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旭と美国
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旭の家は町の西側の住宅地の中にあった。
美国は勝手知ったるように、前庭の門を開けて入り、玄関のインターフォンを押す。
すぐにドアが開いて、旭が顔を出した。
「美国、待ってたよ。あ、優人も入って」
愛想よく言われたのは素直にうれしかったが、僕にとっては好きな女の子の自宅を訪ねるという一大イベントで、初めの挨拶からその後の会話のやりとりまであれこれ想像して脳内シュミレーションし、内心かなり盛り上がっていたのに、旭にすれば単に友達が遊びに来た感じだったので落胆した。
「あら、美国ちゃん、いらっしゃい」
奥から、旭に良く似た女の人が出てきた。たぶん、旭のお母様だろう。
お邪魔します、と会釈した美国の後ろで、僕は丁寧に頭を下げる。初対面の印象はとても大事だ。
「まあ、美国ちゃんの彼?」
「同じクラスの友達です」
美国は何のリアクションもなく、そっけない口調で答えた。
「こんにちは。初めまして。早川さんと同じクラスの中原優人です」
もう一度頭を下げた僕を見て、
「こちらこそ、初めまして。旭の母です。礼儀正しいハンサムさんだこと。頭も良さそうだし、将来が楽しみな人ね。どうぞ旭と仲良くしてやってくださいね」
と、笑顔で家に上がるよう勧め、また奥に戻っていった。
「旭に頼まれた本、自転車に積んだままだった。取ってくる」
美国は本を取りに戻り、僕は旭に促されて家に上がった。
よし、旭の家族に好印象を持って迎えられた。あの母親なら味方もしてくれるかもしれない、と内心喜んでいた僕に、
「私の母の褒め言葉はあまり真に受けないでね」
旭は苦笑した。
「優人だから言うけど、私の母はかなりの社交上手なの。この家を建てるまで十二年間、派閥間の争いの激しい魔窟のような公務員住宅の中で暮らした上に、内助の功で父を出世させたつわものだから」
あれは娘の新しい友人へのリップサービスだったのか。
がっかりしたがそれを顔に出すのも情けないので,僕は平然と会話を続けた。
「旭のお父さんって公務員なんですか」
「あまり言いたくないんだけどね、警察官。刑事課の偉い立場の人」
何も悪いことはしていないんだから、別に焦ることはないんだけど、警察官と聞くと緊張してしまう僕は小市民だ。
「何か飲み物持ってくるね」
二階に上がったすぐ右のドアを旭が指す。
「その部屋が私の部屋だから」
ドアの前に立つと、ちょっとドキドキしてきた。考えてみたら僕、女の子の部屋に入るの初めてだ。きっと、ピンクか花柄のカーテンで、ベッドにはパッチワークのカバー、ぬいぐるみとかパステル色の小物で埋め尽くされたかわいい部屋なんだろう。
思いっきり期待してドアを開け、激しく裏切られた。
部屋の中を見て唖然とし、僕は入り口に立ち尽くした。ブルーを基調にしたシンプルな部屋で、まず目に入ったのは奥にあるベッドの対面の壁の的。ダーツのようだが、ウレタンのようなもので壁が覆われている意味は不明。部屋の隅に木刀が立てかけてあるのは、万が一強盗に襲われたときの撃退用だとしても、鉄アレイって女子高生の必需品ですか?
