いつか森になる荒野

千年砂漠

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災い転じて

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 睡眠不足の目に朝日がまぶしい。
 嫌味なくらいに晴れた空の下、僕はグダグダと歩いて登校した。今日ほど学校を休みたかった日はない。けれど、僕の家には熱が出ない限り学校は休ませないという鉄の掟があるのだ。
 いつものように途中から男友達たちが合流する。回らない頭でぼんやり彼らの話を聞いていたが、昨日のことは少なくともまだ彼らの耳には入っていないようだった。
 クラスの女子にも何人か会ったが、特別変わった態度はなかった。教室に着いても同じで、表面上は昨日と何の変わりもない一日の始まりだった――が。
「中原優人君。話があるの。ちょっと来てくれない?」
 早川旭さんが、登校してくるなり僕の周りにいる男友達を掻き分けるようにして話しかけてきた。
「は、話? 何ですか」
「プライベートな話。だから来て」
 彼女は僕の制服の上着を掴むと男友達の輪の中から引きずり出し、そのまま普通教棟と特別教棟の間の渡り廊下へ向かった。
 人気のない渡り廊下まで来て、早川さんはやっと手を離した。
「ごめんね、突然」
 ふわりと笑う彼女からは、話の内容が全く予想できなかった。
 少なくとも、昨日目撃された場面についていきなり罵られそうな雰囲気ではない。
「あ、いえ。……それで、話っていうのは」
「私と付き合ってください」
 一瞬、頭の中が真っ白になった。
 嘘だ。いや、ドッキリか? だって昨日、見ただろ、あれ。その上でそんな、絶対ありえない。
 何て答えていいか分からず固まる僕に、早川さんは笑って言った。
「あ、もちろん、ふりだけでいいの」
「は?」 
 ますます混乱して言葉が出てこない。
「旭!」
 後ろから声が聞こえて振り返ると、見覚えのある小柄な女の子が不機嫌そうに立っていた。確か同じクラスの、早川さんと仲のいい子だ。
「やっぱり私は反対だ!」
 しかめ面の彼女に、早川さんは首を振った。
「昨日ちゃんと話したでしょう。ヒロミたちを安心させたいのよ」
「――だけど」
 彼女は何か言いかけたが口をつぐみ、踵を反して立ち去った。
 早川さんは少し表情を曇らせたが、気を取り直すように笑った。
「話を戻すけど、付き合ってるって話を合わせてくれるだけでいいから」
「あのう、早川さんなら僕にそんなこと頼まなくても、もっと格好いい男と本当に付き合えると思うんですけど」
「私、当分誰かと交際する気はないの」
 しかし、早川さんには小学生の頃から仲のいい友人がいて、恋愛に無関心な彼女をとても心配してくれているのだという。
「友達の内三人はこの高校に一緒に入学できたんだけど、一人は病気で、今もまだ入院中なの。さっき言ったヒロミって名前の子なんだけど、自分の病気だけでも大変なんだから、せめて私に対しての心配はなくして欲しいのよ」
 それに校内にいる友人に対しても僕という交際相手 (のふり)の実在がいれば、一応虚言ではないとアピールできるわけだ。
 彼女は不意に人悪そうな笑みを見せた。
「これはお願いじゃなくて、脅迫だと思ってね」
「きょ、脅迫?」
「そう。見たわよ、昨日。恋人とデートしてたのよね」
「――あ、あれは違うんです。あの」
「大丈夫。私はそういうのには偏見ないから」
 僕の言い訳を全く聞く気もないように、彼女は軽く笑って手を振った。彼女は僕にキスした男が僕の彼氏だと信じているようだった。
「よく考えてみて。中原君にとっても損な話じゃないよ。私と付き合ってるって公言しておけば、本当は同性が好きな人間だってばれなくて済むんじゃない? こういうのってなかなか世間には理解してもらえないから、本当のことが知れると大変よ? 付き合ってるふりしてくれたら、誰にも言わない。私と美国を信用して」
 言いふらされない、という点では喜んでいいが。
「あの……美国って」
「同じクラスの吉沢美国。ほら、さっきいた子よ。昨日のあの時も、私と一緒にいたでしょう」
 言われても思い出せなかったが、クラスの女子もう一人にあんなシーンをみられていたなんて……恥だ。けれど、考えようによってはこれはチャンスかもしれない。表向き付き合っていると言えば彼女と堂々と仲良くできるし、ふりでも付き合っているうちに本物になる可能性だってある。誤解は折を見て解けばいいのだし。
「……あの、僕でよければ」
「ホント? ありがとう」
 ふわりと笑った早川さんはとてもかわいらしく、役得を感じた。
「じゃ、恋人同士らしく、名前で呼び合うことにしようね。私は中原君のこと、優人って呼ぶから、私のことは旭って呼んで」
「分かりました……旭さん」
「敬称は抜き」
「……旭」
 呼び捨てなんて、大声になるんじゃないかと心配したが、こういう場合は大丈夫らしい。
「うん。これからよろしく、優人」
 かりそめとはいえ、ようやく僕にも春が来た――と思いたい。


