花開く私たち

新ゆみこ

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【プロローグ 引力が働いた】

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 ―――あたしはいつも中途半端。


 ぱちんっ!
 という威勢のいい音が私の行く先から聞こえてきた。
 え? と思う暇もなく女子特有のヒステリックな声が上がる。
「信じらんないっ! もういいっ!」
 通路を挟むように駐輪場の反対側に建っているF棟の角から女子が飛び出してきて、角に差し掛かっていた私とぶつかった。
「わっ!」
「きゃっ!」
 私はとっさに身構えたから倒れずに済んだけど、飛び出してきた女子は私にぶつかった反動でよろけた挙句にコンクリート敷きの通路へぺたんと尻もちをついてしまった。
「ごめん、大丈夫?」
 反射的に手を差し伸べると、女子は泣きはらした目ときまり悪そうな顔を私へ向けてきた。私の手を取るのを躊躇っているみたい。どこか痛めたような転び方には見えなかったから立ち上がれないわけではないと思うけど、私の手を取るつもりも立ち上がるつもりもないらしい。差し出した手が空中で浮いたままになった。
 わあ・・・、めんどくさそ・・・。
 つい思ってしまった。
 その時、建物の陰からもう一人出てきた。
「鈴木さん!」
 すごく背の高い男子だった。
 倒れた彼女の身を起こそうとかがみかけたけど、彼女はそれを避けるように素早く立ち上がった。
「触らないで!」
 またヒステリックに叫んだかと思うと、学校指定のナイロンバッグを両手で胸に抱きしめ、勢いよくその場から走り去っていった。あっという間に。
「えっ!」
「あっ!」
 ―――はっ?! 
 彼女のあまりの素早さにあっけにとられた。
 開いた口が塞がらないって、ほんとにあるんだ・・・。
 彼女の身のこなしのあっぱれさに感心に似た気持ちでその背中を見送っていたけど・・・
 はたと、自分の置かれた状況に気が付いた。
 恐る恐る隣に立つ背の高い男子を見上げると、その男子も開いた口が塞がらない顔で「待って」と手を伸ばした静止ポーズで固まっている。
 これって・・・どう見ても「修羅場」ってやつだよねえ?
「あの・・・追いかけなくていいの?」
 気まずさからとりあえず声をかけてみた。私は3年生だから相手が先輩ということはないはず。敬語でなくてもいい。男子はやっと私に気付いた様子で正気に戻ったような表情を私へ向けた。
「あ・・・ああ、うん、いい」
 ふうとため息をついて、通路に放っておいた自分のナイロンバッグへ手を伸ばす。敬語を使わないっていうことは彼も3年かな?
 私はその背中へ向けて言った。
「彼女じゃないの?」
「一応、そう」
 い、一応? どういう意味よ。
「追いかけた方がいいんじゃない?」
 お節介だとは思うけど、もう一度聞いてみた。彼はバッグの底を払いながら答えた。
「もともとダメになりそうだったから、もういいんだ」
 バッグを肩にかけて、もう一度私を見る。顔はカッコイイ部類の男子だと思った。
「それより、鈴木さんがぶつかったみたいだけど、大丈夫だった?」
 え? あたし?
「私は大丈夫だよ」
「そう? 謝りもしないで・・・失礼なことしてごめんね」
 ええ? そこ気にする?! そして、君が謝ること?!
 私は首と両手をぶんぶん振った。
「全然平気! それより彼女の方が気がかりだよ!」
 私がそう言うと、彼は視線を横に外して眉を寄せた。
「大丈夫。大してダメージ負ってないのは分かるから」
「そ、そう・・・?」
 としか言いようがない。
 二人の間に沈黙が降りる。もう去りたい。
 じゃあね、と言いかけて彼の唇の端に血が滲んでいることに気付いた。
「唇、切れてるよ」
「あ、まじ? そんな強く叩かれた感じなかったんだけど」
 ・・・やっぱりあの音は叩かれたものだったのか。苦笑いが浮かぶ。
「身長差があるから、手のひらが当たる前に親指が引っかかったのかもね」
「あー、爪でやられたのか」
「言い方!」
 私は思わず笑ってしまった。
 しまった感じ悪いな、と後悔したけど、彼も同じように笑ってくれて罪悪感が薄れる。
「絆創膏、あるよ」
 背負っていたアリーナのプールバッグを体の前に持ってきて中を漁る。うーん、ポーチがバッグの底に行っちゃってて取り出しづらい。彼は指先で傷の具合を確かめていた。
「うわ、結構血が出てるな・・・。ごめん、もらえると助かる」
「いいよ。さきにティッシュ使う?」
「うん。ありがとう」
 バッグの蓋裏からティッシュを渡し、またメイン室を漁る。
「絆創膏、貼ろうか?」
「んー・・・鏡、ある?」
「あるよ。持っててあげる。自転車出してからでもいい?」
 私は言い終わらないうちにすぐそこに停めている自分の自転車へ駆け寄った。前かごへバッグを入れ、自転車を駐輪場から通路へ出す。これで中身を出しやすくなった。
