイケるから!」

「あー、すまぬ。怒らせる気はなかったのじゃ。わらわはおっぱいのポヨポヨとした感触が好きでの。ちょっと残念だっただけじゃ」

 ……それからはあまり会話もないまま、いつもよりはやめに風呂をあがった。


 * * * * *


「ちょっとどういうこと!?」

 寝室に陽菜の悲鳴が響き渡る。
 陽菜の前にはディニッサがいた。
 ……兄の姿に戻ったディニッサが。

「魔法が切れたようじゃな」
「すぐに戻って!」

 強い口調で陽菜が言う。

 これには理由があった。
 風呂から上がったあと、陽菜は自分の服をディニッサに着せていた。
 それも、できるだけ小さめのものを選んで。

 ディニッサは子供になっていたのだから、サイズがまるで合わない兄の服を着せるわけにはいかなかったのだ。

 その結果、陽菜の前にはパツンパツンの女物を着る兄の姿があった。
 端的に言っておぞましい。下着がどうなっているかなど、想像もしたくない。

「そうは言っても魔力がなあ……」

 ディニッサは用意してあった布団に潜り込んだ。

「あと一回くらいいけるでしょ! すぐ着替えさせちゃうから」

 陽菜も必死だった。好きだからこそ許せないこともある。
 兄が──下着までセットで──自分の服を着ているというのは、我慢できることではない。

「そなたがどうしても、と言うならそうしてもよい。じゃが、その前にわらわの話を聞け」

「……なに」

「とりあえず、添い寝してくれんかの。一人で布団にいると落ち着かないのじゃ」
「するわけないでしょ!」

「ふう……。残念じゃ」落ち込みながらもディニッサは話を続けた。「わらわは寝る時に魔法を使おうと思っておる。そのためには、これ以上魔力を使うわけにはいかぬ」

「いま大事なのは──」

「使うのは、そなたの兄と言葉をかわす魔法じゃ。そなたの兄は、そなたと違い、なんの情報もなく異世界に放り込まれた。定めし苦労していることじゃろう」

「あ……」

「質問があるなら答えてやりたいし、謝罪もしたい。じゃが、そなたがどうしてもと言うのなら、あきらめてへんげの魔法を使ってもよい」

 陽菜はなにも言えなくなってしまった。兄は自分のせいで大変なことに巻き込まれてしまったのだ。兄のためを思うなら、ディニッサに従うべきだ。
 
「ちなみに魔法を使う場合は、そなたには添い寝してもらう。そなたらの絆を頼りにせねば、成功がおぼつかぬからの。腕枕なら、さらによいな」

 陽菜は恐れおののいた。

「さあ、選ぶがよい。わらわはそなたの言葉を受け入れよう」

 究極の選択だった。

 一つは、ディニッサを着替えさせ、心の平穏を保つ道。
 ただし、兄を苦境に立たせることになるかもしれない。

 もう一つは、女装した兄と同じ布団で寝る道。
 最低最悪な思い出になることは間違いない。

 そして、陽菜が選んだのは──
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