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三章 閃きジーニアス

第109話 追想ジーニアス

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 長い夢を見ていた気がする。
 水底に揺蕩うような心地の良い夢。

 死んだ家族が蘇って、嫌なことが全てなかった事になって。
 これからはずっと楽しい事だけが続く。

 そんな夢を、いつまでも見ていたかった。

 天井を呆然と眺めながら、カノンは自分がいつの間にか夢から覚めていたことに気が付いた。

「……ユメちゃんのために、実験しなきゃ」

 ふらふらと立ち上がって、カノンは歩き出す。
 再び夢を見るために。

 しかし、それは現実へと釘付けにするように現れた。

「お姉ちゃん」

 名を呼ばれ、振り返る。
 ラボの入り口に見覚えのある顔があった。

 愛らしい妹と同じ顔で、しかし違う生き物。
 それでもカノンは姉として笑みを浮かべる。

「……あれ、どうしたのかな。ミユメちゃんここは来ちゃだめだよ」

 ミユメは、真っすぐな眼でカノンを見る。
 とても不愉快な眼をしていた。

「お姉ちゃんを止めに来たっす」
「そっか。じゃあ――きっと貴女も失敗作なんだね」

 夢の世界に不愉快なものはいらない。
 雑音も、敵も、悲劇も必要ない。

 カノンの世界は、幸せで溢れているべきなのだ。

「今からでも遅くないはずっす。私も一緒に罪を償う。だから――」
「え、何を言っているの?」

 カノンは首を傾げる。
 それだけ、ミユメの言葉は意味が分からなかった。
 なぜならば。

「私の罪って何? 何か、悪いことしたのかな?」

 家族との日常の夢想は、罪を背負う程の事だろうか。
 カノンにとって、これはもはや善行に近い。

 家族の為の、無償の愛。
 カノンは自分の事を妹を愛する姉と定義していた。

「悪いことしてないのに、償うも何もなくないかな? ミユメちゃんの言っている事、わからないな」
「……そうっすか。やっぱり、もう壊れていたんすね」
「嫌だなぁ。最近、皆そればっかり。壊れているのはこの世界の方だよ。私からユメちゃんを奪った出来損ないの世界。きっと作り上げた神は、頭が悪いんだろうね」

 やれやれと首を振ると、カノンはそのままモニターの前まで歩きコンソールを操作し始める。
 くだらないやり取りに時間を費やす暇があるならば、一分一秒でも早く愛する妹を蘇らせるべきなのだ。

「アレは失敗したけど……肉体の方はほぼ期待通り。うん。次は前提となる記憶の刷り込みから――」

 ブツブツと呟きながら深夢計画の新たな個体を生み出すプランを練り始めたカノンの真横を何かが横切る。
 それは見たことのない真っ白な等分された死だった。

 等分された死は、モニターにぶつかると小さな爆発を起こしてモニターを破壊する。
 割れたモニターを見て、それからカノンは首を傾げて頭を無造作に掻いた。

 そして、笑顔を貼り付けたまま振り返る。
 
「どういう事かな?」
「言ったでしょう、止めるって」
「そっか……ミユメちゃん馬鹿なんだ」

 両者が向き合い、僅かな沈黙が流れる。

「「等分された死」」

 声が重なる。
 その瞬間、カノンは眼を見開いた。
 
 ミユメの背後に現れる無数の白い蝶。
 何色にも染まらない無垢なる死が、ミユメを主として展開されていく。

「お姉ちゃん、私と喧嘩をしましょう。最初で最後の姉妹喧嘩を」
「創造物風情が……」

 こうして、天才同士の戦いは幕を開けた。






 ジルニアス学術院における最強は間違いなく博士の称号を持つ生徒である。
 Sランクと違い、概念への干渉こそ出来ないものの万能故にその手数であればSランクすらも凌ぐ。
 十全に準備する事が出来れば倒すことすら可能だろう。