 旭が教室に帰ってすぐに僕との交際宣言をしたせいか、その日のうちに僕たちが付き合い始めた話は結構広まっていた。
 同じクラスの内に恋人ができた僕に遠慮したのか、興味が半減したのかは定かではないが、それをきっかけに僕は以前のように大勢の男友達に取り囲まれることは少なくなり、変な緊張をしなくて済む分安堵とした。
 必然的に僕は旭と一緒にいることが多くなった。が、それで二人の仲は急接近して嘘が本物に、といくほど現実は甘くない。
 旭と一緒にいるのは学校内だけで、学校外では会っていない。僕のスマホの番号とメルアドは教えてあるけど、電話やメールは一度も来ない。あ、そういえば今度教えると言ったきり、旭の電話番号もメルアドもまだ教えてもらってない。家も彼女は町の西側、僕は東側と方角が違うからいつも校門でさよなら――って、考えてみると僕ってホントに見事に建前だけの彼氏で、随分かわいそうな扱いだ。泣いていいかな。
 僕なんて傍にいれば情が移ってしまいそうだが、女の子はシビアだ。ありえない相手との恋愛は永遠にありえないらしい。
 それでも彼氏のふりを頼むなら、もう少し甘い態度を見せてくれてもいいのにとも思うが、旭も悪気はなく性格がそうなのだろう。
 旭は最初僕が見た目で抱いていたイメージとは全く違った女の子で、少し垂れ目がちの顔とふんわりした髪型の外見とは違い、芯の通ったしっかりした子で、面倒見もいい親分肌。ある意味男より男らしいサッパリした性格だった。だから友達も多く、旭を通してクラスの他の女の子とも話ができるようになった。小学中学時代の僕を考えれば奇跡の交友関係だ。
 旭と特に仲のいい同じクラスの二人の女子とはもう友達と言っていいくらい、気易く会話ができるようになり、一人は偶然にも吉沢美国さんと同じ吉沢姓だったので、区別するための愛称で呼ぶお許しを彼女達からいただいた。吉沢美国さんはそのまんま『美国』、そしてもう一人の吉沢姓、吉沢忍さんは校内学力テスト国語と英語の二科目主席への敬意を込めて『シノ様』だ。あと一人、藤崎みどりさんはかけている丸眼鏡と髪型が本家とよく似ているし、本人の方からもそう呼んでとリクエストがあったので『アラレちゃん』。
 ちなみに美国と旭は同中学。アラレちゃんとシノ様は納田市から通学している。
 あまり女の子と話したことのない僕が言うのもなんだが、旭を筆頭に美国もアラレちゃんもシノ様も変人――いや、極めて個性的だった。何と彼女たちはこのスマホ全盛期にメールもLINEもあまりしないと言う。
「用件を伝えるなら電話をかけた方が早いし、迂闊なこと書き込んでもめるのも嫌だしね。確かに文字でのやり取りが楽な時もあるけど、コミュニケーション技術を磨かなきゃならない時期に、メールやLINEに依存するようにはなりたくないのよね」
 それ以前に、彼女たちは色々忙しいのだ。旭は何と小学生の頃から合気道を習っていて今も道場に通う他、パソコンや着物の着付けも学びに行っている。シノ様とアラレちゃんは部活、美国は仕事で帰りが遅くなる母親の代わりに家事を引き受けているらしいので、スマホでの無意味な雑談にあまり時間を取られたくないのが本音なのだろう。
 そんな「会話は顔を合わせた状態で」が基本の彼女たちと僕が話をするのは学校内での休み時間が主だったが、これがまた少々難ありだった。
 女の子って男性アイドルと食い物と化粧の話しかしないって誰か言っていた気がするが、とんでもない。彼女たちもアイドルやスイーツの話をしないわけじゃないけれど、現在社会で問題になっている事件や政治、経済などの堅い話から流行の音楽や映画まで多種多様だった。好奇心が旺盛で話題が豊富なのはいいが、おかげで僕は彼女たちの話についていくために、今までテレビ番組欄しか見なかった新聞を一通り目を通し、ニュースも見て勉強する羽目になった。
 美国は僕がいると絶対に旭の傍には寄って来なくなった。二人の友情を壊してしまったのではないかと心配したが、僕がいないと普通に旭と仲良くしているようで安心した。
 旭は人目を引く魅力のある女の子だが、美国は全く地味で目立たない子だ。スタイルのいい旭と違って彼女は背が小さくて痩せているので、旭といると特に幼く見える。いつでも明るい旭に比べると愛想もない。何もかも正反対のこの二人が何故仲がいいのか理解に苦しむ。
 旭は何とか美国を僕と仲良くさせようとしているようだったが、美国には全くその気がないようで、僕が必要に迫られて話しかけても口も開かない返事をするだけだった。
 僕には逃げるものを追う習性はないはずなのだが、何故か僕を避ける美国が気になり、つい視線で追ってしまう。
 それでも、一度として彼女と視線が合うことはなかった。
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