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六章 星詠みの杖の優美なる日常

第176話 星詠みの杖の華麗なる尋問

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 その異変を、0号は見逃がさなかった。

「――相棒?」

 一瞬。
 しかし、確かに己の半身とも言える契約者が死んだのだ。

 魔力の供給が停止し、再開するまでに一秒もかからなかったがそれは確かな異変だった。

「天使の毒が想像以上に体を蝕んでいるのか……? 行くときに処置はしたから、死んでも十秒あれば蘇生されるとは思うが……」

 天使のウイルスは、この世界のどこにも存在しない未知の物質と原理で構成されている。
 便宜上ウイルスと呼ばれているだけのそれは、どちらかと言えば呪いに近い。

 その毒を受けたケイが一度や二度死ぬことは、0号にとっては想定の範囲内だった。
 既に彼女が死なないようにいくつもの細工を仕掛けており、万全の対策をしたと言えるだろう。

 そう、何も心配することは無い。
 後は、天使を殺せばいいだけだ。

「――だと、言うのに」

 0号は首を傾げる。
 その瞬間、背後から迫っていた弾丸が、髪を数本焼き切って通り過ぎていった。

 0号はゆっくりと振り返る。
 
 朝日が照らす彼女の顔は、美しい筈なのにどこか歪んで見えた。

 とあるビルの三階。
 学園都市に存在する無数の裏組織の一つ。

 銀の黄昏程ではなくとも、理事会に警戒されるだけの勢力を誇っていた筈のその組織は既に崩壊していた。

「な、なんだお前……! 理事会の犬か!?」

 銃を構える男を見て、0号は興味なさげに思考に耽る。
 足元に転がった死体を踏み越えて生き残った男に近づきながらも、その眼は男を見ていない。

「対策は万全だった。演算も完璧だった。どうせあの子の事だから、看病されることも分かっていた。全部、分かっていた」
「な、何を言っている」

 0号は答えない。
 この問答は自己で完結しているからだ。

「――だというのにッ!」

 制御を忘れた感情が魔力と共に溢れ出す。
 都市の中心部であってはならない魔力の量と質。

 それを前にして、男はようやく思い出した。
 それが何と呼ばれているのかを。

「お、お前がソルシエラ……!」

 男は聞いたことがあった。組織間で噂になっている銀色の死神の名を。

 Sランクでありながら、どこにも属さない孤高の存在。
 個人で銀の黄昏と敵対し、博士すらも殺してみせた驚異的な能力。
 噂によれば、プロフェッサーの死や、学者の失踪にも関わっているらしい。
 
 それは組織にしてみればあまりにも都合の悪い存在であった。
 が、どれだけ消そうとしても、存在はおろか影すら掴めない。

 まるで星を掴むが如き無謀。
 幻と言われれば納得してしまいそうな存在が、目の前にいるのだ。

「私はねぇ、驚いているんだ」

 0号は男の言葉には答えない。
 ただ鎌を引き摺りながらゆっくりと近づいていく。

「自分が感情というものに振り回される時が来るなんて思ってもみなかった。まさか、相棒が死んだときに動揺してしまうとは。憤りを覚えるとは……なによりも、悲しんでしまうとは……ッ!」
「ひぃっ!? 来るなぁ!」

 何度も引金が引かれる。
 特殊なルートから仕入れたジルニアス学術院製の銃弾は、本来であればCランク相当のダンジョン主すら倒せる。

 が、0号の前ではそれは意味をなさなかった。

「あの子が死んだとき、後悔があった……! このまま蘇らなければどうなるのかと不安があった。そんな事はあり得ないと解が出ていたというのにッ! ああっ、今すぐにでも帰ってやりたい。抱きしめて、めいっぱい愛を伝えたい。次の瞬間には死んでいるかもしれないんだ! 私はこの愛を証明したいッ!」
「な、なななんだよ、お前っ」
「……けどねぇ。私にはやらなければならない事があるからね。こればっかりは妹達には任せることはできないんだ。わかるよね」