 そんな知識の王達のさらに頂点。
 ゼロワンに次いで№2の天才こそが、空無カノンであった。

 その才は、執念がもたらした後天的なものである。
 故に誰よりも貪欲であり怖ろしい存在であった。

 だからこそ、彼女を知る人物に「空無カノンの敗北」を問い掛けた時は決まって同じ言葉が返ってくる。
 
 ――あり得ない。

 天才は、ジルニアス学術院では最強を意味する。
 生徒会など取るに足らず。
 Sランクすらも超越する。

 それこそが、博士空無カノンである。

「等分された死ッ!」

 黒い蝶が、統率の取れた動きで飛翔する。
 向かう先には、ミユメとその背後に白い蝶。

「等分された死」

 カノンよりも冷静に、淡々とミユメは背後の等分された死に命令を下す。
 その眼の中には弧を描くように魔法式が刻み込まれていた。

 両者の等分された死がぶつかり合い、小規模の爆発を引き起こす。
 カノンは、爆炎の向こうにいるミユメを想像して顔を顰めた。
 
「理の魔眼の完全覚醒……厄介だね」
 
 理の魔眼の真価は、解析と再現。
 これにより、ユメという少女の肉体を再現するというのが深夢計画である。
 そう、理の魔眼はあくまで肉体を再現するためだけの魔眼。

 それ以上の機能を解放した覚えはない。

「でも、貴女を作ったのは私だからさ!」

 等分された死が、数を増やす。

 魔法を使う者には魔力の吸収能力を、そうでない者には圧倒的物量で。
 単純故に、それを上回るのは至難の業だった。

「貴女がどれだけ強かろうと、創造主には勝てないよー」

 白い蝶が数で圧倒され、撃ち落とされていく。
 が、ミユメはそれでも俯かない。

 蝶が舞う中で、ミユメは右手を床に這わせた。

「簡易召喚――ルルイカ」

 白いイルカが、姿を現わす。
 イルカは、ミユメに好意を寄せるかのように擦り寄った。
 
「お願いするっす」

 ミユメは、イルカに乗り黒い蝶の雨を潜り抜ける。
 その姿を見てカノンは瞠目した。

「ルルイカの完全再現? 理の魔眼の力を完全に使いこなしているんだね。良くないよ、そういうイレギュラーは」
「こうでもしないと、お姉ちゃんには勝てないっすから」
「もう貴女は妹じゃないんだけどなぁ!」

 カノンの操る等分された死が数を増す。
 黒い腕の形へと隊列を組む等分された死は、カノンの腕の動きに連動して突き出された。

 触れれば最後、魔力を奪われ、数に蹂躙される死の腕である。

「ソルシエラとコニエの剣がおかしかっただけで、本来は等分された死は負けないの! 無敵なの! 理の魔眼程度でどうにかなる訳ないじゃない!」

 イルカの尾を等分された死で作られた腕が捉える。
 触れた端から魔力を失い崩れ落ちていくイルカを見て、ミユメは飛び降り地面に転がる。
 そして、床に触れた。

「簡易召喚! ロロン!」

 白い鰐が現れ、イルカの後を継ぎミユメを背に乗せて泳ぎ出す。
 巨体からは想像できない速度で進み、等分された死との距離はどんどんと離れていった。

「逃げてばっかり。弱い奴の背中だけ見ていたのかな? 駄目だよ、私を見ないと。私みたいに強くて賢い人を参考にしなきゃ。そして、ずっと言う事を聞いてなきゃ……ねっ!」
「っ、ロロン避けて!」

 等分された死の色が変化する。
 黒から、赤へ。
 速度の上昇により、弾丸と化した等分された死がミユメへと向かってくる。

 ミユメは、上半身だけを傾けて僅かに床に指先を触れる。

 その瞬間、背後に壁がせり上がりミユメを守る盾となった。
 が、防ぎきれたのは第一波。

 カノンの魔力が続く限りは無限に湧き出る等分された死の攻撃を完全に防ぎきれる訳が無かった。

「ぐあっ!?」

 一秒程で壁が撃ち破られ、等分された死はミユメへと飛来する。
 白い鰐がミユメを背からほうり出し、身を挺して主を守ると砕け散った。

(体に数発貰った。けれど、まだ立てる……!)

