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つづれ しういち

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第六章 茫漠

7 星影

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(なんなのよ、これ……) 

 マールはミード村の入り口で、先ほどからずっと半眼を維持している。
 太陽はすでに傾いて、山の稜線を越えて夕刻の日差しが届いている。

 これが宮仕えの悲しさというものなのだろうか。
 結局のところ、今朝あの佐竹と永遠のお別れをしたばかりのこの少女が、その余韻に浸ったり自分を哀れんだりする暇などほとんど許されはしなかったのだ。
 なぜなら。

(なんなのよ、この男っ……!)

 あの目つきの鋭い黒髪の青年と入れ替わるようにしてやってきた青年のために、ミード村は大騒ぎになってしまったからだ。
 特に、若い女性を中心に。

 その青年と竜将ディフリードが並んで立っていると、もうそこがいつもよく知っている村のはずれであることすら忘れてしまいそうになるほどだった。
 ディフリードも美貌の将軍ではあるが、彼にはどちらかと言えば「妖艶」とか「艶麗」とかいう修辞が似つかわしい。
 一方のいちおう「人質」だという男は、ごく爽やかで快活な美丈夫だった。
 見るからにきりりとした健康的な美青年。「人質だ」とは言いながら、別に拘束もされていない。白い軍服の肩から流した黒いマントが、その長身によく似合う。そんな姿で、悠然とディフリードの隣を歩いてくる。

 彼がにこやかに微笑むと、口許から白い歯がちらりと零れた。そして時おり、頬を染めて遠巻きに彼を見つめている少女に向けて手を振ってみたり、「歓迎、まことにありがとう」などと声を掛けてみたりしている。時にはそばにいる女の手を、白手袋の手で握ってみさえしているのだ。
 そのたびに、村の女の誰かれが目をいて、悲鳴をあげたりその場に倒れたりする。文字通りの大騒ぎだ。

 マールにはなぜだかよく分からないが、とりわけ上に兄や姉のいる村の娘たちが、まるで草木がなびくようにしてこの青年に心を射抜かれたようだった。
 そしてこの男の方でもどうやら、そうしたたぐいの少女がお好みのようでもあるらしかった。そういう少女に対しては特に、明らかに態度や言葉が優しくなるのだ。
 もはやマールは開いた口が塞がらない。

(バッカじゃないの、このたち……!)

 小さな拳を握りしめ、ぎりぎりと奥歯を噛み締める。隣のオルクが敏感に怒りの波動を感じとり、つつつっと離れていっている。それは分かっているのだが、どうしても怒りを収めることができない。

 いかな美青年だとは言っても、相手は敵国の人間ではないか。
 美形だったら何でもいいのか。
 この男から、この国の女がみんなこんな程度の低い生き物だと思われるのは、はなはだ心外な気持ちになる。

 ヨシュアがマールの目の前にやってきたときには、すでにマールはすっかりていだった。が、それでもどうにか少年王には笑顔を作り、いつものしとやかな挨拶をした。

「お帰りなさいませ、陛下」
「お帰り~、ヨシュア。お疲れさん」

 オルクのほうは至ってざっくばらんな笑顔で迎える。そして相変わらず、即座に侍従長の男ににらまれていた。
 ヨシュアは少し疲れた顔だったが、二人を安心させるようににっこり笑った。

「彼なら無事に向こうに着いたよ。《儀式》そのものは三日後だとのことだ」
「そう……ですか」

 マールは一瞬だけ頬を引きつらせたが、それでもぴりっと表情をあらためて、あえて明るい声で答えなおした。

「わざわざお知らせをありがとうございます。さ、陛下。宿所でお休みくださいませ。お怪我の手当てもいたしませんと――」

 と、ディフリードと例の人質の青年がこちらへ近づいてきて、マールたちの前に立った。どうやら彼の紹介をするらしい。

「本日づけでこちらにお身柄をお預かりすることになった、ノエリオールのヴァイハルト卿だ」
 ヴァイハルトはマールとオルクをちらっと見ると、また優しげににっこり笑った。
「ヴァイハルトと申します。しばらくこちらにお世話になります。皆様どうぞよろしくお願い致します」
 軽く会釈したその青年と、一瞬ぱちりと目が合った。

(……!)

