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第二章 一念発起いたします

9 皇子との夜の密会(?)です

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「どうした……いや、なさったんですか、わざわざこの部屋まで来る……いや、いらっしゃるなんて、ですわ」

 立ち上がって迎えた俺に、クリストフ殿下はまたやわらかい笑みを返した。

「いえ。ほかのご家族をまじえずに、少しふたりでお話ができないかと思いまして。ごく短時間で結構です。あなたのお時間をいただけませんか」
「あ、ええっと」

 話だけならいいのか? いや、でもなあ……と、俺はちょっと思案した。

「……いけませんか」

(お、おう……?)

 なんかちょっとしょぼんとしたぞ、皇子。いや、よく見てないとわかんないぐらいの変化だけどさ。でもこれきっと、マジでへこんでる。
 だって頭のわんこ耳が、へちゃって垂れたところが見えた気がしたもん。
 幻覚? 幻覚ですか? 疲れてんなー、俺。
 俺はひとつ咳ばらいをした。

「いや……まあ、いいんですけど」
「ありがとうございます」

 そう言うと、皇子はついて来ていた護衛の二人には扉の外にいるように命じてから部屋の中に入ってきた。
 エマちゃんが「自分はどうしたら……」って感じで俺にちらちらと視線をよこしている。と、殿下のほうで先にそれと気づいたらしく、エマちゃんにうなずき返した。

「どうぞ、あなたはここに。結婚前の男女が部屋にふたりきりになるわけにはいかないからね。シルヴェーヌ嬢の外聞が悪くなっては困る」
「あ、……はいっ。あの、ではお茶を──」
「ああ、どうか構わないでくれ。むしろ時間が惜しいからね」
「は、はい……」

 言って頭を下げると、エマちゃんはすすす……とほとんど音もなく部屋の隅にしりぞいて、彫像のように固まった。
 こっちがちょっと声を落とせば話の内容が聞こえないほどの位置にいる。
 うん、距離感、絶妙だな。ってかそれほぼ「壁」だよね。

(でも、そこまで気を使わなくってもいいんじゃねえかなあ……)

 まあとにかく。
 俺は応接セットのほうへ皇子を案内して、向かい合わせに座った。

「で、お話ってなんでしょう」
「はい。まずは確認したいのですが……」
「はい」
 そこで皇子はこほん、とひとつ咳をした。
「その……。先日婚約をする運びになっていたという、ヴァラン男爵のご子息の件なのですが。あの話はどうなりましたでしょう」
「ああ、あれっすか? あれならチャラになりましたよ~」

 あっけらかんと答える俺。別に秘密にしてるわけでもねえしな。
 皇子、わずかに眉をひそめる。

「……ちゃら?」
「ああ、えっと……婚約式前だったんで、比較的安いお値段で白紙にもどしてもらえたってことです……わ」

 無理やり「わ」をくっつける俺。
 だって「キラーン」て「壁」の両目が光るんだもん!
 これでもだいぶこっちのご令嬢のしゃべりかたは分かってきてるんだけど、いざ実戦となるとまだまだだなあ。
 だけど皇子は別に俺の言葉遣いのことなんていっさい気にしてない様子だった。
 あからさまにほっとした目になってるのは、気のせいか?

「……そうですか。ベルトランからそれとなく聞いてはいたのですが。あなたから直接お聞きしたいと思っていたもので」
「は、はあ」
「それは良かった。ほんとうに」

 俺の頭の中には、またたくさんの「?」つまり疑問符がくるくると舞っている。
 なんなんだよ。
 なんでこの人、そんなに俺の……ってかシルヴェーヌちゃんのことが気になるんだろうなあ。そういえば午前中も、パパンに挨拶に行く前に俺の所に来たみたいだったし。

「あのー。それがどうかしたんですか?」
「え? ああ、いや……」
「っていうか殿下。なんか俺……いや、わたしのことをえらく気にしてるみたいですけど。なんかわたし、もしかしてやらかしちゃいました?? すっごい失礼なこととか──」
 これはあり得る。あり得るだけにかなーり、怖い。
「やらかす……? あ、いやそんな。とんでもないです」

 ぱっと目をあげてこちらを見た殿下は、こころもち耳のところが赤くなっているみたいに見えた。照明の関係かもしんないけど。
 ここにはまだ電気という文明の利器がない。だから夜でも基本的には灯火だとかランプだとか、そういったもので部屋を明るく保っている。電気よりはよっぽど暗いから、部屋の隅なんかはかなり暗くなってしまうんだよな。温かい色の光だから、俺はけっこう好きだけどさ。
 殿下は軽くにぎった拳で口許をちょっと隠すみたいにした。

「実は、その……。ずっと昔から、あなたのことは気になっていたのです」
「はい? ずっと昔から?」

 俺、こてんと首をかしげる。
 前にも言ったけど、シルヴェーヌちゃんの記憶の中にこの皇子のことはほとんど何も残ってない。まともにしゃべったのなんて今日が初めてのことのはず。
 朝も「会ったのは幼い頃だった」とか言ってたけど、一体なにがそんなにこの人の心に残ったのかな。
 シルヴェーヌちゃん自身にも、まったく覚えがないんじゃね?
 俺がかなーり変な顔になっちゃってたからだろう。皇子はこほん、こほんとまた何度か意味のない咳をした。

「もう十年近くも前のことです。皇家で開かれたパーティに、あなたはお見えになりました。皇家の親戚筋だけが招かれたパーティでしたので、お父上とお母上、それにごきょうだいのみなさんとともに」
「……はあ」

 俺はやっぱり首をかしげつつ、頭の中でいそがしくシルヴェーヌちゃんの記憶のなかを検索していた。
 そうしたら、あったあった。
 確かにずっと幼い頃……たぶん、シルヴェーヌちゃんが九歳になるかならないかの頃に、そんな感じのパーティに招かれた古い記憶が。

 それから皇子はゆっくりと、そのときの思い出を語り始めた。

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