というより、この部屋女の子っぽい要素がまるでない。僕の部屋より男らしい。
あ、そうか。ここ、お兄さんの部屋なんだ。
自分の部屋を見られるのは恥ずかしいから、お兄さんの部屋を借りた。そうに違いない。
「どうしたの。そんなところに立ったままで」
ジュースのペットボトルとスナック菓子を手にした旭が、階段を上がって来ながら声をかけてきた。
「あ、いや。お兄さんはダーツの好きな人なのかなあ、と」
旭は首を傾げた。
「え、どうして」
「……だって、ここ、お兄さんの部屋なんでしょう?」
「私の部屋よ、間違いなく。遠慮しないで」
入って、と旭に背中を押されて部屋に中に入る。
もう一度しげしげと部屋を見回した僕を旭は笑って、ため息をついた。
「私の部屋に初めて来た人って、みんな同じ反応するわ。……そんなに変かな?」
「あ、いや……その、変とかいうんじゃなくて……ただちょっと意外だったというか」
その容姿でこの部屋は詐欺というか。
「花柄のカーテンとかぬいぐるみとかベタな想像してたんじゃないの?」
「……はい」
やっぱりね、と旭はもう一度ため息をついた。
「想像通りじゃなくて悪いけど、これが私の趣味なのよ」
「じゃあ、聞いていいですか。あれ、何ですか」
僕がウレタンの壁と的を指差すと、旭は勉強机の引き出しを開けた。
「これよ。この的」
手にしたのはモデルガン。旭はベットに上がると的に向けてモデルガンを構え、的に向けて連射した。全弾、ほぼ中心に命中し、弾は的に当たった瞬間跳ね返りもせず不自然に全て床に落ちた。
「どう? BB弾が跳ね返って飛び散らないように、あの的も壁も衝撃吸収材でできてるの。特注品よ」
射撃の腕も設備もどっちもすごい。これが男友達なら手放しで褒めるところだ。
「私の父方も母方も、男が多い家系なのよね。私の兄弟も兄二人だし、いとこも女は私だけ。私の趣味って、やっぱりそういう環境からきてるのかも」
旭にはお兄さんが二人いて、上の兄さんがやはり警察官で、下は大学生だそうだ。
その理論でいくと、僕なんて兄弟は姉ちゃんしかいないし、父さんは姉二人に妹一人、母さんは三人姉妹というバリバリ女系だから、趣味も女っぽくなるはずだけど。
「旭、これ頼まれてた本」
本を持って戻ってきた美国の声に、僕は美国が買った本の中にミリタリー関係のものがあったか記憶を検索したが、美国が旭に差し出したのは和菓子作りのマニュアル本だった。
「うん、これならよく分かる。さすが、本選びは美国に頼むのに限るわ」
マドレーヌとかシュークリームなどの洋菓子は一応作れるので、今度は和菓子に挑戦するのだと言う。
「料理、得意なんですか。いいですね。料理上手って」
褒めたつもりなのに、旭は急に不機嫌になった。
「上手でも得意でもないわ。将来一人暮らしする時に困らない程度にはできるけど。それにお菓子作りと料理は別物。お菓子は作れても料理はできないって人もいるから。その逆で、料理はできるけどお菓子は作れない人は結構多いと思うわ」
そういえば僕の母親もお菓子なんて作ったことがない。作れないのか、作らないのか、どちらだろうか。
「男子って、料理が上手な女の子がいいってよく言うよね」
最近は女の子の方も、料理のできる男がいいと言うけど。
「料理は結構面倒な作業だから、それをやってくれるなら楽でいいって気持ちもあるんだろうけど、本当は食欲っていう本能を上等に満たしてくれるのがいいんじゃないかな」
一理あるかもしれない。食欲、睡眠欲、排泄欲、そして性欲。どんな本能も満たされれば快感を覚える。
「結局、男子が女の子に求めるものって『セックスできるお母さん』なのよ」
何てことを平然と言うんだ、この人は。
「エロい身体で、自分だけに一途でいてくれて、浮気しても許してくれて、料理上手で世話焼きの優しい子――ってのが男の理想パターンだよね」