 その瞬間、マールは自分の髪が逆立ったのを自覚した。
 身内に溜まった溶岩が、今にも噴出するのではないかと思った。

 マールには、はっきり分かったのだ。
 この男の瞳が明らかに、マールを一瞬にして「対象外」にくくりいれたことに。
 要するにマールはこの男から、彼が先ほどから特に優しげな視線を送った少女たちとは「別種の生き物」と認定されたらしいのだ。なにが「別種」であるのかは当然わかるはずもないが。

(なんっ……なのよ、この男っ……!)

 好みは人それぞれだし、それを無理強いするなどはできない相談だ。マールが彼の「好みでない」のも、まあ仕方のない話だろう。

(けど……それにしてもっ……!)

 そこまであからさまに顔に出すものか、普通。
 こんないい年をして!

(あんたなんか、こっちから願い下げよっ!)

 馬鹿にするなと言いたかった。
 自分の大好きなあの青年は、この男みたいに人前で、あっちの女こっちの女といい顔をしまくるような中味の軽い男ではない。
 自分がこんな身分でなかったら、そのにやけた二枚目づらを扇の一振りでうちしおれさせてくれようものを。

(……ん?)

 マールの思考はふと、そこで立ち止まった。
 なんだろう、今の。

(あれ?)

 一瞬、自分が何を考えたのかが分からなかった。
 ふわりと浮かび上がったその意識は、捕まえようとした途端、あっという間に霧散してつかめなくなってしまった。

 それは予感か。
 はたまた、希望か。

(……ま、いいわ)

 とにかく、そのおかげで腹の虫は少しはおさまったらしかったから。

 そんな調子でぎりぎりと奥歯を噛み締め鬼の形相になっていたマールを、オルクもヨシュアも不思議そうに見つめていた。彼らには今ここで何が起こったのか、とんと理解できていない様子だった。
 ただ一人、ディフリードだけは、必死に笑いを噛み殺すようにして、先ほどから白手袋の手で口許を覆い、腹のあたりをおさえて横を向いている。もはや目のはしに涙まで滲ませているようだった。

(そこまで笑わなくったっていいでしょっ……!)

 忌々しいことこの上ない。だが立場上、マールがこの男に文句を言うことなどできない。
 やがてようやく顔を元に戻してディフリードが言葉を継いだ。

「ともかくも。くれぐれも粗相のなきよう、よろしく頼むよ?」

 ヴァイハルトは一旦ほかの監視兵らとともに、ヨシュアの宿所であるルツ宅の離れまで同行するらしかった。
 皆でそちらへ歩きかかっていると、ちょうどルツの家の前でルツと娘のナオミ、それにお付のバシスが戻ってくるのに行き会った。
 二者二様、それぞれに華やかな青年将軍が肩を並べて歩いてくるのを見て、三人はぴたりと足を止め、こちらを呆然と眺めているようだった。三人が三人とも、まるでこの場に神の使いでも下り立ったかのような顔だ。
 マールはそんな三人をうんざりと見やった。
 娘のナオミも、完全にその場に足を縫いとめられたようになって固まっている。そういえば、彼女にもずいぶん昔に亡くなった兄がいたという話を聞いたことがあるような。
 ちらりとヴァイハルトに視線を向けると、案の定、彼はこの上もなく優しい笑顔を村長むらおさの娘に向けている。

(……あなたもなの、ナオミ……)

