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4「戦争と平和」コーナー

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 「戦争と平和」といっても、今回はあのロシアの文豪、トルストイの著作がテーマであるわけではない。

 学校の図書館(図書室)にはよく、「戦争と平和」と銘打ったコーナーがあるのではないだろうか。特に夏休み前になると、このコーナーを利用して夏休みの読書や自由研究の題材などを探す先生もよくいらっしゃる。
 うちにもそのご多分にもれず、その名をもつコーナーが存在する。

 もともと古い歴史のある学校ということもあって、全体にとても古い本が多い図書館だったのだけれども、このコーナーもまたそうだった。
 背ラベルは黄ばんでしまって何が書いてあるのかも分からない。ブッカーという装丁を守るための保護フィルムもかかっていない、裸のままの本も多い。ページは茶色く変色してしまっていて、中身の活字も昔の硬質な書体だったりして、非常に読みにくいものだ。
 もちろん、そういう本は大体が積年の埃だらけ。本来なら、すぐに除籍処分にして廃棄の判断をするような本だ。
 実際、この図書館に配置されてからこれまで、私は主に古くなった本(資料)を千冊以上、除籍してきた。

 こんな風に、見た感じがかなり古くなっている本は、生徒たちはまず、手にもとらない。
 生徒たちばかりではない。先生方のほとんども同様である。見ていると、ここ五年ぐらいで入った新しい装丁の本にばかり手が伸びている。それは人情としても自然なことだ。

 手に取られない資料は、死んだ資料だとも言える。
 公共図書館とは違い、スペースにかなり限りのある学校図書館では、不要と思われる本や資料はどんどん廃棄して新しいものに入れ替え、常に書架を新しいもの、つまり「生きたもの」に保っておく必要がある。

 でも、それでもどうしても「廃棄すべきでない」と思わせる資料というのが存在する。
 特に歴史的な本や、こうした「戦争と平和」のコーナーにある本にはそれが多いように感じている。すでにとっくに絶版になっていて、Amaz●nなどで調べてみても古本としてしか手に入らない本が多いのも特徴のひとつだろう。
 ちなみにこれは余談だが、学校図書館で本を購入する際、私のいる地域の学校では、基本的に新品の本しか入れられないことになっている。すでに絶版であったりする古本で、どうしても入れたいものがある場合、司書がポケットマネーで購入して寄贈……なんていう形を取らざるをえない事態もままあるのだ。

 さて、そうした本の一つに、
「三光 第一集 ~衝撃の告白手記~」(中国帰還者連絡会・編/光文社)
 という本がある。
 ヒロシマやナガサキ、沖縄戦やひめゆりの塔、さらに東京大空襲や学童疎開の体験を語る、といった内容の本はとても多い。つまり、日本国内にどんな被害があったか、人々が戦時中にどんな苦労をしたかを記した本だ。
 でも、今回紹介したこの本は、被害者としての日本ではなく、逆に他国へ行った日本軍がいったい何をしたかを、つまり「加害者としての日本」の姿を赤裸々に記した本なのである。

 うちの図書館においては、被害者としての日本について書いた本が、この「戦争と平和」コーナーのスペースの半分以上を占めている。
 一方で、こうした「加害者としての日本」を描いた本はとても少ない。せいぜいが数冊といったところだろうか。この歴然とした差には驚かされる。
 でも、だからこそ、これはここになくてはならない本だと感じている。
 もともとあったはずのカバーは無くなり、ページは完全に変色してまっ茶色だけれども、これはできれば中学生に読んで、知っておいて欲しい資料だと思っている。

 具体的な内容は、まことに目を覆うほどひどいものだ。兵士だった人本人が、その時代に翻弄され、軍部と上官にけしかけられて、兵隊だった自分が中国でどんな酷いことをしたのかを、手記の形で残したものである。だから、恐るべきリアリティがあるのだ。はっきり言って、R15どころではない。
 何が恐ろしいと言って、こんな残虐なことをした兵士たちが、国にもどればごく平凡な心優しい父親だったり夫だったり、息子だったりすることである。そんな人たちをあれほどの狂気に巻き込む戦争の、本当の恐ろしさを考えさせられる本なのだ。
 実は私自身、正直なところ、ここまで陰惨で残虐なものを中学校の図書館に置くべきなのかどうかと、考えずにはいられないような本でもある。
 ……でも、やっぱり廃棄すべきではないと私は判断しているのだ。

 今回は、これに関連して他の書籍も紹介しておきたい。
「中学生の疑問に答える 日本史・歴史教科書の争点 50問50答」歴史教育協議会・編/国土社(2003)
 という本だ。

 これをお読みくださっている皆さんは、少し前に、扶桑社から刊行された「新しい歴史教科書」(2001)をめぐって論争が起こったことをご存知かもしれない。
 「新しい歴史教科書をつくる会」が中心になって執筆されたその教科書は、南京大虐殺や従軍慰安婦について、従来よりも相当にぼかした表現を使ったり、そもそも無かったかのように誤解をさせるような手法を取った。そのことで大きな問題となり、各地域の学校関係者の間でも導入するかどうかが相当に議論されたのだ。
 この会の母体となった団体がこうした教科書を作った理由としては、「これら歴史上の嗜虐的な日本の過去を若い人たちに強調しすぎると、かれらが自分の国に誇りをもてなくなってしまうから」というようなことだったようである。

 けれども、「中学生の疑問に答える~」の中の
「Q36 南京大虐殺はなかったのですか?」や、
「Q37 従軍慰安婦のことを全然取り上げていない教科書がありますが、なぜですか」
 という項目を読んでみると、事実をぼかしたり、ごまかしたり削除したりして若い世代に伝えてしまう(あるいは故意に伝えないでおく)ことへの危機感が、まことにひしひしと迫ってくる。

 この本には、実際に従軍慰安婦についての授業を受けた中学生の感想文もいくつか載せられているのだが、その意見が本当に素晴らしい。
 そのうちの一人の女子生徒は、「自分と同じような年でこんな目に遭うことになった人のことを今、同じ年の自分が知ることができて良かった」とまで言っているのだ。
 事実をただ大人から勝手に隠蔽されて知らずにいることと、正確な情報を与えられ、分かった上で「さらに未来を見なければ」と考えることの間には、確実に大きな差があるのだ。

 こうしたことを何も知らずに、ただの観光客として大いに楽しむためにかの国へ行き、現地の人からの思わぬ敵意にあって戸惑う……といった事態が、若い人に起こるべきではない。そのほうがよほど、人として恥ずかしいことだろう。
 大人が恣意的にそう仕向けるのは論外だし、他方で若い人たち自身も「自分が生まれる前のことなんだから、自分とは関係ない」とばかり、何も知ろうとしないで大きな顔をして旅行に行くのも、またいかがなものか、という話である。

 それだからこそ、大人の勝手な考えで、若い人たちから事実を知る機会を奪うべきではない。容易く手に届く場所に、事実をきちんと知ることのできる情報を置いておいてあげること。これから未来を歩いて行く子どもたちのために、大人がまずすべきなのはそれだろう。
 その情報に触れてどう考えるかは、個々の利用者に任されている。それを判断するのは司書ではなく、あくまでも利用者の側ということだ。

 利用者が、様々な歴史的記録、色々な意見をなるべく沢山見聞きして、自分なりの考えや自分の中の知識体系を構築していく。そのためにこそ、視点や意見の違う、出どころの明らかな資料をなるべくたくさん準備しておく。
 それも図書館に課せられた大事な使命のひとつである。それがたとえ、こんな小さな中学校の図書館であったとしても、だ。

 今回はこんなことを、つらつらと考えたのだった。

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