だったら僕もステレオタイプだ。
「自分の欲望最優先の馬鹿ばっかり多くて、ホント嫌になる」
「そんなこと言っちゃ駄目だよ、旭」
いつもはほぼ聞き役に回っている美国が、珍しく旭に意見した。
「だから瞬たちが心配するんだよ。旭は一生独身でいる気なんじゃないかって」
「結婚だけが幸せじゃないでしょ」
「そうかも知れないけど、好きな人と暮らすのも幸せに違いないよ。旭の父さんと母さんも普通に幸せそうじゃないか。瞬たちは旭が偏った考えに捕らわれて、普通にある幸せを逃してもらいたくないんだよ。私だって、そう思ってる」
美国の真摯な物言いに、旭は少し悲しげな顔をして微笑んだ。
「それは美国に対しても同じよ?」
「分かってる。だけど」
美国は何かを言いかけたが、僕がいるためかその先の言葉を飲み込んだ。何だか微妙に沈んだ雰囲気になってしまったのを、旭が笑顔で切り替えた。
「大丈夫よ。瞬たちには私がちゃんと男女交際できるってところ見せたでしょう。少なくとも私に対してはもうそれ程心配しないわよ」
「……どうか広海は信じたようだけど、瞬は何かまだ疑ってるみたいだし、大樹は旭が振り回しすぎて中原君に逃げられるんじゃないかって。旭たちはあれで結構相性がいいみたいだってフォローはしといたけど。これから校内であの二人に出会ったら気をつけたほうがいい。旭は大丈夫だと思うけど、中原君は嘘が下手そうだし、瞬は誘導尋問が上手いから、クラスの子たちをごまかしたようにはいかないよ」
旭が僕と交際宣言をした当初は、予想もしなかった組み合わせだったためかクラスメートたちから質問攻めに遭った。が、旭が「惚気を他人に話す趣味はないの」と笑って質問をシャットアウトしてしまったので、その後は僕が色々聞かれる羽目になって本当に困った。男子から時々密かに問われる下世話なことは特に。
僕はその全てに『二人のことは二人だけの秘密にしてって旭にお願いされてる』と答えて逃げた。それは実はなくても交際しているという名目さえあれば良い旭からの入れ知恵だったが、実際に本当に何もないのだから、クラスメートたちの期待に応えられるわけがない。
嘘をつくのは簡単でも、嘘を吐き通すのは難しい。僕はたぶん詐欺師には不向きだ。
「最初にも言いましたけど、仮の相手なら、やっぱり僕じゃなくても良かったじゃないですか?」
もっと見栄えがして、上手く嘘をつける男なら他にいくらでもいたはずなのに。
「優人が良かったの」
旭にきっぱり言い切られて、天にも昇る気持ちになった。が、
「だって優人は女性が恋愛対象じゃないでしょう」
すぐに地上に落とされた。
「あ、誤解しないで。悪い意味で言ってるんじゃないの。私、優人といるとすごくホッとするの。優人は私に恋愛感情を絡めた『女』を求めないから、男のエゴに凝り固まった『女らしさ』を私に期待しないから、楽なのよ」
旭にそう言われて、僕は自己嫌悪に陥る。
僕だって本当は他の男と同じだ。旭を一目見て惹かれたのだって、かわいくてスタイルが良い(もっと正直に言えば胸が大きかった)からだし、柔らかそうな外見から女の子っぽい性格だろうと思い込んでいたし、その『女の子っぽい性格』にしても僕の理想を勝手に押し着せていた。ただ言葉にしないだけで。
僕は旭が好きだ。でも、僕は本当に旭のままの旭を好きなんだと言えるだろうか。
恋は大いなる誤解で保たれる感情だと言った人がいる。
だったら、真実の恋って何だろう。
美国が用があるから帰ると言い出したので、僕も帰ることにした。
黙って美国だけ帰せば旭と二人きりになれる、と打算もあったけど、僕を同性が好きな男と信じて疑わず、安心している旭に対して不実のような気がして、暇を告げた。
「よかったらまた遊びにきてね」
