早春の向日葵

千年砂漠

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伯母の家

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 伯母の家は森松市との境に近い所で工務店を営んでいた。
 従業員二十名ほどの小さな会社ではあるが、近年麻生町は住宅の建設ラッシュで、中々繁盛しているようだった。
 会社の事務所兼自宅の家の敷地は結構広く、道路に面した前面は従業員のための駐車場と資材置き場に使われていて、山茶花の垣根で仕切られた奥が自宅と庭になっていた。
 ガーデニングが好きな母がきれいに整えていた私の家の庭と違って伯母の家の庭は余り手入れされておらず雑然としていたが、一つだけ好きな点があった。
 この庭は猫が良く通るのだ。それも見かける度に違う猫が。周りは一戸建ての住宅が多く、そのどこかの家で飼われている猫達らしい。首輪をつけた艶やかな毛並みが悪びれもなく庭を横切って行く。私が庭に出ている時は挨拶のように足にすり寄って来る猫もいて、とても可愛かった。私の家の周りでも犬や猫を飼っている家はあったがみんな室内飼いで、姿を見るのさえ稀だったので、撫でられる猫がいるのも嬉しかった。
 庭に来る猫達の中で一匹だけ、飼い主を知っている猫がいた。真っ白な体毛に薄紫の首輪をした猫で、中学校と伯母の家の中間あたりにある神社の神主さんが飼っている猫だ。
 伯母の家に来て一番最初に庭で見た猫で、どこでどうしたのか右後ろ足にビニールの紐が巻き付いていた。歩くにも邪魔そうだし、紐が何かに引っかかりでもしたら危ない。傍に寄っても逃げなかったので紐を取ってやると、私の顔を数秒見つめた後ゆっくり庭を出て行った。
 翌日「うちに住む間は氏子だから神様にご挨拶を」と伯母に言われて、二人で高校の合格祈願も兼ねて神社にお参りに行った時に、その猫がどこからか来て伯母の足元にすり寄ってきた。
 伯母は目を細めて猫を撫でた。三年くらい前にまだ目も開いていない赤ちゃん猫五匹が段ボールに入れられて捨てられていたのを伯母が保護したが、捨てられてからの時間が経ち過ぎていてみんな衰弱が酷く、唯一生き残ったのがこの猫なのだそうだ。
 二ヶ月ほど伯母が世話した後、叔父と親交の深い猫好きな神主の家に引き取られたが、外が好きな猫だったらしく気をつけていても隙を狙って外に出てしまう。しかし家出しても数時間でちゃんと家に戻ってくるし、近所からの苦情もないようなので、もう諦めて去勢手術の後は首輪に迷子札をつけて放し飼いにした。
 白猫は境内の賽銭箱の傍で寝ている時があり、嘘か本当か白猫を撫でた人が帰りに買った宝くじが当たったという話がネットに書き込まれ、いつからか神社に行った時にこの白猫が賽銭箱の傍にいるのを見かけて撫でることができれば金運が上がると噂が流れて、テレビ取材まで来たという。
 今ではすっかり神社のマスコット、まさに招き猫で、伯母に買ってもらったお守りにも小さく姿が刺繍されていた。
 猫は縄張り意識が強い生き物なのに、何故かこの庭に来る猫達ははち合わせしても絶対喧嘩をしない。土を掘り返しやすい花壇もあるのに糞などもしない。それをこの白猫が来るおかげだと伯母は本気で思っている。案外、本当に命を助けてもらったお礼に、庭の中でトラブルがないように様子を見に来ているのかも知れない。動物は恩も恨みも一生忘れないそうだから。


 家に帰ると玄関脇の事務所のドア開いて伯母が顔を見せ「おかえりなさい」と笑いかけて来た。伯母は日中工務店の事務を執っているので、窓から私が帰って来たのが見えたのだろう。
 自宅の玄関と事務所はドア一枚で繋がっているので事務所の方から家へ出入りしても構わないと言われてはいたが、どこか威圧感のある父より年上の男性従業員達と顔合わせしたくなかった。駐車場と隣の家との間に道があり、そこを通っていけば自宅の方の玄関に回れるので私はそちらの方を使っていた。
「どうだった? 新しい学校は。友達できそう?」
 私が曖昧に頷くと、伯母の後ろから「おかえりなさい」と年配の柔らかい女性の声がした。目を細めて笑う彼女に見覚えがあった。確か近所に住んでいる人だ。
 彼女が座るソファーの前のテーブルに湯のみと菓子が置いてあるのが見えた。内向的な私の母と違い、世話好き話好きの伯母は人を招くのが好らしい。事務所には仕事関係の人間だけでなく近所の人もよく寄って来ていて、茶飲みサロンか喫茶店のようになっていることもしばしばだった。
「お腹空いてるでしょう。お菓子もあるし、お茶でもどう?」
 伯母のその気遣いは迷惑だった。私は母ほど人見知りではないが、顔見知り程度のそう親しくもない人間とお茶を飲んで楽しめる性格でもなかった。どう断わろうかと考えを巡らせていると、折よく事務所の電話が鳴った。これ幸いと私は「忙しそうだから夕食まで勉強している」と伯母を電話に向かわせて、事務所にいる女性に会釈して二階へ逃れた。
 自室に与えられた部屋は階段を上がってすぐの六畳間だった。
 伯母には二人息子がいて、どちらももう成人して独立していた。私が使っているのはその息子のどちらかが使っていた部屋らしい。薄汚れた壁にはポスターの貼り後が残り、押し入れのふすまは二、三か所破れて、シールを無理に剥がした後がいくつも残っている。私が小学生の低学年の頃会ったきりでもう顔も覚えていない従兄弟の、薄い残像が見えるような部屋だ。
 半ば物置になっていたというこの部屋は、暮らして二週間になると言うのにどこか湿っぽく、かび臭かった。長くいるつもりはない意思表示に必要最小限の物しか持ってこなかったため、同世代の他の女の子の部屋に比べると色寂しい。伯母が用意してくれた寝具の花柄だけが場違いのように鮮やかだった。
 母のひとまわり上の姉である伯母は私に色々気を配ってくれたが、伯母の伴侶である義理の伯父はほとんど私に構わなかった。
 工務店を興す前は大工だったという伯父は従兄弟以上に会った回数が少なく、会話した記憶も殆どなかった。強面の無愛想な人で、これで社長業ができるのだろうかと疑問に思うが、仕事となれば違うのかもしれない。単に私に関わりたくないのだろう。
 伯父とは最低限の挨拶くらいしか言葉を交わさなかった。夕食の席でも伯父はテレビの方を向き晩酌のビールを飲むばかりで、私の方には目もくれない。私も食事が済むと受験勉強を口実に早々に自室へ引き上げた。
 私は伯父が私をこの家に住まわせるのに反対だったのを知っていた。私がこの家に来た初日の夜、伯母と伯父が言い争っているのを聞いてしまったので。
「俺は引き取りたくないって言ってあったはずだぞ」
 だって見捨てられないでしょう、と口籠る伯母に、
「大体、お前はお節介過ぎるんだ。病院代だってどうするつもりなんだ」
 俺は知らんぞ、と突き放すように言って会話を終わらせた伯父。
 面と向かって厄介者と言われはしなかったが、伯父は私がいると何か落ち着かない様子で、不機嫌そうだった。
 帰りたい、と思う。自分の家へ。何もなかったあの頃へ。
 でも、帰れないのも分かっていた。
 私の家は壊れてしまったのだ。
 おそらく、もう修復は望めないほど。
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