 この時、初めて男は0号と目が合った。
 美しい瞳は、まるで吸い込まれそうなほどに深く、それが闇であることに気が付くのに時間はかからなかった。

 目の前の少女は狂気に満ちている。
 男はそれを理解したが、既に何も出来ることは無い。

 数百名いた構成員は皆殺しにされ、「邪魔だから」という理由で全員が分解され壁か床に張り付くオブジェになった。
 組織の長ですら、興味なさげに地面に転がされている。
 その胴は、半分に分かたれていた。

「私は、この手で天使を殺さなければ気が収まらない。どうやら思った以上に怒っているようだ。ははは、これが怒りか……中々に興味深い」

 そう言って0号は鎖を生み出した。
 男が避ける間もなく首に鎖が巻き付き、上へと吊るされる。

「ぁがっ」
「では、情報収集だ。大人しくしたまえ。でなければ、無残に死ぬぞ」

 整った顔で、甘美な声で、しかし0号は死を提示する。
 男は、縋るように何度も体を揺らして答えた。

「ははは、それでは天使に関する情報を貰おうか」

 男は答えようと口を開く。
 が、絞まった喉が声を発することを許さない。

「ぎぃっは、ああ」

 必死に言葉を紡ごうとする男を見て、0号は見下す様な視線と共に手を伸ばす。
 そして、その額に指先を当てた。

「っ!?」

 瞬間、男はまるで脳髄に火花が散ったかのような感覚に陥った。
 同時に、誰かに全てを覗かれている様な妙な感覚を覚える。

 それが間違いではなかったと理解したその時には男の脳は焼き切れていた。

「――成程。おおよそ把握した。人と手を組むか。天使も随分と俗物に堕ちたようだねぇ」

 脳が死んだ男を一瞥した0号は、鎖を消失させる。

 地面に堕ちた男の死骸が鈍い音を立てたが、0号の耳には入っていなかった。
 それは、愛すべき少女の知り合いでもなければ美少女でもないのだから。

「さて、情報を元に探そうねぇ。私がまだ理性的であるうちに」

 見惚れてしまう笑みを浮かべながら、0号はその場から消え失せた。


 




 同時刻、照上ミズヒはタタリと共に任務を遂行――していなかった。

「……まだ食べるのか?」
「はい、食べたらお腹が減ったのでー」

 ニコニコしながらそう答えるタタリ。
 彼女の影は、無数の蛇のように分かれてそれぞれが別の食べ物を持っていた。

「唐揚げにとんかつに揚げ餃子……ふふふ、今日は揚げ物が多いですねー。おひとつどうですか?」
「いや、私は遠慮しておく。見ているだけでお腹がいっぱいだ」
「小食なんですねー」
「人並だと思うが……」

 天使の捜索に街に繰り出した二人だったが、順調とは言えない滑り出しだった。
 理由は勿論、隣の食いしん坊である。

「登校時間だから、生徒の中の発狂者と会える可能性も高い。だったよな?」
「はいー。突発的に発狂するらしいので。出来るだけ人の多い場所に行きたかったんですー」
「そこまでは理解できる。だから、中央都市の人混みの中を探していたんだ。が……お前を見ていると朝食を食べたかっただけに見えるのだが」
「そうですかねー?」

 首を傾げるタタリ。

 その時、彼女へと声が掛かった。

「あの!」
「ん? 私に何かようですかー?」

 声を掛けてきたのは、一人の女子生徒であった。
 女子生徒は、興奮した様子でタタリに話しかける。

「た、タタリ様ですよね!? わ、私大ファンです! そ、その良かったらこれ食べてください!」
「わぁっ、いいんですかー!」

 差し出された菓子パンを、タタリは満面の笑みで受け取る。

 それから、すぐに封を切り食べ始めた。
 食べ始めた二秒後、無くなっていた。

「何度見ても早すぎて納得ができない……」

 首を傾げるミズヒの傍で、タタリは手を合わせて女子生徒に礼をする。

「美味しかったですー。ありがとうございますー」
「は、はい! お仕事、頑張ってくださいっ!」
「ふふふ、頑張っちゃいますよー。……ああ、お礼もしないといけないですねー」

 そう言うと、タタリの足元にいた影の一つが浮き上がり、女子生徒の前に現れた。

「え?」

 突然の事に女子生徒が困惑の声を上げる。
 そして、タタリに問い掛けようとした次の瞬間。

「いただきまーす」

 影は女子生徒を飲み込んだ。
 それは蛇が獲物を丸呑みにしているかのようで、ミズヒは慌ててタタリに言う。

「おい! 何してるんだ! ファンを食べちゃ駄目だろ!」
「大丈夫ですよー。流石の私も生きた人間はあんまり食べないですってー」
「私を食おうとしたのを忘れたのか……?」