どうせ友達としてなんだろう――と拗ねてみても、やっぱりちょっと嬉しい。
旭の家の前で、美国とも別れた。美国の家はこの住宅地の更に西にあるのだそうだ。
自転車で帰る美国の背中を見送って僕も帰ろうとしたが、やっぱり心配になって美国の後を追った。
小柄な美国の自転車は当然僕のより小さく、荷台に積んだ本が重そうで、旭の家に来る途中でも何度か道路の段差があるところでふらついていた。その上旭の家で何冊かいらなくなったらしいファション雑誌を何冊かもらって前かごに入れたものだから、運転はもっと不安定になっていた。
初めから僕が自分の自転車に本を積んで、美国を家まで送ってやればよかったのにと、後悔した。
角を曲がって前方に美国の姿が見えた瞬間、彼女の自転車がよろけてバランスを崩した。
危ない――。
僕は思わず自転車から飛び降り駆け寄った。が、美国は咄嗟に自転車を降りて何とか倒れるのを防いでいた。
「美国! 大丈夫ですか!」
僕の声に振り向いた美国は、目を見開いて固まった。
「な、なんで」
「本が重そうだったから……僕が家まで運んであげようかと思って」
美国は固まったまま俯き、ギクシャクと首を振った。
「い、いい、よ。大丈夫。全然、平気」
「いや、でも、今も危なかったし」
「もう、すぐ、そこだから、家。あと、三百メートルくらい」
それでも心配だから送ると言う僕を、美国は切れ切れの単語のような言葉で断る。
人と一対一で会話するのが苦手な性格なのだろうか。
「……じゃあ、ホントに気をつけて帰ってください」
こっちは親切のつもりでも、押し付けは相手が迷惑するだけだ。分かっていても、拒否されるとやっぱり悲しい。
僕は相当美国に嫌われているらしい。でも、何故だろう。僕が何かしたんだろうか。思い当たることはないけれど、いっそ理由がある方がいい。単に生理的に嫌、と言われたらさすがにヘコむ。
「私、中原君が、嫌いな訳じゃ、ない」
帰りかけた僕に、美国が声を絞り出すように言った。
「……嫌いな訳じゃ、ない、んだ」
俯いた美国は、言葉の裏にある何かを伝えたいのに上手く言えない、そんな感じだった。
「心配、してくれて……ありがと」
礼を言う美国の声は、僕が聞いた彼女の声の中で一番優しい声だった。
美国は勝手知ったるように、前庭の門を開けて入り、玄関のインターフォンを押す。
すぐにドアが開いて、旭が顔を出した。
「美国、待ってたよ。あ、優人も入って」
愛想よく言われたのは素直にうれしかったが、僕にとっては好きな女の子の自宅を訪ねるという一大イベントで、初めの挨拶からその後の会話のやりとりまであれこれ想像して脳内シュミレーションし、内心かなり盛り上がっていたのに、旭にすれば単に友達が遊びに来た感じだったので落胆した。
「あら、美国ちゃん、いらっしゃい」
奥から、旭に良く似た女の人が出てきた。たぶん、旭のお母様だろう。
お邪魔します、と会釈した美国の後ろで、僕は丁寧に頭を下げる。初対面の印象はとても大事だ。
「まあ、美国ちゃんの彼?」
「同じクラスの友達です」
美国は何のリアクションもなく、そっけない口調で答えた。
「こんにちは。初めまして。早川さんと同じクラスの中原優人です」
もう一度頭を下げた僕を見て、
「こちらこそ、初めまして。旭の母です。礼儀正しいハンサムさんだこと。頭も良さそうだし、将来が楽しみな人ね。どうぞ旭と仲良くしてやってくださいね」
と、笑顔で家に上がるよう勧め、また奥に戻っていった。
「旭に頼まれた本、自転車に積んだままだった。取ってくる」
美国は本を取りに戻り、僕は旭に促されて家に上がった。
よし、旭の家族に好印象を持って迎えられた。あの母親なら味方もしてくれるかもしれない、と内心喜んでいた僕に、
