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第八章 事態は一転、どん底です
3 ことの顛末が語られます
しおりを挟む「ああっ、シルヴェーヌ嬢……!」
到着した途端、皇后陛下がよろよろと俺に近づいてすがりついて来た。その顔は蒼白で、髪も乱れている。必死にこらえようとなさってるけど、目には一杯の涙だ。
当たり前だよな。たった一人の息子が魔族に拉致されたなんて。気が狂いそうになって当然だよ。
「皇后陛下。大丈夫っすか……?」
俺は思わず、不敬も忘れて皇后陛下の背中をとんとんした。
落ち着いて。どうか落ち着いて。
きっときっと、あなたの息子は助けるから。
俺がここに呼ばれたのは、たぶんそのことのためなんだろうし。あれこれバタバタと慌てながらも、俺はそれなりに考えていた。
「すべて内密に」っていう話なのに、陛下たちは一介の騎士団の大尉である俺だけをここに呼んだ。
ってことは、魔族側から俺が名指しで何か要求されてるってことじゃねえか。
だったらもしかすると、俺にできることがあるってことかも。
皇子の代わりに俺の身柄を寄越せっていうなら──
(あ。……でも)
俺自身ならどうだっていい。
でも、これはシルヴェーヌちゃんの体なんだよな。命も体も、俺が勝手に決めてどうこうできるようなもんじゃねえ。
そんなの、いったいどうしたらいいんだよ……?
頭がまたグルグルしはじめる。
「急に呼び立てて済まなかった。まずは座ってくれぬか」
「あ……陛下。夜分にお邪魔します」
俺は一応、騎士としての一礼をして、すすめられるまま部屋のソファセットのほうへ座らせてもらおうとした。
と、部屋の隅にとある人をみつけてギクッと足を止める。
「ベッ……ベル兄!?」
そうだった。そこに呆然と立っていたのはベル兄だった。やっぱり蝋人形みたいな顔色だ。幽霊がいるのかと思ったよ。あのいつも明るいベル兄が、今日ばかりは別人みたいな青白い顔をして無表情に突っ立っている。
俺はそっちへ駆け寄ろうとした。
「ベル兄。ベル兄っ……! 大丈夫なのかよ、ベル兄っ」
「そっとしておいて差し上げてください。彼は殿下が拉致されたとき、すぐそばにいたのですよ」
「え──」
宗主に言われて、またあらためてベル兄を見る。
よく見ると、いつも小ぎれいにしているベル兄らしくもなく、髪は乱れ、騎士服もあっちこっち汚れて破れている。左の二の腕のところには、血の滲んだ包帯も見えた。痛々しすぎて、俺の胸はきりきり痛んだ。
「けっ、怪我したの? ベル兄……っ」
「こんな怪我っ……なんだって言うんだ」
突然、押し殺した声でベル兄が唸った。
「俺が……俺がそばにいながらっ……! あんな、簡単に──」
俺はすぐにベル兄のそばに行き、両肩をつかんで激しくゆさぶった。
「落ち着けよっ、ベル兄! とにかく、ちゃんと教えてくれ。皇子に何があったんだよっ……!」
それは多分もう、たったいま両陛下と宗主さまに説明済みの話だっただろう。俺はそれでも、ちゃんとこの耳で聞きたかった。他でもない、ベル兄の口から。
ベル兄は蒼白な顔をして俺を一瞬見つめ返した。相当ショックを受けているのは一目瞭然だったけど、そこはさすが第一騎士団の少佐殿だった。
訥々とではあったけど、ベル兄はそこから一部始終を語ってくれた。
◆
その日、皇子とベル兄は第一騎士団の面々とともに敷地の外へ出かけていた。野外訓練のためだった。
前にも聞いたとおり、この騎士団には秘密裏にクリストフ殿下の身辺警護を拝命している奴らがいる。要するにSPだな。もちろんベル兄もそのひとり。
皇宮の中で側妃がわの連中による闇から闇の暗殺劇にさらされるよりは、こちらの方がはるかに安全だというのが、両陛下のくだした判断だった。
実際、騎士団にいる方が皇宮内にいるよりよほど皇子の足取りがつかみにくくなる。日本の自衛隊もそうだけど、基本的に隊がどこでどんな任務に就いてるか、どんな訓練をしているかは極秘あつかいにされるのが普通だからだ。
それに、基本的に他の隊士と同じような隊服を着ているせいで、団体行動中に皇子ひとりを探しだすことは難しくなるしな。
「なのに……奴らはやってきた。まるでそこに殿下がおられるのを前々から知っていたかのように。確信をもってな」
ベル兄の声は干からびていて、まだ微妙に震えている。でも、さっきよりはだいぶしっかりしてきたみたいだった。
とにかく。
奴らは突然、空中に現れた。
おそらく宗主さまが使う《跳躍》の魔法を使ったんだろう。
もとのドットみてえな恐ろしい姿をしたドラゴンに、オーガにトロル。
それまで爽やかな風が吹いていた高原は、いきなり悪臭ただよう阿鼻叫喚の戦場へと激変した。
魔族の言語は、俺たちとは違うものが多い。だからいきなり聞き取れる奴は多くない。
でもベル兄はちゃんと聞き取った。
「クリストフを狙え! あとは皆殺しで構わん!」
ひときわ大きなドラゴンに乗ったヒト型の魔族がそう叫ぶのを。
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