「自転車通学なんだ?」
「そう。電車で3駅だけど、雨と雪以外は自転車で来てるんだ」
「3駅って微妙だもんなあ」
「あっ、分かってくれる?! うちの学校、駅から遠いしさあ」
「だよなあ」
 私が持った鏡を覗き込みながら彼が絆創膏を貼る間、他愛もない話を続けた。話しやすい人だと思った。
「サンキュ。助かった」
 彼はそう言って、絆創膏の残り紙を私が手を出す前に自分のポロシャツの胸ポケットにねじ込んだ。そして、
「どっち?」
 と聞いて指を左右に振る。正門と裏門のどちらから帰るのか、といううちの学校特有のサイン。
「こっち」
 私は裏門の方を指した。駐輪場から帰るには裏門から出るのが早いから。
「おれも」
 二人で裏門へ向かって歩き出した。
「珍しい! 私鉄なんだ」
 うちの学校の最寄り路線はJRと私鉄の2線で、JRを使う生徒が9割を占める。JRは敷地東側にある正門が、私鉄は南側にある裏門の方が近い。
「そう。JRでも行けるんだけど、私鉄なら乗り換えなくて済むから」
 JRでも私鉄でも最寄り駅から学校までは徒歩15分。わざわざ2路線を使う必要はない。
「JRでも私鉄でも最寄り駅が遠い学校って、詰んでるよねえ」
「ほんとそれ」
 裏門までのんびり歩きながら話を続ける。
 うちの学校は中学から大学まで同じ敷地にある。広い敷地は大名の屋敷跡地で、ぎりぎり都内にありながらも緑豊か。校舎や施設が森の中に林立しているような感じ。だから、とにかく敷地内の移動がとても大変。高校校舎と正門は近いけど、駐輪場は高校校舎からとても遠い。その代わり、私鉄利用者にとっては裏門が近くてメリットが大きかった。と、思わなければやってられないほど敷地がバカ広すぎる・・・。
 時刻は夕方6時過ぎ。夏が過ぎたのにまだまだ強い太陽もだいぶ傾いてきた。
 高木の密集帯を抜け敷地内で一番広い通路を横切る時、西日が顔を照らしてきた。
 二学期に入ったばかりの9月の夕暮れは、ところどころに秋を感じながらも昼間の熱気が抜けきらない。首筋や体を抜けていく風が少し生ぬるかった。
「水泳部?」
 彼が唐突に聞いてきた。
「えっ? うん。あ、バッグで分かった?」
 私のプールバッグはアリーナのザック。世間の認知度はスピードの方が高いと思っていたから少し驚いた。
 水泳をやっている人間からするとアリーナが最もポピュラー。私は小学生で始めた時からずっとアリーナを使っている。ロゴがなんとなく好きだから、っていうのが理由だけど。
 ところが、
「バッグ? いや、髪が濡れてるから」
 という返答。
「そう? 乾かしたつもりだったんだけど」
 私は少し恥ずかしくて慌てて胸の前の毛先を摘まんで確認した。うーん、濡れてるってほどではないと思うけど、まだ湿ってたかな・・。
「3年じゃないの?」
「えっ?」
「タメ語だからそうかと思ったんだけど」
「あっ、うん3年」
「だよね。おれも。3年って引退じゃないの?」
「うん、引退したよ。今は一般レーンで泳いでるの」
「内進組?」
「えっ?」
「運動部の人って、引退したら受験勉強に切り替えるイメージだから」
「ああ、うん。内進希望」
 高校は大学付属校で、7割が内部進学できる。それが目的でこの高校に入ったようなものだから・・・というのは言わないでおいた。なんとなく・・・。
 メリットのくせに、私がいつも感じている正体不明の躊躇いというか後ろめたさ。
 それに気付いたのか分からないけど、
「この学校の最大のメリットだもんな!」
 彼はそう言って全開の笑顔を向けてきた。その笑顔で、私の後ろめたさみたいなものが軽くなった気がした。
 それにしても・・・
 この人、会話のテンポが速い。
 私の周りにはあまりいないタイプだ。きっと地頭がいいんだろうなあ。
 会話がちょうど切れたところで裏門に差し掛かった。守衛室の守衛さんへ頭を下げる。隣りの彼も同じように頭を下げていた。
「おれ、こっち」
 彼は裏門の前を横切る歩道を左方向へ向けて腕を伸ばした。私は反対方向だ。
「じゃあ」
 私は自転車を右方向へ向けながら彼へ挨拶の笑みを浮かべた。「またね」と言いかけて、変な気がしてやめた。
「さっきは巻き込んでごめんな」
「ううん、全然。唇、お大事に」
「ありがと」
 彼は苦笑いを浮かべた。そして、
「じゃあ、また」
 笑顔でそう言って、片手を軽く上げて踵を返し駅の方へ向かって行った。私は取り残されたような形で少しの間だけ彼を見送っていた。
 本当、すごく背が高い。
 さっきまで真っ黒に見えていた彼の髪に夕日が当たって、少しだけ茶色に透けて見えた。
 私も踵を返して自転車に乗り、ゆっくりペダルを漕ぎ出す。
 そういえば、名前、聞けばよかったかな。
 そう思ったけど、でもすぐに打ち消す。やっぱりそんな必要もないか。
 〝じゃあ、また。″
 私は彼の言葉を頭の中で反芻した。


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