「私の母の褒め言葉はあまり真に受けないでね」
旭は苦笑した。
「優人だから言うけど、私の母はかなりの社交上手なの。この家を建てるまで十二年間、派閥間の争いの激しい魔窟のような公務員住宅の中で暮らした上に、内助の功で父を出世させたつわものだから」
あれは娘の新しい友人へのリップサービスだったのか。
がっかりしたがそれを顔に出すのも情けないので,僕は平然と会話を続けた。
「旭のお父さんって公務員なんですか」
「あまり言いたくないんだけどね、警察官。刑事課の偉い立場の人」
何も悪いことはしていないんだから、別に焦ることはないんだけど、警察官と聞くと緊張してしまう僕は小市民だ。
「何か飲み物持ってくるね」
二階に上がったすぐ右のドアを旭が指す。
「その部屋が私の部屋だから」
ドアの前に立つと、ちょっとドキドキしてきた。考えてみたら僕、女の子の部屋に入るの初めてだ。きっと、ピンクか花柄のカーテンで、ベッドにはパッチワークのカバー、ぬいぐるみとかパステル色の小物で埋め尽くされたかわいい部屋なんだろう。
思いっきり期待してドアを開け、激しく裏切られた。
部屋の中を見て唖然とし、僕は入り口に立ち尽くした。ブルーを基調にしたシンプルな部屋で、まず目に入ったのは奥にあるベッドの対面の壁の的。ダーツのようだが、ウレタンのようなもので壁が覆われている意味は不明。部屋の隅に木刀が立てかけてあるのは、万が一強盗に襲われたときの撃退用だとしても、鉄アレイって女子高生の必需品ですか?
というより、この部屋女の子っぽい要素がまるでない。僕の部屋より男らしい。
あ、そうか。ここ、お兄さんの部屋なんだ。
自分の部屋を見られるのは恥ずかしいから、お兄さんの部屋を借りた。そうに違いない。
「どうしたの。そんなところに立ったままで」
ジュースのペットボトルとスナック菓子を手にした旭が、階段を上がって来ながら声をかけてきた。
「あ、いや。お兄さんはダーツの好きな人なのかなあ、と」
旭は首を傾げた。
「え、どうして」
「……だって、ここ、お兄さんの部屋なんでしょう?」
「私の部屋よ、間違いなく。遠慮しないで」
入って、と旭に背中を押されて部屋に中に入る。
もう一度しげしげと部屋を見回した僕を旭は笑って、ため息をついた。
「私の部屋に初めて来た人って、みんな同じ反応するわ。……そんなに変かな?」
「あ、いや……その、変とかいうんじゃなくて……ただちょっと意外だったというか」
その容姿でこの部屋は詐欺というか。
「花柄のカーテンとかぬいぐるみとかベタな想像してたんじゃないの?」
「……はい」
やっぱりね、と旭はもう一度ため息をついた。
「想像通りじゃなくて悪いけど、これが私の趣味なのよ」
「じゃあ、聞いていいですか。あれ、何ですか」
僕がウレタンの壁と的を指差すと、旭は勉強机の引き出しを開けた。
「これよ。この的」
手にしたのはモデルガン。旭はベットに上がると的に向けてモデルガンを構え、的に向けて連射した。全弾、ほぼ中心に命中し、弾は的に当たった瞬間跳ね返りもせず不自然に全て床に落ちた。
「どう? BB弾が跳ね返って飛び散らないように、あの的も壁も衝撃吸収材でできてるの。特注品よ」
射撃の腕も設備もどっちもすごい。これが男友達なら手放しで褒めるところだ。
「私の父方も母方も、男が多い家系なのよね。私の兄弟も兄二人だし、いとこも女は私だけ。私の趣味って、やっぱりそういう環境からきてるのかも」
旭にはお兄さんが二人いて、上の兄さんがやはり警察官で、下は大学生だそうだ。
その理論でいくと、僕なんて兄弟は姉ちゃんしかいないし、父さんは姉二人に妹一人、母さんは三人姉妹というバリバリ女系だから、趣味も女っぽくなるはずだけど。
「旭、これ頼まれてた本」