 壁と鰐により、ミユメに直撃した等分された死の数は最小に済んだ。
 それでも一般人であれば銃弾と変わらないそれに死を迎える事になるだろうが、ミユメは違う。
 探索者であり、そもそもが天才カノンに作られた至高の肉体の持ち主である。

「ま、だまだぁ!」

 だから、ミユメは立ち上がれる。
 拳を握り、床を叩き気合を入れて前を向く。

 そこには、深紅の壁が広がっていた。
 辺りを隙間なく埋め尽くす等分された死。
 全てが、高速での移動を可能とする形態であり、回避は不可能。

 カノンは、深紅の壁を背に手を広げていった。

「理の魔眼の最大出力は知っているよ。自律型武装を理論上は使役できることも。でもね、それだけ。それだけだから、放っておいたんだ」

 この計画に、狂いはない。
 カノンは、そう言って笑う。

「諦めなよ。大人しくその体を調べさせてくれれば、モルモットとして飼ってあげる。どうかな? ユメちゃんが生き返ったら、ペットにはなれるかもよ? 生きてたらの話だけど」

 優しさというよりは、完成したミユメの体を欲するが故の提案だった。
 このまま戦えば、ミユメの体は傷つき死んでしまうだろう。 それでは、勿体ない。

 それこそ、カノンが差し伸べた手の正体である。
 どこまでも自己中心的で打算的なその思考をカノンは愛と呼んでいた。

「最後くらい、言う事聞いてほしいんだけど、どうかなー?」

 問い掛けに、ミユメは拳を握る事で答えた。
 カノンはそれを見て、失望したのか深く息を吐く。

 そして、ミユメを指さした。

「もういいや、壊れちゃえ」

 カノンの命令により、等分された死が発射される。
 今までとは比較にならないおびただしい数の等分された死の弾丸を前に、ミユメはただ思考していた。

(理の魔眼は、武装の再現が出来る。解析からの再現は、確かに物にしたっす。けど――それだけ?)

 理の魔眼の限界にいながら、ミユメはまだその先を見ていた。
 ある筈のない限界の先の景色。
 そのさらに向こう側に、一際強い輝きを見せる星があった。

「……もっと、もっと私の望み通り、思い通りに」

 うわ言のように紡ぎ出される言葉に、ミユメは気が付いていない。
 それは、漏れ出た思考の僅か一欠片でしかないのだから。

 等分された死が直撃する僅か一秒にも満たない刹那の間、ミユメは幾億という思考の果てに、それに触れた。

「そうか、簡単な事だったんすね――」

 ニッと笑うミユメ。
 次の瞬間には、彼女は等分された死の直撃を受けて深紅の中に飲み込まれた。

 その光景を見て、カノンは「あーあ」と勿体なさそうな声を上げる。

「私に逆らうなんて、馬鹿なの。みーんな、馬鹿ばっか」

 カノンはそう言って、等分された死で椅子を作り上げると腰を下ろす。
 ミユメの肉塊を眼で確認するまで、ここでゆっくりと待つつもりだった。

「さっさと魔眼を回収して、計画を練り直して、それで……ん?」

 不意に、熱さを感じた。
 戦いの中で、ラボの温度調節機能が故障したのだろうか。
 そう考えて首を傾げる。

 これから夏だというのに、この熱さは不愉快だ。
 カノンはそう思い、原因を探ろうとしたその時。

 それは、声を上げた。

「――
 
 等分された死の中から、声が聞こえる。
 深紅の等分された死の塊の隙間から、白い何かがちらつく。

 ゆらゆらと揺らめく周囲の空間を歪める程の高温の何か。
 それが焔だと気が付いた時には遅かった。

 等分された死が燃やされ、灰となっていく。
 白い炎と灰の舞う世界の中心に立つ一人の少女。

 その手に握られた二丁拳銃から、白い焔が迸っている。

「……何をしたのかな」
「簡単な事っすよ」

 ミユメは顔を上げる。
 その両眼には、見たことのない幾何学模様が輝いていた。

「私の知る最強の焔をお借りした。それだけっす」

 ミユメが一歩踏み出す。
 それだけで、周囲の等分された死が焼け落ちていった。

 向かっていく等分された死が収束砲撃アルテミスで撃ち落とされ、辺りを泳ぐイルカと鰐が次々と等分された死を蹴散らしていく。

 子供の思い描く、荒唐無稽で理想のような世界は、しかしこの現実に存在していた。

「私の今までは全てが偽物だった。でも、だからこそ! ここから私は本当の私の物語を始めるっす!」

 銃を構え、声高らかにミユメは宣言する。
 それはまるで、産声のようだった。

「勝負っす、お姉ちゃん!」

 この瞬間、確かに物語の結末は書き換えられた。
 
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