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第五章 事態は急転直下です

4 初めての試合、ゲームセットです

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 そこまでできてはじめて、周囲のどよめきが耳に入ってきた。

「……すごい」
またたく間に傷が治っているぞ」
「皮膚がまったく元通りだ。痕もみえない!」
「これほどのものとは──」
「これが噂の、マグニフィーク少尉の大いなる《癒しの手》か……!」

 仲間の騎士たちの驚嘆する声で、意識が現実に戻ってきたのを知る。
 気がつくと、目の前に皇子のイケメン顔があった。
 その顔はにっこりと微笑んでいる。
 心臓が、どくんと跳ねる。

「ふえっ? ……あ、えっと」

 思わずつつっと身を引こうとしたら、逆に手首をつかまれて引き寄せられた。
 ひええっ。

「あのっ……だ、大丈夫っすか? もう痛みません?」
「ああ、ありがとう。もう完璧に治っている。シルヴェーヌ嬢、君のおかげだ」

 皇子は血に汚れて破れたウェアの袖をひらひらと振って見せ、周囲の騎士たちやギャラリーのみんなにも同じようにして見せた。

「ああ……よかった!」

 ベル兄をはじめ、騎士たちが一気に安堵した顔になる。
 ベル兄が皇子の手を取り、立ち上がらせた。

「さあ、もう大丈夫です。私はなんの問題もありません。副団長閣下、試合を続行するとしましょう」
「おっと。その前に!」
「ん?」

 いきなりぴっと人差し指を立てた俺を、みんながびっくりして見つめる。
 俺は、ぐいと胸をそらした。

「バットの件なんすけどね。くれぐれも、バット製造工房のみんなを責めないでくださいね? これ、ぜってー約束してください! ここにいる全員っ!」
「えっ」

 みんな驚いた顔をしている。
 不審げな顔のやつもいる。やっぱりか!

「あのですね。折れたのは、別に不良品だからってわけじゃないんで。みんな、めっちゃまじめに頑張って、きっちり作ってくれてますから。バットってのは、使ってりゃあいつかは折れるもんなんです。当たり所によっちゃあ、新品でもこうなることはあるし。だって木なんスから。庶民のみなさんにこれで文句いったり、罰を与えたりってのは絶対にナシで。いいですか?」
「わ……わかった」

 みんなやっぱりびっくり顔で俺を見つめている。
 だから貴族の坊ちゃんどもは困るんだよ。フンス!
 そして皇子だけは例によって、なんか満足げににっこりしてる。
 ……なんだよー。
 でもアレだな。この感じだと、やっぱ観客席とフィールドの間にちゃんとしたフェンスとかは必要そうだなあ。これは今後の課題だな。

「では、試合は続行でよいのだな? まことに」

 審判である副団長が、確認するように俺と皇子の顔を見比べた。

「もちろんスよ。いけますよね? 殿下」
「当然だ。ここから、我ら虎チームの反撃なのだからな」
「おいおい。その前に俺らの攻撃でしょうがっ」

 試合はいま八対七。俺たち鷹チームが一点リード。追いつ追われつのなかなかいい勝負だ。ここでやめちまうのはもったいない。
 そして次がいよいよ九回表、俺たち鷹チームの攻撃だ。
 今日がいきなりの試合だったけど、みんなと事前に相談した結果「やっぱり正式に九回フルでやってみよう」ってことになったんだよな。延長はなしの約束。
 このあと、九回裏で虎チームが同点以上にしなければ、鷹チームの勝利になる。
 一点差じゃ心もとないから、俺たちとしちゃあ一点でも多くとっておきたいシチュエーションだ。

 九回表はあっという間に進んで、ツーアウト。
 五番打者である俺の打順が回ってきた。
 虎チームのピッチャーマウンドにあがってるのは、クリストフ殿下。すでに血で汚れたウェアは新しいものに着替えている。「え? 怪我ってなんのことですか?」といわんばかり。
 実はこの人、なかなかピッチャーとしての才能もあるっぽくてな。俺がちょっと教えただけでかなり上達しちまった。投げるだけじゃなく、打つ方にもかなりの才能を感じる。センスがあるんだな、きっと。
 ……イケメン皇子には死角はねえってか。あーあ。

 動体視力のいい騎士連中が相手でも、皇子は余裕で見逃しの三振やら、敢えて打ち上げさせておいて守備に捕らせるっていう冷静なプレーをがんがんやっている。そしてほとんど汗もかいていやがらねえ。
 こりゃ俺も、経験者だからってうかうかとはしてらんねえなー。