本を持って戻ってきた美国の声に、僕は美国が買った本の中にミリタリー関係のものがあったか記憶を検索したが、美国が旭に差し出したのは和菓子作りのマニュアル本だった。
「うん、これならよく分かる。さすが、本選びは美国に頼むのに限るわ」
マドレーヌとかシュークリームなどの洋菓子は一応作れるので、今度は和菓子に挑戦するのだと言う。
「料理、得意なんですか。いいですね。料理上手って」
褒めたつもりなのに、旭は急に不機嫌になった。
「上手でも得意でもないわ。将来一人暮らしする時に困らない程度にはできるけど。それにお菓子作りと料理は別物。お菓子は作れても料理はできないって人もいるから。その逆で、料理はできるけどお菓子は作れない人は結構多いと思うわ」
そういえば僕の母親もお菓子なんて作ったことがない。作れないのか、作らないのか、どちらだろうか。
「男子って、料理が上手な女の子がいいってよく言うよね」
最近は女の子の方も、料理のできる男がいいと言うけど。
「料理は結構面倒な作業だから、それをやってくれるなら楽でいいって気持ちもあるんだろうけど、本当は食欲っていう本能を上等に満たしてくれるのがいいんじゃないかな」
一理あるかもしれない。食欲、睡眠欲、排泄欲、そして性欲。どんな本能も満たされれば快感を覚える。
「結局、男子が女の子に求めるものって『セックスできるお母さん』なのよ」
何てことを平然と言うんだ、この人は。
「エロい身体で、自分だけに一途でいてくれて、浮気しても許してくれて、料理上手で世話焼きの優しい子――ってのが男の理想パターンだよね」
だったら僕もステレオタイプだ。
「自分の欲望最優先の馬鹿ばっかり多くて、ホント嫌になる」
「そんなこと言っちゃ駄目だよ、旭」
いつもはほぼ聞き役に回っている美国が、珍しく旭に意見した。
「だから瞬たちが心配するんだよ。旭は一生独身でいる気なんじゃないかって」
「結婚だけが幸せじゃないでしょ」
「そうかも知れないけど、好きな人と暮らすのも幸せに違いないよ。旭の父さんと母さんも普通に幸せそうじゃないか。瞬たちは旭が偏った考えに捕らわれて、普通にある幸せを逃してもらいたくないんだよ。私だって、そう思ってる」
美国の真摯な物言いに、旭は少し悲しげな顔をして微笑んだ。
「それは美国に対しても同じよ?」
「分かってる。だけど」
美国は何かを言いかけたが、僕がいるためかその先の言葉を飲み込んだ。何だか微妙に沈んだ雰囲気になってしまったのを、旭が笑顔で切り替えた。
「大丈夫よ。瞬たちには私がちゃんと男女交際できるってところ見せたでしょう。少なくとも私に対してはもうそれ程心配しないわよ」
「……どうか広海は信じたようだけど、瞬は何かまだ疑ってるみたいだし、大樹は旭が振り回しすぎて中原君に逃げられるんじゃないかって。旭たちはあれで結構相性がいいみたいだってフォローはしといたけど。これから校内であの二人に出会ったら気をつけたほうがいい。旭は大丈夫だと思うけど、中原君は嘘が下手そうだし、瞬は誘導尋問が上手いから、クラスの子たちをごまかしたようにはいかないよ」
旭が僕と交際宣言をした当初は、予想もしなかった組み合わせだったためかクラスメートたちから質問攻めに遭った。が、旭が「惚気を他人に話す趣味はないの」と笑って質問をシャットアウトしてしまったので、その後は僕が色々聞かれる羽目になって本当に困った。男子から時々密かに問われる下世話なことは特に。
僕はその全てに『二人のことは二人だけの秘密にしてって旭にお願いされてる』と答えて逃げた。それは実はなくても交際しているという名目さえあれば良い旭からの入れ知恵だったが、実際に本当に何もないのだから、クラスメートたちの期待に応えられるわけがない。
嘘をつくのは簡単でも、嘘を吐き通すのは難しい。僕はたぶん詐欺師には不向きだ。
