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第二章 一念発起いたします

1 まずはランニングから始めましょう

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「ヒー、ヒー、フー! ヒー、ヒー、フー!」

 あ、ごめんな。
 出産シーンじゃねえから、引かないで! そこのアナタ!
 でも今、俺はこれ以外の声が出せなくなってる。

「ヒー、ヒー、フー! ヒー、ヒー、フー!」

 顔から、いや全身から滝のような汗。
 走るたびに、全身の肉がぶるんぶるんと上下する。
 脇で飲み物なんかを準備しながらエマちゃんが応援してくれている。

「おっ、お嬢様、がんばって~!」
「お~……」

 美少女の応援、たまんねえ!
 うん、これなら頑張れそう……いや、体が重いわ。かなりの無理ゲーだわー。

「ヒー、ヒー、フウウウ!」

 どすどすどす。
 軽やかに「タッタッタッ」と行きたいところだったんだけど、この体重では無理だった。そりゃそうだ。
 今朝、まだ暗いうちから俺はエマちゃんに相談した。「どこか走れるところないかなあ」って。
 それで今、この中庭にやってきている。もちろんドレス姿ではなく、乗馬のときにするみたいな走りやすいかっこうだ。乗馬用の長靴ちょうかじゃ走りにくいから、平民がよく使うひらべったい靴を履いている。

「ヒー、ヒー、フー! ヒー、ヒー、フー!」

 事前に植え込みの状態やなんかを確認して「ここを一周したら、だいたい運動場一周と同じぐらいかな~」って目測でコースを計画。
 それから走り出して、まだ五分ほど。

「ヒー、ヒー、フーッ! ヒーッ、ヒーッ、フウウウウー!」

 どすどすどすどす。
 どっふんどっふんどっふん。
 ああ、体じゅうの脂肪が重い。重く感じるのは体重のわりに筋力がないからだってのはわかってるけど。
 向こうの世界にいたときの俺は、顔はふつーだったけど身長はそれなりにあったし、なんたって男だったし。シルヴェーヌちゃんと比べてそんなに軽かったわけでもないと思うけど、走るだけでこんなに大変ってことはなかった。
 普段からの運動不足がたたって、まあ疲れるったらない。ほんのちょっと走っただけで息はあがるし、足の筋肉なんて早くもぷるぷる痙攣けいれんしちゃってるし。

 え? なんで走ってるのかって?
 いやまあ、とりあえずほかにやることもねえし? 普段から朝は朝練で集まってみんなで走ってたし、休みの時でも自分で近所をランニングしてたもんだから。
 なんか、走らないと一日が始まんない気がするんだよなあ。日課だよ、日課。もう習慣みたいなもんだ。やらないと気持ち悪いからやっている。だから理由らしい理由はない。一応、昨日の決意と無関係ではないと思うけど。

「ふは~。あと五周はいけると思ったんだけどなあ。休憩すっかあ……」

 ぜーはー言いながら足を止めたら、タオルやら飲み物の入った瓶やらをかかえてエマちゃんが走ってきた。
 公爵邸の建物の裏手、ちょうど体育館ぐらいの広さで開けた場所。たぶんこれ、剣術なんかの鍛錬のためのスペースだろう。脇に武器庫らしいものも見えるしな。
 その隣にあるベンチにどっしりと腰かけたところで、エマちゃんが飲み物をついだコップを差し出してきた。

「お嬢様、お飲み物をどうぞ! さあ、汗をお拭きしますわ。お着替えもこちらにございますからね」
「あ、うん。ありがとー」

 飲み物はレモンの味のする炭酸水だ。甘くしてある。うん、おいしい。
 でも次に作ってもらうときは、野球部のマネージャーがよく作ってくれてた特製スポーツドリンクにしてもらってもいいかな。マネージャー自慢のあのレシピをこの子にも伝授しなきゃ。甘いだけじゃなくて、ある程度塩分が入ってないとダメだろうし。
 今は春先なんでいいけど、夏場になったら熱中症で倒れかねない。
 それにしても、上がった息がなかなか戻らないなあ。心臓のバクバクもなかなかおさまらない。膝も怖いぐらいガクガクしている。なんか一回座ったら立ち上がる自信がなくなるぐらいだ。
 こりゃあこれから大変だなー。

「お嬢様……大丈夫ですか? お顔の色が」
「あ、ああ……大丈夫。うぷっ」

 おいおい。五分走ったぐらいで吐き気をもよおすなよー。
 こりゃダメだな。ちょっとずつでも体を慣らしていかねーと。
 でも、気をつけよう。最初からやりすぎると肉離れとか、関節をいためたりとか、ろくなことにならねえし。しっかり準備運動はしたけど、これから少しずつ運動量を増やしていくか。走るだけじゃなくって、歩く歩数も意識的に多くして。
 重い体で無理に走ると膝に負担がかかるからな。むしろ早足で歩くほうがいいかもしれねえ。
 そうこうしているうちに、少しぐらいは痩せてくるだろうし──。

 ──そう。
 俺の目的は、まずそれだった。
 単純に太ってるからってバカにしてくる奴は、痩せりゃあとりあえずは黙るだろう。化粧とかドレスとかでちゃんとすれば、この子だってそれなりの見てくれにはなるはずだ。なんたって、あの美形のパパンとママンのムスメなんだし。あの姉や妹ほどにはなんないにしたってな。
 その後のことについても、俺にはちょっとした考えがあった。
 たとえこのまま結婚ができなかったとしても、シルヴェーヌちゃんがシルヴェーヌちゃんとして、ちゃんと自尊心をもってひとりでも生きていけるようにする方法。だれにも後ろ指をささせねえ方法がな。

 やっと汗が少し引いて来たかな、というところで、やしきのほうから歩いてくる人影が見えた。
 その人物は、ベンチで顎を出してへたりこんでいる俺の姿をすぐに認めてこっちへまっすぐに向かってくるようだ。

「お? だれかと思ったらシルヴェーヌか。ずいぶん早いな」
「兄貴……じゃねえや、ベルトランお兄さま」

 そう。やって来たのは二番目の兄、ベルトランだった。今日も例によって騎士団の軍服姿だ。やっぱりかっけえ。

「こんな所でなにしてんだ?」
「はい、少しランニングを」
「らんにんぐ? ってなんだよ」

 あー、いかんいかん。英語は通じねえんだっけ、この人たち。

「ええっと。体力作りのために、ちょっと走ってました」
「は、走ってたあ!? お前が!?」

 なんだよその度肝を抜かれたような顔は!

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