 ミズヒの言葉に笑顔だけで答えたタタリ。
 彼女に使役された影は、女子生徒を丸呑みにしていたが十秒もせずに女子生徒を吐き出した。

「きゃっ」
「おっと、大丈夫ですかー?」
「は、はい……」

 吐き出された女子生徒を抱き止めたタタリは、満足げに頷き女子生徒から離れる。
 ミズヒはすぐに女子生徒に駆け寄った。

「大丈夫か!? 怪我などあればすぐに私が焼却するぞ」
「――ちゃった」
「え?」
「私、初めてタタリ様に食べられちゃったー!」
「……ん?」

 少女の叫びを聞いて、ミズヒは首を傾げる。

「タタリ様を推して五年……まさかこんな日が来るなんてー! あ、好き……」

 そう言ってぺたんとその場に座り込む女子生徒。
 ミズヒはそれを見て気が付いた。

「これが、限界化……」

 ケイにより授かった知識である。

「体の不調は治りましたかー?」
「はい、ありがとうございました!」

 タタリと女子生徒の会話に、ミズヒは首を傾げる。
 それに気が付いたタタリはニッコリ笑って答えた。

「私、ダンジョン由来の呪いや病気も食べられるんですよー。だから、たまに食べてあげてるんです。ねー?」
「はい! ……でもおかしいな、ダンジョンに最近は潜ってないのに」

 首を傾げる女子生徒を見て、タタリはニコニコとしたまま立ち上がった。

「さて、行きましょうかー」

 座りこんだ女子生徒を放って、タタリは歩き出す。
 ミズヒはその後を慌てて追った。

「あのままでいいのか? まだ少し呆け気味だったが」
「食べて上げると、ああなる子がいるんですよー」
「結構頻繁に食べてるのか……」

 ミズヒの言葉に、タタリは首肯する。

「美味しいですよー? 今度一緒にどうですかー?」
「遠慮しておく」
「そうですかー残念です」

 そう言いながら、タタリは影が購入してきたたこ焼きを食べ始めた。
 が、その脚は食べている間も止まることはない。

「どこに向かっているんだ」
「天使の所ですー」
「場所がわかったのか!?」

 ミズヒの言葉にタタリはたこ焼きを一つ口に放り込んで頷く。

「いつの間に。……長い朝食だとばかり思いこんでいた」
「ふふふー、きちんと天使に感染した子を探してたんですよー。理事会の持っていたスマホは時間が経って味が落ちてましたからね。もっと新鮮で、瑞々しい手掛かりが欲しくて」
「手掛かりに瑞々しいとかあるのか……成程」

 ミズヒの中にまた一つ間違った知識がインプットされた。

「あの子はあと少しで発狂していたでしょうねー。だからこそ、熟して美味しかったですー。感染者の食べ頃はあの時期なんですね、学びですよー」

 そう言ってタタリは今度はたい焼きを食べる。

「私の鼻は、美味しい匂いに敏感ですからー」

 それは、通常の人間には備わっていないタタリのみに備わっている特殊な感知機能であった。
 捕食した対象の痕跡や匂いを辿るその能力は、彼女の異能の副産物である。

 匂い、と形容されてはいるが本質は魔力感知に近い。
 デモンズギアにこそ劣るが、その感知能力はSランクの中でもずば抜けたものであった。

「ふふふ、ようやく天使を食べれそうですねー」
「いや、食べずに回収するように言われているだろ。駄目だぞ食べちゃ」
「……六波羅みたいな真面目ちゃんですかー?」

 タタリは不満そうに口を膨らませる。
 それを見たミズヒは、少し悩んだ後に言った。

「丸ごと食べるのは駄目だ。食べるにしても、端っこだけにしろ」
「融通が効くんですねー。好きですー」

 再び笑顔になったタタリを見て、ミズヒは理解する。

(成程。扱い方はだいたいトアと一緒か)

 そんな訳はないのだが、ミズヒは一人で納得していた。
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