「最初にも言いましたけど、仮の相手なら、やっぱり僕じゃなくても良かったじゃないですか?」
もっと見栄えがして、上手く嘘をつける男なら他にいくらでもいたはずなのに。
「優人が良かったの」
旭にきっぱり言い切られて、天にも昇る気持ちになった。が、
「だって優人は女性が恋愛対象じゃないでしょう」
すぐに地上に落とされた。
「あ、誤解しないで。悪い意味で言ってるんじゃないの。私、優人といるとすごくホッとするの。優人は私に恋愛感情を絡めた『女』を求めないから、男のエゴに凝り固まった『女らしさ』を私に期待しないから、楽なのよ」
旭にそう言われて、僕は自己嫌悪に陥る。
僕だって本当は他の男と同じだ。旭を一目見て惹かれたのだって、かわいくてスタイルが良い(もっと正直に言えば胸が大きかった)からだし、柔らかそうな外見から女の子っぽい性格だろうと思い込んでいたし、その『女の子っぽい性格』にしても僕の理想を勝手に押し着せていた。ただ言葉にしないだけで。
僕は旭が好きだ。でも、僕は本当に旭のままの旭を好きなんだと言えるだろうか。
恋は大いなる誤解で保たれる感情だと言った人がいる。
だったら、真実の恋って何だろう。
美国が用があるから帰ると言い出したので、僕も帰ることにした。
黙って美国だけ帰せば旭と二人きりになれる、と打算もあったけど、僕を同性が好きな男と信じて疑わず、安心している旭に対して不実のような気がして、暇を告げた。
「よかったらまた遊びにきてね」
どうせ友達としてなんだろう――と拗ねてみても、やっぱりちょっと嬉しい。
旭の家の前で、美国とも別れた。美国の家はこの住宅地の更に西にあるのだそうだ。
自転車で帰る美国の背中を見送って僕も帰ろうとしたが、やっぱり心配になって美国の後を追った。
小柄な美国の自転車は当然僕のより小さく、荷台に積んだ本が重そうで、旭の家に来る途中でも何度か道路の段差があるところでふらついていた。その上旭の家で何冊かいらなくなったらしいファション雑誌を何冊かもらって前かごに入れたものだから、運転はもっと不安定になっていた。
初めから僕が自分の自転車に本を積んで、美国を家まで送ってやればよかったのにと、後悔した。
角を曲がって前方に美国の姿が見えた瞬間、彼女の自転車がよろけてバランスを崩した。
危ない――。
僕は思わず自転車から飛び降り駆け寄った。が、美国は咄嗟に自転車を降りて何とか倒れるのを防いでいた。
「美国! 大丈夫ですか!」
僕の声に振り向いた美国は、目を見開いて固まった。
「な、なんで」
「本が重そうだったから……僕が家まで運んであげようかと思って」
美国は固まったまま俯き、ギクシャクと首を振った。
「い、いい、よ。大丈夫。全然、平気」
「いや、でも、今も危なかったし」
「もう、すぐ、そこだから、家。あと、三百メートルくらい」
それでも心配だから送ると言う僕を、美国は切れ切れの単語のような言葉で断る。
人と一対一で会話するのが苦手な性格なのだろうか。
「……じゃあ、ホントに気をつけて帰ってください」
こっちは親切のつもりでも、押し付けは相手が迷惑するだけだ。分かっていても、拒否されるとやっぱり悲しい。
僕は相当美国に嫌われているらしい。でも、何故だろう。僕が何かしたんだろうか。思い当たることはないけれど、いっそ理由がある方がいい。単に生理的に嫌、と言われたらさすがにヘコむ。
「私、中原君が、嫌いな訳じゃ、ない」
帰りかけた僕に、美国が声を絞り出すように言った。
「……嫌いな訳じゃ、ない、んだ」
俯いた美国は、言葉の裏にある何かを伝えたいのに上手く言えない、そんな感じだった。
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