いつか森になる荒野

千年砂漠

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援護射撃

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 僕はリヤカーの修理でもたいして役に立たず、ボートを漕ぐのもリヤカーを引いて自転車を走らせるのも一番力がなかった。島へ連れて行くと広海に大口を叩いておいて、実際は瞬たちがいなければ何もできない自分の無力さが惨めで、悔しかった。
 今更の無駄なあがきかも知れないが、僕は初めてボートを漕いだ日の翌々日から、筋トレとランニングを始めていた。僕に必要なのは筋力と持久力。大樹に僕にできそうな筋トレ方法を教えてもらい、午前中のまだ日差しが強くない時間に家の近くを走った。
 僕は中学時代運動部ではなかったが三年間ハードな自転車通学をしたというのに、一学期中全ての体育の実技を見学にしていたせいなのか走ると自分でも情けなくなるほど早く息が上がった。それでもなけなしの意地を張って走り続けて五日目、気まぐれでいつものコースを変えて学校近くを通りかかると、校門前のバス停に止まったバスからアラレちゃんが降りて来たのが見えた。
 アラレちゃんも僕に気づき、手を振って僕を呼んだ。
「おはよー。どしたの? ジョギング? ダイエットしてるの?」
「そういうわけじゃないんですけど。アラレちゃんこそどうしたんですか、夏休み中に学校に来るなんて。部活ですか?」
 アラレちゃんはTシャツにジャージ姿だった。運動部なら不思議ではないが、アラレちゃんは写真部だ。しかも、まだ七時半過ぎ。
「うん、部活と言えば部活だねえ」
 動く人間を撮るスキルアップのために、矢島君に繋ぎをつけてもらって了承を得た男子バスケ部の練習を撮りに来たと言う。
「もうすぐ美国も来るよ」
 今日撮った写真を漫画の参考資料に提供するのを交換条件にして助手として雇い、アラレちゃんが家から持ってくるには重いノートパソコンや、バスケ部員へのお礼として差し入れる蜂蜜漬けレモンを作って持って来てもらうのだそうだ。
「材料費はあたしが全額出すって言ったんだけど、美国も取材したいからって半分出してくれたのだ。他にも差し入れ作って持ってきてくれるって言ってたから、楽しみなんだあ」
 アラレちゃんは暢気にはしゃいでいるが、僕は、男子バスケ部に取材なんて美国は大丈夫なのか、何かでまたあんな発作を起こしたらと思うと恐くなり、
「あの、僕も一緒に」
 連れて行って欲しいと言いかけると、
「あのねえ、中原君。この世はどこにいても、誰にとっても、戦場なのだ」
 アラレちゃんはいつものにこにこ顔を消して、毅然とした顔を僕に向けた。
「あたしだって美国が男子が超苦手なの、分かってるよ。でも、美国自身がいつまでもそれじゃ駄目だから何とかしたいって思ってるのも知ってる。自分が本当になりたい自分になるためには、自分自身と戦って勝ち取るしかないんだよ。美国はその覚悟を持って今日この戦場に来るんだから、必要なのは援護射撃で撤退前提の保護じゃない」
 今僕の目の前にいるのは、のんびり口調で笑顔を絶やさない女の子ではなく、戦いを見据えた女戦士だった。
「だ、だけど、どんなに覚悟があっても、戦いに勝てるとは限らないじゃないですか」
 美国の場合、負けたときの反動が酷いのだ。アラレちゃんは美国が抱える傷の大きさを知らない。美国がパニックを起こして騒動になってしまったら学校に来なくなってしまうのではと最悪の状況を危惧する僕に、アラレちゃんはぴしりと言い切った。
「何のリスクもなく、価値のある物が手に入るわけないのだ」
 もし負けそうになったら、その時は潔く撤退する。大事なのは、一度で勝つことじゃなく、何回も戦いに挑むことなのだとアラレちゃんは力説した。
「大丈夫。バスケ部には矢島君もいるのだ。矢島君って、あがり症で試合の前なんか相当ガチガチになるらしくて、苦手なものに緊張する気持ちがよく分かるって、部屋の模様替えの時美国と話して共感したみたいだよ。同士がいればそれだけで心強いのだ」
 仲間がいるありがたさを正に今、実感している僕が素直に頷くと、アラレちゃんは馴染みの笑顔を見せた。
「美国は結構強いよ。漫画だってあちこちの賞に投稿してるって聞いたけど、それって一度や二度駄目でもへこたれず諦めない証拠じゃない」
 僕はアラレちゃんに言われて気がついた。
 そうだ。美国は僕が想像するより強い。
 僕は広海の話を聞いた後、こっそり性犯罪被害者についてネットで調べた。が、すぐにへこたれて止めてしまった。
 ネット上には事件で心に傷を負って自殺してしまった人や事件を何でもないことだと思おうとするあまり不特定多数の男性と肉体関係を持ち余計傷ついてしまった人の話が嫌と言うほどあって、何件か読んだだけでその悲惨さに僕の心がギブアップしてしまったからだ。
 心が病んで引きこもりになったり自傷行為に走る人もいるのに、美国はそうならなかったし、今も生きている。もちろん旭たちの支えがあったからこそだけど、美国自身にも最悪まで落ちていかないくらいの強さがあったのだ。
「じゃ、あたし、写真部の部室に用があるからもう行くねえ」
 アラレちゃんは手を振って、軽やかに校内へ走って行った。彼女の戦いのために。
 僕も手を振って、ジョギングを再開した。
 僕の戦いのために。


 その夜、美国から電話があった。
「あの、アラレちゃんが今朝校門の前で中原君に会って、私を心配してたって聞いたから」
 美国の明るい声を聞けば大丈夫だったかと問うまでもなかった。
「取材は上手くいきましたか」
「うん。最初はやっぱり部員の人たちが恐かったんだけど、矢島君があらかじめ部員の人たちに私が『大きい人からは威圧感を感じて萎縮してしまうタイプ』って説明してくれてたみたいで、急に近づいてきたり乱暴な物言いをされたりはしなかった。知りたかったことも聞いたらみんな丁寧に答えてくれたし、持って行った差し入れも喜んでもらえた」
 蜂蜜漬けレモンの他に、カップケーキを作って持って行ったのだという。
「男子バスケ部は全部で十二人だったから作る個数も少なくて手間も時間もそんなにはかからなかったし、あれくらいの物でかえって申し訳ない気がした」
 いいえ、男子高校生にとって女子の手作りのおやつなんて最高レベルの物です。
 アラレちゃんの方もすごくて、部員の名前と顔をすぐに覚え、練習中の部員をカメラで追いかけながら「梶谷さん、今のシュート格好良かったです。もう一本」とか「田村さんのフェイント、全国選手レベルじゃないですか。もう一回見せてください」とか名指しで褒めまくり、みんなの気分を上向きにさせて写真を撮っていたそうで、
「おかげで帰りには本気で『二人のうちどっちか一人だけでもいいから、マネージャーになってくれ』って勧誘された」
 断るのに苦労したと笑いながら話す美国は、今日の戦いの勝者だった。小さな小さな戦いかもしれないが、美国には大きな勝利だった。
 今度は僕の番だ。
 天気の神様相手の不戦敗は仕方ないとして、それ以外では負けられない。
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