 と思ったら案の定だった。
 低めのストレート、しかもかなりの速球が飛んできた。うまくとらえたと思ったんだが、やっぱりちょっと振り遅れた。

「ちっ……!」

 打球はファーストの目の前にぽてぽてと転がって、あっさりとスリーアウトチェンジ。
 くう、やられたわー。むしろ打たされたって感じだ。やるな皇子。
 バッターボックスから去りながらちらっとマウンドを睨んだら、皇子はにこにこと嬉しそうな笑顔を向けてきた。
 ああくそっ、こんなとこでも出たよ「イケメン武器」がよー。
 なんだよその「どうぞ惚れ直してくださいね? いつでもウェルカム!」みてえな顔はよー。

 だけど試合に関しては、さすがに経験の差が出たようだ。
 九回裏、俺は続く打者をつぎつぎに打ち取った。
 二番目の打者である皇子は、またしてもあっさりとヒット性の当たりを出したけど、残念ながらあとが続かなかった。
 三番目の打者がショートゴロに沈んでダブルプレー。

「スリーアウト! ゲームセット。七対八。勝者、鷹チーム!」
「うおおおお!」
「やったあああ!」

 鷹チームが跳びあがり、みんなしてベンチから飛び出してくる。銘々がハイタッチしたり肩を抱き合ったりして大喜びだ。
 もちろん、俺んちの侍女ちゃんやメイドちゃんも大喜び。「おめでとうございます」の大合唱。ギャラリーの街の人たちや子どもたちもやんややんやの喝采をくれている。

 虎チームのみんなはやっぱり悔しそうだけど、それでもなんとなく全員晴れやかな顔で、ちょっと嬉しそう。
 俺は、ほんの少しだけ悔しそうな顔だけど苦笑している皇子のところへ走っていき、握手を求めた。一応、お互いのチームのキャプテンだかんな。
 皇子は最初こそびっくりした顔になったけど、すぐに笑って、差し出した手をすぐに握り返してきた。

「いい試合だったッスね、殿下」
「ああ。……楽しかった」

(およ?)

 なんとなくだけど、それは皇子の正直な気持ちに聞こえた。

「負けてしまったのはもちろん悔しい。だが、野球の試合がこれほど楽しいものだとまでは想像していなかった。……野球は素晴らしい『スポーツ』だな、ケント。きみがずっと言っていたとおりだ」

 クリームパンみたいな白い雲があっちこっちに浮かぶ、晴れわたった空。それを見上げて、皇子は今まで見たこともないようなイイ顔をしてる。
 こんなに幸せそうな顔したこの人、はじめて見たかも。
 そう思ったら、胸のどこかがつきりと痛んだ。……なんだってんだよ。

「またやりたいな。そなたとこうして、この球場で」
「……そっすね。ほかのみんなも一緒にねっ!」
「それはもちろん。二人きりでは試合にならんし」
「そうそう……っておい! なにをしれっと二人きりになろーとかしてんですかっ」
「ふふっ」

 皇子がちょっとだけ口許に手をやって笑った。ひどく楽しそうに。

(ああ……そっか)

 この人、基本的にはこういう顔ができる人なんだよな。
 だってあんなに素敵なお優しい皇后さまの息子なんだし。あの方に育てられてきたんだから、根性の悪い人であるはずがない。
 どす黒い陰謀が渦巻く皇宮の中ばかりにいて、常に殺される危険と隣り合わせで育ってきたから、用心深くてちょっと腹黒くもなっただけでさ。あんなところにずっといたら、俺だってきっと胸の中まで腐ったような気がするに違いない。
 だからさ。
 そんな時こそ野球よ、野球!
 心の中の真っ黒いもんは、どんどんデトックスしなきゃよー!

「へへっ。いいっすよね~、野球!」
 俺はことさらにでかい声を出し、にかっと皇子に笑ってやった。
「そんで試合っ! スカッとするっしょ? みんなでニコニコ、ハッピーっしょ? また休暇ができたらやりましょうねっ」
「ああ」

 皇子、にっこり笑って俺を見つめる。

「こんな素晴らしいものを私たちに教えてくれてありがとう、シル……いや、ケント」
「あ……。う、ウッス」

 ……えっと。
 俺も忘れてたけどさあ。
 そろそろ、手ぇはなしてほしいんだけど。
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