 マールはもう、あきれ返って言葉も出ない。ただもう目をつぶって頭を抱え、その場でがっくりと肩を落とした。





 宵の口、ノエリオール辺境の村。
 すでに日は落ち、秋の外気はすでに冷たいものを含んでいる。

 いよいよ翌日に《鎧の儀式》を控え、ノエリオール交渉班の皆はやや緊張気味だった。一方で老マグナウトなどは、明日のためにと早々に風呂を使い、早くも寝床に入ってしまった。あの小柄な体で、相当に豪胆な老人である。

 早めの夕餉を済ませて、サーティークは夜の稽古のために、愛刀「ほむら」を手挟たばさんで外に出た。
 少し思うところもあって、部屋にいた内藤と佐竹を呼び、ともにまたあの空き地へと向かう。佐竹の部屋の前にいた警備兵らは当然ついて来ようとしたが、「構わぬ」とひと言いって置いてきた。

「どうしたんですか? 陛下。また、佐竹と剣の稽古を……?」

 自分が手にしている佐竹の愛刀「氷壺」を心配そうに眺めながら、何度か内藤が訊ねてくる。彼には松明を持たせている。サーティークは質問には答えずに、ただ大股に空き地へ向かった。
 佐竹はいつもと同様、黙って静かな表情のまま、あとをついてくるだけだ。
 空にはあの「死の惑星ほし」が、虚しいかおを晒して山のから地上を覗いている。

「あの、陛下――」
「やかましい。黙ってついてこい」

 ぴしりと言うと、内藤はしゅんとなって黙り込んだ。
 この青年は、あれからなにやらずっとへらへらしている。
 特に佐竹の前ではそうなるようだ。
 どうやらこの友人に言いたいことがあるようなのだが、どう言ったらいいものか、ずっと思い悩むようにも見えた。そうは言っても、はたで見ているぶんには単に「へらへらしている」ようにしか見えないのが、この青年の不思議なところでもあり困ったところだ。

(……いや、苛立いらだつ)

 そうなのだ。
 己が何に苛立っているのかはよくわからない。だがともかくも、サーティークはこの青年に「佐竹に対して吐き出したいことがあるなら是非とも今すぐそうしろ」と言わずにはいられないという気がしている。
 とはいえ、したい話はそれだけではなかった。

 空き地に到着して周囲に人の目のないことを確かめると、サーティークは内藤に松明台に松明を入れるようにと命じた。松明台は、かねてからこうした夜の鍛錬のために傍らに設置してあるものである。
 その後、サーティークはあらためて佐竹の方を向いた。

「アキユキ。聞いておきたいことがある」
「何でしょうか」

 「何なりと」と言わぬばかりの静かな声で佐竹が答えた。サーティークは東の空に茫洋と顔を覗かせている「兄星」を、ぐいと顎で示して見せた。

「あの惑星ほし穿うがたれていた大穴の件だ。そなた、交渉の時には何も言及しなかったが。思うところがあるのであろう? それを聞かせてもらいたい」

 ずばりと核心から切り込んだ。
 だが、どうやら佐竹の方でもある程度の予測はしていたらしい。さして驚いた顔もしなかった。ちょっとばかり小憎たらしい。

「あの観察から、もともと『兄星』に《鎧》の設置されていた都市が、ほぼあの形で壊滅していることが分かりました。あれら全てが隕石その他の自然災害によるものと考えるには、あまりに不自然な状況です」

 答えの方も見事なもので、至ってすらすらと澱みがない。サーティークも眉ひとつ動かさず「それで」と先を促した。

「自然でないなら、それは人工的、作為的なものと考えるのが妥当でしょう。『兄星』の人々は、最終的に互いを攻撃しあい、双方が滅ぼしあって、共倒れに追い込まれたのではなかろうかと」
 内容の恐ろしさとは裏腹に、やはり佐竹の声は静かだった。表情も普段となんら変わらない。
「結果、大気に汚染物質を大量に撒き散らし、星全体をあのような死の世界に変えてしまったものと推察します」
 対する内藤はというと、途中からもう青ざめて、じっとそんな友人を凝視している。

「なるほどな。やはりそう思ったか」
 サーティークは軽く吐息をつくと、ずいと空き地に足を踏み入れた。佐竹と内藤は入り口に立ち止まる。
「……愚かよな」
 吐き捨てるように言った言葉を、二人は黙って聞いていた。

 「兄星」はあの様子から推察するに、人類の滅亡が生じてすでに数百年は経過しているのではないかと思われた。
 現在のノエリオール暦が五百四十二年になるので、少なくともそれよりは昔、ということになるのだろうか。
 とうに滅びていた「兄星」の「負の遺産」たる《鎧》の伝説に翻弄されて、この弟星の人々は、この何百年という年月としつきの間、滑稽な猿芝居を延々と演じさせられてきたわけだ。
 いまさらその数百年前の出来事に対して怒りをぶつけても仕方がない。そんなことはわかっている。だがこの胸内むなうちに湧き上がってくる、やるせなく虚しい心持ちだけはどうしようもない。
 サーティークは拳をぐっと握りしめた。

 そのために、今までどれほどの命を無にしてきたことか。

 ……そしてその多くは、この手が奪った。


 そうやってじっと己が手を見つめて佇んでいるサーティークを、背後の佐竹と内藤はしばらく黙って見つめていた。
 サーティークが何を思うのか。彼らにもそれなりに理解できているらしかった。
 レオノーラの事件について、内藤はいっさい佐竹に話してはいないらしい。だが、それでも佐竹はある種の人間だけに分かるようなやり方でもって、すでに過去の出来事の多くを推察しているようにも見えた。

「ユウヤ」
「は……はひっ!」

 いきなり自分の名を呼ばれて、内藤が飛び上がった。
 自分に話を振られるとはまるっきり思っていなかったらしい。相変わらず、何もかも顔に出る青年である。

「そなた、何かアキユキに言いたいのではないのか?」
「……え」

 だしぬけに予想もしなかったことを聞かれたらしく、内藤は明らかに挙動不審になった。サーティークは畳み掛けた。

「言いたいことがあるのであろう? アキユキに。それならば、この場で話しておくがいい」
「え、えと……」

 王と佐竹とをおどおどと見比べるようにして、内藤は一気に体じゅうに冷や汗をかいているようだ。

「ここをのがせばあとがないぞ。明日、両《儀式》において何が起こるかは誰にも分からぬことなのだから」
「…………」
 内藤がふと項垂うなだれた。その様子を見て、佐竹も眉間に皺を寄せた。
「そうなのか」

 多少剣呑な瞳になったのは、恐らく自分より先に、サーティークにそれを察知されてしまったからだろう。
 この青年は、決して内藤ほど内面が顔にでる性質たちではない。だが、どうやらサーティークにだけは、どこか思考が透けて見えるように思われる。そうだ。まるで手に取るように。それはやはり、「同じ血」を持つ者同士の成せる技だと言えるのだろう。

 二人分の黒い瞳でじっと睨み据えられて、内藤はますます小さくなって俯いた。
 その顔が早くも泣きだしそうになっているのを見て、サーティークと佐竹は同時に溜め息をついた。まるで図ったかのごとくだった。互いにはっとそれに気付いて、思わず目を見合わせる。
 この似通いようは、もはやただ事ではない。
 ちょっと苦笑したサーティークを、佐竹も少し困ったような視線で見返した。
 やがてサーティークは少し声音を和らげてふたたび言った。

「遠慮はいらぬ。話してみよ、ユウヤ」

 内藤は困りきった目を上げて、しばらく視線を彷徨わせていた。
 やがてそれがふいと佐竹の上に戻ってきて止まり、周囲を彩りだした星の光をたたえて、じっと動かなくなった。

 佐竹も黙って見返した。
 そしてふと、胸を突かれたような顔になった。
 そんなかおをしている内藤を、佐竹は今、初めて目にしているらしかった。

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